第46話 帰り道
二人の兄との邂逅を果たし、エリーヌとクロエは二人を連れてジュリエンヌの元へ赴いた。
仲のよさげな四人を見て、母は終始嬉しそうにしていた。
今日はこの屋敷に泊まるということで、兄二人は喜んでいた。
せっかくなので王都に出かけたい、と言っていたが、外はあいにくの雨。
クロエを連れて王都に出るのは避けたかったエリーヌとしては僥倖だったが、兄たちは残念そうだ。
それから、一日、兄たちと一緒に屋敷で過ごした。
彼らがビリヤードをするのを見たり、チェスの勝負をしたり、室内でできる娯楽を楽しんだ。
「そういえば、屋敷に医者が一人来なかったかい? 父上に頼まれて、一人寄こしたんだけど……」
エリーヌとチェスをしながら、ピエリックがふとそう言った。
「! はい、薬を処方してくださったと、母から。紹介してくださったんですか?」
エリーヌの横で戦局を見ていたクロエが、顔を上げた。
「うん。研究室を出た腕利きの医者を、母上にね。なんせ、父上の頼みだったから」
「あ、ありがとうございます……!」
「いいのいいの。ちゃんと訪ねてたならよかった」
彼はクロエに笑いかけながら、チェスの駒を一つ進めた。
「兄上は、何か聞いておりませんか? どうも、彼女の容態について、お母様は詳しく話してくださらないのです」
エリーヌは気になっていたモニカの容態について、何か知っていないかとピエリックに訪ねた。
「いや、ごめんね。まだ、母上からも医者からも何も聞いていないや。丁度聞こうと思ってたんだけど」
「そうですか……」
彼の言葉に、エリーヌは再び盤面に目を落とす。
残念ながら、モニカのことについて何か知ることは難しそうだ。
「しかし、まさかあの父上が、母上以外に女性を囲うとは思わなかったな」
ピエリックの傍らでチェスの様子を見ていたリュシアンが、腕を組みながらそう言った。
「僕も、兄上から初めて聞かされた時は、何の冗談かと思いましたよ」
「俺は冗談なんて言わない」
「だから、驚いたんですよ。随分下手な冗談を持ってきたなって」
兄二人はエリーヌが駒を進めるのを見ながら、兄二人は各々そう言った。
「そういえば、今日はいらっしゃらないんですね。……セドリック様は」
クロエのその言葉に、兄二人とエリーヌは顔を見合わせた。
「クロエは会ったことがあるかい?」
「二回だけ……母さんを引き取る話を持ち掛けてきたときと、迎えに来た時だけです。その時は、どんな人物かも知らされてませんでしたけど」
恐らく、モニカには伝えていたが、クロエには母を引き取ること以外何も聞かせていなかったのだろう。
何も知らずにシャントルイユ邸でクロエと邂逅することになったエリーヌとしてはいい迷惑だが。
「かく言う僕らも、父上の事をよく知っているかと言われれば、そうでもないんだけどね」
ピエリックはそう言って肩を竦める。
「俺たちも父上と会う回数は少ない。あの方は王の側近だからな。ほとんど王宮から出ない」
「月に一度くらいは本邸に帰ってくるけど、三か月も帰って来ないなんてざらだったからねぇ。研究員になってからの方が顔を合わせている気がするよ」
リュシアンとピエリックはそれぞれそう言う。
クロエは彼の人物像を把握しきれないのか、首を傾げた。
「そうね、強いて言うのであれば、仕事以外の物事に興味のない人よ」
エリーヌは頭に疑問符を浮かべるクロエにそう言った。
「奥様もエミリアン様もそう言ってたな」
「ええ。だから、みんな驚いているのよ」
エリーヌはそう言って、ルークをキングの前に進める。
「チェックメイトですわ、兄上」
「ああっ!」
***
やはり楽しい時間というのは、過ぎるのがあっという間である。
一夜明けた次の日の昼にはもうエリーヌ達は帰路についていた。
久しぶりに会った兄たちとの別れを惜しみながら、王都から離れた。
帰りの馬車。長いようで短かった旅も、今日で最後。
何か感慨深いものがあったのか、二人は静かな街道を、黙って眺めた。
「どうだったかしら、旅行。楽しかった?」
家への道が近づいて来たところで、エリーヌは沈黙を破ってそう聞いた。
「……楽しかった」
クロエは端的にそう答え、再び外に視線を向けた。
「けど、疲れた。知らない大人に何人も会って」
息を吐きながら、彼女は窓辺へもたれ掛かる。
