悲鳴を奏でるピアノにて⑦
ここからは憶測だが、彼は生前からピアノに取り憑かれていたのではないだろうか。
そして、次第に人々は彼に関する記憶を失うようになってしまった。
そういうことではないだろうか。
『俺ハ……ヤットコノ呪イカラ逃レラレル!
コノ女ニハ悪イガ……俺ハコレデ自由ナンダァァァァァァ───ッ!』
満面の笑みを浮かべる男。
長きに渡って音楽室に束縛され続け、気が狂うような思いをしてきたのだろう。
その苦痛から解放されることの喜びは想像に及ばない。
真冬は理解した。
この『噂』は何人もの人間に感染していくものなのだと。
そして、今回は夢に感染した。
たった今夢が『噂』の担い手となり、先代は解放された。
『ァァァァァァァァァァァァァァ……!!』
「うっ!?」
脱け殻のようになっていた夢の体が唐突に動き出す。
それはさながらマリオネットのようにぎこちない。
『ウガァァァァァァァラァァァァ!!』
ヨダレを垂らしながら突撃してくる。
やはり正気ではない。
最小限の動きで回避すると、夢は勢い余って転倒した。
ゴッ、という鈍い音がする。
彼女の肉体に傷がついてしまった。
だがまだだ。
ギリギリのところまで体感しなくてはここまで来た意味がない。
そのためならば、重傷を負う覚悟だってある。
と言っても、死ぬつもりは毛頭ないし、好き好んでダメージを受けるつもりもないが。
「夢には悪いがまだ足りないんだ……ハァ……ハァ……『もっと』だ……。
『もっと』『もっと』やってもらわなきゃ困る……!」
その声に呼応するように、夢は立ち上がり向き直る。
『ウグッ───ウグォッ───!』
動きは直線的だが、噛みつくなり引っ掻くなり、あるいはそのまま押し倒すなりされるとかなりのダメージを負うことになるだろう。
何せ、今の夢は獣も同然だ。
案の定爪を立てて襲いかかってきた。
この攻撃はあえて受け流さず、その腕をがっしりと掴む。
勝利宣言を聞かせるため、『わざと』だ。
真冬はそういう、少し子供じみた性格をしている。
「今度は私を『ピアノ』に縛りつけようって魂胆ね?
でもそうはさせない……『呪い』はここで終わるんだ……!」
言い終わってから夢を突き飛ばし、ピアノに『暗示』をかける。
呪いも噂も初めから存在しない。
そういう『暗示』をかける。
すると、立ち上がり再び襲いかかろうとしていた夢は電池切れのオモチャのようにバタンと倒れ、
その顔はたちまち健康な人間の顔に戻った。
真冬はホッとしながら、夢にも『暗示』をかけた。