参 (1)
実際に会って話す彼女と、噂で聞く彼女の間で悩むなか、彼はずっと逃げていた親友の死とも向き合おうとします。そんななか、ある人物と出会います。よろしくお願いします。
1
自分ならどうしていただろうか。
彼は彼女から問われたとき、答えられなかった。
なぜ、自分から身を引いたのか訊こうとしたのに、彼女の唐突な問いに掻き消されてしまった。
だからこそ、彼は黙ってしまった。
中途半端な返事しかできないと。
もしかすれば、感情が表情に現れていたのかもしれない。だから、彼女はどこか怒っていたのかもしれない。
ーー でも、ホント、すごいよね。マネキンも。
ーー でもさ、あの二人って、友達だったんでしょ。なんで今は仲が悪いの?
ーー えっ? 悪いの?
ーー 確かにそうだよね。普通に喋ってるじゃん。
ーー でも、中学のときはもっと喋ってた気がするもん。
ーー そうなんだ。
ーー じゃぁ、なんで、あぁなったの?
ーー 今と同じことがあったんだよね。
ーー それって、友達の彼氏を奪われたの?
それはちょっと違うかもしれないけど、まぁ、そういうこと。
ーー それって、すごくない? 二回も同じことがあるなんて。
ーー 噂なんだけどね。
ーー でも、本当なんじゃないの。実際、仲が悪くなってるんだし。
ーー まぁ、ねぇ。
ーー やっぱり、あの事故が大きかったんじゃないかな。
ーー 事故って?
ーー ほら、二年前だっけ。バスの衝突。
ーー えっ、あ、うん。私の中学でも乗ってた子がいた。
ーー ってか、えっ、何かあるの、あの事故。
ーー うん。あれに乗っていたんだって。
ーー 嘘ぉ。
本当はもう、事故現場に訪れるつもりはなかった。それなのに意識をしてしまいと、罪悪感が彼につきまとう。
もう一度、手を合わせに行かなければいけないと。
ずっと逃げ続けるつもりでいたが、家で母親から執拗に急かされたこともあり、彼は現場に訪れていた。
昨日、彼はニュースを避けていた。
おそらく、二年が経っても特集していただろうと容易に予想できた。そのため、ある種の覚悟をせずに現場に向かっていた。
だからこそ、現場に訪れたとき、彼の立ち尽くしてしまう。
数日前、彼が訪れた際は、ここが事故現場であることすら忘れ去られたように、何もない日常の時間が流れ、一昨日は誰かが一輪の花を添えていた。
今日は……。
数日前が嘘みたいに、いくつもの花が交差点のそばの電柱に添えられていた。
今朝、母親が昨日のニュースで特集をしていたと言っていたのを、色とりどりに咲いた花を眺めて思い出した。
彼はギュッと拳を握る。
微かな苛立ちが襲う。
自分のことを棚に上げている。
内心で罵りながらも、それまで見向きもせず、通りすぎていた一角に、一つのきっかけによって、足を止め、目を向ける軽率さに。
それでも逃げるわけにはいかなかった。
何よりも、手ぶらで訪れてしまった彼は、何も偉そうなことを言える立場ではなく、惨めさを悔やみながら、唇を噛む。
静かにここへ来た目的を遂行する。
通りすぎる人々を気にしつつ、その場にしゃがみ込んだ。
今日は何を報告するべきか。
彼は逡巡しながら手を合わせ、目を閉じた。
今日だけは以前よりも長く手を合わせた。
何も伝えなかったが、暗闇のなかで聴覚が鋭くなる。
車のエンジン音。クラクション。
通行人の話し声。
どこでどんな声がしているのか、感覚で把握していたとき、一人の足音が自分に近づいていることに気づいた。
また通行人だろうと、手を合わせたままでいると、足音は彼の隣で止まった。自分以外にここに訪れた人がいるとなると、驚きと同時に、嬉しくなった。
邪魔になってはいけない。
自分はもういいと、顔を上げて目を開いた。
一筋の眩い光と、車道の光景が飛び込んでくる。
親友のいた過去から現実に戻ると、隣に来た人に場所を譲るべく、立ち上がった。
そのまま立ち去るつもりでいたが、ふと、どんな人物が手を合わせに来たのかが気になり、横を見た。
彼は驚きで目を見開く。
その人物は、彼をじっと見詰め返していた。
好意や好奇と違い、どこか責め立てるような冷たい眼差しで。
訪れた人物の姿を彼は見慣れていた。
いつも見ている学校の制服。彼と同じ学校に通っている生徒が隣に立っていた。それも、彼が最近、少なからず意識をしていた生徒が現れた。
彼は声を詰まらせる。
「……自分なら、どうするか分からない」
「……そう。でも、それが一番、いいのかもしれないわね」
「なぁ、なんどそんなことを?」
「…………」
「ねぇ、もし、あなたが親友と同じ子を好きになったら、どうする?」
「……それって、まさか、お前」
彼女の問いへの返事が不意に脳裏を巡っていた。今でもそれが正しかったのか、自信は微塵もない。
「……お前」
「……驚いた。まさか、あんたが」
「なんで、火野が?」
「……それはこっちの台詞。なんであんたが」
「…………」
「ま、ここに来るってことは、そういうことか。さっき、手を合わせていたし」
「……僕の場合は、小学校のころからの親友だったんだ」
「……そっか」
「前にも一度見かけたから、ちょっと気になっていたんだけど」
「前にって?」
「あれ? 気づかなかった? 前に一度、あんたをここで見てるんだ。ってか、交差点ですれ違ったわよ」
「そうだっけ?」
「ま、遠くから見てても落ち込んでいるみたいだったから、声はかけなかったんだけど」
「じゃぁ、お前は何度かここに?」
「まぁね。そう頻繁には来てないけど。ここ何日かは来られる日には来て花を」
「その花、お前だったのか」
「花があったのは気づいていたんだ」
「……じゃぁ、お前も」
「まぁね。ここで大切な人を」
「……大切な人って……」
「何、驚いてるのよ」
「いや、そんな」
「じゃぁ、何?」
「いや、その、いいのかなって思って。だって、お前」
「それって、昼間のこと?」
「……うん」
「最悪。あんたもあいつらと一緒なの?」
「別にそんなことないよ。ただ、気になっているだけ。その、恋人に見られてもいいのかなって。怒られるんじゃないの?」
「なんで、怒られるのよ」
「いや、まぁ……」
「そんなことで怒られるような関係じゃないわよ」
ーー ねぇ、それじゃ、あの二人って、あの事故からずっと仲が悪いの?
