第二話 目指せ学園アイドル!②
明確な作戦は全く思いつかなかった。
周防吹雪という少女は、いつだって感情任せで猪突猛進だ。
寝不足と泣きすぎで、腫れぼったく重たい瞼をこすりつつ、一人星乃城学園の門を潜る。この世界に来てからの初めての夜で昂ぶっていたこともあり、結局一睡もできなかった。
吹雪は熱気の纏わり付く不快な空気を振り払うように、大股歩きで教室へと向かう。
転校二日目。吹雪は気持ちを極限まで張り詰め、眉を吊り上げ、教室の扉を開ける。異質なものが混ざったような眼差しをクラスメイトたちから向けられて、撥ね返すバリアを作るように硬い表情で、自分の席へと向かった。
人間と仲良くなりたいなんて、微塵も思っていない。人間なんて、大嫌い。
目的がなければこんな世界になど、来たくなかったのだ。
今日も吹雪の心は、どこまでもささくれた棘を放っていた。
新しく用意された吹雪の席に座ってから鞄をかけ、視線だけそっと教室の中心部へと移す。
相沢由貴は既に登校してきていた。友人のクラスメイトと何かを話しこんでいる様子である。
昨日の出来事など全く気にしていないような、由貴の明るい表情が目に映る。
吹雪は腹立ちを覚え、眉を顰める。腹の底からわきあがる感情で、頬が熱い。
相沢由貴に自分を惚れさせる方法はないものか。
……やっぱり、全くいい案は浮かばない。
ぐるぐると思考は巡って、昨日の相沢由貴の『周防吹雪、無理!』の言葉を思い出してしまった。もう何度も頭の中で再生された言葉で、気持ちが沈みこむ。
――わたしだって、あなたのことなんか絶対無理なんだから。
と、心の中で吐き捨てることぐらいしか出来ない。
「おはよう吹雪ちゃん」
突如声をかけられて、吹雪は現実に戻る。
声が聞こえた方向へ視線を向けると、見知らぬ女生徒が吹雪の机のすぐ前に立っていた。
吹雪は怪訝な表情を浮かべ、女生徒を見上げる。大体の生徒が吹雪の無言の眼差しに負けて退散していくのだが、その女生徒は吹雪の眼差しを真っ直ぐ受け止めた。
照れ臭そうにはにかんだ笑顔を浮かべている。
「えとね、泉田春香って言います。吹雪ちゃんとお友達になりたいなって思って声をかけてみたんだけど……迷惑だった?」
春香の言葉に、吹雪は息を呑んだ。
まさか自分と友達になろうなどと声をかけてくる人物が現れるとは。人間を撥ね付けることしか考えていなかった吹雪にとって、春香の率直な言葉にどう対処してよいのかわからない。
ただ、頬が紅潮していった。
「あ、ぅ」
気の利いた返事も追い返すことも出来ずに、変な声を出してしまう。
春香は嬉しそうに目を細め、吹雪へと顔を近づけてくる。
「ずっと外国暮らしって先生が言ってたけど、日本語大丈夫だよね? 昨日ゆきたんと普通に話してたし」
「……う、うん」
吹雪は時間をかけて、やっとのことで頷く。
「よかった。私英語全然話せないんだ。吹雪ちゃんはやっぱり英語得意なのかな。もうすぐ期末テストだし憂鬱ですなぁ」
テスト、の言葉に再び固まった。
目的以外のことなど頭になかった。吹雪にとって学園の生活など二の次であり。テストを受けるなんて、初めての経験だ。
心の中であわあわと焦っているのが、思い切り顔に出てしまったらしい。
「吹雪ちゃんもテストとか苦手?」
春香が軽い調子で聞いてくる。
「う、うん」
「一緒だぁ。なんか嬉しい」
春香は柔らかく微笑んだ。春香の心をほぐすような温かな笑い顔に、吹雪はドキドキと鼓動が高鳴り、思わず胸をおさえる。
同性なのに心ときめくほどの、魅力。
柔らかそうな茶色い髪の毛が長く波打ち、春香の雰囲気によく似合っている。ナチュラルなメイクは全く嫌味じゃない。グロスを塗っているらしい唇は柔らかそうに艶めいている。
ああそうか。こういう唇がキスしたくなるんだ。吹雪は春香の姿を凝視してしまっていた。
女の子らしい体つきに、制服の上からでも分かるくらい胸が。
気付いた途端、驚愕。自分のおさえている胸元のあまりの感触のなさに。
