零話 宿屋の親父はかく語る
なんだい兄ちゃん、あそこに座ってる男が気になるって?
そうだなぁ。確かにあいつは、昨日もあそこにいた。
もう三日同じ場所で見かけてるって? そりゃそうさ。何にもなけりゃ、あいつはいつもこの時間はあそこにいる。
……なぁ、勿体ぶるなよ。どうせ聞いてんだろ? あいつの噂。
そう、それさ。
居着きのオリフィエル。
強いのかって?
見て分かんだろ。推し量れねぇならあんたはヒヨッコってことさ。
素人にゃ分かんねぇ。そういうもんだろ。
「アトス、うるさい」
あー……わりぃな、兄ちゃん。自分の話されんのは気にくわねぇってよ。
「わざわざ聞こえる声でするな」
へいへい……。
ほら兄ちゃん、気になんなら続きは、自分で本人に聞きな。
◆◇◆
俺にそう言われ、いかにも駆け出しって感じのヒヨッコ剣士は、コクリと唾を飲み込んだ。
正直、戸惑いはそれなりにあったようだ。けれど、好奇心に負けたのかカウンターの席を立ち、足を一歩踏み出して……またこちらを振り返る。
酒場に来るにゃちと早い、まだ十三かそこいらの小僧。
「あっ。えっと……ビール二つ、ください」
小僧だが、礼儀は弁えてるな。
「まいど。待ってな、すぐ用意する」
気の利く小僧は好きだ。それに、ただ噂を鵜呑みにしねぇで、自分で確かめようって気概がまた、いいじゃねぇか。
何よりも気に入ったのは、こいつの瞳が、オーリを嘲る様子を見せなかったことだ。
大抵、オーリを居着きと揶揄する時、人はあいつを馬鹿にしやがるんだよ。
小樽型のジョッキにビールをたっぷりと注ぎ、ナッツを手掴みひとつぶん小皿に入れて、添えた。
あんたの礼儀正しさに対する、俺からの支援物資。
「サービス。あいつの好物でな、これがある方が機嫌が良い」
小声でそう言うと、ペコリとお辞儀をして、懐を探り、ひしゃげた財布から銅貨を一枚取り出した。
ありゃ、意外にあんま持ってねぇな。だけど礼儀だ。そのためになけなしの金を払う。いいじゃねぇか。
ヨレてシミのある上衣は上質とは言い難く、革製の装備も中古品と思しき頼りない品だった。
唯一立派なのは腰の剣のみ。
……字が読めて、計算もできやがる。ヒヨッコらしく身なりが悪いわりに……出自がしっかりしてんだな。パッと見は没落貴族ってところだが……。
違うよな。そう見せてるだけだって、分かってんだぜ?
「おい。ひとつだけ、忠告しといてやる」
盆のうえに、酒と肴をのせたヒヨッコの背に、声を掛けた。
振り返った、すれた感じのない綺麗な琥珀の瞳。
白銀色の髪は後頭部を剃り、他も清潔感ある風に小ざっぱりと刈り上げられているが、室内の暗い照明ですら輝いてみえるほどに艶がある。
(服装は気にしたようだが、髪にまで気が回らなかったかよ)
洗いたてみたいに砂埃を纏ってねぇ艶やかな髪をしたヒヨッコは、没落なんかしておらず、現在進行形で出自が良いのだろう。
ざっと全身を確認しても、等級印は見当たらねぇ。
オーリに秘すためか? それとも……他になんか目的があんのか……。
だから、一応忠告しておくことにした。
あいつに興味を持つのは良い。良いが……好奇心程度で手を出さんでくれよ。
「オーリに剣を抜かせるようなことは、一切すんな。例え、どんな些細なことでもだ」
本気を見せたのは、それがあいつにとってどれほどの苦痛かを、俺は知っていたから。
お前にとっちゃただの興味本位でも、オーリは命懸けだ。だから、いらんことはしてくれるな。あいつの命を弄ぶんじゃねぇぞと、脅すために覇気を纏った。
だが……。
ヒヨッコは、俺の威圧に若干怯んだものの。踏み止まり、こくりと頷いてみせた。
へぇ……その歳で。
これで気圧されねぇってのはヤバい。こいつぁ、命のやり取りを経験してやがる。
俺の威圧が、覇気であって殺気ではないと、理解してやがる。
現役退いてしがない酒場の親父をやっていても、俺だってそれなりの冒険者だった。銀等級で終わっちまったが、それでもまだそこいらのヒヨッコやチンピラよりはできる自信がある……。
こいつは殺し、殺される経験を、積んでやがる。
だから平気で俺に背を向けた。殺る気がないなら無害だとばかりに、奥角の席に座る痩せぎすの男の前へと、足を進める。
ヒヨッコの腰にあるのは、かなり細身の剣。
まるで短剣の柄かと思うような、細い握りをしていやがる。それが少々引っかかった。
数百年前ならともかく、珍しい拵えだ。まぁ、まだ小柄だから、身体に合わせて特注してるだけかもしれんが……。
「あの……、貴方の話を勝手にしてしまって、申し訳ありませんでした。
僕はシルヴェリオ。見ての通りの駆け出しです」
話し出したヒヨッコを、オーリは無視した。
けれどヒヨッコは怯む様子もなく、言葉を続ける。
「僕は今、フリーなので……組んで仕事のできる相手を探していました。それで……」
ヒヨッコの言葉を遮るため、オーリはサッと手を振った。聞く気はない。という身振り。
「どうせ街の連中に聞いてるだろ。俺はこの街を出ない。人と組んで仕事をすることもない。そもそも俺はもう、パーティ持ちだ」
「聞いています。けれど……もう二年、その仲間からの音沙汰が無いと」
おいおいおい、単刀直入にいきすぎてんぞヒヨッコ。素直な良い奴っぽいと見立ててたが、そりゃ素直すぎってやつだ。
耳を欹ててたもんだから、その言葉運びの不味さにヒヤリとした。
これも注意しときゃ良かった。
仲間のことは話題に出すな。
「だから、この街の中のことなら、お聞きいただけるのじゃないかと思ったんです」
……ん?
