01
「瑛真、早く帰りましょうよ」
帰ろうと言っているくせになぜか席に座る女子。
「今日は早く帰ってこいって言われていたじゃない」
こちらの内部事情まで知っている女子。
ほいほいと気を許していたらあっという間に色々な物を奪われそうだと内で呟く。
「瑛真」
「……そんな何度も呼ばれなくたって聞いてるよ」
いくら幼馴染とは言っても毎回付き合わなくていいと思う。
彼女には彼女のやりたいことがあるだろう、全然そちらを優先してもらって構わない。
なのに幼稚園の頃からずっと彼女といるのがデフォルトだった。
もちろん、最初は気にならなかった、それどころかそれが自然だと思っていた。
しかし育っていくにつれ心も成長していくと考え方が変わってくる、無理をしているのではないかと。
俺らは高校二年生だが、好きな男のひとりぐらいできる年頃だろう。
それなのにこちらに付き合って時間を無駄にしてしまうのはもったいないと思うのだ。
「夕陽、わざわざ俺に付き合わなくていいんだぞ」
「はい?」
「お前も他に優先したいことがあるだろ? そっちを優先してくれればいい」
いつも席に座って放課後までぼけっと過ごしている俺と彼女は違う。
明るく真面目で人望もある、勉強も運動も人並み以上にできるハイスペック女子。
「なに言ってるの? これは自分の意思でしているんだから気にしなくていいわよ」
「幼馴染だからか?」
「そうよ、私はあなたが思っている以上にこの肩書きを大切にしているの」
まあいいか、そういうことなら拒む必要もない。
残ったってしょうがないから教室を出て帰ることにする。
「歩くスピードくらい合わせなさいよ」
「悪い」
他はあれだが身長だけは大きく育ったこともあり、一緒に行動するとこうなることが多かった。
それは正直に言って面倒くさいと感じるときもあるしひとりでいる方が楽だとも思う。
ただ、合わせてやると夕陽のやつは嬉しそうにするからそう嫌でもなかった。
「あ……」
「どうした?」
「お買い物に行かなければならなかったことを思い出したのよ」
「手伝う、荷物持ちぐらいなら任せろ」
俺だって大切にしている。
だからこそ他を優先してほしいと考えているわけだが。
断るような人間でもないため「それなら頼むわ」と夕陽は笑った。
学校からも家からもあまり近くないところに行きつけのスーパーがある。
別に俺も彼女もひとり暮らしというわけではないものの、付き添いとしてよく行く場所だ。
「今日はなににするんだ?」
「うーん……シチューかしら」
特に決まっているわけでもないようだな。
市販のルーを見ては戻して、見ては戻してを繰り返している。
「俺だったらまず間違いなくカレーだけどな」
「ハヤシライスも美味しいわよ? あ、ハヤシライスもいいわね……」
「自分で作るのは大変か?」
「ずっと昔からしてきたからそうでもないわよ」
彼女の両親は忙しいようで家にほどんどいない。
もちろん、週末とかには帰ってくるからやはりひとり暮らし状態と言うわけではないが。
そういうこともあって俺の家で食べることもよくあった。
つか、俺が無理やり誘っているというか……基本的に「申し訳ないわよ」というのが彼女である。
「瑛真、今日はお米も買うからよろしくね」
「任せろ」
こういうことを頼まれなくなる時がいつかはくるんだろう。
そのため、できることはいまのうちにしてやっておきたい。
これを口にすると「なに言ってるの? 風邪でも引いた?」とか言われてお終いだから黙ったままやらせてもらうけども。
「ごめんなさい……つい買いすぎてしまったわ」
「気にすんな。一応俺も男だからな、これぐらいならなんてことはない」
って、重いけどな……米に調味料に明日や明後日分の食材、全部持っているから結構たいへんだ。
でも、弱音を吐いたりはできない、弱い人間だと判断されたくないから。
「ふふ、格好つける癖は変わらないわね」
「全然平気だぞ?」
「腕がプルプルしているわよ、やっぱり少し持つわ」
「気にすんなってっ」
「そう? それじゃあ行きましょうか」
行くって言うか、帰るだけどな。そしていま現在進行系で家に向かって歩いている。
夕方だからかいい匂いがそこら中からしてきて腹が鳴った。
