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小説

 文化祭は一日目と二日目で別れている。でも二日目は近くのホールを借りて文化部の発表や吹奏楽部の演奏が行われるから、実質的には自由に動けるのは一日目だけだ。ちなみに公開告白は二日目の最後。つまり大トリ。


 告白をする人は一日目に前もって、生徒会室の前にあるポストに自分の名前と相手の名前を書いた紙を入れておかないといけない。まぁ私には関係ないことだけど。


〇 〇 〇 〇


「テストの結果が帰ってくるのは文化祭後か」


「楽しみだね」


 宮城に呼ばれて、私は廊下で話していた。みんな部活に向かう、あるいは帰る準備をしている。それは千波も例外ではないようだった。でも鞄を手に持ったかと思うと、すぐに私たちの所に歩いてくる。


「ごめんなさい。宮城さん。ちょっと紗香を借りるわね」


「ああ。別にいいが、最近全然話してないみたいだったけど、いったいどうしたんだ?」


「ちょっとした事情があるのよ。それじゃ宮城さん。また明日」


「おう」


 私は訳も分からない間に千波に引っ張られていく。


「ちょ、ちょっとどうしたの?」


「……手伝ってほしいことがあるの」


 そう告げる千波の表情はとても暗かった。私は引っ張られるのをやめて、自分の足で歩いていく。千波が向かった先は、図書室だった。そこには誰もいない。


 町田も流石にテスト終わりだと気が抜けるのか、もう既に家に帰っているようだった。


 千波が席に着く。私はその正面に座った。窓から差し込む光の逆光で、千波の顔には影が落ちていた。千波は無言で鞄から、何も書かれていない原稿用紙を取り出す。


 そういえば千波は文芸部だった。


「これ、文化祭までに書かないといけないのよ。それで、私の担当は恋愛もの」


 恋愛、という言葉をぶつけられて、私はうつむいてしまう。


「まともに誰かと付き合ったこともないのに、私が恋愛ものなんておかしいわよね。やっと出会えたと思った運命の人だって、私を突き放したし」


「……ごめんなさい」


 すると千波は微笑んだ。


「分かってるわよ。紗香の考えてることなんて。……私はたぶん、あなたの望み通りお父さんに引き取られると思う。だからここを離れなければならなくなる」


「ごめんね。私が麗だったら、もっと他の手段で……」


「あなたが麗さんならそもそも恋なんてしてないわよ」


「えっ?」


 私は思わずとまどいの声をあげてしまう。私は何もかも麗よりも劣っている。だからその言葉はとても意外だったのだ。


「紗香がどう思っているかは知らないけど、あなたにはあなたなりのいい所がたくさんあるのよ?」


 埃がきらめく中、千波はそれ以上に明るい笑顔を浮かべていた。あまりにも愛おしくて、堪えている気持ちを全て吐き出したくなってしまう。でもそれはだめだ。千波の決意を鈍らせるようなことはしてはいけない。


 私はありがとう、とだけつぶやいて千波に問いかける。


「手伝ってほしいことってなに?」


「これよこれ」


 千波は文字ひとつ書かれていない原稿用紙を二回指先でたたいた。


「紗香と恋愛をしてから、自分の想像が全て何もかも陳腐なものに思えてしまって、全然筆が進まなくなってしまったのよ。だから手伝ってほしくて」


 どういうことだろう。手伝ってほしい? 私にはさっぱり分からない。困っていると千波は立ち上がって私の隣に座ってきた。そして顔を近づけてくる。頬は赤らんでいて、目は潤んでいた。


 私は硬直したまま動けなくなる。


 こんなことしないでほしい。笑って千波を送り出せなくなるから。でも千波は止まってくれず、私の唇にキスをした。


「紗香とのいちゃいちゃを小説にさせて欲しいの」


 唇を離して、千波はそんなことを告げた。私たちはもうすぐ別れることになる。なのに、どうしてそんな酷いことを。だけど私はその頼みを断れなかった。すると千波はこつんと私の肩に頭をのせた。


「分かってるわ。ひどいことを言っているってことは。でも紗香。あなたの方がもっとひどいことを私に言ったのよ? それが正解だとあなたは思ったのかもしれない。でも私の正解は別だった」


 千波は私の手に手を重ねた。


「だからこれくらい、許して」


 千波はもっと別のことを願っていたのかもしれない。例え母に自由を奪われようとも、私と一緒にいることを。でも私は千波が心から自由になることを望んだ。


 だって、きっと麗ならそうする。それに私だって千波には自由になってほしい。


 だけどやっぱり楓との時間を、懐かしい思い出になんてしたくない。


 そうも思ってしまう。


 私はそっと千波の髪の毛を梳いた。すると千波は気持ちよさそうに目を閉じる。キラキラと舞う埃が、まるで青春のきらめきを具現化させたみたいに空中を漂っている。窓の外から部活の掛け声が聞こえてきた。広がる青空はどこまでも伸びている。


