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日が昇り始め、目に痛いほど青々とした草原と不自然なコンクリートの建物。高い壁に囲まれているにも関わらず横からは生暖かい風が感じられた。
草を踏み潰しながらとりあえず一番近くに見える建物を目指す。
歩き始めて早30分。自分の部屋と庭を行き来するだけの生活をしていた僕にしてはそれなりに長い有酸素運動である。リュックが軽くてよかった。
豆粒程度の大きさだったコンクリートの箱はすでに見上げるほどの大きさになるまで近くに来ていた。
コンクリートの箱と雑草以外は今の所何も見ていない。同じ風景を眺めながら歩いてきた。これならやはりもう少し大学に入る前に街並みというものを見ておけばよかったと後悔。
なかなかに土地を使い余している。世の中には八畳間の部屋とそれより一回りだけ大きな庭という限られた空間で生活する僕のような人間がいるのになんて差だろう。変に広いより狭い方が性に合っているので住居に文句はないが、改めて自分の世界の狭さを思い知る。
そんなことを考えていると足元からカサッと音がした。風ではない。僕の足元に何かいる。
しゃがんで確かめてみると、ウサギだった。自身より何倍も大きいはずの僕と目があってもびくりともしない。むしろくるぶしにすり寄ってきた。可愛らしいがこのウサギ、毛が生えていない。いや生えないのだろう。なんせこのウサギは…
「メカ?」
抱き上げてウサギの腹部に耳を当てると心臓の音の代わりにかすかに秒針の音がする。まさに体内時計。加えてウサギが足をばたつかせるたびに歯車の音も聞こえた。
メカであることを確認してウサギを下ろすと頭から声がした。
「退け青年!」
「は?」
僕のできた動きは二つだけ。声の方を見るため顔を上げることと、せめて顔面は避けようとどうにか体を仰け反らせること。
上から降ってきた少女は立膝をついていた僕の脚に踵落としをかます。
かと思いきや衝撃がない。少女が直前で脚を止めたらしい。膝で衝撃波を感じた。周囲の草も靡く。どれだけ大きな力があの踵落としに込められていたのだろう。
自らの力を地面に逃がすためか、少女はしばらくしゃがみこんでいた。
彼女はなんだかヘンテコな格好だ。ノースリーブとブルマが繋がったようなタイトな服に色とりどりの生花をくっつけている。いくつか今の衝撃で落ちたのか後からひらひらと花びらが降ってきた。状況が違えば彼女は天使のようだった。
「退けと言っただろうが青年」
「え、あの…ごめん?」
あの一瞬で少しでも体を仰け反らせることができたのだからむしろ褒めてもらいたいくらいではあるのだが相手が怒っているようなのでとりあえず謝罪しておく。しかし少女の顔は晴れない。妙に威圧を出す少女。誠意が足りなかったのだろうか。困ったな。
もう一度きちんと謝ろうかと考えてると少女が首を傾げる。傾げたいのはこっちだ。なぜ僕は謝ろうとしるのか。
「サクラのこと知らないんだ」
桜を育てる機会はなかったがいくら引きこもりの身であれ、知らないわけはない。丁度目の前の彼女のように薄いピンクの色をした花を咲かせる木だ。散る様子も美しく、まさに目の前の彼女はそれを体現しているようだった。
「馬鹿にしないでくれ、僕は君の身につけている花の名前だって全部わかるはずだ」
少女はにっこり笑って言った。
「おっけー。分かった、君には気を使わなくていいわけだ」
どうしてそうなるのか分からないがもう謝る必要はないようだ。急に少女の雰囲気が変わる。先ほどまで出ていた威圧は消えて今は少年のような好奇心が見え隠れしている。服から落ちた花びらがまだ降ってきていて、少女はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
桜から向日葵に急変。
「やあやあ青年、では君は今後私のお友達としてよろしくしてね」
出会い頭に踵落としをかます子と今後良好な関係を築いていけるだろうか。とてもよろしくはできなさそうである。
視線を足元に落とすとさっきまでいたはずのウサギもどきがいない。
「あれ?」
「どうしたの?」
「ウサギが…」
逃げてしまった、という言葉がに彼女の甲高い声にかき消される。
「そうだウサギ!!!君のせいで逃しちゃったじゃない!!」
あきらかに彼女のせいな気がするのだが言っても認めそうにない。あんな勢いで来られたらウサギじゃなくたって逃げるだろう。あのサイズだし、周りを見渡しても簡単には見つかりそうにない。
「ウサギは諦めなよ。あ、もしかしてペット?」
今の時代のロボットの立ち位置はよく分からないがあのぐらいのクオリティならばペット代わりにだってなっていておかしくはない。僕は真剣に聞いたのだが彼女は笑い出した。
「ペットぉ?あっはっは、君面白いこと言うんだねえ!田舎から来たの?それとも君の街ではペットとして飼われてた?まあいいや、私はウサギ狩りしてたの!」
そうか、今のロボットは獲物にもなるのか。僕の読んだ現代史の教科書は最新でも50年前までのことしか書かれていない。だから49年前から急速な発展を遂げたに違いない。少女は一方的に喋ってウサギを追うためか周囲を見回す。僕もつられて見回すと右には森、左は地平線。僕がウサギだったら右へ行くだろう。
僕が右を見つめていたせいか、彼女もどうやら森が気になってきたらしい。森の方へ二、三歩足を進めてから少女は振り返る。また花びらが舞う。
「じゃ、私はウサギを追うかな。それじゃあね。あ、名前聞いてなかった。君の名前は?」
「会田友紀」
「ふむ、ユーキね!覚えた!」
自分は名乗らないまま彼女は森へ走り出した。サワっと花が揺れて動きに合わせてまた花が散る。僕の育てた花はないんだな、と彼女の後ろ姿を見守った。