一話 最果てという名の街 ①
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あんたも知っての通り、このラフィーネって街はかつて最果ての地と呼ばれていた。
この街のさらに西にある樹海。あそこからは魔獣の領域。
人の住める地はここまでだってんで、そう名付けられていたわけだが、今となっちゃお笑いぐさだな。海からさらに西に行けるようになって、全然ここが最果てじゃねぇって判明しちまったから。
でもまぁ、未だ海からしか行きようがねぇ。
あの樹海と山脈は、人にはまだ越えられん。
あの先にも世界は広がっている。さらに西があるって分かってすらも、あの中は未だ前人未到。
だもんで、魔獣大流出の起こる理由は分からんままだ。
まぁ、魔獣の領域が無限に広がってんじゃねぇって分かっただけ価値はあったがね。
……あん? スタンピードは次、いつ起こるのかって?
んなん、俺に言われたって知らねぇよ。
◆◇◆◇◆
我が国から正式な魔獣大流出の前兆がみられたという発表があってから、もう……二十年くらい経っちまった。
その当時冒険者をしてた俺も、歳食って引退して……今は酒場宿の親父だよ。
「へぇ、親父さんも冒険者だったんだ」
そう言った若造は、そわりと後ろを気にするそぶりを見せた。
この店にいる客の大半がその冒険者だから、正直お行儀の良い店じゃねぇ。
そんな店に初めて顔を出したこいつ。いかにも今日この街に到着しましたってな砂埃に塗れたいでたち。膨らんだ背負い袋と長剣を足元に置いて、とりあえず情報収集をば……と、同業者のたむろするこの店に顔を出したってところか。
そうして、小声で聞いてきたのは……。
「それであの……その樹海に偵察部隊を出すって話は、もうあったんですか?」
はぁん、偵察隊に入りたくて、こんなとこまで来たってことかよ。
だが、偵察隊に入れる条件すら知らねえようなヒヨッコはお呼びじゃねぇ。でも、ただそう言ったところで、こいつは納得すまいよな。
「あんた、等級は」
「え、鉄です……」
腰の等級印は確かに鉄製。
「なら対象外だな。偵察隊はパーティの半数が銀等級以上、鉄未満は含まねぇってのが最低条件だ。
しかもお前さんフリーだよな」
仲間らしき者の姿は無い。手持ちの荷物の大きさ、内容からしても、仲間と必要な道具を分散して持ってる雰囲気じゃねぇし。
「フリーなら銀以上でもねぇとお声はかからねぇよ。残念だったな」
「えええぇぇ、そこなんとかなりませんか?
俺、確かに今は鉄ですけどっ、あともう一つ討伐依頼をこなせば銅に昇格するんです!
それに俺、こう見えて結構できる方なんですよ⁉︎」
それ、みんな言うやつだっつの。
稼げる算段で来てやがるのか、食い下がってくる若造に、俺は鋭い視線を向けてやったね。
現役退いた俺の眼光如きでブルっちまうやつなんざ、お呼びじゃねぇ。
「銀以下は役に立たねぇ。魔獣の餌増やすだけだからそう決めてあんだよ」
俺も最終的な等級は銀だった。退いてそれなりに経つが、それでもまだ、お前さんよりゃ使える自信があるぜ。
でなきゃ、こんな街で荒くれ者相手に酒場宿なんかやってらんねぇしな。
「あそこの魔獣は徒党を組む。他みたいに一匹を複数で囲って狩るなんて戦法は取れねぇんだ。
一人で最低一匹相手にできる腕がなきゃ、即食われちまう。
だから錫や鉄は論外、銅だって足手纏いにしかならんよ。
あぁ、言っとくけどこれ、一番運が良かった場合の話だ。
一人で数匹相手にする心算でいても、まぁ六割は誰かしらが死んで、全員無事には帰らん」
その一人の死が、どれほど他に影響与えると思う?
