第44話 再び王都へ
楽しい旅行も、そろそろ終わりが近づいて来た。
今日はラファナス、ラディックス領から離れ、王都へと向かう。
先日は良い休息をとることができた。港町を楽しみ、屋敷でゆっくりと過ごすことができた。
だが、楽しい時間というのはあっという間だ。
「何か、お忘れ物はございませんか?」
「大丈夫よ。ありがとう、カミーユ」
「私も大丈夫」
エリーヌとクロエの返答に頷き、カミーユは馬車の荷台を閉めた。
「何か困ったことがあれば、いつでも頼ってくださいね」
「ありがとうございます、お義母さま。元気な子を見せられるよう、頑張ります」
「無理はなさらないでね」
母はエミリアンの奥方とそんな別れの挨拶をしている。
エリーヌ達はそれを横目に、馬車へと乗り込んだ。
「……もう行っちゃうの?」
クロエが馬車に乗り込もうとしたところで、馬車の側で父であるエミリアンの足にしがみついたアニエスが、名残惜しそうに呟いた。
そんな淋しそうな声を聞いたクロエは、一度降りてアニエスの元に向かった。
「アニエス。またいつか会おうな」
「絶対だよ……?」
「ああ。木から落ちないよう、気を付けるんだぞ」
クロエが苦笑しながらそう言い、エミリアンがそれに笑うと、彼女はムッと頬を膨らませた。
「クロエ」
立ち上がって去ろうとしたクロエを、エミリアンが呼び止める。
「今後を期待しているよ。もし進路に迷ったら、僕に声を掛けてくれ。一番にね」
柔和な笑みを浮かべ、彼はそう言った。
「ありがとうございます」
それに端的に礼を述べ、クロエは颯爽と馬車に乗った。
「それと、エリーヌ」
エミリアンは、既に馬車に乗っていたエリーヌにも声を掛けた。
「君も、進路についてはよく考えるんだ。いいね?」
柔和だが、真剣な表情で、彼はエリーヌにそう言った。
「ええ、勿論。……分かっています」
「なら、いいんだ」
端的な言葉の中に、二人だけにしか分からない言葉が隠されていた。
エリーヌはそれを、しっかり受け止める。
「それでは、道中気を付けて」
彼のその言葉を最後に、馬車の扉は閉まった。
二台の馬車は、海を背に帰路を走り出した。
美しい海はどんどん遠ざかり、馬車は街並みを進んでいく。
しばらくするとラディックス領の関所と、伯父の邸宅が見えてきた。
行きは立ち寄ったその建物を通り過ぎ、街道へと出て行った。
「今日中には家に着けそうもないな」
馬車の外を見ながら、クロエはそう言った。
「ええ。今日はこのまま、王都に泊まる予定よ」
外は少しばかり曇り空だ。
王都に着くころには、雨が降るかもしれない。
「……お母様が心配?」
窓の外をぼうっと眺めるクロエに、エリーヌがそう聞く。
「あー……まあな」
彼女は頬を掻きながら、素直に認めた。
「大丈夫よ。明日はすぐに帰りましょう」
「……」
退屈な馬車の中、振り出した小雨のように、二人はぽつぽつと会話をするのであった。
***
エリーヌの予想通り、王都の別邸に着くころには、雨は小降りから大降りに変わった。
すぐに屋敷の中に入り、雨風から身を守る。
「……でか」
屋敷に入って早々、クロエは大広間の天井を見上げてそう呟いた。
「本邸よりも、大きいでしょう? 催しごとを行いやすいように、この大きな広間が用意されているの」
「城かよ……」
「本物のお城を見たら、もっとびっくりするわね」
この屋敷が広く感じるのは、単に大きいのとは他に、あまり人がいないからだろう。
管理するための使用人は多くいるが、この広さで本邸とほとんど変わらない人数しかいない。
何故ならこの屋敷の主人は、ほとんどここに帰って来ないからだ。
「せっかくだから、案内しましょうか。今日泊まる部屋は――」
「エリーヌ」
クロエを部屋に案内しようとしたところで、背後から男性の声で呼び止められた。
振り返ると、とても背の高い焦げ茶色のストレートヘアの男性が立っていた。
「リュシアンお兄様!」
彼を見たエリーヌはぱっと顔を綻ばせた。
「見ないうちに、随分と大きくなったな。立派な淑女だ」
「もう背は伸びていませんのよ、お兄様」
和気あいあいとそんな会話をする二人を、クロエはぽかんと見つめていた。
「お兄様。彼女が、クロエですわ」
そんなクロエを、エリーヌは紹介する。
「初めまして。クロエと申します」
クロエはスカートをつまんでお辞儀をする。
この三日間で、この所作は随分板についたようだ。
「ああ、父上から聞いている。俺は、リュシアン。リュシアン・サルビア・シャントルイユだ。よろしく」
「よろしく、お願いします」
礼儀正しくお辞儀をするリュシアンに、クロエはより腰を低くする。
少し緊張しているように見えるのは、彼から父・セドリックの面影を強く感じるからだろう。
焦げ茶の髪に、黒の目、無愛想な表情は、父そっくりだ。
だが、内面はそうではない。母に似て、穏やかで優しい人だ。
「……」
だが、母とは違い寡黙な人だ。
初対面のクロエに対して、どのように接するべきか決めかねている。
そして、それはクロエも同様である。
そういうわけなので、エリーヌがその仲を取り持つことにした。
「お兄様。どうですか、新しい妹は?」
「……あ!?」
エリーヌの突飛な発言に、クロエは驚いてエリーヌを見る。
「い、いや、私はそんなつもりは……」
背が高く、どこか威圧感のあるリュシアンを見上げて、クロエは慌てて訂正する。
彼女は自ら妹の立場を主張するほど積極的ではない。
エミリアンには『兄』だと思ってほしいと言われたが、結局『兄』とは呼んではいない。
血のつながっていない者を、兄妹と扱うのは難しいかもしれない。
そんな消極的なクロエをじっと見つめたリュシアンは、彼女にゆっくりと手を伸ばす。
そうして、彼女の頭にポン、と頭を乗せた。
「……??」
その行動に、クロエは戸惑いの表情を見せる。
一体自分が何をされているのか、というところだ。
それが面白くて、エリーヌは声を殺して笑う。
「妹は何人いたってかまわない。俺のことは、兄と思って接してくれると嬉しい」
彼はそう言って、クロエの頭から手を離した。
「は、はい……」
クロエはリュシアンを見上げ、やはりまだ戸惑った様子で返事をした。
少々強面で背の高い、狼の様な男性が唐突に頭を撫でてきたとあらば、驚くのも無理はないだろう。
「ふっ……あははっ……」
「おい、何笑ってんだよ……!」
「?」
可笑しな邂逅を見て、ついに堪えきれず声をくぐもらせて笑うエリーヌに、クロエが顔を赤らめながら小声で突っ込む。
リュシアンはその様子を見て首を傾げる。
彼は人との距離の詰め方が下手なのだ。父のように冷酷だと勘違いされがちだが、実際は穏和な人だ。
今の一連の流れで、クロエもそれは分かっただろう。緊張は解れたようだ。
「ははっ、はぁ……お兄様。彼女と一緒に屋敷を廻って、勝手を覚えてもらおうと思っているんです。ついて来ていただけますか?」
「ああ、勿論」
色よい返事をしてくれた兄に、二人はついて行く。
「ふふふ」
そんな三人を遠目から見ていたジュリエンヌは、上機嫌で彼らを見送るのだった。




