幕間 娘の留守に
シャントルイユ家のサルーンにて。この屋敷の女主人、ジュリエンヌはソファに座り、遠くの窓から外を眺めていた。
今日は、娘たちが三泊四日の野外実習へと旅立っていった。
エリーヌはシャントルイユ家本家の末子。上の三人は既に成人し家を出ている。つまりエリーヌは、この屋敷に残った最後の子供だ。
そんな娘は、今日からおよそ三日間家にいない。
普段も日中は学校なので家にいないが、一日中家を空けることは今までほとんどなかった。
そう思うと、なんだか物寂しい気分になる。
否、娘だけでない。血のつながっていないもう一人の娘と、一人の使用人も居ない。
ただでさえ広い屋敷が、より広く感じるわけだ。
「奥様、いらっしゃいました」
使用人にそう声を掛けられると同時に、眺めていた窓の外に一台の馬車が映る。
馬車から降りてきたのは、白衣を纏った老齢の医者だ。
「部屋にお通しして」
「はっ」
そう言って、1つ息を吐き、彼女は立ちあがる。
「我々が対応いたします。奥様はそのまま」
「旦那様に報告するのがわたくしの仕事よ。それに……」
ジュリエンヌは俯く。
「そろそろ、話がしたいの」
医者を通した部屋は、風通しと日当たりのよい一部屋。埃の一つ舞わないよう、細心の注意が払われている。
部屋に置いてある家具の数々は、使用された形跡はあまりない。
なぜならこの部屋の主は、暫くベッドの上から動くことができていないからだ。
大きな寝台に横たわっている人物を、老齢の医者は満遍なく調べる。
王都から呼び寄せた、練達の医者だ。
その様子を、使用人たちと共にジュリエンヌは見守った。
「うーん……」
診察を終えた様子の医者が、小さく唸った。
そんな医者の表情に、心臓が鈍く高鳴る。
「やはり、完治は難しいでしょう」
小さく首を振りながら、医者は端的にそう言った。
「そして、寛解も難しい」
「……!」
その言葉に、ジュリエンヌは目を見開く。
「私の見解が正しければ、これは進行する病です。今後、今よりも自由が利かなくなるでしょう」
「治癒魔術は使用できないのですか?」
「この病においては、症状を和らげることはできても、病そのものを治すことはできませんね」
ジュリエンヌは額を押さえる。
寝台に目を向けるが、影になって彼女の表情は見えない。
「一度、使用してみるのも手かもしれませんが、恐らくすぐに効果は薄れるかと。また、魔術使用による身体への負担を考えると、あまりお勧めはできません」
「そうですか……」
そう返事をし、使用人が用意してくれた椅子に深く座った。
「いくつか、お薬を処方いたします」
「ありがとうございます。今後も、経過観察をお願いしても?」
「ええ、ええ。構いません。月に一度ほどこちらに訪れますので、その時に」
そう言って、医者はこの部屋付きの使用人に、注意事項と共に薬を渡す。
ついでに、今日分の薬を彼女に飲ませた。
すべて渡し終えたところで、彼を玄関まで送る。
そこに向かう道中で、医者は口を開く。
「病というのは、治ると思っていると、思いの外治ったりするものです」
医者の語り口に、ジュリエンヌは耳を傾ける。
「ですので、患者様の前でははっきり言わなかったのですが……」
そこまで言うと、医者は今までよりもさらに難しい表情で、眉根を寄せた。
「あまり、長くはないかもしれません」
その端的な言葉に、ジュリエンヌは視界が黒くなる錯覚を覚えた。
***
馬車に乗り遠ざかっていく医者を見送ると、ジュリエンヌは付き従う従者たちに何も言わず、踵を返した。
屋敷の中に戻ると、そそくさと先ほどの部屋に赴く。
寝台に横たわる彼女と、彼女に付けている従者が二人いた。
「外して頂戴」
「畏まりました」
ジュリエンヌの静かな一言に、二人の従者も静かに従った。
「……」
ジュリエンヌは、寝台の横に置かれた椅子に座る。
寝台に横たわる患者――モニカは目を瞑っており、眠っているようだった。
部屋には、まるで生物がこの部屋にいないのではないかと錯覚するような静寂が流れた。
「ごめんなさい」
停滞した水面に一滴水を垂らすように、静寂に一つの声が小さく響いた。
眠っていたかのようなモニカは、重たそうに瞼を開けて、瞳をジュリエンヌに向けた。
彼女の娘と同じ、澄んだ青色の目だ。
そうして一瞥した後、彼女はゆっくりと上体を起こした。
「無理はいけないわ。横になったままで」
「薬が効いたから、大丈夫……」
そう言いつつも、どこかふらついている。
ジュリエンヌは、モニカの背を支えた。
彼女が寝台の脇に手を伸ばしたので、その先に置いてあった水を差しだす。
「……ずっと、言わなければと思っていたんです」
水を一口飲んだのち、彼女は口を開いた。
「ここに来た日のこと……大変申し訳ありませんでした」
そう言ってジュリエンヌの方を向き、座ったままの状態で彼女は頭を深く下げた。
彼女の行動に、ジュリエンヌは目を見開く。
「気が動転していた、なんて言い訳で許されるわけがない……本当にごめんなさい」
「まあ……」
再び深く頭を下げるモニカの肩に、ジュリエンヌは手を添える。
「謝る必要などなかったのに。唐突にこのような場所に連れてこられて、さぞ驚いたことでしょう」
そう言って、彼女に頭を上げさせた。
視界に入った顔は、とても申し訳なさそうな表情をしている。
「……子は親の鏡。クロエを見ていれば、貴女がどんな人物なのか、それとなく分かるものです」
クロエは、とても謙虚で要領がよく、しっかりとした子だ。他人から見て、文句の一つでないような子供である。
そんな彼女を育てたのは、目の前にいるモニカだ。
あの日の行動が、何かわけあっての事だったというのは想像に難くない。
「……」
ジュリエンヌの言葉に、モニカは体を真っ直ぐに戻し俯いた。
その横顔は、彼女の娘にそっくりだった。
「わたくしも驚きました。まさかあの人が、他に女性を連れてくるなんて。政以外、何も興味がないと言わんばかりのあの人が」
ジュリエンヌは苦笑しながら言う。
「だから、前から話をしたいと思っていたの。どうか畏まらず、対等にお話ししてくださらないかしら」
そう言うと、モニカは水の入ったグラスをきゅっと握った。
「対等だなんて、そんな……」
「同じ人の妻なのですから。それに――」
ジュリエンヌは、彼女の背中を小さくさする。
「同じ、母親ですから」
その言葉を聞いたモニカは、目尻に涙を浮かべた。
「今まで、さぞお辛かったでしょう。どうかわたくしにだけは、言いたいことを言ってください。きっと楽になりますから」
ジュリエンヌの言葉に、モニカは顔を手で覆う。
あの医者はああ言っていたが、彼女が己の現状を何も悟ってないとは思えなかった。
日に日に重くなる体があるのなら、頭のなかは常に子供の事でいっぱいだろう。
その彼女の苦悩が、同じ母親のジュリエンヌには痛いほど解った。
「うっ、うぅ……」
泣き止むまで、ジュリエンヌは彼女の肩を抱いて、ずっと寄り添うのだった。




