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魔女と狼は月下で笑う  作者: 庄司 篁
緑月2 休閑週
42/59

第41話 義兄

「どこに行ったのかしら……」


 エリーヌは、兄の屋敷を歩き周り、きょろきょろと辺りを見回した。

 来客は帰り際ということで、挨拶は手短に済んだ。客間に向かう途中、母に『クロエは共に行かなくてもよいのですか?』と聞かれた際には冷や汗を流したが、『関わりのない方ですから』と正直に述べ難は逃れた。

 そうして挨拶を済ましてクロエの所に向かうと、カミーユが案内したという場所に彼女はいなかった。

 彼女は興味の赴くままに行動するほど天真爛漫でもなければ、勝手の分からない場所をうろつく程短絡的な性格でもない。彼女が一体どこに行ったのか、カミーユと共に探し回っている最中だ。


「お嬢様」


 兄の執務室の前に来たところで、カミーユに呼び止められた。

 そう言えば、来客が去ってから兄の姿も見ていない。来客を見送り、母とエリーヌを客室に案内した後、すぐにどこかへ向かってしまった。

 などと考えていると、執務室の向こうから、兄の声が聞こえてきた。


「お兄様。いらっしゃいますか?」


 三回ノックし、扉越しにそう尋ねると、部屋の向こうから足音が近づいてくる。


「……おや。エリーヌ」

「お兄様。挨拶も早々にどこに行かれたのかと……」

「いや、すまない。ほら、もう一人の来客を案内しないといけなかったからね」


 そう言って、兄のエミリアンはエリーヌに部屋に入るよう扉を大きく開けた。

 誘われるまま部屋に入ると、そこには確かに()()()()()()()がいた。


「クロエ」

「あっ……」


 彼女は、メイドが鏡を持つその前に立っていた。

 先ほどまでとは違う格好で。


 エリーヌの戸惑う表情を見て、クロエはバツが悪そうな顔をする。


「これは……」

「ふふっ。似合うだろう?」


 そんな二人を見て、エミリアンがくすくすと笑った。


「いや、悪かったね、試すような真似をして。お父様が連れてきた人物が一体どんな人かと、こちらとしては気が気じゃなかったのさ。いち早く相まみえたくて」


 彼はクロエに向かってそう言い、優雅に頭を下げた。


「改めて。僕はエミリアン・ゲウム・シャントルイユ。この屋敷の主人だよ」


 背の高い、金髪の美青年。彼こそが、エリーヌの兄エミリアンだ。


「どうも……いや、それより、この格好はどういう……?」

「そうですわ。まるで小姓のようではないですか」


 マイペースに話を進める彼に、二人はまずこの状況につい疑問を示す。


「いや何、ちょっとした面白半分さ」


 クロエが着せられているのは、タキシードのようなものだ。

 装飾は優美だが華美とまではいかず、貴族が着るにしては少しシンプルなものだ。クロエのすらりとした長身によく似合う。

 しかし、王や王妃の小間使いか執事あたりに見えなくもない。


「……お兄様。彼女は――」

「いや、分かっているさ。それよりまずは、母上に会いに行かないと」


 マイペースにエミリアンはそう言って、部屋から出る。

 クロエとエリーヌは戸惑った顔を見合わせつつ、彼の後に続いた。





***






 屋敷の客間にて、母ジュリエンヌはエミリアンの妻とその娘と談笑をしていた。


「……これは、どういうことですか」


 エミリアンに連れてこられた二人――否、主にクロエを見て、母はエリーヌと全く同じ反応をした。

 彼女の対面に座る二人も不思議な表情をしている。


「母上。お久しゅうございます」

「挨拶より先に、説明なさい」

「彼女に似合う格好をさせたまでですよ」


 エミリアンの言葉に、ジュリエンヌは眉根を寄せて厳しい表情をした。

 その顔のまま、小さく溜息を吐く。


「エミリアン。彼女は、れっきとした公爵の娘。そのような格好は――」

「ああ、いえ。そのような意図はないのですよ」


 エリーヌと全く同じことを思ったであろうジュリエンヌの言葉を遮り、彼は首を振った。

 

