第35話 いとま
星下寄宿を終え、再び平穏な日常が戻ってきた。
学園の行事は一年間にみっちり詰められているが、星下寄宿を終えた今しばらくイベントはない。
よって、学園での生活が今は重要となってくるわけだ。
とはいえ、星下寄宿での派閥争いは、どの派閥にも点を与えず終了した。
本来、ここで失った点を取り返すべく、一週間ほど派閥の動きが活発になるが、今回はそんな様子はない。
喧嘩をするにも、理由がなければ切っ掛けもない。
そういうわけで、今はどの派閥も様子見に徹した、本当の平穏が学園に広がっている。
「では、本日のサロン集会を終了します」
集会を仕切るベネディクトがそう宣言し、各々が帰りの支度を始めた。
集会でも、今は特に何と言って行動することはなく、軽い雑談のようなことをして終了した。
一応、エリーヌ達が留守の間の報告を受けたが、それに関しても問題はなかった。
エリーヌとしては、休まる時間ができてうれしい限りである。
「今日は専ら、休閑週の話題で持ちきりでしたね」
手荷物をもって帰る支度を終えたベネディクトが、同じく帰る支度を終えたエリーヌにそう声を掛けてきた。
明日から一週間、学校は休業となる。
高等部の三年が星下寄宿を終えたのもあり、暫くは休むべきとして、長期の休暇が設けられているのだ。
人によっては、この休閑週の間に遠出をしたり、普段時間が無くてできないことをしたりする。
特に貴族たちの間では、この休みの間に何をするかの話題で持ちきりであった。
「ベネディクトは、この休閑週をどうやって過ごすのかしら?」
帰りの馬車まで二人で並び歩きながら、エリーヌはベネディクトにそう聞いた。
「まだはっきりと決まってはいないのですが、王都の劇場に赴く予定がございます」
「あら。演目は最近話題の『アベルの姫君たち』?」
「はい。今からとても楽しみです」
ベネディクトは流行りの劇を見に行くようだ。
この休みの間に、王都に向かう者は多い。本邸が王都にある貴族令嬢が多いからだろう。
「エリーヌ様は、どのようなご予定が?」
ベネディクトにそう聞かれ、エリーヌは顎に手を当て考える。
いつもはエリーヌも王都に向かうが、去年と今年では勝手が違う。
「そうね……今年はゆっくり、家で過ごすかもしれないわ。最近、勉強も手付かずだったもの」
遠出が難しい理由が、今のシャントルイユ家にはある。
「まあ……たまには、お休みになられてくださいね」
「ふふ、もちろんよ。それに、何かしらお母様が予定を持ち掛けてくるわ」
無難な回答をしたところで、帰りの馬車が見えてきた。
「では、良い休日を、エリーヌ様」
「ええ。休みが明けたら、劇の感想を聞かせて頂戴」
「はい!」
しばらくの別れの挨拶をし、二人は別々の馬車に乗り込んだ。
***
いつもの如く、クロエを途中で拾い、家に戻る。
最近、彼女は家に帰るとすぐに、自身の母に会いに向かう。星下寄宿でしばらく会えていなかった反動かもしれない。
派閥争いが穏やかな今、二人で話し合うような話題は少ない。
これから休閑週なので、今後についても今のところ不安はない。
エリーヌも気を遣い、なるべく二人の時間を作れるようにしていた。
「エリーヌ様」
暇つぶしに部屋で読書をしていると、カミーユが訪ねてきた。
「奥様がお呼びです」
――
母に呼ばれ、カミーユに連れてこられたのは思わぬ場所であった。
「ありがとう、カミーユ。下がっていいわ」
そうカミーユに告げる母が居るのは、とある部屋のベッドの脇。
ベッドいるのは、クロエの母、モニカ。ここは、彼女の部屋である。
母の横には、何やらバツが悪そうな顔をしたクロエも居る。
「まあ……どういったご用向きでしょうか」
今家にいる者達が、使用人を除いて勢ぞろいである。
クロエが来てから、初めての事ではないだろうか。
家族が揃った喜ばしい瞬間だが、ここにエリーヌが呼ばれたことには何か意味がありそうだった。
「態々来てくださって、ありがとう。エリーヌさん」
戸惑うエリーヌにそう言ったのは、ベッドで起き上がって座っているモニカだ。
「モニカ様。今までお見舞いも申し上げず、失礼いたしました。……お加減の方はいかがでしょうか?」
彼女がここに来て以来、エリーヌは顔を合わせていなかった。ずっと挨拶がしたいと思っていたが、ようやく叶った。
あの時に比べ、柔和で穏やかだ。
クロエから聞いていた溌溂な印象はないものの、悪人ではないのは一目瞭然。
初めて会ったときは強く当たられたが、当時は彼女も混乱していたのだろう。
エリーヌはそのことをクロエから聞いて理解しているが、彼女は申し訳なさそうな顔をしている。
「薬をいただいたので、大丈夫。こちらこそ、今まで謝罪の一つもなく……本当にごめんなさい」
「いえ、謝罪など……」
エリーヌが遠慮するも、彼女は深く頭を下げてきた。
その様子に、クロエが居心地の悪そうな表情をする。
それを傍から見て、くすくすと笑っていた母ジュリエンヌは、話題を変えるために一つ咳払いをした。
「挨拶はその辺にして、そろそろ本題に入りましょう」
