第42話 港町
ラファナスの市場は大層賑わっていた。
露月は雨が多い。嵐も多く、波が荒れやすいため、航路での貿易は減少する傾向にある。
その反動もあり、また天気も安定しやすいため、緑月はとても盛んに貿易が行われる。漁も多く行われ、市場はより一層賑わいを見せるのだ。
そんな市場の様子を、エリーヌ達は馬車の中から見ていた。
「すごい人だな」
「ええ。近々、豊穣祭があるみたいよ」
エリーヌはそう言ってクロエを見る。
心なしか目を輝かせているように見える。
そんな彼女は、先程エミリアンに着せられた服を未だに着ている。
本人曰く『落ち着く』とのことだ。思えば、彼女が屋敷に来た時も紳士服をしていた気がする。
エリーヌは、お忍びで外出する用の格好だ。市で歩き周っているような町娘たちのトレンドを押さえつつ、夏なので少し涼し気な装いだ。
傍から見れば、お忍びの貴族令嬢とその付添人そのものだろう。
馬車を適当な道端に止める。御者が扉を開きステップを置くと、クロエが軽快な足取りで降りた。普段より動きやすい格好だからだろう。
「あら、付き人さん。主人が降りるときは、手を取るのよ」
そんなエリーヌの冗談に半眼になりつつも、彼女は手を差し伸べてくれるのだった。
***
二人はラファナスの中心にある広場に向かって街を練り歩いた。
ちょっと珍しいものもある青果店、今にも動き出しそうなとれたての魚が並んでいる魚屋など、いろんなものを見て回った。
「なあ、あれって何やってるんだ?」
「ああ、あれは占いよ。手相を見てもらったり、恋人との相性を見てもらったり」
「へぇ、胡散臭い」
「でも人気みたいね」
市井の人々の賑やかな雰囲気に紛れながら、二人は見た目に似合わず談笑をしながら歩いた。
店で物色していると、店主から訝しげな眼で見られたが、それがまた面白かった。
広場で見世物を見たのち、通りにある少し敷居の高い店が並んだ商店街で二人は買い物をした。
服飾を扱う店などで少しばかり買い物をし、喫茶店でお茶を飲んで休んだ。
「てっきり、もっと買い物するもんだと思ってた」
「荷物になるもの。それより、貴女は欲しいものはない?」
「私は別に……」
向かい合って紅茶を飲みながら、二人はそんな会話をしていた。
道中いろんなお店を見て回り、クロエに似合うものが無いか、色々あてがいながら見て回ったが、彼女は特に欲しそうにはしていなかった。
欲しいものは言いつけてくれれば何でも買う、と常日頃エリーヌやジュリエンヌは言っているが、彼女は遠慮して必要最低限のものしか言わない。
単に物欲がないのかもしれないが、自分が何を欲しているのか分からないというのもあるだろう。
そんな彼女に何か買い与えたいと思うエリーヌだが、ピンとくるものが今のところない。
「そうだ。近くに面白い骨董品店があるようだから、そこに寄ってもいいかしら?」
「わかった。時間もないしもう行くか」
「ええ」
二人は立ち上がり、やはり訝し気な目線を貰いつつ、その店を後にした。
そうして、商店街の端にある年季の入った怪しげな骨董品店に入った。
「いらっしゃい」
店の奥に年老いて腰の曲がったお爺さんが座っており、しゃがれた声で挨拶を投げかけてきた。此度は平等な接客だ。客の貧富を問うてない。
どこか埃臭さが漂っているようなこの店には、真贋もその価値も分からないものがずらりと並んでいる。
夜に動き出しそうな人形に、意匠の凝ったティーセット。虫の標本まである。
「面白いわね」
「ちと不気味だけどな」
静かな店内で、二人は小声でそう言いあった。
店主は客に見向きもせず、虫眼鏡越しに何かをじっと見つめている。
しばらく静かに店を歩き周っていると、ふとクロエが棚の上の一点を見つめているのが見えた。
彼女の視線の先には、コルクで栓がされている小瓶が埃をかぶっておかれていた。
彼女はそれに手を伸ばし、その中身を見た。それをエリーヌも横から覗き込む。
「水晶……いえ、これはガラス玉ね」
小瓶の中には薄い水色の何かが入っていた。
その透明度を見るに、恐らく水晶に見立てたガラス玉だ。
「でも、瓶の口より大きい。どうやって入れたんだろうな」
クロエはそう言って、コルクを外して瓶を逆さまにする。
ガラス玉はカンと音を立てるだけで、瓶の外には転がらなかった。
それを一通り眺めて元に戻そうとしたクロエの手を、エリーヌは掴む。
「すみません。こちらをいただいても?」
「ちょっ……」
クロエに有無を言わさず、エリーヌは店のカウンターに向かってそう言った。
「はいよ。こちらに持って来ちょくれ」
老人に手招きされるまま、エリーヌはその小瓶を購入した。
***
「さあ、一度馬車に戻りましょうか」
骨董品店を出たところで、エリーヌはそう言った。
「……」
クロエは購入したガラス玉入りの小瓶を訝し気に見つめていた。
正確にはその値札だ。エリーヌとしては特に躊躇うほどの値段ではなかったが、彼女はその小瓶に値札ほどの価値を見いだせていないようだ。
値段を提示された時、彼女の口から小さく『えっ』という声が漏れたのをエリーヌは聞き逃さなかった。
それはさておきと言わんばかりに歩き出し、広場で行われている見世物を遠目に見つつ、二人は馬車のある所に戻ってきた。
「まだ少し時間がありそうね」
「まあ、そうだな」
外の日の高さを見て、エリーヌはそう言った。
屋敷に着いたのが朝早かったということもあり、思いの外時間が残っている。
「ああ、そうだ。屋敷の方に行きたい場所があるのだったわ」
「なら、一旦戻るか」
そう言ってクロエが馬車に乗った後、エリーヌは御者に行き先を伝えその後に続いた。
馬車が向かった先は、エミリアンの屋敷がある高台からすぐ近くの場所だった。
かの屋敷の周辺は貴族の者達の屋敷や別荘が並んでいる場所でもある。
商店街とは異なり、閑静な街並みだ。
その通りを過ぎると、エミリアン宅のある高台の裏側にたどり着く。
そこは、エミリアンおよびシャントルイユの私有地にあたる海がある。
商店街側の海には港と、観光客が訪れる海水浴場があるが、此処には小さな小舟が桟橋に取り付けられている以外何もない。
周りには切り立った崖やごつごつとした岩が多く、満潮時には砂浜がほとんど海に覆われてしまうため、観光するには向かない。
今は干潮で、砂浜で遊べるほどに波は引いている。
タイミングを見計らって来たかいがあった。
「……」
馬車を降りたクロエが、その光景に目を奪われ息を飲んでいる。
その横顔が見れたことに笑顔を零しつつ、エリーヌは砂浜に降りるための階段に足を運んだ。
「こっちから降りられるわ、行きましょう」
クロエの手を引きながら、エリーヌは海へと向かって歩いて行った。