吹雪があまりに凝視し続けていたら、春香が驚いたように目を瞬かせた。
「私の顔になんか付いてる?」
「どうしたら……」
「ん?」
「どうしたら、魅力的になれるのかな」
思わず呟いていた。言ってしまった後に恥ずかしさが込み上げて、もともと紅潮していた顔が更に熱くなっていく。耳の先まで赤くなってしまっていた。色が白い吹雪は赤面するとわかりやすい。
「えええっ吹雪ちゃん全然今のままで可愛いよ?」
「……可愛くない」
つい、ちらりと、由貴の方向に視線を走らせてしまった。
その視線の先に気付いたらしい、春香が苦笑を浮かべた。
「昨日のこと、気にしてるんだ?」
春香も昨日の放課後教室にいたらしく、事情は知っているようだった。
吹雪は俯くことしかできない。
「そうだなー……てか私に指南してほしいって無理ある無理ある。全然フツーの女子高生ですよ? 魅力的になる方法なんて全然身につけてないし。私が教えてほしいくらいだよ」
春香は充分魅力的だし、クラスの男たちの視線を集めている。吹雪にもわかるくらいに熱い眼差しが一点集中。特に春香の胸元へと。
春香本人は鈍いのか、全くの無自覚のようだ。
姉と同じタイプか、と吹雪は落胆し肩を落とす。
「あ、そだ」
何か思いついたのか、春香が人差し指をぴん、と立てた。
「そういう話にうってつけの人、私知ってるよ」
「魅力的になる方法を教えてくれる人?」
「うんうん。学校終わったら吹雪ちゃんに紹介してあげるよ」
にこやかに提案した春香に、吹雪は断る理由などあるわけがない。素直にこくこくと頷く。
その仕草が春香のツボを刺激したのか、「吹雪ちゃん超かわいいよー」と頭を撫でられた。
姉や春香のツボを刺激している場合ではないのだが。
吹雪はもう一度由貴を見遣り、心の中で誓う。
見てなさい、相沢由貴。昨日言った言葉を後悔して土下座させるほど、魅力的になってやるんだから。
***
メラメラと燃えている間に、気付けば本日の全授業が終了していた。燃え上がりすぎて何もかも雑音は一切耳に入ってこなかった。
放課後のクラスメイトたちが解放感で浮き立っている空気の中、春香が再び吹雪の席へと近付いてくるのが見えた。
「じゃあ行きましょうか」
春香が柔らかい表情を浮かべ、吹雪へと告げた。
「うん!」
待ってましたとばかりに張り切って返事をし、席を立つ。
カバンを手に取り、手招きする春香の後に続いて教室を出た。下校を始める生徒や、部活に向かう生徒たちの群れに混じり、二人も廊下を歩いて行く。
「吹雪ちゃんって積極的だよね」
春香が吹雪の方へと軽く顔を向けて、言った。
「積極的?」
「うん。だって転校初日に告白なんて」
「あ、ああああれは告白なんかじゃ」
「羨ましい。私もそんな風に積極的になってみたいから」
笑顔の春香にそんな風に言われてしまうと、強く否定ができなくなってしまった。吹雪は赤面し、歩調を速める。
「積極的にならないと、ずっと友達のままなんだよね……」
先に歩いていた吹雪の背中に届いた、春香の呟き。
吹雪が「え?」と振り向くと、春香はにっこり微笑んでいた。
「なんでもないよ。いこ?」
春香は玄関まで行ってから靴に履き替え、本館を出ると真っ直ぐ別館の方へと歩きだした。吹雪はひたすら真剣な表情で、春香についていく。
別館の前まできて、一瞬戸惑った。
まさか別館二階の図書室にいる、自分の姉が女性の魅力を指南してくれる人として紹介されるのではなかろうか。
しかし吹雪の心配は杞憂に終わった。春香は二階へと続くらせん階段はのぼって行かずに、一階の廊下突き当たりに向かった。
たどりついた角部屋の一室の扉をノックしている。
「せんぱーい、いますかー」
春香が声をかけると、
「おー入ってこーい」
扉越しに声が返ってきた。
声に従い、春香はドアノブをまわし、がちゃりと扉を開く。
