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魔女と狼は月下で笑う  作者: 庄司 篁
緑月1 星下寄宿
33/60

第33話 反省

 難題を乗り越え、エリーヌ達は星下寄宿最後の晩餐を終えた。

 これにて、三泊四日の星下寄宿におけるイベントは、聖女模範賞の発表を残しすべて終了だ。


 食堂を出る頃には、皆疲労の色を隠しきれずにいた。部屋に戻り、各々一日を終える準備を始める。

 ようやく慣れてきたころに、最後の入浴だ。専ら最後の課題についての話ばかりだった。

 全員で協力したから、あの食事は美味しかった――わけではない。主に、カミーユ達が調理したからというのが大きい。

 あんなのは懲り懲りだ、という意見が多いのは、致し方ないことだろう。


 そんなこんなで三日間の愚痴を言い、部屋に戻って就寝の準備。

 部屋長のエリーヌは、最後の報告をするためにリネン室へと向かった。

 少しだけ、襟を正して。

 

 リネン室の前に着くと、丁度部屋から一つ前にやってきた部屋長――クロエが扉から出てくるところだった。

 彼女はやってきたエリーヌを一瞥すると、その横を通り過ぎて、真っ直ぐ真反対へ向かった。


「お入りください」


 彼女が通り過ぎるのを見ていると、扉越しに声が掛かった。


「失礼します」


 そう言って、部屋の中に入る。

 明日帰る前にベッドメイクを済ませるためのリネンを貰い、今までと変わらない報告をする。

 今日でこれも最後だ。


「では、明日の予定です。明日は、聖女模範賞の授与後、すぐに帰宅することになります。起きたらすぐに、帰宅の準備をするように」

「かしこまりました」


 明日の予定はそれだけだ。テレーズの簡潔な説明を聞き、エリーヌは頷いた。


「これにて、星下寄宿の日程はほとんど終了しました。最後に何か、質問・意見等はありますか?」


 彼女は最後にそう聞いて来た。

 都合の良いことに、今日は彼女に話をしに来たのだ。


「寄宿とはあまり関係がないことかもしれませんが、一つよろしいでしょうか」

「答えられる範囲であれば、何でも構いませんよ」


 テレーズは少し警戒心をあらわにしつつ、エリーヌの言葉を肯定した。


「……本日の治療院訪問の時。あの時、わたくしはどのように対応すべきだったでしょうか?」


 少し声を弱めて、エリーヌはそう聞いた。


 ずっと気掛かりだったのだ。あの時、自分は誤ったことを知ってしまったのだと。

 名乗るべきではなかったのはもちろん、あの後カミーユが仲裁に入る前に、何か言うべきではなかったのか。

 結局、最後の実習の時まで、それが心に閊えていた。


 思いもよらない言葉だったのか、あるいは警戒していた言葉とは違ったのか、テレーズは珍しく驚いたような表情をした。


「……そこにお座りなさい」


 彼女は表情を戻すと、部屋の隅に置いてあった椅子を指さし、極めて柔らかな声でそう言った。

 エリーヌは戸惑いつつも、言われたとおりに椅子に座る。


「本日の事は、申し訳ありませんでした。私の監督不行き届き――いえ、事前の指導不足ですね」


 彼女はそう言うと、深々と頭を下げた。

 