それに夕陽が反応してくすくすと笑い、「食べていく?」なんて言ってくれたが断る。
家に帰れば母さんがごはんを作ってくれてる、さすがにそれも食べてそちらもなんて余裕はない。
絶対にそうするというわけではなかったのか、彼女は「残念」と言ってまた笑うだけだった。
普段は真面目で落ち着いている感じなのに、どうしてこうも楽しそうにするのか。
俺は夕陽が笑っているところを見るのが好きだが、彼女はどういう意味でそれをしているのかがわかっていなかった。
「ありがと、いつも助かるわ」
「どういたしまして」
もちろん、中に入らせてもらって指示された場所まで運ばせてもらう。
「じゃ、いつでも頼ってくれ」
「ええ。おやすみなさい」
「おう、おやすみ」
実は家が隣同士ではないことが面白いところである。
とはいえ、たった二十メートルぐらいなので大したことはない。
「ただいま」
こちらも似たようなもので、この時間にはもう母はいないのが常。
台所に行って確認してみると、今日はどうやらカレーのようだった。
『ルーいっぱいかけてね』とホワイトボードにすごい丸文字で書かれている。
もう逆に夕陽と一緒に食べた方が母も楽をできるんじゃないかと感じるくらいだ。
「いただきます」
うん、やっぱりシチューやハヤシライスよりもカレーだなと改めて思った。
「い、いい、稲葉くん!」
「落ち着け、どうした?」
青島みさ。
俺の友達と言うよりは夕陽の友達と言う方が正しい。
それでも長期間関わっているため友達と言えるかもしれないが……本人がいつまで経ってもこんな調子で少しだけ困ってしまう。
「すぅ、はぁ……きょ、今日、あがっ――」
どうやら舌を噛んだみたいで、冗談ではなく><とこんな目になっている。
「落ち着けって。夕陽絡みのことか?」
こくこくと頷いた、くわっと開いた目は涙目だった。
「それで?」
「……あの、夕陽さんのお家に行きたいんですけど!」
「行けばいいんじゃないのか?」
「あぅ……だ、だって……稲葉くんに許可を取ってからじゃないと殺されるって」
はぁ……誰だそんな変な噂広めた奴は。
いくら幼馴染とはいってもそんなことしたりはしない。
というか、夕陽のやつがそんなことに縛られるような人間ではないからだ。
「そんな噂はないわよ、だから安心して来なさい」
「夕陽さん! そうなんですね、それでは行かせていただきます!」
問題なのは俺にだけどもるということ。
そんなに怖いか? と真剣に悩むことになるからやめてほしい。
「瑛真、今日はあなたの家でごはんを食べるわ」
「いいぞ」
そうだ、そうした方がもう効率的な気がする。
母はどうせ余るぐらい大量に作るわけだから夕陽にも食べてもらった方がいい。
しかしまあ……何度も大量に作って余らせては朝とか昼に食べてるものの、もう少し少なく作ろうとはならないのだろうか。
「わ、私も行っていいですか!」
「いいぞ」
「ありがとうございます!」
夕陽が側にいれば普通に喋れるのも複雑なところ。
「はぁ……もう常に夕陽には側にいてほしいくらいだ」
「え」
「いや、本当に思っていることだからな。お前は嫌だろうけども」
ただ、いいことばかりでもないんだ。
夕陽といると夕陽を狙っている人間から絡まれる。
実は女子の中にもそういう意味で狙っている人間がいるらしく、男子からだけということもない。
女子から言われるとなおさら困るわけだが、そういう時も全て夕陽が対応してくれるからいい。
だがまあ、当然使えるからというだけではないことはわかってほしかった。
「でも、離れたかったら遠慮せず言えよ? したいことがあったら他を優先してくれ」
「ひとりになったらあなたは寂しがるでしょう? だから一緒にいてあげるわ」
「なあ聞いたか? 夕陽ってめちゃくちゃいいやつだよな」
「そ、そうですね! こんな私にも優しくしてくれる方ですから」
なんでいちいちそんなこと言うんだか。
夕陽と友達でいられているということだけで誇っておけばいいんだ。
実際、そういうのがステータスになっているところもある。
ただ、私(僕や俺)は芹沢夕陽さんの友達だと言っておけば認められるくらいだが、本人にはプレッシャーが凄いだろうから見ておいてやらなければならない。
