佳人薄命とは言いますが、私はそれに当たらないと思うのです*シリーズ
佳人薄命とは言いますが、私はそれに当たらないと思うのです
巷を席巻している○○令嬢と掛けまして、書いてみたものの……
*
舞い戻った、という表現が適切かどうかできれば確認したい位なのですけれど。
こうなった後では、誰にそれを聞くことが出来るというのでしょう?
私、もう生きてはいないのですもの。
**
生前の私の名は、メリア・オーディス。
辺境伯エルダー・オーディスの二番目の娘としてこの世に生を受けたのが十六年前の事でした。
母も父も、夫婦仲は貴族社会の中では珍しい位に良好でしたから兄弟姉妹はそれなりにいます。
長兄のディル兄さま、長女のエレナ姉さま、次男のミスティ。三男と四男は双子でそれぞれロイズとクリス。末娘のカタリナ。
今年は予定ではもう一人生まれる筈でしたね、確か。
エレナ姉様と二男のミスティの間に生まれたのが私でした。
今も私が生きていたのなら、つまり四男三女プラス一の兄弟姉妹になっていた筈でしたが。
ここで大変残念なお知らせです。
何度も繰り返すことになって大変申し訳ないとは思うのですが、私は三日前に死んでいます。
うん、正確には死んだというよりも殺されたといった方が正確ですけれど。
昔から、家族の中でも不安視されるほどに運の悪かった私。
割合にして大体不運不運微運?不運不運位だったとは思います。
それでも漠然と四十あたりまでは何とか生き長らえる気がすると思って頑張ってまいりました。
その結果がこれです。
己の不運を甘く見すぎた、私。
薄幸の美少女という言葉は知っております。
けれども私、どう贔屓目に見ても美少女と言えるレベルまでは達しておりませんでした。
十六歳でしたからまだ少しくらいは成長する部分もあったのかも知れません。
希望的観測の元、その辺りを上乗せしてみましたの。
今や時間だけは有り余るほどにありますから。
自分でもこれは無い、という位まで盛って盛ってあり得ない位まで足してみました。
けれども残念なことに美少女の自分という存在の痛さにあえなく挫折。
やはりあれは生来の部分が大きいと思います。
人は身の丈に合った部分で生きていくのが適切だと思い知りました。
平凡で薄幸。
私自身を表すのに、これ以上簡潔な表現は無いでしょう。
死んだ今になって、つくづくその星回りを認識する結果にしかなりませんでした。
さておき、話を戻します。
まさか、十六の身空で殺されて人生を終えることになるとは流石に思っておりません。
後宮の私の部屋には、時折感傷に任せてつらつらと書き殴った手記が残されているのですけれど、あれは一体どなたが処分して下さるのでしょう。
あの鉄壁の能面と称されている女官長様でしょうか。
それとも私の侍女として生前は日々苦労を掛けてしまったクリスタでしょうか……。
……色々考えてみると、残したくないものばかりが脳裏を過るのは人の哀しい性。
さて、それにしても本当にこれから先私はどうすればいいのでしょう?
今更ながらに現状をお伝えします。
初めからお話しするとなれば、三日前に遡るのが分かりやすく伝えられると思います。
私の死んだ日。
その日は丁度後宮にて、生前私が最も苦手としていた合同のお茶会が開かれておりました。
あのお茶会の空気は、正直に言わせてもらえれば健康を害するレベル。
和気藹々なんてとんでもない話です。
時折、この後宮の主たる陛下も顔を出しておられましたが、どうしてあの空気の中あんな呑気な様子でいられるのかしらと常々不思議には思っていました。
肝が据わっているのか、それ以前なのか。
そこを見極められるほど、直視できる立場に私自身ありませんからその真意は分かりません。
ともあれ、私がお茶会を苦手にしていたということは伝えられたと思います。
それが起因になった以上、もはや自業自得としか言いようがありません。
その日は殊更、お茶会の空気が酷いものでした。
張り付けただけの笑顔で、少量の毒が混じるお茶菓子が行き交う名ばかりの親睦の場。
そもそも、前夜の陛下の浅慮によって寵姫と目されていた侯爵令嬢二人がその対面を傷つけられ、その原因となった伯爵令嬢を吊るし上げる為に一時的に手を組んだという経緯で開かれた臨時のお茶会でした。
なぜそこまで詳しく把握していたかですね?
