第34話 賞の行方
目覚め、支度をし、帰り際のベッドメイクを済ませ部屋を出る。
初日は新鮮だったが、今は物足りない質素な朝食とも、今日でお別れ。
周囲は大半安堵の表情を浮かべているが、厳しい表情を浮かべている者も数名。
その心の内が伝播したのか、安堵の表情だった周囲も、次第に初めとは違う雰囲気に騒めきだす。
「いよいよ、聖女模範賞授与ですね」
澄まし顔でパンを頬張るエリーヌに、ベネディクトが小声で話しかけてきた。
「正直なところ、あのシスターが我々を選ぶとは思えません」
心配そうな面持ちで、彼女はエリーヌの顔色を窺って来た。
実際、他の貴族陣営たちも同じ心持ちなのか、諦めた様な表情や、開き直って不満そうにしている者たちばかりである。
点を貰える機会がもとより少なかったが、今回はやる気がなかったという人も多そうである。
昨日の夕食時点なら、エリーヌも似た表情をしていただろう。
だが、昨日の部屋長報告の会話のおかげで、現在のエリーヌの心は穏やかだ。
選ばれようが選ばれまいが、彼女の採点は公平だと言い切れる確信が、今のエリーヌにはあった。
「心して待ちましょう。その結果如何がどうであっても、肩を落とす必要はないわ」
「そうですね」
他の貴族陣営たちは未だに不安そうな面持ちだが、エリーヌ達はそれだけ言い、最後の朝食を噛み締めることに集中した。
***
「ではこれより、星下寄宿の閉式を執り行います」
荷物を馬車に載せ、部屋長が各自点呼を取り終えたところで、全員講堂に集まった。
始めの時とは違い、皆最初から髪飾りなどは外している。
「始めに。皆様、三日間お疲れ様でございました」
壇上に上がったテレーズが、頭を下げながらそう言った。
「共同生活を楽しんだもの、あるいは慣れない生活に苦しんだ者もいたでしょう。良く耐え抜き、良く学びましたね」
いつもよりも柔らかい表情――昨日エリーヌに見せた様な穏やかな表情で、彼女はそう言った。
「老人からのお節介を一つ。皆様は今年成人し、学び舎という巣から立つ存在ですね」
エリーヌ達は最高学年。この先にも学校はあるが、大半は社会に出ることだろう。
「教会は貧しい者達、あるいは身寄りのない者達……総じて彷徨う者たちの宿り木です。中には、ただ最期を屋根の下で迎える為だけの場所としてある教会も存在します」
教会は寄付のみで成り立っている場所も多い。
エリーヌ達が過ごしたこの教会は、教会の中でもかなり設備の整った場所である。
「心するように。此度置かれている環境より厳しい世界は、世の中にごまんと存在します」
口元は穏やかながら、目は厳しくテレーズはそう言った。
それは、貴族たちだけに向けられた言葉ではないようだった。
「着の身着のまま、苦難を乗り越えなければならないとき。誰かを頼ることを忘れないように。その時に頼られるべき存在であれるよう、フロスティアすべての教会、尽力いたします」
テレーズがそう言って頭を下げるのと同時に、周囲のシスターたちも頭を下げた。
この寄宿は、学生たちに教会についての事を知らしめる意図もある。
聖典は国が良いように捏ねているが、中にはそれに固執し国の意図とは異なることを言い出す教団もある。
テレーズは貧しい人を優先し、私腹を肥やす者に白い目を向けてはいるものの、王国に反するような存在ではない。
王国の支配する学園を教会の懐に入れ協力を示すと同時に、国が好む教会を常識のものとして、若い学生に刷り込む。
国における保守政策の一環。
要するに、派閥争いである。
エリーヌ達がちまちまと得点を稼いでいる内輪の外で、とても個人の力ではどうしようもないような派閥争いが起こっている――と、エリーヌは踏んでいる。
そして面白いことに、この内輪の争いが、なまじ未来につながっている。
「私からは以上です。ではこれより、皆様お待ちかねの聖女模範賞授与を行います」
テレーズは厳しい表情に戻り、そう言った。
お待ちかねとは、最後まで食えない修道女である。
「引き延ばすのは好ましくありません。手短に行いましょう」
彼女はそう言って、別のシスターから聖女模範賞の証となるブローチを受け取った。
「今年度、聖女模範となった者は――」
***
「ったく。最後まで食えないシスターだった」
約半日程かけ、エリーヌ達は馬車で学園の校舎まで戻ってきた。
各々荷物を持ち、各々の方法で校舎を発つ。皆疲れた様子で、別れの挨拶も手短に帰路に立った。
エリーヌもいつものように迎えの馬車に乗り、途中でクロエを拾って今に至る。
