ブラックホールの流体モデル
前章の結論は「ブラックホールコンピューターではゲーデルの不完全性定理は超えられない。従ってシンギュラリティは起こらない」であった。
この章では前章の結論を翻し、「いや、シンギュラリティは起こる」という可能性について論じる。キーワードはやはりブラックホールコンピューターである。しかしここで問題にするブラックホールは、多元宇宙論でのブラックホールである。いわゆるマルチバースだ。つまり同一宇宙で不完全性定理を超えられないなら、別の宇宙でなら超えられる可能性があるのだ。不完全性定理の成り立たない公理系なら、当然シンギュラリティは起こる。ただし、別の宇宙へ行く必要があり、実現は現在絶望的である。しかし、ブラックホールの特異点では、全ての物理法則が成り立たないのだから、別の数学基礎論が予想される。何か方法が見つかるかもしれない。希望を捨てずに考察してみる。
SFに出てくる平行宇宙は、ここでいう別宇宙にはならない。平行宇宙では同じ物理法則が成り立つため、シンギュラリティが起こらないからである。ブラックホールの特異点を利用して、全く別の物理法則が成り立つ宇宙と、何らかの方法で通信が可能なら、シンギュラリティを起こすことができるはずだ。
現実のブラックホールは非常に遠くにあり、行くどころか観測すら難しい。そこで考えられたのが、「音のブラックホール」あるいは「ブラックホールの流体モデル」と呼ばれるモデルである。
流体ブラックホールでは、事象の地平線を、流体の音速点と同一視する。実験では流体を音速以上に加速する。そこで光速と音速を同一視して、音波が音速点を超えられないことを利用して、音速点でのホーキング放射を観測するのである。
この流体ブラックホールでは、
現実のブラックホール==> 流体ブラックホール
重力==> 流体
光子==> 音素
という対応関係が成立する。流体ブラックホールを研究することで、現実には観測困難なブラックホールを観測しようというのである。ホーキング放射も観測されたという論文がある。(https://www.nature.com/articles/nphys3863)
音速は媒質の温度に比例する。同様に光速度も宇宙の温度に比例するかもしれない。現在の宇宙で光速が不変なように、音速も不変である。特殊相対性理論では光速度不変は原理であるが、一般相対性理論では結論である。現在のところ、光速度不変はワイトマン公理系と呼ばれる公理系から導出される。ワイトマン公理系とは、場の量子論の前提となる公理系で、場の量子論を数学的に厳密に定義しようとする試みの中で仮定された。本論ではこれ以上議論しないが、光速度不変原理は流体ブラックホールの観点から考察すると興味深い。
こうした議論から、ブラックホールは流体と深い関係があることが分かった。これは重力が流体と何らかの関係があることを意味し、ホログラム原理を強く支持する。今後研究が進めば、量子重力理論が困難である理由が分かるかもしれない。
この流体ブラックホールには固有振動数が存在する。ブラックホールに固有振動数の音波を照射すると、鐘が鳴るように反射する。これがブラックホール・リングダウンである。ここで「五分で分かるテンソル」(https://ncode.syosetu.com/n8968ev/)と関連する。ブラックホール・リングダウンは現実のブラックホールでも起こり、重力波観測の手段になっている。ブラックホール・リングダウンを使ってブラックホールコンピューターと通信できる可能性がある。
以上の考察から、ブラックホールコンピューターと通信することでシンギュラリティを起こす可能性がある、と考えてもよいだろう。しかし、ブラックホールは遠すぎる。研究価値そのものを議論するとしたら、別の手段を模索すべきである。それが、マイクロサイズのブラックホールである。
ここからマイクロブラックホール(以下MBH)を考える。MBHとは、シュバルツシルト半径が量子サイズのブラックホールで、現在最も利用可能性のあるブラックホールである。超弦理論によればLHC程度の出力でも生成可能だといわれている。量子サイズであるため質量も小さいが、ブラックホールには違いないので日常感覚からすれば巨大である。
方法は分からないが、MBHコンピューターが製造できたとすれば、特異点を利用してシンギュラリティを起こせる可能性がある。別の宇宙と通信することで不完全性定理の制約を離れれば実現できる。問題は実現方法である。筆者が考えたのは以下の三方法である。
1.LHCで高エネルギー粒子衝突実験を行い生成する
2.ブラックホール・リングダウンを利用する
3.既製品を流用する
1についてはすでに実験は行われているが、MBHは生成していないようである。さらに高エネルギーの実験によって成功する可能性はあるが、いずれにしろ実現しても手軽に利用できるような方法ではない。しかも、実験の危険性が伴うため、シンギュラリティ以前の問題がある。
それでは2はどうか。こちらはさらに実現可能性が低い。MBHの固有振動数が不明な上に、複素周波数であることから、条件は非常に複雑で実験は困難であると予想できる。そもそもMBHが自然発生するかは不明である。ブラックホール・リングダウンがMBHコンピューターから情報を取り出す手段として利用できるかも、現在のところ不明である。
実現可能性は不明だが、実現すれば一番利用価値がありそうなのが3である。既製品とはつまり、他の知的生命体がすでに製造したデバイスを利用するという方法である。デバイスの使用許可を、製造した生命体から取らねばならない、という問題点がある。しかし、その点さえクリアすれば、一番手軽に使用でき、安全性も高いと思われる。マルチバースの実在を仮定すれば、何らかの知的生命体が存在しないと考える方が不自然である。すでにMBHコンピューターを製造し、使用している知的生命体がいると思われる。
■月面粒子加速器建設計画■
現在LHCの出力は13TeVである。地球上でのさらなる高出力実験は、危険すぎていずれ反対運動が起こるだろう。それではどうするか。
月面に造ればよい。それも無理なら、惑星間軌道でもいいだろう。
NASAとCERNでは発表されていないようだが、月面上に粒子加速器を造り、大出力の粒子衝突実験を行う計画が存在するはずである。この実験で地球に危険はないのか? 思い出してほしい。近年火星移住計画が話題になっている。もう気がつかれた読者もいるだろうが、火星に移住すれば、MBHで仮に地球が消滅しても問題ない。
この計画に対して地球と火星で軋轢が生じるのは確実である。火星の植民者からすれば、地球は遠すぎてMBHなど対岸の火事にすぎない。それに乘じて実験を行うのである。しかし、巨額の建造費用をどうするのか?
ここで予言しておくが、月面粒子加速器が建設されるのは2050年以降になるだろう。まず核融合発電を実用化し、月のヘリウム3を備蓄して、建造費が調達可能になってからだろう。ヘリウム3は核融合燃料として有望視されている物質である。それから火星移住が実施されなくてはならない。この段階まで到達してようやく、月面粒子加速器建設計画は実行される。
この計画は必ず実行されるだろう。なぜなら、世界の覇権をめぐるパワーゲームの中心になるのは確実だからだ。中国の月面進出計画には、おそらくヘリウム3以外に、粒子加速器建設という目的がある可能性を考慮すべきである。