「自信を持ちなさい、昔からの仲じゃないの」
「だって続けられているのは単純に夕陽さんが優しいからですよね? 私なんて面白みもない人間ですし……優しくなかったら――」
「そんなこと言っては駄目よ。あなたは私の大切な友達、分かった?」
「は、はい……ありがとうございます」
そう、こうやってどんどん周りのやつを落としていくんだ。
本人はそういうつもりはないと口にするが、周りからすればそれはもう良く見えるわけで。
放課後までの間、夕陽を見る青島の瞳はやばかった。
大袈裟でもなんでもなくハート模様が浮かび上がっていたからな。
「瑛真、昨日買った食材を持っていくわ」
学校から出て歩いていたら夕陽が急にそんなことを言ってきた。
昨日も言ったがそんなにたくさんは食べられない、青島も大食いというわけでもないから余ると困るのだ。
「え、別にいいぞ、どうせ母さんが作っているだろうからな」
「そういうわけには……それに今日はみさも食べるんだし」
「あ、じゃあ一応食材だけ持っていくか、家に着いてから判断すればいいよな」
「ええ」
いかんいかん、当たり前のように作ってあることが前提になってしまっている。
これはもう「俺が作るからいいぞ」と言うべきところだろう、聞かないだろうが言わないでそのままよりはマシだと思う。
で、外で夕陽が来るのを待っていた時のこと。
「い、稲葉さんと夕陽さんは幼馴染なんですよね?」
前にも同じような質問をされたが、そうだと答えておいた。
全然違うもんだから幼馴染として相応しく見えないというところだろうか。
「すてきですね、ずっと一緒にいられる関係って」
珍しく相手が俺だけでも慌てず微笑を浮かべていた。
なかなか見られないものだからついじっと見てしまったが、すぐに視線を逸らして先程青島が言ったようなことを口にしておく。
幼馴染だからってずっと仲良くいられるわけではない。
夕陽が色々なことを我慢し献身的に世話をしてくれているからこそいまがある。
つまり、そうしたくなくなった時が俺たちの終わりだ、例えこちらが求めたって残ってくれはしないことだろうから。
「私も夕陽さんとずっと仲良くしていきたいです――あっ、でも夕陽さんが優しいから継続できているだけなんですけどね!」
「いちいちそんなこと言うなって、本人にまた怒られるぞ」
それを言うのは俺だけでいいんだ。
幼馴染という言葉に甘えて夕陽に依存してしまっている俺と違い、青島は自分の力で夕陽に大切とまで言わせてしまうぐらいなんだからな。
俺よりよっぽど上手くやっていると言っても過言ではないぞ。
「そうよ、それを言い続けるなら一緒になんていてあげないわよ?」
「ふぇ!? ご、ごめんなさいぃ!」
慌てる彼女に夕陽が「ふふ、冗談よ」と笑う。
そう、本人が自覚しているのかしていないのかは分からないが、十分目標通りの場所に足を踏み入れているのだから自信を持ってほしい。
「貸せよ、持ってやる」
「ありがとう」
そうだ、話すのは後でいくらでもできる。
さっさと帰ってごはんを作るのを手伝うなり、食べるなりするのが優先。
「あ、おかえり」
「あれ、今日は休みだったか?」
「ううん、いまから出るところ。あ、夕陽ちゃん! それにみさちゃんも! いらっしゃい!」
「お邪魔します」
「お、お邪魔します……」
どうやらいままで寝てしまっていたらしく、ちょうど夜ごはんは作っていなかったみたいだ。
食材は買ってきてある云々、ちゃんと野菜は食べなくちゃ云々、たくさん食べなきゃ云々。
色々なことを早口でこちらにぶつけてから慌ただしく家から出ていった。
一旦夕陽の家に寄っておいて本当に良かった、いまから取りに行くとなると面倒くさいからな。
が、
「瑛真とみさはそっちで待っていてちょうだい」
どうやらこだわりが強いと言うよりも、ひとりでやる方が楽だからということで戦力外通告。
俺の家で疑似ふたりきりということで青島の慌てようは最高潮に達した。
それでもなんとか落ち着かせて待っていると、こちらにもいい匂いが漂ってくる。
そこからさらに待っているとできたということなので手伝いを開始。
「別にいいのに」
と言う彼女を無視して運んで、準備を整える。
「「いただきます」」
「いただきます!」