「僕を、この街の中だけで良いので、貴方のパートナーにしていただけませんか」
普段よく、オーリに絡む連中とは、やはり違う言葉選びだった。
こういう時、大抵の奴はこう言う。
そのお仲間はとっくにくたばっちまってるか、あんたを捨てたんだ。だから待つだけ無駄。俺たちと組もうぜ、と。
「フリーより、ペアでいた方が仕事は多いはず。
報酬は、貴方が七、僕が三で構いません。
その代わり、貴方の見取り稽古をさせてほしいんです」
……礼儀正しいヒヨッコじゃねぇな。こいつ……。
こりゃ変人だわ。
オーリもかなり意表をつかれたのだろう。珍しく表情を動かした。
細い切れ長の瞳を幾分か見開いて、薄い唇も半開き。気にしてる童顔が、そんなふうにするとより一層若く見える。
だがそんな表情になるのも当然ってやつだろう。
二年ここにいて、こんなバカみたいなことを言った奴はいなかった。
ていうか、オーリ以外にだって、こんなこと言ってる奴、見たことねぇけども。
しかもこのヒヨッコ、オーリのこと、かなり下調べしてるな……でなければ、こんな言葉選びにはならねぇはずだ。
「……お前剣士だな」
「ええ、そうです」
腰に下げた、己の剣をちらりと見るヒヨッコに合わせて、オーリの目もそれを追う。
「じゃあなんの見取り稽古を想定してるんだ。俺は……」
「剣を抜かない。でしょう? はい。聞き及んでいます」
いやいやいや、聞き及んでいますじゃねぇだろ。剣を抜かない剣士に、なんの価値があるのかって話だろうよ。
「剣を振る方法を、学びたいのではありません。
それは僕も磨いてきましたし、それなりに自信もあります。実際、同年代の中でなら、僕は優秀だ」
淡々とした口調ながら、そう言った時ヒヨッコは、グッと拳を握りしめた。
「……だけど認められなかった」
その言葉の時だけ、表情が動いた。
焦燥に駆られたような、途方に暮れたような、今にも泣き出しそうな、幼い表情。
なんでも構わない。何かに縋りたい。もっと強くならなきゃいけないのに。もっと、もっと、だから誰か!
「本来は、依頼の報酬は全てお譲りするべきなのですが、僕にも生活があるので申し訳ありません。
その代わり、受けた依頼は精一杯頑張りますし、貴方に剣を抜かせないよう立ち回ります。
身の回りのお世話も致します。
ですからどうか、僕を貴方の弟子にしてください」
「…………」
「よろしくお願いします」
机に盆を置き、二歩下がるヒヨッコ。そうしてそのまま床に膝をつき、手を添えて腰を折り曲げ、深く美しく頭を下げる。
その、場末の酒場に似つかわしくない、綺麗な姿勢を呆然と見た。
オーリに弟子入りするためにそこまでするか? それは絶対服従の意思を示すもので、初対面の相手に対し、おいそれとするような礼じゃない。というか、普通プライドが許さない。
剣士と言うなら尚のこと、その礼の意味は、痛いほど分かっているはずだ。
(こりゃ……なんか色々ありそうだな)
一応こっちでも調べてみるか。店が巻き込まれちゃたまらねぇしな。
だが、何日もここに通い、オーリの人となりを見て過ごし、情報を買い集めたうえ、わざわざ土下座までして誠意を示そうとするこのヒヨッコ……。
悪い奴には見えないんだよなぁ……。
そのなんとも言えねぇ違和感に、首を捻りつつ視線を上げたら、当のオーリと目が合った。
(おい、なんなんだこいつ)
その物言いに、俺は腹を括ったね。
二年、俺はここでオーリを見てきた。
針の筵に座り続けるこいつを、見守ってきたんだ。
これから先も、この生活がどれくらい続くか分からねぇ。
だが、今のままを頑なに続ける意味は、あんまねぇよな。
だいたい、街の住人にまで罪人みたいに扱われ、揶揄われてんのがそもそも気に入らねぇ。
それを見てるだけの俺は、楽しくもなんともねぇのよ。
このヒヨッコは、少なくともお前を馬鹿にしちゃいねぇし、真剣だ。
何かに真剣なんだ。
その何かが、オーリにとっても、良い機会になってくれるんじゃないかって。
……なんか、そんな予感がしたんだよ。
(しらねぇょ。良いじゃねぇか、見てやれよ)
(馬鹿言うな。こいつ頭おかしいぞ?)
