悲鳴を奏でるピアノにて⑤
学校は、昼と夜とで表情が全く異なる。
真冬が好きなのは、夜の表情だ。
誰もいない世界に支配者として君臨しているようで、とても気持ちが良い。
逆に昼の雰囲気はどうも好きになれない。
「さて、入るか……。」
両手を手を翳す。
真冬を迎え入れるように校門がガラガラと開く。
これこそ、真冬のチカラ。
彼女はあらゆるモノや人に対し『暗示をかける』能力を持っている。
ここでは、校門に『門を開かなければならない状況だ』という暗示をかけたのだ。
この要領でセキュリティを作動させないようにしてしまえば、彼女はもう無敵である。
「この私を舐めるなよ~。」
演技っぽく笑う。
彼女がこんなにふざけても、誰もツッコミを入れることはない。
最高だ。
王様の耳はロバの耳……という話があるが、この状況なら誰も『聞く』者はいないだろう。
無論、聞いたとしても『聞かなかった』と暗示をかけてしまえばいいだけの話だが。
「……。」
コンコン、と昇降口の扉を叩く。
それだけで、当然のように鍵が外れる。
別に能力を発動させるためにこういう動作が必要なわけではないが、気分的に楽しいからやっている。
「この学校には誰も侵入していない……。」
『暗示』の内容を呟きながら、早速音楽室のある二階へと向かう。
コツン、コツン、コツン。
靴の音だけが、果てしない静寂の中に響く。
だが、ある瞬間から空気が変わる。
階段を上りきったところで、だ。
「……。」
神社の鳥居をくぐった瞬間に『空気』が変わる、あの不思議な感覚とよく似たものを感じる。
日常と非日常の境界。
人々の世界と聖域を別つ『線』。
だが、恐怖は感じない。
こういった場所には慣れているし、何より彼女は恐怖と怪奇を追い求めるオカルト部の部長だから。
「聴こえてくる……これは……ピアノ……でも、まだ足りない。
肝心なのは、誰が奏でているのかという……その疑問を解決すること。
そして夢の話との因果関係を解明すること……。」
流れているその曲は、何にでも聴こえて何にも聴こえない、不思議なものだった。
ベートーヴェンの『第九』にも聴こえるし、ショスタコーヴィチの『革命』にも聴こえる。
スメタナの『モルダウ』かと思えば、パッヘルベルの『カノン』でもある。
だが、同時に何でもないただの適当な演奏だ。
美しくもあり、雑でもある。
激しく矛盾したことが同時に起きている現実。
真冬は、これまでになく強い歓びを感じる。
ワクワクしながら音楽室に近寄り、扉の鍵を外し、手をかける。
そして宝箱を開けるような高揚感と共に扉を引く。
が、
「……何……。」
そこにあったのは、人影。
暗くて見えないが、恐らくは女性だ。
「そこにいるのは誰?」
『… … … …。』
「答えたくない、かな?」
『… … … …。』
「ねえ、聞こえてるんでしょ。」
『… … … …。』
真冬の声は人影にも届いている。
だが人影は演奏をやめない。
「シンプルに、たったひとつの簡単な質問に答えてくれるだけで良いんだよ?
君は誰なのか、という問いかけに。」
しつこい真冬に呆れたのか、人影はようやく演奏をやめた。
そしてゆっくりとゆっくりと、真冬の方に顔を向ける。
その顔を見た瞬間、真冬は軽く衝撃を受けた。
「君は……まさか……。」
『私……に……言ってるのか……ァ……ァ……?』
「夢……君は加賀美 夢……どうして君がここに……!
私が来るよりも前からここで演奏してたって言うのか……?」
あり得ないことだが、それしか考えられない。
『ゥ……ゥ……ゥ……。』
正直言って、一瞬戸惑った。
その顔は確かに彼女の顔なのだが明らかに昼の表情とは違うからだ。
声も、尋常ではないほどに枯れている。
「狂ってるのか……君はこのピアノに……まさか!」
そう、ピアノに取り憑かれたような表情……まともではないとはっきり分かる表情だ。
ハチの黄色と黒が人間の本能に『危険』だと思わせるように、明確に分かる狂気と危うさ。
『お前……お前は、お前……オマエ……!』
その声からは積年の恨みのようなものが感じ取れた。
到底、一人の人間が持ちきれる程度の怨念ではない。
何代にも何代にも渡って執念深く恨み続けたような、そんな負のオーラだ。