第40話 長兄の屋敷
パーティーが終了し、来客が去った後、エリーヌ達は各々部屋へと戻った。
旅の疲れもあってか、いつもと違う場所でもすんなり眠ることができた。
気付けば翌日の朝。身支度を済ませたのち、今日はお待ちかねのラファナスへと向かう。
「どうも、お世話になりました」
最後に馬車に乗る母が、振り返って伯父の妻に深く礼をした。
伯父は今日ともにラファナスへと向かう。
「いえ。また、是非いらしてください」
「ありがとうございます」
互いに深く礼をして、母は馬車へと乗り込んだ。
***
ラファナスは港町。ラディックス領でもっとも沿岸に近い場所にある。
関所に近い場所にあった伯父の屋敷から、少しばかり離れた位置だ。
といっても、ものすごく離れているというわけではなく、午前の内に着くだろう。
「そうそう。言っておかなければいけないことがあったのだった」
馬車の中でクロエと談笑をしている最中、エリーヌは何かを思い出したようにそう言った。
「お兄様についてなのだけれど」
顎に手を当て、言葉を選んでいる様子に、クロエは首を傾げる。
「そういや、どういう人なんだ?」
次兄のリュシアンと三兄のピエリックについては何となく話したが、長兄のエミリアンについては何も説明していない。
「そうね……厳しい人というよりは、抜け目のない人というべきかしら」
そう言って、エリーヌは神妙な面持ちで腕を組んだ。
「恐らく、手紙を送ってこちらに呼ぼうと提案したのはお兄様でしょうね」
兄が伯父に提案をし、こちらに来られるよう諸々の手配をしたのだ。
そういった旨の手紙だった。
「お兄様の事だから、お父様が妾を取ると聞いてから、お母様とは別に家令にも手紙を送っているでしょう。だから……」
エリーヌはそこまで言って、クロエを見た。
「ああ、なるほど」
その目線だけで、クロエは何となくエリーヌが言いたいことが分かったようだ。
兄に限らず、エリーヌ達兄弟は母の事を心底尊敬している。
そんな母の元に、どこの馬の骨とも知らぬ妾とその娘がやって来ると聞いて、兄は母の身を案じたのだろう。
母だけでなく、家の内情について詳しい家令にも手紙を送り、詳細に事を知ろうとするはずだ、とエリーヌは踏んでいる。
となれば、もしかしたら初日の騒ぎも手紙で把握しているのかもしれない。
エリーヌ達にとってみれば過ぎた話だが、それを心配した兄は『クロエも連れてくるように』と文言を添えた。
という考察だ。
「もしかしたら、冷たくあしらわれるかも知らないわ。もしそんなことがあったら、わたくしに言ってちょうだい」
兄を納得させる、ということに自信があるわけではない。言い合いになって勝てる相手だと、妹のエリーヌはあまり思っていない。父の跡を継ぐ者だ。
だが、庇うくらいのことはできるだろう。
「……」
エリーヌの言葉に何も返さず、クロエは窓の外を見ていた。
***
馬車の列は、兄の屋敷にたどり着く前に一度止まった。
母と同じ馬車に乗っていた伯父が、仕事場についたため降りたのだ。
そんな伯父と別れ、馬車は再び沿岸に向かう。
段々と町が賑わい始めた頃、高台に大きな屋敷が見えた。
あれが、兄の住む屋敷。元シャントルイユ家の別邸だ。
坂を上りながら、馬車は進み、ついに屋敷へとたどり着いた。
「あら」
「?」
屋敷にたどり着くと、そこにはエリーヌ達と母の馬車の他に、別の馬車が停まっていた。
見ただけではっきりとわかる、要人の馬車だ。どうやら現在別の来客が来ているらしく、母に付いていた使用人たちが少々慌ただしくしている。エリーヌ達と同じ馬車に乗っていたカミーユも降り、そこに加わった。
しばらくすると、その使用人たちの集まりから、カミーユが戻って来た。
「奥様が、来客の方にもご挨拶をされるとのことで先に向かわれました。荷物の搬入はその後になりそうです」
「そう」
今日は兄に渡す荷物がいくつかあり、それを屋敷に運ぶ必要がある。
しかし、現場がバタバタするということもあり、来客が帰った後に行うようだ。
「それと、もう一つ。来客の方の御息女が、エリーヌ様の派閥に所属している方だと。エリーヌ様がこちらに来られると聞いて、ご挨拶をといらっしゃっております」
