第33話 反省
難題を乗り越え、エリーヌ達は星下寄宿最後の晩餐を終えた。
これにて、三泊四日の星下寄宿におけるイベントは、聖女模範賞の発表を残しすべて終了だ。
食堂を出る頃には、皆疲労の色を隠しきれずにいた。部屋に戻り、各々一日を終える準備を始める。
ようやく慣れてきたころに、最後の入浴だ。専ら最後の課題についての話ばかりだった。
全員で協力したから、あの食事は美味しかった――わけではない。主に、カミーユ達が調理したからというのが大きい。
あんなのは懲り懲りだ、という意見が多いのは、致し方ないことだろう。
そんなこんなで三日間の愚痴を言い、部屋に戻って就寝の準備。
部屋長のエリーヌは、最後の報告をするためにリネン室へと向かった。
少しだけ、襟を正して。
リネン室の前に着くと、丁度部屋から一つ前にやってきた部屋長――クロエが扉から出てくるところだった。
彼女はやってきたエリーヌを一瞥すると、その横を通り過ぎて、真っ直ぐ真反対へ向かった。
「お入りください」
彼女が通り過ぎるのを見ていると、扉越しに声が掛かった。
「失礼します」
そう言って、部屋の中に入る。
明日帰る前にベッドメイクを済ませるためのリネンを貰い、今までと変わらない報告をする。
今日でこれも最後だ。
「では、明日の予定です。明日は、聖女模範賞の授与後、すぐに帰宅することになります。起きたらすぐに、帰宅の準備をするように」
「かしこまりました」
明日の予定はそれだけだ。テレーズの簡潔な説明を聞き、エリーヌは頷いた。
「これにて、星下寄宿の日程はほとんど終了しました。最後に何か、質問・意見等はありますか?」
彼女は最後にそう聞いて来た。
都合の良いことに、今日は彼女に話をしに来たのだ。
「寄宿とはあまり関係がないことかもしれませんが、一つよろしいでしょうか」
「答えられる範囲であれば、何でも構いませんよ」
テレーズは少し警戒心をあらわにしつつ、エリーヌの言葉を肯定した。
「……本日の治療院訪問の時。あの時、わたくしはどのように対応すべきだったでしょうか?」
少し声を弱めて、エリーヌはそう聞いた。
ずっと気掛かりだったのだ。あの時、自分は誤ったことを知ってしまったのだと。
名乗るべきではなかったのはもちろん、あの後カミーユが仲裁に入る前に、何か言うべきではなかったのか。
結局、最後の実習の時まで、それが心に閊えていた。
思いもよらない言葉だったのか、あるいは警戒していた言葉とは違ったのか、テレーズは珍しく驚いたような表情をした。
「……そこにお座りなさい」
彼女は表情を戻すと、部屋の隅に置いてあった椅子を指さし、極めて柔らかな声でそう言った。
エリーヌは戸惑いつつも、言われたとおりに椅子に座る。
「本日の事は、申し訳ありませんでした。私の監督不行き届き――いえ、事前の指導不足ですね」
彼女はそう言うと、深々と頭を下げた。
「……いえ。何も言われずとも、わたくし自身がもっと上手く対応すべきでした」
ただ名乗っただけで、傲慢でいるつもりはなかった。
だが、他人にそれを感じ取って理解してくれと願うのは無謀だ。
エリーヌは、自分の落ち度だったと認められる程度には、社会を知っているつもりである。
どうしても上手くいかない時は誰にでもあるものだ。
「貴女は優秀ですね」
そんな俯いたエリーヌを見て、テレーズは柔らかく微笑む。
「実を言うと、私も生まれは中流の貴族なのですよ」
「……! そうなのですか」
思いもよらない情報だ。
貴族の家名は上下を問わず知っているつもりであったが、彼女の苗字に心当たりはなかった。
家が潰れたのか、あるいは修道女になるにあたって、元の苗字を捨てたのかもしれない。
「ですので、貴女が置かれている場所がいかに窮屈で脆い崖か、多少は存じているつもりです」
テレーズは近くに合ったもう一つの椅子を近づけ、そこにゆっくり座った。
彼女の立ち姿は厳格で高潔な印象を持っていたが、座ると老齢さを感じさせる。
「何事も、理解なき者というのは存在します。己が良ければそれで良いと。見習うべき精神でもありますが、その足元にはいつも、無理を強いられた者達の屍がある」
彼女は遠くを見つめ、滔々と語る。
「無辜で優しい人々は、口を噤んで己の責務を全うしている……貴女もきっと、そう言った立場に居るのでしょう」
テレーズがどうして修道女になったのか。それがなんとなくわかった。
信仰よりも救済。人目につかない場所で苦しんでいる人達の代弁者になりたい。
それだけでは世界は変わらないと、彼女は理解しているのだろう。
だから、こういったことに積極的に参加をしているのだ。