西に片寄った日の光が、彼女の顔を照らす。
「でも……てっきり、誰か一人くらいには、謗られると思ってたのに、それはなかったな」
ぼそりと呟くように、彼女はそう言った。
「伯父様の屋敷では、少し嫌な思いをしたでしょう?」
「いや、あれは他人だろ? もっとこう、お前の親戚とか、近しい人から何か言われると思ってたから」
「それに伯母様も少し冷たかったわ」
「ほとんど他人みたいなもんだろ?」
たしかに、エリーヌの親類には、彼女を悪く言う人物はいなかった。
長兄は少々試すようなことをしていたが、結果的に彼女の事をいたく気に入っていた。
ジルベールの妻はあまり良い目をしていなかったが、クロエの言う通り関わりは少ない。
他の二人の兄も、伯父も、彼女の事をすんなりと受け入れていた。
「みんな、いい人たちだったな」
そう言って、目を細める彼女の瞳が、どこか憂鬱なのはなぜなのか。聞くのは憚られた。
自分の母と、彼女の母の考えがなんとなく分かった。
どうして親類を廻り、クロエの存在を知らしめたのか。
どうして皆、クロエの事を、エリーヌ達家族の一員として受け入れてくれたのか。
そこには、残酷な前提がある。
「それはきっと、お母様のおかげね。きっと、手を回しておいてくれたのよ」
「まあ、それは何となくわかるけど。奥様がすごいってのは知ってる」
エリーヌは何気ない話題へと会話を変える。
彼女の憂いに気づいていないふりをするのだ。
「知っている? 貴族の家では、親は子の教育をあまりしないものなの。子育てというものは大抵、乳母などがするのが一般的」
他の貴族の家は大抵そうだろう。
だが、エリーヌ達は違った。
「我が家でも、細やかな世話は乳母や使用人がしてくれたわ。けど、お母様は子供との接触を厭う人ではなかった。わたくし達は、ものの考え方をお母様から教わったの」
「だから、偏見がないって?」
エリーヌは窓枠に肘をつき、語る。
「それは、どうかしら。お母様も生まれは名家よ。でも、不思議と何かを見下すことは少なかったわ。なんでかしら」
母の教育が、自分にとても影響していることは分かっている。
母の所作、考え方、身の振り方を見て学べば、間違うことはないと分かっていた。そして、事実それは正しかった。
だからこそ、皆母の事を尊敬しているし、母を見習って成長した。
「でもそれはあくまで、お母様に育てられたわたくしたちの話。伯父様の様な人も居るけれど、少ないわね」
ようは、偶然だったのだ。
クロエの事を、受け入れがたいと言う人も居る。
それが、偶々周囲にはいなかったというだけで。
「……恵まれてるってことか」
その言葉は今の彼女自身に向けられた言葉なのか。あるいは、エリーヌの立ち位置に向けられたものなのか。
「そうね。わたくしは恵まれているわ」
言葉の刃がクロエに刺さらないよう、エリーヌは自分に向けてそう言い放つのだった。
***
穏やかな天気に転寝をしていたら、いつの間にか家にたどり着いていた。
「おかえりなさいませ」
「おかえりなさいませ、奥様方」
「お疲れ様でございました」
土産や荷物を下ろしに、侍従たちがやってきて、口々に迎えの挨拶を言った。
「奥様、おかえりなさいませ」
「クリストフ。留守の間、何か変わりは……――」
母は迎えにきた家令にそう言って、そそくさと部屋の中へ入って行った。
「何か、手伝うことあるか?」
「いえ」
荷下ろしをするカミーユにそう聞くクロエを傍目に、屋敷に入っていく母を見つめていたエリーヌ。
いつもと変わらぬ屋敷に、帰ってきたのだという実感が湧く。
いつもとは違うことを、いつもとは違う人と体験できて、とても楽しかった。
だからこそ、物寂しい気持ちと、どこか不安な気持ちが心のどこかにある。
「クロエ!」
屋敷に入ったと思っていた母が、玄関から声を掛けてきた。
「荷物は任せて、早くお母様の所へ行ってらっしゃい。待ちくたびれているわよ」
「! はい、直ぐに!」
クロエはそう言って、屋敷の方へと駆けだした。
その様子を見て、一抹の不安は霧散した。
「さあ、エリーヌも中へ入ってらっしゃい。お土産を開きましょう」
「はい、お母様」
その土産と思い出があれば、休み明けの学校も上手くいくだろう。
そう決めて、エリーヌもわが家へと駆けて行った。