「千波」


「なに? 紗香」


「私は……」


 でも、もしも気持ちを伝えてしまったら。それは千波から自由を奪うということに他ならない。吐き出しかけた言葉の代わりに、適当に拾った言葉を私は告げた。


「……なんでもないよ。小説、書くんでしょ?」


「そうだね」 


 千波は姿勢を正して、原稿用紙と筆記用具を自分の前に持ってきた。


「書き出しはどんな感じがいいかな。『私はキスをした。青春の味がした』」


「いいんじゃないの」


「それじゃあ次は……」


 千波はいたずらっぽい笑顔で、私にまた口づけをした。かと思えば舌が入ってくる。私は突然のことに驚いて、千波を突き放してしまった。千波は不安そうな顔をしている。


「……いや、だった?」


 嫌なわけがない。そんなわけがないのだ。でもこんな風に気持ちをぶつけられ続けたら、きっと私は心変わりをしてしまう。私は顔を熱くしながら微笑んだ。


「みんなに見せる小説でしょ? そんなエロいのはだめだと思うけど……」


「それもそうね」


 どうやら納得してくれたらしい。私はドキドキする心臓をこれほど忌々しく思ったことはなかった。ときめきなんて今はいらないのに、無限に溢れてくるようだ。


 でもきっとこれが青春なのだろうなと思った。自分の思い通りにいくものなんて一つもなくて、でもその中で必死で折り合いをつけようとする。


 私は千波の手をぎゅっと握って目を閉じた。


〇 〇 〇 〇


 オレンジ色の光が机に差し込んでいる。図書室は相変わらず閑散としていた。


「ふぅ。こんな感じでいいかしらね」


 千波は原稿用紙を全てかき上げて、筆をおいた。小説は両思いのカップルのいちゃいちゃをそのまま書き写したような内容だった。私は、今の私たちの関係と小説を対比させて物悲しい気持ちになった。


 小説の中のカップルはきっといつまでも幸せに過ごすのだろう。


 でも私たちはあと一週間だけだ。


 私は図書室を見渡した。千波と恋人になるまではただの図書室だったのに、今では千波と一緒にいるだけで特別な空間のように思えてくる。千波は私の心の支えだ。もしも千波に助けられなければ私は、変わろうだなんて思えなかった。


 それなのにもしも千波がいなくなったら、私はそれでも麗を目指せるだろうか?


「一緒に帰るわよ。紗香」


 鞄を掴んで立ち上がった千波が笑う。私も頷いて立ち上がった。


「途中で別れるんじゃなくて、私が千波の家まで送るよ」


「どうして?」


「そんなの聞かなくても分かるでしょ」


 千波は子供みたいな笑顔を浮かべて私と手を繋いだ。指先が絡まってくる。


「ここ、学校だよ? いいの?」


 私が問いかけると千波は笑った。


「聞かなくても分かるでしょ」


 私も微笑んだ。通りがかった生徒たちが私たちのことをみつめる。恋人つなぎをしている写真はもう学校中に散らばってしまっているらしいけど、やっぱり直にみられるのは恥ずかしかった。


「あの」


 昇降口にたどり着いたそのとき、小柄な女子生徒が私たちに話しかけてきた。


「二人って付き合ってるんですか?」


 私が答えあぐねていると千波は首を横に振った。


「いいえ。付き合ってないわ。ただの友達よ」


 すると少女は「変なこと聞いてごめんなさい」と頭を下げていた。多分、写真のことが気になって話しかけてきたのだろう。そう思っていたけど、女子生徒は思わぬことを告げた。


「でも公開告白、女性同士でも大歓迎ですから、どんどん応募してくださいね!」


 それだけ告げて、その少女は生徒会室の方へと向かった。


「生徒会の関係者だったのかな」


「そうね。それにしても、きっと好きな人に公開告白なんてされたらすごく幸せになれるんでしょうね」


「意外。千波はそういうの嫌いなのかと思ってた」


「先入観ね。私は委員長だけど茶目っ気のあることは好きよ? サプライズとかもたまにテレビでやってるけど、いいなって思うし」


「ふーん」


 上履きを脱いで靴に履き替える。私は私が千波に公開告白をする姿を想像した。私を憎む人がまだ多い全校生徒の前だ。クラスメイトは私を受け入れてくれている人が多いけど、でも学校全体でみるとまだ私を嫌う人は多い。


 きっとブーイングばかりなんだろうなと思いながら、校舎の外に出た。


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