一人死ねば残りの連中の生存率だって当然下がる……一瞬バランスを欠いただけで、全滅だって見えてきちまう。
あそこはそんな場所なんだよ。
「だから鉄以下は取らねぇし、銀以上を半数と決まってんだ」
そんなことも分からんやつを連れて行きゃ、当然待ってるのは全滅だ。
偵察隊は二年に一度、樹海の魔獣の繁殖状況を確認するため樹海に入る。
所定の場所まで進んで、帰ってくる。それだけのことだがどれほど難しいか。
道中で何匹魔獣と遭遇したか、何匹の集団だったか。何回遭遇したか。たったそれだけの情報を持ち帰るために中に入る。そんで死に物狂いで進んで、帰ってくるんだ。
「去年の偵察隊は失敗した。誰も生きて戻らなかったからな。銀四人を含む七人だったが……やっぱ人数じゃない。個の水準が問題なんだろうよ」
全滅したという言葉に、呆然とする若造。
「もうひとつ前の部隊は、四人パーティで全員銀。貴重な魔術師と神職もいる、バランスの取れたパーティだった。
こっちは皆なんとか無事に戻ったが、ありゃ運が良かっただけだ。全滅しててもおかしくなかった……。
そいつら以上の働きが、あんたにできる自信があんなら行きゃいいが、俺は止めたぜ」
そう言うと、困惑した顔で俯く若造。
因みにそいつら……銀つったけど、金になるための昇格試験で樹海に入ったんだ。
鉄から銅になると言うお前じゃ、並べもしない実力者揃いだったんだよ。
そう言ったけれど、やっぱり納得できないと言った表情。
そりゃ、剣の腕も見ないで勝手に判断するなと思う気持ちも分かるさ。
だが俺は、ただお決まりの言葉を言ってんじゃねぇ。俺はあの森を知ってるんだ。
「……俺が入ったのは、十年以上前だ。その時遭遇したのは二組だけ。三匹と、四匹。
それでも六人で入って一人死んだ。銅のやつだった」
そう言うと、ハッと若造は顔をあげた。
そうさ。俺だって実際に経験してんだよ。
「三年前の生還パーティの時だってな二十匹超えてからは生きて帰るの優先で、討伐数すら数えられねぇって状況でよ、ほんとなんとか帰ってきたんだ。
当然、本来の依頼内容は達成されていない。
それでも偵察は成功と判断されて、報酬は満額支払われた。
去年の全滅部隊の情報は入らないままだが、確実にまた増えてるだろうよ……。少なくとも二十年、報告のちゃんと届いた部隊は一度も前年を下回った遭遇になっていない。
二十匹から数えてねぇって言ったあいつらも、話を聞く限り三十前後は屠ってる計算になる。
来年は四十か……五十か……。
募集は近々出るさ。けど、今回は全員銀以上、十人越えの部隊で偵察隊が組まれるだろうって話だな。
国から魔剣持ちの金等級が派遣されるって噂もある。
だからどうしても挑みてぇってんなら、三年後に、お前さんが銀以上になってから出直しな。
その時まで、スタンピードが起きてないならな」
そう言うと、若造は落ち込んだように視線を落としちまった。
まぁ、分からんでもない。偵察隊の報酬は破格だ。全滅でさえなければ死んで帰っても遺族に報酬が渡される依頼なんざ、普通は無い。挑んだってだけで、三代先まで語れるくらいの名誉だよ。
それで背伸びして、挑みたいって無鉄砲が毎年必ず来るんだ。
だが、その破格に見える金銭以上の危険を伴うのだってことを、もっと見た方が良いぜ。
「ちょっとお父さん。そうやって新しい人脅すのやめてよ」
割って入った俺を咎める声で、やっちまったことに気付いた。
いつもの悪い癖だ。ガキだと思うと、つい口を出しちまう。
「ごめんなさいねぇ。この人のこれ、若い人見るとやる悪い癖だから、あまり気にしないで」
そう言ってどうぞと水を差し出す娘。夜の酒場はやめとけっつってんのに……。
「いいからお前はあがれ! 時間だっ」
「分かってるわよ。でも私の目がないからって新人いびりしないでよ」
「イビってねぇ!」
勝手口に向かう娘にイェシカちゃんまたねぇと声が掛かり、それに手を振って答える娘。
パタンと扉が閉まり、俺は息を吐いた。
…………まぁなんだ。
ちょっとキツく言っちまったのは、悪かったよ……。
「……偵察隊は無理でも、仕事はそれなりにある。
今実入良いのは牧場警備だな。警備だけでも収入になるが、討伐すりゃ追加報酬が付くのが入ってる。
人数欲しがってたから、本音としては確実に討伐したいんだろう……金がいるなら紹介してやらんでもない」
俺の言葉に、パァッと、若造の表情が輝いた。
やだねぇ……こうやっていちいち気になっちまうこの性分……。
焦って金をって考えるやつは大抵なんか理由があんだよ。
まぁ、手持ちの荷物は使い込まれてるようだし、内容も揃ってそうだ。剣の手入れもきちんとされている。なによりフリーでこの地に来れるだけの技量はあるんだろう。
あと一つで銅ってんなら、それなりの成績と信頼も得てる。若干気は抜けてるようだが、そこはあいつらが補うだろうし……。
「言っとくが、俺の口利きは信用されてる。
俺のメンツ潰しやがったら、次からは仕事が無いと思え」
一応そう念押しして、俺は依頼の内容を若造に伝えるため、依頼書を取りに作業台へ向かった。
また生贄がやって来やがったなぁと、内心では考えながら……な。