逆ヨモツヘグイ
「それでさ……」
「……花梨。ちょっといいかい」
真剣な表情で阿部くんが私の話をさえぎってきた。
多分阿部くんが今から話すことはあんまりいい話題じゃないだろう。
「……なに?」
「駅の外側が明るくなってきている。見てごらん」
阿部くんが指さした方を見ると確かにいつの間にか駅の外側は漆黒の暗闇ではなく、朝の赤と夜の青が混じった彼者誰時の紫色の霧に包まれていた。
「もうすぐ電車が来ると思う。お別れの準備しよう」
「…………いっしょに行けないの? 嫌だよお別れなんて」
「……僕はもう死人だからね。彼者誰時の電車には乗れないよ。ここでお別れなんだ」
たぶん、そうなんだろうなと思っていたけど……怖くて私が触れられなかったことを阿部くんは言った。
「……無理やり乗ったりしてどうにかならない?」
「すり抜けちゃうから無理やり乗ろうとしても駄目なんだ」
「そうなんだ……ケチだね」
「まぁ、しょうがないよ。ここで時間を過ごしすぎた人はどうあっても乗れないのがここのルールなんだ。ヨモツヘグイほど理不尽でもないし納得できるよ」
ヨモツヘグイか……まぁ確かに同じ釜の飯を食ったら仲間理論でちょっと食っただけで戻れなくなるよりは納得できるけど……ん?
「……それ使えるかもしれないわ」
「えっ?」
「ヨモツヘグイよ。ちょっと阿部くん、ベンチに寝そべってもらえる?」
「? まぁいいよ」
「じゃあ次は口空けて」
「あーん……一体何するつもりだい?」
「じゃあちょっと嫌かもしれないけど、許してね」
そう言うと私はベンチに寝そべった阿部くんの口によだれをたらして流し込んだ。
「うわっ! いったいなにするんだ!?」
私の行動に驚いた阿部くんは慌てて飛び起きた。
「ヨモツヘグイの逆よ。死にかけだけど一応生者である私と同じものを食べれば、阿部くんも生者の仲間になるんじゃないかなって思ってね。食べ物ないからよだれで代用したんだけど」
「そんな無茶な理論あるかい!」
「でも死んだように眠り続けているお姫様が王子様のキスで目覚める展開とか童話でよく見るし、案外ありえなくもなくない? とりあえず切符確認してみてよ?」
「……まぁいいけどさ、寝ているお姫様の口に唾液を流し込む王子様は嫌だな…………あ、白くなっている。マジか……」
阿部くんは黒色から白色に変化した自分の切符を見つめて呆気に取られていた。
「やったー大成功!」
「信じがたいけど……まぁあんまりこういうところで常識に囚われない方がいいか。でもどうすんだい? これが使えるようになっても……僕か花梨のどっちかはその……死なないといけないよ?」
「うーんでもさ、ゲームのバグ的なあれでなんとかなったりするかもしれないじゃん。あんまり悲観的に考えるのやめようよ」
「……まぁそうか。電車が来たら車掌さんに聞いてみるかって…………あ、噂していたら……電車来ちゃったね」
阿部くんと私が話をしている最中に赤と青が混じった紫の霧の中から光がやってきてだんだん大きくなり、一両だけの電車が姿を現して駅に停車した。
「あれが現世に戻る電車?」
「うん」
プシューと音を立てて電車の扉が開き、中からてるてる坊主の頭にへのへのもへじの顔が書いてある車掌の格好をした人が出てきた。
「おいーす。よぉ坊主、黄昏時ぶりだな。そっちの嬢ちゃんが今日の乗客かい?」
「あ、はい。そうです車掌さん」
車掌さんはなれなれしい口調で阿部くんに話しかけてきた。
どうでもいいけど怪談の登場人物なのにこの口調じゃ全然怖くないな。
「見た感じ夢で迷い込んできたんじゃなくて、死にかけでここに来たって感じだな。それじゃあお嬢ちゃん切符見せてもらおうか」
「えっと……あの……その前に聞きたいことあるんですけど……阿部くんの切符も使えるようになったんですけど、乗せられますか? これなんですけど……」
私は車掌さんに切符を見せた。
「ん、坊主の切符が使えるようになった? そんなわけが…………あるな。うん。どうやったかは知らねえがこれなら乗せられるぞ」
「やったね。阿部くん」
「それで、ちょっと気になることがあるんですけど、僕たちの切符、二人ともお互いが死因なんですが……この場合、二人とも乗ったらどうなるんですか?」
「あぁー……」
阿部くんの質問に車掌さんが困ったように頭を書いた。へのへのもへじ顔だから表情は全然変化していないが。
「……この場合は……悪いが電車に乗ったら二人とも死ぬってことになるな。すまねえな坊主」
「やっぱりか……」
「そんな……何とかならないんですか車掌さん?」