「私も学園の内情については、小耳にはさんで把握しているつもりです。そんな状況で、貴女は周りを見て行動していることも知っています。大人は意外と見ているものですよ」
その言葉に、エリーヌは小さく肩を揺らした。
うれしいのと同時に、一体どこまで見られているのか気になる所だ。
クロエと会話しているところも見られていたとしたら、少々冷や汗ものである。
「貴女は冷水を浴びせられても、理性をもって反抗しなかった。己の落ち度を理解し、次に生かそうとしている。それだけで、十分立派な事です」
そこに否定は一切なかった。
欲しい言葉を貰えた、という自覚があった。
「……評価を戴きたい、という下心もあります」
「それくらい強かでよろしい。誰かを慮ってばかりでは、心は壊れてしまいますからね」
テレーズはそう言って、悪戯っぽく笑った。
第一印象とはずいぶん異なる表情に、思わずエリーヌも苦笑いした。
「ありがとうございます。心のつかえがとれました」
姿勢を正し、そう言って小さく頭を下げた。
何か正解となる言葉が欲しかったわけではない。きっと、話を聞いてほしかっただけだ。
だが自分の矜持を保つために、他の誰かに相談することができなかった。
それが分かって、かつ話を聞いてもらえて、エリーヌは満足であった。
「それは良かった。まだ明日もありますから、今日はゆっくりお休みなさい」
「はい。それでは、失礼します」
再び立ち上がって、いつもの厳しい口調でテレーズがそう言った。
エリーヌも立ち上がり、部屋を後にする。
狙い通り最後だったようで、待っている人間は他にいなかった。
彼女と話せてよかった。そんな気持ちで歩いていると、突如横から手が伸びて、空き部屋に引っ張り込まれた。
「あら。どうしたの?」
「……」
こんなことができるのはたった一人だ。
振り向くと、そこには真面目な表情をしたクロエがいた。
「……遅かったな。なんか言われたのか?」
「いいえ? ちょっと世間話をしていただけよ」
なにも、詰められていたわけではない。
クロエからも辛辣に思われていたとは、彼女もなかなか不憫な人である。
「それで、どうしたの?」
再びそう聞くと、彼女は気まずそうに明後日の方向を向いて、エリーヌの腕から手を離した。
「その……夕飯の時は助かった」
「それはお互い様よ。むしろ、こちらが助けられたようなものね」
もし、あの場でクロエが協力を申し出てくれなければ、エリーヌは草だけのスープを食べることになっていただろう。
美味しい料理が食べられたのは、ひとえにクロエたち食材を提供してくれた者と、料理をしてくれたカミーユ達だろう。
「話はそれだけ? それじゃあ……」
「待て」
立ち去ろうとすると、再びクロエは腕を掴んできた。
強くはない。柔らかく、エリーヌの手を繋ぎとめた。
「……本当は、あの実習の時にも言おうと思ってたんだ。昼間の、治療院の事」
確かに、何か言いたげだったのは覚えている。
どうやら、例の治療院でのことだったらしい。あの場にクロエも居たのを忘れていた。
エリーヌの中ではもう解決したことだが、彼女は何か言いたい様子だ。
沈黙により話の続きを待つと、彼女は悔しそうに顔を歪めた。
握る力が、少しだけ強くなる。
「……悪かった。あの時、あの場で、私が誰よりもお前を守れる言葉を持ってたのに、何も」
エリーヌは思わず目を見開いた。
その目に映る彼女の表情は弱々しく、隠せない程悔しさが滲んでいた。
「私は、知ってる。お前も、奥様も母さんを受け入れてくれるような人だって。だから……腹が立ったのに」
あの日、クロエが家にやってきた日、母の事について語っていた時同じ顔で語る。
エリーヌは自分の腕を掴んでいる手に、もう片方の手で触れる。
「謝らないで。そんなことしたら、今まで隠し通してきたことが全て無駄になってしまうわ」
「……」
エリーヌが言葉を掛けるが、彼女はまだ納得いかない様子で唇を噛んだ。
「いいの。貴女が理解していてくれるのなら、それ以上の事はないわ」
そう言って、両の手で彼女の手を包む。
冷たくて少し暖かい手に、自分の温度を分けるように。
それでもなお、クロエは悲しげな表情を浮かべている。
その表情も、その言葉も、エリーヌの少し空いた心を満たすには十分だった。
テレーズの言葉だけは満たされなかった何かだ。
「そう言えばわたくし、まだ模範賞について諦めていないのよ。貴女はどう?」
曇った表情を晴らすために、エリーヌは茶目っ気のある目でクロエを見つめた。
エリーヌのその言葉に、クロエはやれやれと言った様子で溜息を吐き、エリーヌの手をきゅっと握り返した。
「諦めてるわけないだろ?」
いつもの表情に戻った彼女を見て、エリーヌも笑うのだった。