「あら大変。困ったわね」
そう言って、エリーヌはクロエを見た。
カミーユの言葉を聞いて、厳しい表情をしている。
「お部屋にいらっしゃるとのことなので、クロエ様だけ別のお部屋にご案内いたしましょうか?」
「ええ、そうしましょう。頼めるかしら?」
「畏まりました」
そう言い、エリーヌは馬車から降りる。
反対に、カミーユは馬車に乗り込んだ。
「このまま、馬車を別の場所へ止めます。クロエ様は、我々と共に屋敷に入りましょう」
「分かった」
こうして、一時的にエリーヌとクロエは別れた。
***
「すみません。こちらで一度、待っていていただけますか?」
カミーユは、クロエをとある部屋の前へ案内したのちそう言った。
「どこ行くんだ?」
「お二方の手荷物だけ、先にこちらへ運びますので、それを取りに」
「分かった」
「何かありましたら、先程の場所にいますのでお呼びください」
カミーユはそう言って、クロエを置いて元の道へと戻って行った。
手持ち無沙汰になってしまい、クロエは廊下にある窓から外を覗いた。
高台ということもあり、港町が一望できるほか、遠くに広がる海まで見えた。
海岸に船着き場があり、そこには大きな船がたくさん泊まっている。船の上で、あくせく働く人たちの動作まで見えるくらいには、近くにある。
(……あいつ、大丈夫かな)
外を見ながら、クロエは来客の対応をしているエリーヌについて考えた。
先ほど、派閥の誰かが挨拶に、と言っていた。もしかしたら、昨日話していた領主の又姪かもしれない。
自分の所在が、漏れていないか心配だが、その辺は彼女ならうまくやるだろう。
その点、クロエはエリーヌを信用している。
そんなことを考えていると、唐突に後ろから肩を叩かれた。
クロエの周囲に、そうして話しかけてくる人はいない。驚いて振り向くと、自分よりも背の高い華奢な男性が立っていた。
「えっ、あ、すみません」
「いや、邪魔だと思ったわけではないよ。驚かせてすまない」
道を譲るように隅に体を寄せるクロエに、男は柔和な笑みを浮かべてそう言った。
まったく見覚えのない男性だ。ふわふわした金髪を、後ろで結び肩に流している。使用人ではない格好だ。
「えっと、だ、誰……ですか?」
去る様子のない男性に、クロエは戸惑いつつもそう聞く。
すると、男性は口元に柔和な笑みを浮かべたまま目を細めた。
「このような身なりをしたものに、その質問は最適かな? まず何をするべきだい?」
穏和だが鋭い言葉に、クロエは思わず後ずさる。
だが怖気づくことはやめ、習ったカーテシーを披露する。
「……申し訳ありません、大変失礼をいたしました。私は……クロエと申します」
スカートの裾をつまみ、腰を低くして名乗る。
恐る恐る上目遣いで男性を見ると、彼は満足そうな表情をしていた。
「よろしい。次からは気をつけなさい」
彼はそう言うと、先程クロエが見ていた窓に向き直った。
「……あの船、何の船だかわかるかい?」
彼は窓の外を指さしながら、クロエにそう聞いた。
その先には、旗をたなびかせた大きな船がある。
「貿易船……でしょうか」
「ああ、正解だ。どうして分かったんだい?」
「あの旗印は、他国からの入船であることを示しているのと、加えて、積み荷を降ろしているので」
「その通り」
クロエの回答に満足げな様子の彼はいったい何者なのか、聞く間もなく彼は質問を投げかけてくる。
「しかしあの船は、とある誤った行為をしているのだが、それが何か分かるかい?」
彼の質問は今までよりも高度だ。試すような視線を、クロエにぶつけてくる。
しかし、クロエはそれを真正面から受け止めた。
答えられる。
「貿易法第13条第5項、『外来船は停泊の際、第7条3項に示されている渡航許可旗の他、海港関所から頒布される停泊許可旗を掲揚することを義務とする』……後者が行われておりません」
クロエの回答に、男性は目を丸くした。
そして、何やら考えたのち、今度は強かな笑みを浮かべた。
「君。ちょっとこちらに来てくれるかい?」
その有無を言わせない笑みに負け、クロエは彼の後について行った。