私の侍女は、情報収集に掛けて右に出るものはいないと称される敏腕でしたの。
彼女が私に事前にその情報を仕入れてくれたのが、幸か不幸か。
私は意図せず、その場の状況を誰よりも冷静に把握してその場に臨んでいたのです。
一言で言えば、あれほど醜悪なやり取りは今までの人生の中で数えるほどしか思い出せません。正確にはやり取りという表現自体が誤りかもしれませんね。
後宮で最も力のある二人が、周囲の取り巻きを利用して嬲るその様子を例えるなら―――――――
猫が瀕死のネズミを生かさず殺さず、その手と鋭い爪で転がす様に趣味の悪いものでした。
私たちは人間です。
理性を以て、言葉で責めるのはまだ道理の範疇と言えるでしょう。
彼女たちはそれを逸脱し、抵抗を封じた上で口にするのも躊躇われるような行為を強いようとしました。
賢いものは、見ないふりをするのでしょう。
たとえ一人を犠牲にする事になっても、己が身を守ることを優先する心。
それは、きっと間違いではない。
けれども、私はその間違いを犯したのです。
後宮における私の立場など、風が吹けば塵芥のように飛ばされてしまうほどのもの。
それを頭で分かっていながら、握り締めていた扇を振り被っていたのは私が未熟だったからです。
ただ、それだけのことでした。
権力者に逆らえば、その末路などたかが知れています。
痛いほどに静まり返った中、私は後宮をこの場を以て辞す事を告げてその場を去りました。
思えば、本当に甘く見ていました。
その時になっても、彼女たちに人並みの良識を望める筈も無いことに考え至らなかった。
そんな私の浅はかさに眩暈を覚えます。
死んでしまった今となっては、どうしようもないことでした。
死神の鎌は、既に私を捉えていたのですから。
あの後、部屋へ戻って荷物を纏めようと足早に歩いていた私。
せめても一人、誰かを連れていれば避けられたのかもしれません。
背後に気配を感じた時には、全てが遅かった。
香る薬品臭に、身を捩ったのが丸腰の自分に出来た精々の足掻きと呼べるものでした。
首筋に打たれた一瞬の痛みと、薄れた意識。
次に目を開けた時には、私は私を見下ろしていました。
見た限り、半透明と言っていい今の自分と。
既に魂を失って、恐らく衛兵によって発見後に安置所に運ばれた自分と。
二つを見比べて、私は自分の身に起こった事を思い出しました。
おそらく、あの首筋の痛みは殺傷用の毒物だったのでしょう。
不慮の死として、偽装された私の死が誰の手によって齎されたものなのか。
それはきっと事情を知る者なら、さして考える必要も無く浮かぶ答えなのでしょう。
私は自分が死んだ事を知りました。
そして二日前。
つまり私が死んだ翌日に、両親と家族が私の元へやって来ました。
変わり果てた姿で、というほど酷くはない事だけが救いと言えば救いだと。
そんな風に彼らの背後でひっそりと立っていた私は思ったのですが。
そんな私は、どうしようもなく愚かでした。
白い布をはぎ取り、青ざめた父が次の瞬間に控えていた衛兵に殴りかかった姿に。
そんな父の隣で、身を切る様な悲痛な声を出したきり崩れ落ちた母に寄り添って泣く姉の姿に。
茫然と立ちすくんだ弟と幼い妹を両側から抱きしめ、声を押し殺して泣く双子の弟たちの姿に。
安置された私の傍に寄り添って、兄が声も出さずに泣きながら髪を梳いてくれるその姿に。
まるでその温もりを、感じ取る術を失ってしまった私へ。
家族のだれもが、私の突然の死に怒りと悲しみを感じて寄り添ってくれたその姿に。
死んでようやく、私は心の底から涙を流したのでした。
そして昨日。
私は殺されて二日後の朝を迎えていました。
家族は誰も、私の死の理由を納得していませんでした。
検死とは名ばかりの、おざなりの触診の後。
呼び出されたのは父と兄の二人です。
後宮持医は、言うまでも無くかの侯爵令嬢たちによって買収済みです。
そんな彼の説明に、当初から事情を察していたであろう父は勿論、医術も含めてあらゆる知識を持つ兄が丸めこまれる筈も無かった。
正式な事実調査を、王宮監査に依頼すると宣言した父と兄。
それを聞いて顔色を変えた後宮持医が口を開くよりも早く。
「お待ちなさい」
