第45話 喧嘩するほど仲が良い
「そうか、元騎士団員に剣を……何流だ?」
「確か、彼はベルツ流だったと思います。私が教えてもらったのは、授業で使う基礎剣術だけですけど」
王都のシャントルイユ別邸にて。エリーヌはクロエと兄・リュシアンと共に、屋敷を廻っていた。
とても広いその屋敷を巡りながら、三人は他愛のない会話を繰り広げ、親睦を深めていた。
今日初めて出会ったクロエとリュシアンの二人は、剣について語り合い、意気投合していた。
「しかし、剣も学問も優秀とは、エリーヌと同じで器用だな」
リュシアンは腕を組みながら、感慨深げにそう言った。
「俺は体を動かすことは得意だったが、勉学の方はあまりだったからな。器用なのは羨ましい。よく、兄上に比べられたものだ」
彼は昔から、剣術などの武芸に熱心だった。故に現在の彼の位地はとても納得のいくものだが、周囲からは時折小言を言われたという。シャントルイユは騎士を輩出する家柄ではないので、学問を優先されることが多い。飛び抜けて優秀だった長兄と比べられ、苦い思いをしたこともあったようだ。
だが、決して勉学ができないというわけではない。比べる相手が単に悪かったというだけだ。
母はそんな彼を気にしており、落ち込むリュシアンに対して、騎士団という進路を示したそう。そうして、今に至るわけだ。
「私は逆に、一つの事を極めるのは不得手ですよ。剣を極めて、王宮騎士団に入ったリュシアンさ……義兄上のほうがよっぽどすごいと思います」
クロエはそう言って謙遜した。
兄と呼んでほしい、と言われ、彼女は絶賛矯正中である。
「そうか?」
「件の騎士団員が言ってましたよ。王宮騎士団は狭き門だって」
「入るのは難しくない。続けるのがな……あの地獄の入団訓練を乗り越えるほうが大変だった」
そうして和気あいあいと会話する二人を、エリーヌは半歩後ろでニコニコと見ていた。
「ああ、そう言えば……母上とお前たちが来ると聞きつけて、ピエリックも来ているぞ。会いに行くか?」
リュシアンは思い出したように立ち止ってそう言うと、やおらエリーヌの方を見た。
「まあ、ピエリック兄上も……」
そこまで言って、エリーヌは僅かに眉根を寄せた。
「……もしや、こちらでも実験を?」
「さあな。だが、やたらと荷物が多かった気もする」
そう言われ、今度は分かりやすく顔を顰める。
「あ、そういやなんか因縁がなんとかって」
ラファナスに向かう道中で話したことを、クロエは覚えていたようだ。顔を顰めるエリーヌを不思議そうに見る。
「ああ、くだらん兄妹喧嘩だ。まだあれを引きずっているのか?」
「まあ、ひどいですわ兄上。あれを下らないだなんて」
ショックを受けたようにそう言うエリーヌに対し、リュシアンはやれやれと肩を竦める。
クロエは首を傾げて二人を見ている。
「たしか、部屋にいるはずだ。行ってみるか」
そう言われて、エリーヌは頭に『?』を浮かべているクロエにピタリとくっつき、渋々彼について行った。
***
長兄のエミリアンが文武両道の人。次兄のリュシアンが武に偏った人とするならば、三兄のピエリックは文に偏った人である。正確には、勉学にとても熱心で研究家な人だ。
事実、現在は王室研究室の研究員をしている。フロスティア大学校を卒業後、王立学院で必要課程を卒業した後、難解な試験に合格したいわば天才。
屋敷の角部屋、風通しの良いその部屋に、彼はいた。
本棚を背に、なにやら独特なにおいと煙を漂わせながら、彼は部屋の机に向かって、一心不乱に書き物をしていた。
ノックをしても反応がない彼に、リュシアンが『どうせノックをしても気づかない』といって、何も言わずに扉を開けた。
案の定、彼は色の付いたフラスコを前に書き物に夢中でエリーヌ達に気づいていない。
「……ん?」
彼はようやく人の気配に気づいたのか、エリーヌ達三人が立っている部屋の入口へと目を遣った。
「あれ、兄上! いつからそこに?」
「五分ほど前からだ。ノックしたはずだぞ」
「ええっ、ごめんなさい。気づかなかった」
彼は何やらゴーグルのようなものをつけており、それを上げて額に付けた。
エミリアンと同じ金髪で、リュシアンと同じ黒目。シンプルな服装の上に、綺麗な白衣を着ている。
そうして、兄だけではない人影にを凝視するように、目を細めてこちらを見た。
「あれ、エリーヌじゃないか! わあ、久しぶりだなぁ!」
彼はそう言って、椅子から立ち上がりエリーヌ達の元にやってきた。
「あら、兄上。目が悪くなられたのですか?」
目を細めないとエリーヌだと気付かなかった兄・ピエリックに、エリーヌはそう聞いた。
「いやぁ、そんなに悪くなってるとは思わないんだけどね。同僚にも同じことを言われたよ」
「そんなゴーグルをつけたままで、書き物をなさっているからですわ」
母親のようにそう言うエリーヌに、ピエリックは目を輝かせる。