(でもお前の条件には沿ってる。ていうか、そろそろ宿代払え)
(ぐっ……少し待ってくれ)
(もう二週間は待ってんだよ馬鹿野郎。ここのところ、仕事が無かったのは本当だろうが。
ペア組めるってんなら、組んで仕事しろ。この貴重な機会を棒に振るな。振ったらここを叩き出すぞ)
(おまっ、それはないだろう⁉︎)
声にせず口パクでお互い罵り合っていたら、カランと音がして、冒険者の一団が入店してきた。
慌てて表情を取り繕った俺たちだったが、ヒヨッコは土下座し、頭を下げたまま。
その一団は、そんな二人になんだあれ? と、意識を向けた。
注目されるのが嫌いなオーリは、これでは粘れない。
断ってもこの手の奴は……食い下がってくるもんな、絶対に。こいつ、これを計算尽くでやってんなら、大した策士だぜ。
「……頭下げてないでさっさと座れ。目立つことをするな」
苦虫を噛み潰した顔で、オーリはそう口にする。
席について良い。
それは、弟子と認める。と、同義。
「有難うございます!」
「でかい声を出すな!」
そして数分後。
ジョッキのビールを半分も飲まないうちにへべれけになっちまったヒヨッコを、渋面で担いだオーリに、部屋を移れと俺は伝えた。
「離れの裏庭に面した二人部屋を使え。
そいつと同室なら、部屋代も折半できるし、丁度良いだろ?」
そのガキを放り出したままズラかるなんて器用なこと、どうせお前はできねぇんだからよ。
◆◇◆◇◆
オリフィエルは、この街ではちょっと名の知れた冒険者だった。
東方の出身で、身が細く、背も低い。顔だちも平たいというか、切れ長のひとえの瞳に薄い唇、低めの鼻と、特徴らしい特徴も無い。しいて挙げるなら、その顔の薄さと、肩にかかるほどの髪をひとつ括りにしてることくらい。
年齢も分かりにくい。顔立ちと体型も手伝って、等級が『銀』になってもヒヨッコと勘違いされ、絡まれたりすることもしばしばあった。一見十代にすら見えた。実際は三十過ぎのおっさんなんだがよ。
地味な濃紺色の髪に、淡い碧の瞳。服装も地味で黒とか紺とか、濃い色ばかり着やがる。
そんなでも、女にキャーキャー言われてるやつだったんだ。紳士的だし、あんま男臭くねぇのが良いってんで、人妻からガキまで幅広く人気があった。
そしてその頃は、即斬のオーリと呼ばれていた。
剣筋が鋭く、体捌きに一切の無駄が無いため、斬られたと気付く前に殺されている。そんな意味の二つ名だった。
……そう、だった。
けど居着きのオリフィエルと呼ばれるようになった。
これは、冒険者のくせに街に居着いている腰抜け。という意味。
そしてそこには、この男が剣を握らないことに対する揶揄も含まれている。
剣士のくせに、剣を握らず、冒険者のくせに、街を出ない。
オーリことオリフィエルは、とある仕事から帰ったその時から、剣を帯びることを辞めた。
街中では手ぶら。武器が必要と判断した時も、ありものの棒とかで済ませちまう。
旅立つ仲間すら見送って、この街に残り、町人のように生活するこいつの等級は当然宝の持ち腐れで、それに対するやっかみも多分に含まれていたのだろう。
最後の仕事でオーリのパーティは全員、等級を『銀』から『金』へと昇格させた。その途端の隠居生活だったから、一定の権利を手に入れ、働く気が失せたのだと受け取られてしまったのもある。
だがそう勘違いされたとしても、事情を伝えることはできなかった。
オーリの秘密を、大抵のやつは知らない。
その秘密だって表向きのもので、本当の本当を知るのは……そうだな、あの時は一人きりだったってことだな。
これは、そんな秘密を抱えた一人の冒険者と、同じく大きな秘密を抱えていた少年の、文字通り、命がけの物語なんだ。
まぁ、暇つぶしに聞いてくれや。
ご覧いただきありがとうございます。
これなるは冒険者ギルドを兼ねた宿酒場を経営する、アトスの視点で語られる物語。
一人称のような三人称小説。
お楽しみいただければ幸いです。