で、当然後は食べるだけなわけだが……。
「お、落ち着けよ」
「こ、こんな時に落ち着いてなんていられませんよ!」
彼女の皿へと箸を伸ばす頻度が高すぎて圧倒される羽目になった。
しかし、作った本人は微笑を浮かべてそれを見ているものだから強くは言えず。
おまけに食材は彼女のだから、見えなかったことにして静かにちびちびと食べ始めた。
「夕陽の作ったごはんを食べられるとか幸せ者だよな」
と、真剣にそう思う。
こういうところは隠さないで伝えておくべきだろう。
いつ終わりがきてもいいように、彼女に特別ができても後で悔しがらないように。
「もうなによ……今日はおかしいわよ?」
「いや、青島もそうだろ?」
「ふぁい!」
「いいから食べなさいよ、あんまり量は多くないけど」
でもよ、ほとんど青島に食べられて終わってしまった。
夕陽の作ったものを食べるのなんて初めてじゃないのに味わえるのはいいことだが、量が単純に足りなかった。
……もちろん、言ったりはしないけどな。
食器洗いとかは全部やることにしてふたりを送っていく。
暖かい時間もこれにて終わりということだ、なんか寂しい気持ちになった。
「あ、ありがとうございました!」
「気にすんな、それじゃあな」
「はい、おやすみなさい」
なぜか一緒に付いてきた夕陽と青島を送って、後は夕陽を送っていくだけに。
「今日ほどお前が家族だったら良かったのにと思った日はないぞ」
「嫌よ、幼馴染で家が近いぐらいが一番だから」
「分かってるよ。ただ、そう思うぐらいはさせてくれ」
俺は腹が減っているからどうせ父の分も作らなければならないし早く帰りたい。
そういえば歩く速さで文句を言われなくなったということは、自然に彼女に合わせるようになったのだろうか。
それとも、もう言っても聞かないからと諦められたのか。
「……瑛真には関係のない話だけど」
その関係のない話をどうしてするのかと指摘するべきだろうかって、真剣に悩んだ。
それと嫌な予感がした、俺の日常を壊してしまうんじゃないかって。
「ずっと前々から言い寄られているのよ、違うクラスの男の子から」
「それで夕陽はどう思っているんだ?」
「分からない……なんでこれを口にしたのかも」
いや、そうなると俺はますます分からなくなってしまうわけだが。
とにかく、ついにこういう時がきたんだなって内で馬鹿みたいに呟いた。
夕陽はその気がなければ即断るタイプ、それをしていないということは揺れているという証。
影響を与えるのではなく与えてくれる人間が現れたということ。いいことだ。
「良かったな」
「良かった……のかしら」
「いいことだろ、俺らはもう高校二年生なんだし恋ぐらいしておかないとな」
大学に行かなければ学生生活はもう短い。
社会人になってからはもっと忙しくなるだろうし遊びに行ける時間だってあまりないだろう。
その点いまならオールフリーというわけではないものの、ある程度は余裕がある。
両親が週末にならないと帰ってこないというのも大きいかもしれない。
真面目だから不真面目なことはもちろん嬉々としてしないだろうが。
「……あなたは大丈夫なの? 仮に私がその子を優先したら、頻度は確実に落ちるけれど」
「どうだろうな。夕陽が近くにいない生活なんて考えられないからな。ただ、だからっていてくれなんて言えないだろ。そうだったら俺なりに頑張るだけだ」
彼女の運命に相手になるかもしれない。
それを俺のワガママで邪魔するわけにはいかないだろ。
先程も言ったがもう高校二年生、いまさらひとりでいたって寂しがったりはしない。
「言えなくなる前に言っておく、いままでありがとな」
「お別れというわけじゃないわよ。それに例え回数が少なくなったとしても、あなたのところには行くつもりだから」
「そうか。それじゃあな、暖かくして寝ろよ?」
ならその時を待っているぞ、なんてことは言えなかった。
しっかりしたところを見せれば、「瑛真はひとりでも大丈夫」という判断になるはず。
「知らなかったな」
一緒にいて、見ることができているようで見ることができていなかった。
コソコソ盗み聞きをしたいというわけではないにしても、裏ではそういうもんだよなってなんか納得もできてしまった。
そりゃそうだ、あくまで最後の最後に来てくれていたというだけ。