「エリーヌが僕の事をそんなに心配してくれるなんて……! もしかして、あの時のことを許して……」
そう彼が言いかけたところで、エリーヌはクロエの背後にさっと隠れた。
「……くれないんだね……」
と落ち込もうとしたところで、ピエリックはクロエを見た。
「やや、ごめんね、自己紹介が遅れたよ。僕はピエリック・トレニア・シャントルイユ。よろしくね」
「え? ああ、よ、よろしくお願いします」
ピエリックから差し出された手を、クロエは握り返す。
明るく積極的な性格の彼を前に、少々驚いている様子。
「いや~、うれしいなぁ。妹が増えるなんて! 兄上もそう思うでしょう?」
「先程俺も同じことを言った。今まではエリーヌ一人だったからな」
ピエリックは満足げにうんうんと頷くと、にっこりと笑ってクロエを見た。
「ともかく、よろしくね。僕は君を歓迎するよ!」
「あ、ありがとうございます」
寡黙なリュシアンと違い、彼は思っていることをすべて口にする人だ。
素直に喜ばしい気持ちを、クロエにそのまま伝えた。
そんな明るい彼に、未だ戸惑った様子を見せている理由は一つだろう。
「ところで、こんな風になってるんですか?」
自分の背後のエリーヌを視線で指し示しながら、クロエはずっと疑問だったことを訪ねた。
エリーヌは彼女の背後で、半眼で兄を見つめている。
正確には、彼の背後に並んでいる実験道具を、と言うべきか。
「そう! そうなんだよ~、聞いてくれるかい? えっと……」
「クロエです」
「クロエ! 聞いておくれよ。もう8年も前のことなんだけどね?」
そういって、ピエリックは語り始める。
あれは、エリーヌが9歳の頃。
エミリアンやリュシアンよりもエリーヌと年の近いピエリックは、よく幼いエリーヌと一緒に遊んでいた。
彼は当時から知的好奇心の旺盛な子供で、植物や動物にとても詳しく、エリーヌにもその知識を披露していた。
そんな経験もあり、エリーヌは生物が好きでとても興味を持っていた。
だが、二人の生物に対する"興味"は、方向性の異なるものだった。
エリーヌは愛玩に近い興味、つまり可愛がりだ。
しかし、ピエリックは違う。彼は、生物の構造、その不可思議について熱烈な興味を持っており、そこに生と死のこだわりは無かった。
こうして、露月のある日に事件は起きた。
「暇だったので、ピエリック兄上の部屋に赴いたのです。そうしたら、わたくしのベアトリーチェが、見るも無残な姿に……!」
大袈裟にそう言って、よよよと涙を流すふりをするエリーヌ。
幼き彼女が部屋で見つけたのは『ともだち』の標本であった。
「いや、ベアトリーチェなんて言うけど、あれカエルだったじゃないか! しかもオスだし!」
「まあ、そうだったのですか? ならもっと勇ましい名前を付けてあげればよかった」
そんなやり取りをする二人を見て、クロエは心底くだらねぇといわんばかりの表情を浮かべていた。
「だが、幼いながら大人びていたエリーヌが、赤子のように泣き喚いたのは、あれが最初で最後だったな」
「兄上。その話は少々恥ずかしゅうございます」
彼の言う通り、エリーヌが泣き喚いたのはあの時だけだ。
それぐらい鮮烈な出来事だったのだ。だから今もなお、当時を思い出して兄に対して辛辣な部分があるだけだ。
別に本心から嫌っているわけではない。兄弟間の戯れというやつだ。
思えば年が近いということもあり、甘える気持ちが強いのかもしれない。
「確かに、流石にあそこまで泣かれたらなんだか罪悪感があったし、母上にもしっかり怒られたからなぁ」
「へぇ、奥様にも……」
ジュリエンヌが怒っているところを想像できなかったのか、クロエはそう呟いた。
「でも、あの時叱られてなかったら、野良猫の一匹や二匹、解剖してたかもしれないからなぁ」
「あ、それはちょっと怖いです」
「だよねぇ。だから、いい経験だったのかも」
ジュリエンヌは『生き物は大切に扱え』とピエリックを窘めつつも、その好奇心自体を否定することはなかった。
或る程度の倫理観は持つよう、細心の注意を払いつつ、彼の長所を伸ばす後押しをしてくれた。
なので、彼もまた母を尊敬しているのだ。
「そうだ、君たちが来たのなら、お母様も来ているんだよね? 挨拶に行かないと!」
「そうだな。会いに行こう」
「ええ。お茶でもいただきながら、兄上たちの近況を教えてくださいな」
三者三様だが、どこか似通った彼らに、『これが兄弟か』と納得するクロエを見て、ニコニコとするエリーヌであった。
エミリアン:見た目は母似、性格は父寄り。聡明な当主の器。
リュシアン:見た目は父似、性格は母寄り。武術が得意。
ピエリック:見た目は両親それぞれを受け継ぎつつ、性格はどちらとも似つかない異端児。天才肌の研究家。
エリーヌ:三人の兄の要素をちょっとずつ受け継いだ末娘。見た目は母似。