どの顔して、この場に登場できるのかその神経をまともに疑った私。
数人の令嬢を引き連れて、現れたのは件の二人でした。
彼女たちは睨み据える父と、表面上は穏やかに双眸だけに殺気を灯す兄と対峙して寄りにも依ってこう言い放ったのでした。
「ここは後宮。如何にあなた方が血縁とはいっても、この中にいる限りはここの法に従って頂きますわ。彼女は病死。それはそこに控えている持医が診断した通りです。これ以上、彼女の名誉を汚さない為にも、事を荒立てる事は許しません」
「速やかに彼女の遺体を領地へ運び、せめて静かに弔ってあげることが彼女にとっても一番に望む事ではありませんの? お分かりになったら、先程の宣言を撤回して頂きたく思いますわ」
……彼女の名誉、ですか。
……まさか殺した当人に、私が望む事を代弁して頂くとは流石に思いませんでしたわ。
私の低くはない沸点が、振り切れるのも時間の問題でした。
けれども、それよりも先に。
聡い父と兄が極刑を覚悟で二人を殺す方が先だと感じた私は、理性を保つ方を優先しました。
自然と籠った、指先の感覚。
確信を得るよりも先に、伸ばした手は傍らの燭台に伸びていた。
空を裂き、二人のすぐ横を突っ切った燭台。
そのまま後方のガラス窓を破り、周囲へ見事に破片を散らします。
あらら、力を込め過ぎました?
周囲は唖然とする。
理解の及ばない事に、思考が追い付かなかったのでしょう。
あまりの出来事に、固まったまま動けないでいた二人の頬に赤いものが筋を引いて滴り。
次の瞬間に叫び声を上げて腰を抜かした二人を尻目に、父と兄の視線は燭台が置かれていた台の周囲に向けられていました。
突然の事に驚きながらも、そこにあった筈の燭台を投げた誰かがいると思ったのでしょう。
そんな彼らの手は、既に懐に隠しこまれた刃から離れております。
取り敢えず、最悪は避けられたと思います。
肩で息をしながら、立つ私。
その姿も見えていないでしょう。
きっとこの声も届かない。
それが、死んだ人間と生きている人間の間にある絶対的な境界。
その境界の向こう側に片足を踏み入れた私に、もはや彼らと意思を通わせる手段は限られる。
一か八か、試してみたい。
一度安置所を出て、生前使っていた部屋へ戻った私。
先程覚えたばかりの、指先の感覚を頼りにしてペンを持つ。
綴る文字は、生前のそれよりも震えてとても見られたものではないけれど。
きっと、家族には分かる。
これが私の、手記であることも。
だから一心に願いを込めて書く。
「親愛なる父さま、兄さま。その手を汚さないで下さい。彼女たちの事は、私が自分で報復してみせる。だからお願い、どうかその怒りを納めて」
たったそれだけを綴るのに、酷く消耗を覚える。
先程の馬鹿力はやはり、そう何度も使えるものではないのだと実感しています。
そして私室を出た私。
紙片を手に、安置所へ戻ると先程飛び散ったガラスの破片を片付ける衛兵以外は変わらずに私の傍に立ったままの兄が一人。
兄が呟く言葉の中には、滲みだす様な決意が感じられて思わず入り口で足を止めていた。
「メリア? ……君は昔から、とても不幸な星回りをもった子だった。それでも、君はいつでもしなやかな心根で受け止めて、弱音を吐く事も無かったね。ただ穏やかに笑うばかりで。そんな君を、僕はとても愛していた。いずれはそんな君に、今までの不幸が馬鹿馬鹿しく思えるほどに幸福な未来が訪れる事を少しも疑っていなかった。……愚かだね、まさかこんな……君が僕より先に逝ってしまう未来など……メリア、どんな事をしても君を死に追いやった者に生きてきた事を後悔するほどの報復を。君の兄の名に誓って、果たしてみせるよ」
その双眸の暗さに、思わず駆け寄った自分。その指先が微かに触れる。
それに、弾かれた様に振り返った兄。
戸惑いに揺れる双眸に、宙に浮かぶ紙片が映る。
「………こ、れは………」
兄が食い入るようにして綴った文字を呼んでくれていることに、僅かばかり苦笑を浮かべて。
それは兄は根っからの現実主義者で、超常現象の類を一切信用しない性の持ち主であったのを思い出したからでした。
「……そこに、いるのかい……メリア?」
頷いた所で見えないでしょうね、私。
それでも思わず頷いてしまう。