他の優先したいことを優先していたからこそ、俺があんな発言をしてもおかしなものだとしか思わなかったんだろうといまさら気づく。
いやまあ、どう感じたのかは本人じゃないから知らないけども。
「さっさと作って食べるか」
いいことだ、応援しておけばいい。
わざわざ引っかかることではない、まだ来てくれると言ってくれているんだから。
俺は少し甘く見ていたかもしれない。
教室にいることも少なくなってガタッと本当に頻度が下がった。
また、教室に例えいたとしても友達がたくさんいる夕陽とは全く喋れず。
こうなるとある意味、幼馴染じゃなかった方がいいように思えてくる。
「い、稲葉さん……」
「どうした?」
「うぅ……夕陽さんと全然ゆっくり話せませんぅ」
悪いがそれはいま俺も同じなんだわ。
切り替えが早いって言うのかね、こうと決めたらしっかり向き合うところが彼女らしい。
「ちょっと待ってろ」
俺が寂しいから相手をしろ、こうは言えない。
でも、誰かのためになら動ける、恥ずかしくもなんともない。
「夕陽」
「あ、珍しいわね、稲葉くんから話しかけてくるなんて」
向こうに夕陽のことを気にしている人間がいるからってわざわざ名字呼びとか必要なのか?
もうなんでもかんでもいまは引っかかってしまうのだからやめてほしいが、いま大事なのは俺のことではなく青島のことだ、ぐっと我慢して本題を話すことにする。
「ああ。それでな、青島が寂しがっているようなんだ、相手してやってくれないか?」
「ふふ、分かったわ、教えてくれてありがとう」
礼を言って席に戻って即突っ伏した。
まじかよ……これもうそういう口実を作って離れたかっただけでは?
そして、せっかく呼んだのにすぐに授業時間となってしまった。
先程までよりもっと惨めな思いで過ごす羽目になったのは言うまでもなく。
いつもだったらほとんどこの椅子から離れないというのに昼休みは屋上へ出ることに。
そこでまたぼけっと過ごして、とにかく考えるということをやめる。
こちらが依存しすぎてしまっていただけだ、我慢を強いさせてしまっていただけ。
これは俺にとっても彼女にとっても必要なことだから悪いことじゃない。
「見つけた」
おおぃ……来たら駄目だろ、つか青島の相手をしてやってくれよ、俺に泣きつかれるんだから。
「珍しいこともあるのね、あなたがお昼休みにどこかへ移動するなんて」
「ああ、たまにはここで食べようと思ってな」
「お弁当袋は?」
「あ……」
忘れた……青島じゃないんだからこんなつまらないミスをするなよ。
あ……青島すまん。
「昨日考えてみたんだけど、向き合ってみることにしたわ」
「だから教室にあんまりいなかったんだろ?」
「そうね。みさに寂しい思いをさせてしまったのはちょっとあれだったけれど」
ここにもいるんだがなあ……。
ただ、こちらがなにも言わずに黙っていても、今回はそのことについて触れてくることはなかった。
「……いい子なのよ、態度も柔らかいし」
「へえ」
「今度一緒に出かける約束もしたわ。いつもはみさみたいにちょっとおどおどしたりしているのに、ここぞというところでは男の子らしくなるところがいいかな……と」
なんでいちいち俺に言うんだよ……俺の方はなんにもよくねえぞ……。
そいつの方が魅力的だったってことなのは分かっている。
当然だ、幼馴染ということで甘えて、甘え続けてしまった俺とは違うのだから。
「……もちろん、まだ好きというわけではないけれどね。あなた以外の男の子とふたりきりで過ごすということがあまりないから、どうしたらいいのかってよく悩んでいるわ」
そのことも話せないくらい信用度がなかったのか。
それともいいやつだから言っても困らせるだけと判断した可能性もある。
そう、夕陽は結構抱え込んでひとりでなんとかしてしまうタイプだった。
だから今回のこともいままでのことを考えればなんら違和感のあることではない。
ないのだが……大事なことなんだからそれぐらい言ってくれてもいいと思う。
「友達はいいのか?」
「ええ、それぞれに友達がいるもの。みさにだってそうだわ、だからここに来たの」
「よく分かったな、俺が屋上にいるって」
「友達から聞いたの」
友達様様だな!