「お、奥様……」
ジュリエンヌの言葉に、クロエが何やら突っかかる。
それを気にする様子無く、ジュリエンヌは話し始める。
「今度の休閑週、ジルベール卿とエミリアンから招かれたので、港町のラファナスに向かおうと思っています」
ジルベール卿とは、父の弟でエリーヌの叔父にあたる人物。
そして、エミリアンはエリーヌの兄で、シャントルイユ家の長男である。
彼は成人をした後、統治・外交を学ぶために、叔父の領地である港町『ラファナス』に生活拠点を設けている。
「まあ。叔父様と兄上と会うのは久しいですね」
港町のあるラディックス領はラムス領からそれなりに離れている。
三年ほど前にあってから、暫く彼等とは会っていない。
「『丁度市が賑わう季節です。ぜひお越しください』と。今は海も綺麗な事でしょう」
「ふふ。楽しそうね」
「母さん……」
楽しそうな母二人に対し、クロエは溜息を吐いている。
なんとなく、話が読めてきたような気がする。
「だから、私は行かないって。母さん1人置いていって、何かあったらどうするんだよ」
呆れたと言わんばかりに、クロエはそう言った。
どうやら、その休閑週の旅行に、母二人はクロエも同行させたいらしい。
それに対し、クロエは断固として反対しているようだ。
「と、彼女は言っているのだけれど。貴女はどう思う? エリーヌ」
ジュリエンヌがエリーヌに意見を求めてきた。
「なあ、お前からも何とか言ってくれよ」
「ちょっと。『お前』だなんて、失礼な言葉を使わない」
「いてっ」
エリーヌからしてみればいつもの態度だが、モニカはそれが気に入らなかったらしい。足をベッドから出し、クロエを小突いた。
その様子を見て、ジュリエンヌは面白そうに笑っている。
星下寄宿で留守の間、母二人は和解して、かなり仲が深まったようだ。
勿論、エリーヌとしては、旅行にクロエがついて来てくれるのなら、より楽しいことだろう。普段は学校の事ばかり考えているが、たまには息抜きに一緒に出掛けたい。
だが、クロエの心中も察して然るべきだ。病気の母を置いて出掛けて、果たして楽しめるかと言えば首を横に振らざるを得ない。
「兄上たちは、何か言っておられましたか?」
「ええ。『できれば連れてきてほしい』と。これは誘い文句じゃありませんよ」
エリーヌはふむと考える。
態々手紙にその文言が添えられているということは、兄としても何か思惑があるのだろう。母はそのことを加味したうえで、連れて行こうと考えているのではなかろうか。
「わたくしとしては、クロエとご一緒できるのならば幸いです」
「ちょっ……」
味方がいなくなり焦った様子のクロエ。
エリーヌの心情は彼女に寄っているが、考えなしの返答ではない。
「ならば、決まりですね」
ジュリエンヌは笑顔でそう言って、モニカを見た。
頷き合って、エリーヌを見る。
「ありがとう、エリーヌさん。娘の事、よろしくお願いします」
そう言う彼女の傍らで、唇を噛むクロエの表情が、何とも痛々しかった。
***
「お母様」
クロエとモニカを置いて、エリーヌとジュリエンヌは部屋を出た。
自分の部屋に戻る道中で、エリーヌは母に声を掛ける。
「先程は賛同いたしましたが、あまり無理に連れ出すべきではないかと」
エリーヌにそう言われ、ジュリエンヌは立ち止って振り返る。
「私はお母様の子です。同じ子供として、彼女の心情は察して余りあります」
ああは言ったものの、やはり少々気の毒に感じたのだ。
寄宿から帰ってきて早々、再び二人を切り離す必要はないのでは、と。
エリーヌから見ても、モニカの容態が良くなっているとはあまり思えない。遠出をしている間に万が一のことがあれば、とんでもないことである。
だがどうも、クロエが気に掛けるモニカ本人がそれを望んでいる気がする。そして、それに己の母も協力的だ。
「そうね。どうしても無理なようなら断ってよいと、貴女の口からそう言っておいてもらえるかしら」
エリーヌの言葉を受け、ジュリエンヌはそう言った。
「ですが、貴女がわたくしの子であると同様、わたくしも貴女の母。同じ母として、思うところがあるのですよ」
目を細めエリーヌを見つめながら、彼女はそう言った。
母たちには母たちなりの思惑があるようだ。
どういう思惑なのかは分からないが、クロエの事を想っての事だということは確かだ。
「……わかりました」
頷くように目を伏せながら、エリーヌはそう言った。
「優しい子。母は誇りに思っていますよ」
そう言って頭をなでる母の手は、今まで以上に柔らかく感じるのだった。
おまけ
・王都:フロース……王宮、シャントルイユ家別邸 etc.
・王都郊外居住区:ラムス領……シャントルイユ家、フロスティア王立大学校含む学生区 etc.
・山麓地域:カウリス領……炭鉱、クロエの元居た家 etc.
・平原地域:フォリウム領……フィーコス教会 etc.
・沿岸地域:ラディックス領……港町『ラファナス』 etc.
※諸般の事情によりステイム領→ラムス領に変更されました。
また、学生区の位置も王都→王都郊外になっています。