「俺も坊主とはそれなりの付き合いだし何とかしてやりたいんだけどよ、こればっかりはそういうルールだからな……どうしたもんかねぇ……」
「……仕方ないね花梨。諦めて君だけ乗ろう?」
「…………」
諦める? せっかく仲直りできたのに? 阿部くんを生き返らせるチャンスができたのに? 私はそんなの嫌だ。
「……………………それなら阿部くんが乗った方がいいよ」
「花梨、なんでそんなこと言うんだい……僕はいいよ。花梨を死なせてまで生き返りたくない」
「……私もそうだよ。阿部くんを死なせてまで生き返りたくない」
「僕はもう死んでいるからいいんだよ」
「さっき生きかえったじゃない。最初に阿部くんが私が死んだのが原因なんだからどっちかしか生き返ったないなら阿部くんが生き返った方がいいよ」
「いや、君の方が……」
「揉めてんなぁ……お二人さん。ちょっといいか」
私たちがお互いに譲り合っていると車掌さんが口を挟んできた。
「なんですか?」
「あんまりあてになる話じゃねえんだが……電車に二人とも乗せる事は無理でも二人とも生き返るのはもしかしたらだが……できるかもしれねえ」
「ど、どうやってですか?」
「いやまぁ、思い付きレベルの話だからあんま期待すんじゃねえぞ」
「は、はぁ……」
「そもそもな、なんで、死因になった奴が死なねえと生き返れないかって言うとだな、死にかけは重てぇからだ」
「重たい?」
「そうだ、夢で迷い込んできた奴とかは軽いから別に大丈夫なんだけどよ、死にかけは重てぇからそのまま乗せると重さで電車が動かなくなるんだな。そこでだ、死にかけの乗客の死因になった奴の魂を燃料にして電車を無理やり走らせてうつしよに送り届けるって訳だ」
車掌さんはさらっと言ったけど、怖いシステムだと私は思った。
「で、まぁこっからが本題なんだが。生き返るのには切符を切る必要があるんだが、実は燃料になる魂が送り込まれるのは乗客が乗った瞬間なんだよな。だからまぁ……切符を切った後、電車に乗らずに線路を歩いて行けば……もしかしたら二人とも生き返れる可能性があるかもしれねえ」
「本当ですか?」
「それはどうかわかんねえな。あくまで思いつきだし、試した奴はいねえからな……」
「……なんで僕の時にそれ言ってくれなかったんです?」
「いやーすまねえな坊主。この方法思いついたのつい最近のことでよ。そもそも滅多に死にかけなんて来ない上に電車に乗るの拒否する奴なんて珍しいから電車に乗らずなんて生き返る方法なんて発想自体が浮かばなかったんだよ。許してくれよ」
「阿部くん思いつかなかったものはしょうがないじゃない」
「まぁそうだね」
「すまねえな。で、どうするよお二人さん。さっきも言ったが単なる思い付きだから成功する保証なんて全くねえし、二人とも死んで終わりかもしれねえ。だから電車に乗るかどうかは話し合って決めてくれねえか? まだ発車するまでは余裕があるし、ゆっくり考える時間はあると思うからよ」
「わかりました、そうします。車掌さん、教えてくれてありがとうございます」
「なーにいいってことよ坊主。おじさんは坊主には散々話し相手になってもらったからよ、恩返しみてえなもんだ。そんじゃあ俺はしばらく電車の中で待っているから結論が出たら呼んでくれや」
そういうと車掌さんは電車の中に戻っていった。
「……最初はやたらフランクだからびっくりしたけどいい人だったね」
「うん……僕も最初にあったときはびっくりしたけどいい人だよ。人かどうかは怪しいけどね……それよりどうする花梨? さっき車掌さんが言った方法やってみる?」
「……いいの阿部くん? 危ないよ? さっき車掌さんも言っていたようにどうなるかわからないんだよ?」
「どうなるかわからないのが怖いのかい? それなら花梨、君が電車に乗ればいい。僕は別にそれでもかまわないよ」
「嫌……それは絶対に嫌」
「じゃあ車掌さんの方法しかないね」
「……阿部くんはいいの? 私、いいんだよ別に。阿部くんが確実に生き返りたいって言うなら死んでも。それにさっき車掌さんが死因に書かれている人は燃料になって使われるって言っていたから、もしかしたら頑張って使い切られなければ私も生き残るかもしれないじゃない……私、精神力は強い自信あるし」
「それこそ、そんな不確実な方法は駄目だよ。というか花梨、言っちゃあ悪いけど僕が死んだ瞬間に精神のバランス崩していたっぽい君が精神力強いとか言っても説得力ないよ」
阿部くんがごもっともな発言をした。
「阿部くん、私のメンがヘラってたって言うの? うん、はっきり言ってその通りだね。ごめん。でもさ、私のメンのヘラは精神の方向性がぐちゃぐちゃになったりするタイプのヘラで、精神力自体が衰えるタイプのヘラじゃないからさ。方向性が定まった今なら大丈夫だと思うんだ」