取り敢えず見える形を、と部屋を見渡した私は丁度いいものを目にとめた。
安置された私の横に、形ばかり生けられた生花の束。
そのうちの一本を何とか指先で持って、兄に向けて揺らした。
「………ああ。メリア信じられない。君なんだね? 待ってて、父さんたちを呼んでくる」
傍目から見れば、狂乱している様な兄の行動。
現に部屋に残って掃除していた衛兵の一人は、訝しげに兄の去った後を見送っていた。
ちなみにもう一人の衛兵は、宙に浮かんだまま地面に落ちない生花に先程からあんぐりと口を開けたまま作業していた手を止めている。
その後駆けつけた家族たちに、兄はあらかじめ話をしていたのだろう。
それでも半信半疑、とうとう兄が狂ってしまったと嘆きながら入って来た母と父の目に飛び込んできたのは宙に浮かんだまま、揺れる花。
父よりも、母の方が早かった。
駆け寄って来た母の指が、花と私の指先に触れる。
「………ああ、メリア? メリアなのね。信じられないわ。とうとうディルが発狂したのかと思ったのよ。まさかまだ、貴方がここにいてくれたなんて」
指先を包まれて、微かに伝わる温もりに思わず涙腺が緩む。
そうして母が指先を包んでくれている所に、ふらふらと近づいて来た父の信じられない様な目が落とされる。
「あなた、メリアですよ。母親の私が言うのだから間違いありません、たとえ肉体を離れたといってもこの子は今もここに……」
「信じられない………こんなことが起こるなど。だが、…メリア、お前なんだな?」
父の目の前に、花を近づけて揺らす。
その花をゆっくり包み込むように、のばされた父の手は記憶にあるよりも遥かに大きくて温かかった。
その後、片付けを終えた衛兵たちが退出した安置所。
宙に浮かぶ花を囲んで、家族が集う。
「メリアの気持ちは分かった。けれど、僕らもだからといって彼女たちを見て見ぬふりで領地へ戻るわけにはいかないよ」
兄の声に、賛同した父が言葉を重ねる。
「お前をこんな目にあわせた二人も、それを見て見ぬふりをしているこの後宮自体にも破滅以外の道筋を辿らせる気はない。私から愛する娘を奪った。それ相応の報いを受けさせるのは、父親として当然の話だ。だから、お前だけに抱え込ませはしない」
気持ちは嬉しい。
でも、どんな理由があっても二人に手を出しては駄目。
私は家族の誰も人殺しにはしたくない。
もし、先走ることがあったらその都度私が邪魔をしてでも止めるわ。
みんなが大切だから。
消え入りそうな筆圧で綴られる言葉に、普段から涙もろい姉が大粒の涙を零している。
気持ちは嬉しいよ、でもね姉さま。紙の上で泣かないで。文字が掠れてしまうの。
「メリアねえさま、ここにいる?」
「うん、たぶんその辺りだろうね」
「大体身長から言うとこの辺が頭頂部かな」
末の妹と、双子の弟が検討を付けた辺りに確かに私はいる。
けれどね、クリス? 頭頂部と言って指をさしている所は私の遥か上なの。
何時の間にそんなに大きな姉として周知されていたんでしょう、私。
「メリア姉はそんなに大きくねえよ、精々この辺だろ」
そう言って指を差すのはミスティ。私のすぐ下の弟です。
でもね、そこだと丁度わたしのお臍の辺りなの。
微妙にずれている兄弟たちの認識に、複雑な姉心。
文面にして伝えるのも大変なので、修正できないまま話を進めます。
「……ふ、変わらずにこういう場面は頑固だからなぁ。誰に似たんだろうね、メリア。君がそこまでして止めるというのなら、僕らは他の手立てを考えないとならなそうだ。ねえ、父さん?」
ようやく折れてくれた様子の兄に内心でほっと一息。
家族で怒らせてはいけない人の第一位が折れてくれればここから先は何とかなる。
「ディル……お前という奴は。お前が先に折れたら父の立場が無いだろう……。だが、確かに本人の意思がこうして目の前にある以上これを無視して復讐に走れば間違いなくお前は止めに来るんだろう、メリア? ……まったく、お前は本当に優し過ぎる。あれらは、何の罪も無いお前を卑怯な手を使って殺したばかりか先程はその死を隠蔽する為に、殺した人間の血縁の前に自ら姿を見せるほどの畜生たちだ」
「そうだよ、令嬢の皮をかぶった悪魔だよね」
「ああいうのを魔女っていうんだよ」
