第38話 親戚
「ようこそいらっしゃいました」
「おいでなさいませ、ジュリエンヌ様」
夕暮れ時になり、馬車はようやくラディックス領に入った。そのまま街道を通り、店じまいを始めた街並みを抜けた先にあるこの領地で一等大きな屋敷へと入る。
門から屋敷の中に至るまで、多数の使用人に迎えられながら、エリーヌ達は伯父の家に到着した。
王都を出てから長旅であった。だが、伸びをすることはできない。到着してからが大事だ。
「お、来たね」
応接間に通されると、そこには伯父のジルベールが待っていた。
彼は立ち上がり、ジュリエンヌの前に立つ。
「本日はお招きいただき、誠にありがとうございます」
「こちらこそ、会えてうれしいです、ジュリエンヌ公爵夫人。遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」
互いに貴族式の丁寧なあいさつをする。
「それと、久しぶりだね、エリーヌ。見ないうちに随分と大きくなったなぁ」
「ふふっ、お久しゅうございます」
ジュリエンヌとは違い、軽快な様子で彼はエリーヌ挨拶をしてきた。
そうして、エリーヌの横に立つクロエを見る。
「……お初にお目にかかります。クロエと申します」
エリーヌと同じカーテシーをして、クロエは挨拶をする。
少したどたどしいその様子を見て、ジルベールは顔を綻ばせた。
「やあ、初めまして。僕はジルベール。ジルベール・セロシア・シャントルイユだ。よろしくね」
彼はそう言って貴族式のお辞儀をした後、クロエに片手を差し出した。
親交の証に、と。
「よ、よろしくお願いします」
戸惑いながらも、クロエは自身の手をその手に重ねる。
彼は満足げにその手を握り、上下に揺らした。
ジルベールは、エリーヌの知っている中で最も親しみやすい貴族と言えるだろう。
彼ほど友好的で快活な人物をエリーヌは知らない。幼い頃から、良くしてもらっていた記憶ばかりだ。
なので、クロエにも心配する必要はないと事前に言っていた。
「いや、しかし。驚いたよ。まさかアイツが妾を取るだなんて。あ、本妻の前で失礼だったかな」
エリーヌ達三人を椅子に座らせ、自らお茶を準備した後、彼も椅子に腰かけながらそう言った。
彼が『アイツ』と呼ぶのは、エリーヌの父セドリックだ。
彼はエリーヌにとって父方の伯父であり、父の兄にあたる人物だ。
「わたくしは大丈夫ですよ。誠におっしゃる通りで、政以外、何にも興味がないと思っていましたが」
「いやいや。妾を取る必要がないほど、貴女が素晴らしかったのですよ」
「まあ。相変わらずお上手ですこと」
母と伯父は他愛のない会話をする。
雑談だ。
「アイツが選んだ女性にもぜひお会いしたかったが、臥せっているとは残念だ。いつか、お見舞いに行ってもいいかな?」
ジルベールはそう言って、クロエを見る。
「あ……はい。母も喜ぶと思います」
姿勢よく座っていたクロエは急に話しを投げられ、驚きながらもそう返す。
ジルベールは満足げに頷いた。
「いやはや、庶民の子だと聞いていたけれど、随分礼儀正しいじゃないか。大丈夫かい? エリーヌに虐められていないかい?」
「まあ、ひどい。そんなこといたしませんわ、伯父様」
「はっはっは!」
二人の会話に、クロエは苦笑いを浮かべる。
できれば伯父の言葉を否定してほしかったのだが、忠犬呼びは『いじめる』という部類に入るかもしれないので如何ともし難い。
「そうだ。話は変わりますが、今晩ご予定などは?」
「特にはありません」
伯父の言葉に母が答える。
今日の予定はここに来るまでの事しか決めていない。
「旅にお疲れなところで申し訳ないのですが、うちの妻が公爵夫人が来られるということで張り切ってしまいまして」
彼は頭を掻きながら話を続ける。
「小規模ですが、パーティーをしたいと。既に何名か招待をしているのですが、良かったら参加してくださいませんか?」
「まあ、よろしいのですか?」
公爵家、しかも大臣として地位を持つ家の夫人の来訪とあらば、あわよくばと貴族は群がるだろう。