……自分で言っていてなんだが最悪なタイプのメンのヘラり方な気がする。
阿部くんもなんというか微妙に反応に困っている感じの顔しているし。
「……とりあえず君のメンがヘラっていたかどうかはともかくとして、僕は電車に乗るつもりはないよ。大体なんで僕のためにそこまでしようとするんだい? もう僕が死んだ原因についてはお互い気にしないって言っただろ?」
「違うよ……それもあるけど……昔から阿部くんは私に色々良くしてくれたのに、私は阿部くんにそういうことやってこなかったからこういうことしか思いつかなくて……」
そう私はいままで阿部くんに与えられるばかりで、阿部くんには何一つ与えてこずに生きてきて、そればかりか逆恨みして死なせてしまったのだ。これぐらいやろうとしないとつり合いが取れない。
「そんなことないよ花梨。覚えていないのかい? 昔、僕がいじめられたとき助けてくれただろ?」
「えっ? そんなことしたっけ?」
「ほら昔の僕ってちょっと調子に乗り過ぎていただろ? それで反感持たれてさ君以外友達がいなくなった時あったじゃん」
そういえばだいぶ昔、そんな時期があったような気がする。
「あの時結構落ち込んでいたんだけどさ、『僕にかまっていたら花梨も友達無くならないかい? 大丈夫なの?』って僕が言った時の君の返事で大分元気づけられたんだよね」
「なんて言ったっけ……?」
「『いいよ私、阿部くん以外の友達なんていらないから』って、君はそう言って僕と友達でい続けてくれたんだ。あれは本当に嬉しかったなぁ」
ああ、あれか。
「あははっ」
私は思わず苦笑してしまった。
「なんで笑うんだい?」
「いや、あれはね。ただ単にかっこつけただけなのよ。あの時期は阿部くんに関係無く私友達いなかったし」
「うん、あとで気付いたよ」
「……あ、あはは」
「でもね、それでもやっぱり嬉しかったよ。僕を元気づけようとしてくれたのは本当だったからね。君があの時友達でい続けてくれただけで僕はすごく救われたんだ。ありがとう花梨」
そう言った阿部くんの顔は私がかっこつけたことを言った時と同じ笑みを浮かべていた。
そうだった。阿部くんを励ませてよかったなぁってあの時の私はそう思ったんだ。
「だからね花梨。僕はもう君に十分すぎるくらい恩をもらっているから、恩返しとかそういうこと考えずに自分に正直に言ってみな」
阿部くんに促された私は本当の気持ちを言うことにした。
「阿部くん、私……本当のことを言うとね阿部くんと一緒にいたいんだ、あの世でもこの世でもどっちでもいいから」
「嬉しいことを言ってくれるね。僕もできればそうしたいよ」
「……いいの? また私めちゃくちゃな逆恨みするかもしれないよ? 男の子がいけるか不安だから阿部くんの想いに答えられるかもわからないし……」
「いいよ僕は別に。花梨に恨まれたって振られたって気にしないよ。花梨の好きにすればいいさ」
阿部くんはにっこりと微笑んでそう言った。どうやら本気でそう言っているみたいだ。
「花梨こそいいのかい?」
「なにが?」
「僕が死んだあと、精神が荒廃していたにも関わらずやることなすこと全部うまくいったそうじゃないか。僕がいない方が花梨の人生上手くいくんじゃないのかい?」
確かに阿部くんが死んだあと私の人生は客観的に見れば上手くいっていたと言えるだろう。阿部くんと仲直りした今、たとえもし阿部くんとお別れしても、阿部くんの事をいい思い出にして主観的にも幸せな人生を送れるかもしれない。
でも……
「例えそうだとしてもいいよ……私ね、阿部くんがいないおかげで幸せになるより、阿部くんがいるせいで不幸になる方がいいって、あの一年でわかっちゃったの。私はまた阿部くんの事を恨んで憎むようになるかもしれないけどそれでも阿部くんがいないよりはずっといいもん。阿部くんを過去の思い出にして勝ち続ける人生より、これからも阿部くんに負け続ける人生でいいから阿部くんと今を生きたいの」
「花梨……」
「だから……ごめんね阿部くん。私と一緒に生きるために危ない橋、渡ってくれる?」
私は、私の為に命を賭けてくれますか? という散々迷惑をかけてきた人間がやっていい事ではない罪深い提案を阿部くんにした。
「ありがとう花梨。君が望む限り一緒にいてあげるよ。絶対に生き返ろうね」
私の予想通り阿部くんは私の提案を受けてくれた。
いい人だなぁ阿部くん。本当に……いい人だな。
「ありがとう。阿部くん、本当にありがとう……」
「それじゃあ車掌さんを呼ぼうか」
私たちは車掌さんを呼びに電車に向かった。