馬車のなかでの話題は、専ら星下寄宿の事ばかりだ。
「貴女もそういう意見なのね」
「いや、当たり前だろ。大体あのシスター、最後の報告の時になんて言って来たか知ってるか?」
クロエが苦い表情をしていうので、エリーヌは小首をかしげて続きを待った。
「『対立ばかりしていては、己は成長しません。時には相手の懐に入り、知るという努力も必要です』だとよ。けっ、私が置かれてる状況も知らないくせに」
「ふふふっ。それは随分的外れね」
確かにクロエに対する言葉としては的外れだ。あるいはエリーヌを慮ってのことかもしれないが。
そう言って、二人の口から出てくるのは愚痴ばかりだ。
それはなぜか。
「んで、結局私らは、あの修道女サマの手のひらの上だったってわけだ」
「ふふっ、そういうことよね」
二人はそう言いあって、同じ人物に目を向けた。
視線を向けられたその人物は、ビクリと肩を揺らす。
「も、申し訳ございません……」
言葉の通り申し訳なさそうにし、彼女達から目を逸らすその人物は、エリーヌの侍女カミーユ。
彼女の胸元には、聖女模範賞のブローチが光り輝いていた。
「いや~、参った。名前呼ばれた時のお前の顔……くくくっ」
「帰り道もずっとこんな様子だったのよ。もう面白くて面白くて」
「あからさまに気まずそうにしてたもんなぁ。危うく噴き出すところだった」
面白がる二人だが、当事者のカミーユはしゅんとした表情を浮かべて項垂れている。
テレーズが聖女模範賞に選んだのは、あの野外実習の際、協力を初めに申し出たカミーユだった。
先に述べた通り、野外実習の一件。そして、治療院でエリーヌが水を掛けられた際、前に出る姿勢を主に挙げ評価された。
とはいえ、これらは上辺の評価に過ぎないだろう。結局のところ、彼女は派閥争いの片棒を担ぎたくなかったのだ。
様々な課題を出し、その中でより中立な者を探していた。
平等を重んじる彼女にとって、最善であったのがカミーユだったというわけだ。
「お二人には、大変ご迷惑を……」
選ばれたカミーユとしては、肩身の狭い思いだ。何せ彼女は、派閥争いにはあまり関していない。
勿論、周りもそんな彼女の心中を察しているため、帰りの道中様々な人に慰められていた模様。ベネディクトも、「他派閥に取られるよりかはマシです」と言ったようなことを言っていた。
謝り続けるカミーユを微笑みながら慰めていたエリーヌは、内心腹を抱えて笑っていたが。
面白い結果になったものだ。
「気にする必要はないわ。ダメもとの挑戦だったわたくしたちにとっては、寧ろ最善の結果よ?」
「まだ初めの行事だしな。お前は胸張ってそのブローチつけて、明日学校に行けばいい」
「それはご勘弁を」
笑いながら馬車に揺られ、久しぶりの家に帰ってきた。
荷物を従者たちが受け取り、玄関が守衛によって開けられる。
気を遣わなくていい空間に戻ってきたことに安堵を覚える。
「おかえりなさい、三人共」
「お母様」
「ただいま戻りました」
エリーヌとクロエ、そして後ろに立つカミーユを出迎えたのは、ジュリエンヌだ。
「星下寄宿はどうでしたか?」
「とても楽しく、学べることも多い行事でした」
「そう。それは良かった」
エリーヌからそんな感想を貰い、ジュリエンヌは嬉しそうに微笑みながら、小さくエリーヌを撫でた。
彼女はまだ、エリーヌを子ども扱いする時がある。不快ではないので、いつもそのまま受け取ってしまうが。
「二人からじっくり話を聞きたいのだけれど、クロエはまずお母様に会っておいでなさい。寂しがっていましたよ」
「……! はい!」
ジュリエンヌにそう言われると、クロエは元気に返事をして、早足で自分の母の所へと向かった。
旅の間ずっと心配だったであろう。今の今まで、会える時を今か今かと待っていたのかもしれない。
「お母様。何か良いことがあったのですか?」
クロエの背中を見守るジュリエンヌの表情が、ずいぶんと喜ばしく綻んでいる。
そんな母を見て、エリーヌはそう尋ねた。
「二人が留守の間、母は久しぶりに友人ができたのですよ」
「まあ……!」
彼女の言葉は、エリーヌが心から喜ぶのに十分な言葉だった。
だがそう言った後、ほんの僅かに、ジュリエンヌの表情が曇ったのも見逃さなかった。
「さあ、お茶を用意しましょう。星下寄宿で何があったのか、聞かせて頂戴」
「はい、お母様。面白いことがあったのです、ぜひ聞いていただきたいわ」
今は何も考えず、思い出となった記憶を振り返ろう。
そう思い、母と並び歩く。
こうして、星下寄宿は幕を閉じたのだった。