ジルベールの妻、エリーヌの伯母にあたる人物はそういったことに積極的な人だ。この機会に周囲の貴族との繋がりや借りを作ろうと強かに考えていることだろう。
「では、少しの間ですが、お邪魔させていただいても?」
「ええ、勿論! ですが、旅の疲れもあるでしょうから、無理はなさらないように。妻にも言っておきますので」
「お気遣いありがとうございます」
貴族同士、避けては通れない社交界での礼儀だ。断るという選択肢は母に無いだろう。
疲れているからと言って、誘いを無碍にしては面子が立たない。無論、伯父はそう言った気遣いを怠らない人なので、大丈夫だろう。
母の返事を聞いたジルベールは立ち上がった。
「では、お部屋に案内します。まずはそこで、疲れを癒してください」
使用人に案内され、エリーヌ達は各々の部屋に向かった。
***
「そういうわけだから、ごめんなさい。今夜一晩は我慢してね」
エリーヌがそう言って謝るのは、鏡の前に座るクロエだ。
彼女はカミーユに手伝ってもらい、ドレスと髪型のセットをしてもらっている。
その現状に対しての謝罪だ。
「……」
彼女は不満そう――というよりは怪訝そうな表情をして、黙って髪を結われている。
いつもストレートに下ろしている黒髪を、今日はいつものエリーヌのように、編みこんで丸く纏める。
ドレスは着てきた服の様な落ち着いた色の華美過ぎないものだ。
ちなみにエリーヌは、既にそれなりに華美に着飾っている。
いつも明るい色のドレスを着ているので、今日も似た様な格好だ。
両者ともに、この屋敷で用意してもらったものである。
「いや別に、着飾るのはしょうがないからいいんだけど」
クロエは後れ毛をいじりながら言う。
「……私って、何て名乗ればいいんだ?」
そんな疑問に、確かにとエリーヌも首を傾げる。
彼女としては、シャントルイユの姓を名乗るのはなんだかこそばゆいだろう。
彼女の母は正式な妾とはいえ、諸々の手続きを終えて爵位を得ているわけではなく、あくまで家にいるという体だ。
したがって、彼女たちにミドルネームはない。とはいえ、シャントルイユ家の中ではエリーヌと平等だ。
「寧ろ、名乗らない方が良いかもしれないわね」
エリーヌは腕を組みながらそう言った。
「何でだ?」
「……万に一つでも、いらっしゃった貴族の中に、リリウムに通っている生徒の子を持つ人がいたら、大変だもの」
「あっ」
しばらく学園を休んでいたからか、意識に無かっただろう。
二人は学校内の生徒だけでなく、親にもこの関係を秘密にしている。
社交界のコミュニティは広くて迅速だ。学園に通う貴族出身の生徒の耳にも入るかもしれない。親よりも、もっと知られてはいけない人間だ。
「……大丈夫なのか、名乗らなくて」
「ええ。今日の主役はお母様。集まるのは大抵大人の貴族で、我々は食事を共にするだけ。それに、まだ社交界には参加できないもの」
エリーヌはすっかり暗くなった窓の外を見ながらそう言った。
何台かの馬車が、門をくぐって屋敷に入ってくるのが見える。
「参加できない?」
「ええ。デビュタントという成人の儀を終えてからが、社交界デビューよ。あくまで形式的なものだけれどね」
フロスティアの貴族は、成人になる年の誕生日に舞踏会をする。そこで親からの紹介を受けて、ようやく社交界の仲間入りだ。
デビューそのものをデビュタントともいうが、誕生日に行われる舞踏会をデビュタントとも言ったりする。
それを行わなくても、成長をすれば次第にパーティーなどに呼ばれて、社交界の一部に足を踏み入れる。今日のようにだ。
「今日はわたくしと一緒に、部屋の隅で静かにしてましょう。何かあったら、わたくしが対応するから」
「……頼んだ」
エリーヌの提案に、クロエは溜息を吐きながらそう言った。
休閑週に入ってから、彼女とは益々絆が深まっている気がする。
そういえば忠犬の件はどこに行ってしまったのだろうか、などと思いつつ、頼られることの悦びを噛み締めるのだった。
訂正 ×父の弟→〇父の兄
×叔父→〇伯父