「ま、大事にしろよな、いい出会いってのはなかなかないからよ」
「……本当にいいのかしら」
「は?」
「だって……中途半端な気持ちで接していたら期待させてしまうかもしれないでしょう?」
「最初はそんなものだろ? どうなるかなんて神様ぐらいしか分からねえよ。不安になるのはしょうがないが、そうやって考える方が失礼だろ。向き合うって決めたならいつもの自信満々なお前のままでいいんだよ」
こんなこと言い出したのは初めてだ。
つまりそれは後に大事になる可能性もあるということになる、はず。
悪い変化なんかじゃない、なにより不安そうなのは彼女に似合わないから。
「……さっきはごめんなさい、名字で呼んだりなんかして」
「気にすんなって、そんなの好きにしろよ。迷惑ってなんならお前のこと名字で呼ぶからさ」
「迷惑なんてことはないわ!」
「お、落ち着けよ」
俺が名字で呼ばれて悲しかったように、想像しただけで悲しくなるからだろうか。
そうしてくれと言われなくて良かった、言っておきながら寂しかったしな。
「あ……瑛真さえ良ければ名前で呼んでちょうだい」
「おう。あ、そいつを優先するのはいいが、ちゃんと青島の相手をしてやってくれよな」
「それは大丈夫よ、それと……嫌かもしれないけどあなたのところにも必ず行くから」
「嫌なんかじゃねえよ、どんどん来てくれ」
「ええ」
わざわざ別行動をする必要もないため、ふたりで教室に戻った。
もちろんそこからは別れて、俺は遅めの昼食タイムとなる。
「稲葉さんぅ……どこ行っていたんですかぁ」
「お、おう、屋上だよ」
こいつさては俺のこと好きなんじゃね?
普通に夕陽だって戻ってきたのに俺のところに直行とは。
「あ……そうでした、忘れていました」
「なんだ?」
「先程はありがとうございました。夕陽さんと一緒で稲葉さんは優しいですね、安心できます」
「たかだかあの程度で優しい扱いしていたらこの先大変だぞ。ま、俺も寂しかったからな、話しかけるきっかけができて助かったよ。ありがとな」
それにしても俺が作った弁当が美味い。
……青島があんなに食べていなければ少量確保して今日幸せに浸れたんだが……まあその日に食べてほしいだろうし責めることはできないだろう。
「あの、なんで稲葉さんがお礼を言うんですか?」
「え? だから青島のおかげで夕陽と話せたからだ」
「え、それはいつものことですよね?」
あいつ……みさにも言ってないのか。
どうしたものか、ここでほいほい言うわけにもいかないしな。
「あーあれだ、俺は夕陽と話すのが好きなんだよ」
「なるほど! お互いにお互いを大切にしていていいですね!」
片方はそうじゃなくなりつつあるんだけどな。
そもそもこちらのことを大切だと思ってくれていたかどうかも分からない。
「俺はあいつといたいんだ。でも、不自然に常に側にいたら気持ちが悪いだろ? その点、青島のためということなら気持ち悪がられることもないからな」
「お、おぉ……もうそれは恋ですね!」
「そうかもな」
それこそ俺にとっての運命の相手って夕陽なんじゃないか。
ま、向こうにとっては違うということだから意味がないけどな、あっはっは! はぁ……。
「好きだからな、夕陽のこと」
「私も好きです! お互い、夕陽さんのファンですね!」
「おう!」
ファンって言うか幼馴染だが。
それでも嘘は言っていないし否定する意味もない。
ただまあ、教室で大胆な発言をしていると目をつけられる。
特に夕陽大好き症候群の方々にボコボコにされるのは必至。
だから口にすると家とかSNSとかに限定しようと決めた。
SNSやっていないけども。
「あ、最近新しい本屋さんができたんですけど、一緒に行ってくれませんか?」
「俺でいいのか?」
「はい、稲葉さんといるのは安心できますから」
「分かった、それじゃあ放課後になったら行こう」
こうして初めてふたりきりでの出かけが決まったのだった。