 そうして、エミリアンはクロエとエリーヌもソファに座らせ、メイドに二人分の茶を持ってこさせた。

 詳しい話は今からするから、といった様子だ。


「無論、僕にも分かりましたよ。彼女は、僕が警戒するような人物ではない。彼女の御母堂もね」


 ティーカップを口に寄せるクロエを見て、彼はニッコリと笑ってそう言った。

 その視線を受け、クロエはビクリと肩を揺らす。


「手紙で言ったでしょう。何も心配する必要はないと」

「ええ。ですが、相対してみないと分からないことも多いですから」


 やはり、念には念を、と思っていた部分があったようだ。

 だが、兄がそうするということを、ジュリエンヌもまたなんとなく分かっていたようだ。

 お互いさまというべきだろう。


「……ですが母上。彼女の扱いに関しては、少々不服が」

「わたくしの意見は先ほど述べましたが、どういう意味で?」


 ジュリエンヌは神妙な面持ちで続きを促した。


「彼女h、瀟洒な服を着せ、椅子に座らせておくだけではあまりに勿体ない」


 彼はしたり顔で、クロエを見てそう言った。

 その言葉に、ジュリエンヌと兄の妻子が顔を見合わせる。

 エリーヌだけが、彼の言いたいことを理解した。


「先程、彼女と船舶法について話をしました。驚いたことに、彼女は法の条項と文言を寸分狂いなく覚えていた」

「まあ……」


 周囲の感心した視線に、クロエは気まずそうに眼を泳がせる。


「……法学の授業で、取り上げられていたことがあっただけです」

「たしか、エリーヌと同じリリウムの生徒だったね。けれど、リリウムの授業ではそこまで深く扱わないだろう?」

「興味があったので、教師に話を伺ったんです。その際、諸法大全を見させていただいて、それで……」


 諸法大全とは、フロスティアの細かな法律についてまとめられた本だ。

 リリウムの図書館の重要書架にある。教師に見せてもらわないと見ることは叶わない。


 どうやらこの短い間に、彼はクロエの特異な長所を見出したらしい。


「お母様。彼女の記憶力は絶大なのですよ。なにせ彼女は、リリウムの明細な校則を網羅していますから」

「ちょっ……」


 エリーヌがまるで自分事のように自慢げに言うと、クロエはとても恥ずかしそうにした。

 『おい変な事言うなよ』とでも言いたげなその表情に、エリーヌは内心ほくそ笑む。


「そんな特技があっただなんて、知らなかったわ」


 ジュリエンヌは驚きの表情を浮かべたのち、誇らしげに笑った。


「極めて優秀な人材だ。ですから、一日くらい僕の秘書でもやらせてみようかと。いやなに、ほんの冗談ですよ」


 にこにこと笑ってそう言うエミリアンに、ジュリエンヌはやれやれといった様子だ。

 どうやら、もう心配する必要はなさそうだ。





***






 その後、エリーヌとクロエは別でエミリアンと話をすることになった。彼の所望だ。

 ジュリエンヌはまだ幼い孫娘をあやすために、嫁と共に庭に散策に出かけたようだ。


「クロエ。嫌なら『嫌』と言っていいのよ?」

「いや、なされるままだったし……あと、若干こっちの格好の方が落ち着く」


 二人のそんな会話を聞きながら、前方で二人を部屋に案内するエミリアンはにこにこと笑った。


「しかし、二人がそんな面白い関係にあったとはね。もっと早く言ってくれればよかったのに」


 彼には、学園でのことを洗いざらい話した。吐かされたと言うべきか。

 学園生活について聞かれるうち、誤魔化しきれなくなった。

 もとより話そうと思っていた相手であったので、エリーヌとしてはさほど問題がないと思っている。兄は、騒ぎ立てるような無粋な性格ではないし、何より相談相手として適格だ。


 そういうわけで、二人は何も取り繕わず、いつものように会話をしている。


「学園は相変わらずのようだね」

「もはや、伝統と言うべきでしょう。善し悪しは分かりかねますが」


 彼もフロスティア大学校卒業者だ。内情は母よりも知っている。

 そう言った点でも、彼に今の二人の関係を隠すのは難しい。


「ロザにも派閥があったんですか?」

「勿論。酷いと流血沙汰になったくらいさ」


 クロエの質問に、エミリアンは肩を竦めながらそう答えた。

 派閥という存在はリリウムと変わらないようだが、争う方向性が違いそうだ。

 二人は苦笑いを浮かべる。


「とはいえ、リリウムの様な陰湿さは無かったね。足の引っ張り合いより、ぶつかり合いと言うべきかな。僕は前者の方が性に合っているけどね」


 どちらもどっち、ということだ。


「しかし、もし僕がエリーヌの立場なら、堂々とクロエと組んで学園の改革をするのに。その辺り、野心はないのかい?」


 兄の試すような視線に、エリーヌは澄まし顔をする。


「女は得てして感情的な生き物ですから。たとえ自分は理性的であろうとしても、周りがそれに応えるとは限りません」

「なるほど。言い得て妙だね。でも残念だ」


 エリーヌの言葉に、エミリアンは肩を竦めた。


「まあ、その話はあとでじっくり聞くとして。君たちの部屋はここだよ」


 彼はそう言って、二つの部屋の入口の前に立った。

 向かい合わせになっているこの部屋が、今日のエリーヌ達の寝所だ。


「昼食までまだ時間があるから、良ければ町まで散歩でもしておいで」


 伯父の家を発ってからさほど時間は立っていない。

 昼の時間にも余裕があるので、町をぐるりと回るくらいのことはできそうだ。


「なら、準備をしないと」

「使用人は好きに使ってくれて構わないよ。何か困ったことがあれば、遠慮なく申し付けてくれ」

「お気遣いありがとうございます」


 クロエがそう礼を言うと、エミリアンは柔らかい笑みを浮かべた。


「それと。良ければ僕のことは、『兄』と思って接してくれ」

「……! はい」


 こうして、クロエは義兄との邂逅を果たすのだった。

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