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「おかえりなさい、お姉様」
ミュートリアム伯爵家のお茶会から帰宅すると、丁度妹パトリシアが玄関ホールの階段を下りてきた。
「ただいま、パティ。…どこかに出かけるの?」
パトリシアは踝丈のドレスにお気に入りの薄紫色の日傘を持っていた。
「はい。近くの公園まで行こうと思うの」
「そう…」
公都キュリオスのアッシュフィールド辺境伯家の屋敷は五大侯爵家と同じ公都の東に位置している。屋敷の大きさもさることながらその敷地も広い。門を出て一番近い公園まで妹が徒歩で行って帰って来る時間を考えてオフィーリアは提案した。
「今日はもう遅いわ。公園は明日にして、今日は私とお庭を散歩しましょう」
「……お姉様が一緒なら、良いわ」
パトリシアはちょっとむくれて見せたが、すぐに笑顔でオフィーリアの腕に抱きついた。オフィーリア付きのメイドが「着替えられますか?」と尋ねてくれたが、庭を散歩する程度だしその後の家族との晩餐のために再度着替える手間が面倒で断る。
綺麗に手入れされた庭は黄色や赤みの濃い色合いのマリーゴールドが満開になりつつあった。整備された小道を歩きながら姉妹は他愛のない話をする。ふと思い出したようにパトリシアが今日の外出について尋ねてきた。
「お姉様は今日はどちらの茶会に行かれていたの?」
「ミュートリアム伯爵夫人の茶会よ。夫人自慢のサロンとお庭が綺麗だったわね」
「あぁ~あ、お姉様が羨ましい!」
「…社交の盛んな方だから、デビューが終わればパティもお招き頂けるわよ」
「今日もドレスの採寸やダンスの練習ばっかり! せっかく公都に来れたのに屋敷に籠ってばかりで息が詰まりそう」
「仕方がないわ。デビューまでひと月だし、パティも大事なデビューダンスを失敗したくはないでしょ? 今年は公女様もご一緒だから何かと注目されていて母上も心配なのよ」
「……お姉様のデビューの時は、どうだったの?」
「私? う~ん、デビューダンスを父上と踊って二、三曲で帰って来たわね」
「えぇ?!」
「ん?」
「…………お姉様、それ本気で言ってる?」
「覚えている限り参加したことがある夜会や舞踏会はどれもそんな感じよ? お付き合いで二、三曲踊って軽くおしゃべりしたら主催者に挨拶して終わり。大体そんなものよ?」
「………お姉様って、ほんと」
「ん?」
「パトリシア様」
散歩中ふたりの後ろに控えていたオフィーリア付きのメイドがパトリシアを遮る。
「風が冷たくなってまいりました。お風邪を召しては大変です。お二人共中にお入りくださいませ」
「そうね。…パティが風邪を引いては母上が心配されるわ。散歩はこれぐらいにしましょう」
促され不服そうな顔をするものの、パトリシアは姉に大人しく従う。まだ何かを言いたそうにしていたが、結局パトリシアは屋敷に戻る間何も話さなかった。
アシュリー公国での社交界デビューは昼の式典と夕方から始まる舞踏会の二部構成となっている。式典では親族の貴婦人に付き添われた令嬢たちが宮殿にてアシュリー公と公妃様に謁見。舞踏会ではデビューの令嬢たちがそれぞれのパートナーと、これは主に父親や兄弟が務める、デビューダンスを踊りお披露目を行うものである。
デビュー当日、パトリシアは母方の伯母プロムガナム伯爵夫人と母に付き添われ父と共に宮殿へと赴いて行った。オフィーリアは弟ルシアンと共に屋敷にお留守番。姉弟で昼食を食べた後は図書室で家庭教師から歴史を学ぶルシアンを見守りつつ読書に耽っている。
「帝国の成り立ちについてご理解頂けましたかな?」
「うん、パッセンホールド先生の話はいつも分かりやすい」
「ほっほっほ、ルシアン様にそのように評価頂き光栄ですな」
「ルシアン、先生に失礼よ」
「何の、オフィーリア様、良いのですよ。兄君のクライブ様にもお教えしておりましたが、お二人とも実に賢い」
「……姉上はパッセンホールド先生に教えて貰っていないの?」
「ルシアン様、オフィーリア様はパトリシア様と同じくルンゲルン夫人がお教えしておりましたぞ」
「え? ルンゲルン夫人だったの、姉上?」
「そうよ。ルシアンは知らないわよね、まだ小さかったから」
ルシアンは今年10歳。オフィーリアとは12歳離れている。オフィーリアが16歳で父に付いて戦に赴いた当時のルシアンはまだ4歳。屋敷に帰ることも少なかった長姉の事などはほとんど記憶にないだろう。
「もう小さくないよ!」
「ごめん、ごめん。そういう意味で言ったんじゃないわ」
最近身長を気にしていると母が言っていた。公都に来て同じ年頃の子供たちを集めた茶会に参加する機会があり、どうやらその中でルシアンの身長が一番小さかったらしい。件の茶会から帰宅してすぐに書斎で執務をしていた父に半ベソで剣の稽古をつけてほしいと懇願していた。男の子なのだな、と思うと微笑ましいが、本人にとって身長についての問題は現在の最重要課題らしい。
「失礼いたします、オフィーリア様」
図書室の入り口で控えていたルシアン付の従僕が部屋の外に執事が来ていると伝えてきた。入室してきた執事のドーソンは少々困惑ぎみに来客が来ている旨を知らせてくれた。
「お約束でもございましたでしょうか?」
ドーソンが困惑しているのは屋敷の主が不在時の突然の来客だから、と言うよりも来客の正体に対してだろう。ドーソンから来客の名前が書かれたカードを受け取ったオフィーリアもその名前を見て驚く。
「……とりあえず、私が対応するわ。お客様は応接間にお通しして。父上に知らせが必要になるかもしれないから宮殿に早馬を出せるように準備をしておいてくれる?」
「かしこまりました」
ドーソンに必要な指示をして身支度をするために部屋に戻る。オフィーリアの部屋にはすでにメイドたちが着替えを準備して待機してくれていた。ドーソンが先回りしてメイドたちに指示していたらしい。オフィーリアの身支度を整えながらメイドたちはソワソワと落ち着きがない。
「お嬢様に会いに来られてのでしょうね!」
「だってこの日にわざわざいらっしゃったのよ。と、いう事は~」
「いやだ、はしたないわよ!」
テキパキとオフィーリアの身支度を行いながらもメイドたちは頬を染めている。賑やかな彼女たちが何に気を取られているのかオフィーリアには理解できない。
「父上に用事があったのかもね、とりあえずお話を伺ってくるわ」
メイドたちが用意してくれていたビロードの赤いドレスは少々胸元が開き過ぎていたが別のドレスに着替えている時間もなかったのでそのまま部屋を後にする。応接間の扉の前にはドーソンが控えていて中の来客者にオフィーリアの到着を知らせてくれた。
「お待たせして申し訳ございません、閣下」
「事前の知らせもなく尋ねたのはこちらですからお気になさらず。それに、貴女のその様な麗しい姿を目にすることが出来るのであれば何時間でも待てると言うものですよ」
来客者、エリオット・ヘンリー・バートウィッスル侯爵は手にしていた深紅の薔薇の花束をオフィーリアに手渡しそのまま手の甲に口づけを落とす。
「……とりあえず、お掛けください」
オフィーリアは自分の笑顔が引きつっていないことを祈りつつ、大きすぎる薔薇の花束を受け取るしかなかった。
つづく。