ーー さぁ、どうだろう。
ーー けど、最悪だよね。好きな人を取られて事故に遭うなんて。
ーー 取られたかどうかはーー。
ーー 何が言いたいのっ。
ーー はぁ? 何、突然?
ーー あんたらさ、いい加減にしてくんない?
ーー だから、何よ。
ーー さっきから、ワザと聞こえるように言ってるでしょ。あたしらのこと。
ーー はぁ? 何それ、キモっ。
ーー 別に私ら、火野さんのことだって一言も言ってないじゃん。
ーー そうだよ。ただ、好きな人を友達に奪われたら、どんな気持ちだろうって、話してるだけじゃん。
ーー そうそう。
ーー よく言うわよ。ちらちら、こっち向いてワザと言ってるくせに。
ーー はぁ? それこそ、ただの被害妄想じゃん。
ーー どっちがよ。それとも何? あたしらを別れさせたいの? それこそ、みっともないでしょ。
ーー 何よ、それ。自惚れないでよね。
ーー どうだか。言いたいことを正面から言えないから、そんなことしてんでしょ。違う?
ーー …………
ーー どっちが最悪よ。
「そんなに気にしてるけど、あんたはどう思ってるの?」
「僕は別に…… ただ」
「ただ?」
「あいつが言ったことが気になってるんだ」
「あの子と喋ってたんだ」
「うん。最近はちょっと」
「へぇ~。そう。じゃぁ、あの子、何か言っていたの。この変な話」
「いや、詳しくは。けど」
「…………」
「もし、友達が自分と同じ人を好きになったらどうするって、訊かれた」
「ーー友達」
「それでそうなったとき、僕なら身を引くかどうかって」
「そっか、そんなこと」
「なぁ、それって、その、お前たちのことなんだろ?」
「ねぇ、それであんたはどんな返事をしたの?」
「…………」
「まだ答えてない」
「ふ~ん。そう」
「なぁ、何があったんだ?」
「あの子は言っていないんでしょ。だったら、言えない」
「そう……」
「ふ~ん、そんなに簡単に引くんだ」
「別に簡単にじゃないさ。それに……」
「じゃぁ、一つだけ教えてあげる」
「ーーえっ?」
「あんたは何も分かっていない」
「僕がーー」
「あんたは、何も知らないのよ、何も」
「それはーー」
「それなのに、知ったような口を利かないで。あんたに何が分かるの。あの子の気持ちも知らないくせに、勝手なことを言わないでっ」
彼女の怒った顔が頭から離れなかった。
なぜ、そこまで怒ったのか。
まるで、マネキンと呼ばれる彼女を擁護するみたいに。
二人は仲が悪いんじゃないのか。
前日、事故現場で彼女と会ったのには、驚きを隠せなかった。辛うじて彼女が手にしていた花が目に留まりはしていたが。
以前に訪れたときに見つけた、ラッピングされた一輪の花を胸に抱いていたために。
それは彼女が何度も現場に足を運んでいた証拠。
事故で大切な人を喪ったのは事実であり、逃げていた自分を責められているな、と痛感してしまう。
また、彼女が現場にいることは、別の噂を疑わなければいけない。
その日の昼間。
彼女は口論していた。彼女らの関係を嘲笑い、噂話で盛り上がる集団に、啖呵を切った姿をよぎらせた。
彼氏との仲を壊されるのを激怒したようだが、反面、彼女が噂の真相に強く反論しているようにも見えた。
真実であるからこそ、無視できなかった、と。
彼と彼女に、見えないところで何かによって繋がっていれば、と思い、親友の事故によって微かな繋がりにしました。二人にとって、事故の捉え方は違うかもしれませんが、ここがある意味、原点になるのかな、と思っています。今後もよろしくお願いします。