「……魔女さん?」
こら、双子二人。変な知識を末の妹に植え付けないでほしいの。
「ねえ、父さま? 先程の発言は撤回する前にあの畜生女どもは去っていったのですから、そのまま正式に調査依頼を出せば宜しいのでは?」
……エレナ姉さま。そんな慈愛に満ちた表情で、さらりと言うのはやめてほしいの。
具体的に言えば、かなり怖いからです。
それに、このままだと定着しそうで怖いというのもあります。
「それが、実際の所は厳しいんだ。さっきは冷静でない所もあったから、尤もらしく口にはしたけれど……元々、後宮は隠蔽の檻と称されるように手を出しにくい要所の一つだ。僕らの様な辺境伯が一個人として訴え出たところで、真実の黒幕まで手が届く可能性は万一にも無い。精々が都合のいい囮を差し出されて、有耶無耶にされるだけだろうね……」
兄さまの返答に、悔しげに口の端を噛む姉さま。
ギリギリと音がしそうなほど、強く噛締められたそれに思わず胸が詰まる。
「つまり、どういうこと兄さま?」
「僕らに出来る事は、無いの?」
「……魔女、倒せない?」
何だか、ファンタジーに足を踏み入れつつあるような気がしてきます。
違うのよ、カタリナ? ここは現実で魔女はいません。
「そんなことはありませんよ、カタリナ? 魔女を倒す術は分からないけれど、あれらは人の子でただの畜生ですから。……要するに、王宮の実力者の協力を取り付ければ良い話です。そうでしょう、あなた?」
………母さま。人の子の畜生って………。
不安になって来た。死んだ後に残る不安を、未練と言い換えられるならまさにそうです。
この母と姉のもとで育つカタリナの将来が不安なの。
ああ、せめて私が生きていたら出来た事もあるかもしれないのに。
けれどもそれを考えてしまうと本末転倒なので、これ以上は考えません。
願わくは、末の妹にこれ以上毒されないでほしいと思います。
「そうでしょう、あなたって……簡単に言ってくれるねぇ、ミル? でも君の意見は尤もだ。ディルの言った通り、私たちだけの訴えで揺らぐような後宮ならば今まで存続できなかっただろう。ここはまさに魔窟だ。正当な手段だけで、あの畜生どもを引きずり出すことはまず叶わない。……正直一か八かになるが、奴に連絡を取ってみるかな……」
そうして父が伝手を頼って巻き込んだ存在というのが、想像より遥かに名のある人物で困惑している私。
そして現在に至ります。
後宮に足を踏み入れることを許されているのは、対外的には主である陛下のみとされていますが。
話の端々に上って来る衛兵の存在然り、完全なる男子禁制が敷かれているわけではないのが現実。
だからこそ、その人が後宮に姿を見せても当初は疑問にも思わなかったのです。
父が誰とは語らず、書簡を送ってから丸一日。
私が殺されてからは今日で四日が経ちました。
私の遺体は、未だに安置所にあります。
とはいえ、ずっと置いたままでは腐敗してしまう現実。
今は安置所の地下へ移されています。
この日は、朝から父さまは他にも協力を仰げる人物はいないかと模索中で、昼前には兄を連れて密かに王宮周辺へ出掛けて行きました。
母は生家であるリーベンブルグ家に、今回の件の説明に出ています。
祖父のリーベンブルグ侯が今回の事をどう判断するのかは正直自分には何とも言えません。
母は当初定められていた婚約を破棄し、父と結婚した経緯もあり。
母の生家嫌いは子供たち全員が知るところでしたから。
それでも、母はきっと私の事を思って助力を願い出るに違いありません。
これをきっかけに、すこしでも母と祖父の関係が和らぐことをどさくさに紛れて願っている私です。
姉は、弟たちと末の妹の世話の為に残っています。
今も安置所の傍らに併設されている控室で、やんちゃな双子たちを宥めつつ次男のミスティに協力を求めていますが、もともと自由気質のミスティ。
丸きり無視してタヌキ寝入りしかけているそれを見かねて、私が傍によって指先で頬を引っ張ってみせると不本意そうな顔をしながら起きてきました。
「おい、止めろよ。メリア姉………あぁ、もう分かったよ」
よしよし、素直で良いことだと見えないのを承知で頷いて立ちあがった丁度その時でした。
「……随分仲の良い姉弟だな 」