「……いえ。何も言われずとも、わたくし自身がもっと上手く対応すべきでした」


 ただ名乗っただけで、傲慢でいるつもりはなかった。

 だが、他人にそれを感じ取って理解してくれと願うのは無謀だ。


 エリーヌは、自分の落ち度だったと認められる程度には、社会を知っているつもりである。

 どうしても上手くいかない時は誰にでもあるものだ。


「貴女は優秀ですね」


 そんな俯いたエリーヌを見て、テレーズは柔らかく微笑む。


「実を言うと、私も生まれは中流の貴族なのですよ」

「……! そうなのですか」


 思いもよらない情報だ。

 貴族の家名は上下を問わず知っているつもりであったが、彼女の苗字に心当たりはなかった。

 家が潰れたのか、あるいは修道女になるにあたって、元の苗字を捨てたのかもしれない。


「ですので、貴女が置かれている場所がいかに窮屈で脆い崖か、多少は存じているつもりです」


 テレーズは近くに合ったもう一つの椅子を近づけ、そこにゆっくり座った。

 彼女の立ち姿は厳格で高潔な印象を持っていたが、座ると老齢さを感じさせる。


「何事も、理解なき者というのは存在します。己が良ければそれで良いと。見習うべき精神でもありますが、その足元にはいつも、無理を強いられた者達の屍がある」


 彼女は遠くを見つめ、滔々と語る。


無辜(むこ)で優しい人々は、口を噤んで己の責務を全うしている……貴女もきっと、そう言った立場に居るのでしょう」


 テレーズがどうして修道女になったのか。それがなんとなくわかった。

 信仰よりも救済。人目につかない場所で苦しんでいる人達の代弁者になりたい。

 それだけでは世界は変わらないと、彼女は理解しているのだろう。

 だから、こういったことに積極的に参加をしているのだ。


「私も学園の内情については、小耳にはさんで把握しているつもりです。そんな状況で、貴女は周りを見て行動していることも知っています。大人は意外と見ているものですよ」


 その言葉に、エリーヌは小さく肩を揺らした。

 うれしいのと同時に、一体どこまで見られているのか気になる所だ。

 クロエと会話しているところも見られていたとしたら、少々冷や汗ものである。


「貴女は冷水を浴びせられても、理性をもって反抗しなかった。己の落ち度を理解し、次に生かそうとしている。それだけで、十分立派な事です」


 そこに否定は一切なかった。

 欲しい言葉を貰えた、という自覚があった。


「……評価を戴きたい、という下心もあります」

「それくらい強かでよろしい。誰かを慮ってばかりでは、心は壊れてしまいますからね」


 テレーズはそう言って、悪戯っぽく笑った。

 第一印象とはずいぶん異なる表情に、思わずエリーヌも苦笑いした。


「ありがとうございます。心のつかえがとれました」


 姿勢を正し、そう言って小さく頭を下げた。

 何か正解となる言葉が欲しかったわけではない。きっと、話を聞いてほしかっただけだ。

 だが自分の矜持を保つために、他の誰かに相談することができなかった。

 それが分かって、かつ話を聞いてもらえて、エリーヌは満足であった。


「それは良かった。まだ明日もありますから、今日はゆっくりお休みなさい」

「はい。それでは、失礼します」


 再び立ち上がって、いつもの厳しい口調でテレーズがそう言った。

 エリーヌも立ち上がり、部屋を後にする。


 狙い通り最後だったようで、待っている人間は他にいなかった。

 彼女と話せてよかった。そんな気持ちで歩いていると、突如横から手が伸びて、空き部屋に引っ張り込まれた。


「あら。どうしたの?」

「……」


 こんなことができるのはたった一人だ。

 振り向くと、そこには真面目な表情をしたクロエがいた。


「……遅かったな。なんか言われたのか?」

「いいえ? ちょっと世間話をしていただけよ」


 なにも、詰められていたわけではない。

 クロエからも辛辣に思われていたとは、彼女もなかなか不憫な人である。


「それで、どうしたの?」


 再びそう聞くと、彼女は気まずそうに明後日の方向を向いて、エリーヌの腕から手を離した。


「その……夕飯の時は助かった」

「それはお互い様よ。むしろ、こちらが助けられたようなものね」


 もし、あの場でクロエが協力を申し出てくれなければ、エリーヌは草だけのスープを食べることになっていただろう。

 美味しい料理が食べられたのは、ひとえにクロエたち食材を提供してくれた者と、料理をしてくれたカミーユ達だろう。


「話はそれだけ? それじゃあ……」

「待て」


 立ち去ろうとすると、再びクロエは腕を掴んできた。

 強くはない。柔らかく、エリーヌの手を繋ぎとめた。


「……本当は、あの実習の時にも言おうと思ってたんだ。昼間の、治療院の事」


 確かに、何か言いたげだったのは覚えている。

 どうやら、例の治療院でのことだったらしい。あの場にクロエも居たのを忘れていた。

 エリーヌの中ではもう解決したことだが、彼女は何か言いたい様子だ。


 沈黙により話の続きを待つと、彼女は悔しそうに顔を歪めた。

 握る力が、少しだけ強くなる。


「……悪かった。あの時、あの場で、私が誰よりもお前を守れる言葉を持ってたのに、何も」


 エリーヌは思わず目を見開いた。

 その目に映る彼女の表情は弱々しく、隠せない程悔しさが滲んでいた。


「私は、知ってる。お前も、奥様も母さんを受け入れてくれるような人だって。だから……腹が立ったのに」


 あの日、クロエが家にやってきた日、母の事について語っていた時同じ顔で語る。

 エリーヌは自分の腕を掴んでいる手に、もう片方の手で触れる。


「謝らないで。そんなことしたら、今まで隠し通してきたことが全て無駄になってしまうわ」

「……」


 エリーヌが言葉を掛けるが、彼女はまだ納得いかない様子で唇を噛んだ。


「いいの。貴女が理解していてくれるのなら、それ以上の事はないわ」


 そう言って、両の手で彼女の手を包む。

 冷たくて少し暖かい手に、自分の温度を分けるように。


 それでもなお、クロエは悲しげな表情を浮かべている。

 その表情も、その言葉も、エリーヌの少し空いた心を満たすには十分だった。

 テレーズの言葉だけは満たされなかった何かだ。


「そう言えばわたくし、まだ模範賞について諦めていないのよ。貴女はどう?」


 曇った表情を晴らすために、エリーヌは茶目っ気のある目でクロエを見つめた。

 エリーヌのその言葉に、クロエはやれやれと言った様子で溜息を吐き、エリーヌの手をきゅっと握り返した。


「諦めてるわけないだろ?」


 いつもの表情に戻った彼女を見て、エリーヌも笑うのだった。

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