聞き慣れない声に、振り返った全員が首を傾げるのと同時に姉が声を上げます。
「まあ! 何処に行ったかと思えばカタリナ、もしかして迷っていたの?」
その人が手を引いていたのが、末の妹のカタリナだったことに私はかなり驚いていました。
加えて、その人を視界に入れたその時から妙な感覚を覚えていたこともあります。
そう、私はその人の素性を知っていました。
この人が、何故ここに。
それがぐるぐると脳裏を巡って繰り返されるという、混沌。
それにこの人が先ほど言った言葉に、違和感を覚えているのは私だけではないのです。
「あんた、何を指して仲のいい姉弟と称してる?」
不敬だと窘め掛けて、伝わらない声をこんなにも歯がゆく思ったのは死んでから始めてだったかもしれません。
けれども、ミスティが問い掛けた言葉はそのまま私が言いたかった事でもあるのです。
はっ、と口元を押さえた姉の様子を見る限り、恐らく姉もまた思い至ったのでしょう。
「……オーディス伯の次男か? その口ぶりは若い頃の長兄とよく似ている。だが、王都では語調に気を配った方が良い。今後の君の為にも、今の内に気に掛けておけ」
「……あんたなぁ、」
「駄目よ、ミスティ。失礼があっては。あなたは知らないでしょうけれど、この方は……」
姉のフォローが入って、取り敢えず安堵する私。
けれどもその間に、その当人が私の傍まで歩み寄ってきている事に直前まで気付かなかった。
間違えようがなく、その視線は正確に私を捉えていた。
「どうして君は、そんなに端の方にいる?」
問い掛けられました、私。
死後にして初めての事に丸きり動揺が隠せません。
「……君は、オーディス伯の次女だろう? 後宮に入って今年で二年目だったか?」
「……あの、宰相様?」
「どうした、そんな幽霊にあった様な顔をして。君は不思議な子だな……」
ごめんなさい、貴方にそれだけは言われたくない。
それに何気なく、言葉が交わせている不可思議。
「あの、私が見えるんですね?」
「………君は何を言ってる。ところで、今日は君の父上に呼び出されてここまで赴いた次第だが、肝心の当人の姿が見えない。どこに出かけているのか見当は付かないか?」
すごくナチュラルに、会話が続いている。
当の本人はきっと周囲が見えていないのだろう。
絶句する姉弟たちの表情に気付きながらも会話をつづけているのなら、それは相当鈍い。
「おにーちゃんは、メリアねえさまが見えるの?」
カタリナの率直な問い掛けに、ここに来てようやく彼は戸惑った様子を見せた。
「見えるの、と聞かれれば……あぁ、見える。……え、これはどういう状況だ?」
それを私に振るんですね、宰相様。
「宰相様、ここ数日で後宮から上げられた報告の方に何か気になる記載はありませんでしたか?」
「……たしか、不慮の事故ということで侍女が一名亡くなったとあったな……知り合いか?」
そこからですか……。
そもそも正確な報告さえも上げずに済ませようとしているのですね、彼女たちは。
もはや呆れて何も言えなくなりそうです。
「当人です」
「……すまない、意味がよく」
「なあ、さっきからメリア姉さんと話してるんだよな、あんた。つまり、見えてるんだな……?」
ミスティの声に、とうとう何かを悟ったらしい宰相様。
改めて視線を寄越したので、曖昧に苦笑して正式な礼をとる。
「お久しぶりです、宰相様。メリア・オーディスです。……四日前、後宮で殺された後もまだこうして後宮に残っている霊魂の姿で失礼します……今回は父が巻き込んでしまい、申し訳ありません」
かの宰相様のこんな表情を垣間見る日が来ようとは、人生分からないものです。
いずれにしても、こうして発覚した宰相様の霊感。
それに目を付けた兄と父の策により、動揺の最中にあった宰相様は見事に巻き込まれていくのです。
その詳細と、私自身の顛末についてはまた後日語ることと致しましょう。
本来は恋愛に持っていくつもりが、何やら書き終えて家族愛が前面に出てきていたことに不思議な思いを抱く作者です(--〆)
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
機会がありましたら、またお会いできれば嬉しく思います。