薄暗く、狭い室内。物置か何かなのか、色々な物が積まれて窓も遮られて日光が入ってこない。手作りらしい木材の台や、机、ハンガーにかけられた大量の衣類などが大部分を占めている。何に使うものなのか用途は不明だ。壁に作りつけられた棚には、作り物の食べ物や造花などが溢れている。
その窮屈な部屋の片隅で、熱心な様子でちくちくと縫い物をしている女生徒が顔を上げた。
「来たな幽霊部員。ちっとは部に奉仕する気になったか」
「てへ」
春香は軽く舌を出し、笑顔のまま部屋の中へと踏み込んでいく。吹雪も強張った表情のまま続いた。
「笑って誤魔化そうったってそうはいかないぞ! 来たからには今日はみっちり稽古してってもら……ん? そっちのちっこいのは?」
女生徒が春香の背後に隠れるように立つ吹雪の存在に気付き、顔を向けてくる。
ショートヘアで、涼しげな目の女子。顔立ちがすっきりと整っていて、ほっそりとしたモデル体型。可愛いというか、格好良い女の子だ。そのシャープな瞳に見つめれて、吹雪は緊張した。
「彼女は周防吹雪ちゃん。私のクラスに昨日転校してきた子です。で、こっちの先輩は二年生の稲葉時雨先輩。演劇部の部長なの」
春香が見つめあう二人の間に立って、お互いの自己紹介をしてくれた。
吹雪はガチガチになりながらも、時雨に向かって頭を深く下げた。
「ふむ。合格! わが演劇部は君を受け入れよう!」
「あ、違いますよ先輩。吹雪ちゃんは入部希望じゃなくって」
「君を学園のアイドルにしてみせる! アタシを信じてついてきたまえ!」
「……ごめんね、ちょっと変わった先輩なの。適当に受け流しておいていいから」
春香が耳打ちしてきたが、その時にはもう吹雪の耳には届いていなかった。
「学園のあいどる」
吹雪にとってその響きは、とてつもなく魅力的なものに思えた。
学園のアイドル吹雪☆
↓
由貴『俺はあんな可愛らしくて魅力に溢れた子にヒドイことを! ごめんなさいごめんなさい吹雪様ぁあああ!』
↓
土下座。
単純思考吹雪は頭の中で思い描いた図式に、瞳をこれ以上ないくらいに輝かせている。
「わたし、頑張る」
吹雪が言うと、時雨はがしっと吹雪の両手を握った。
「いい答えだ! アタシはこういう人材を待っていたのだよ!」
「はい!」
「主演を取る気で猛特訓だ! 汗を輝かせろ! 血反吐を吐け! 目指せ全国大会!!」
「はい! ……全国大会?」
吹雪は首を傾げる。
「たまにはいい仕事をするじゃないか春香」
「えへへ、ありがとうございます」
状況をうまく把握できていない吹雪をよそに、時雨が春香を褒め称えている。春香がはにかみ、素直に頭を下げ……
少しの間の後、ばっと顔を上げた。
「演劇部に入部させる為に吹雪ちゃんを連れてきたんじゃないんですってば」
「入部希望じゃないだと? ……じゃあなんの為に連れてきたんだ」
時雨は少し不満気な表情を浮かべつつも、春香に問いかける。
「吹雪ちゃんね、魅力的になりたいって思ってるんです。時雨先輩だったら日々そういう研究してるから、吹雪ちゃんにいい答えをあげられるかなあって思いまして」
「ふーん」
時雨が春香の言葉を受け、改めて吹雪の姿を上から下まで観察しはじめた。
吹雪は時雨の凝視に居心地悪さを感じ、もじもじと立ち尽くす。
「君はそうだな……妹属性だ」
「「妹属性?」」
春香と吹雪は同時に聞き返した。
時雨が満足げに頷いている。
「女の子には男に対するあらゆる萌え要素があるのだよ。属性にわけられるというのがアタシの研究結果だ。春香ならその破壊力抜群の胸、デカパイ属性だな」
春香は頬を染めて、腕で胸を覆い隠す。
「例えに出さないでください! デカパイ属性ってなんか宇宙人みたいな響きじゃないですか。せめて巨乳属性とか……」
気にするべきところはそこなのだろうか。
時雨は春香を無視し、吹雪にビシリと指を向けた。
「で、君だったらその幼女ばりの童顔と、小生意気そうな雰囲気。まさに妹。男に『お兄ちゃん』と上目遣いで、瞳をウルウルさせてみるのだ。するとどうだ、相手はもう君に夢中になるに間違いないぞ!」
「夢中」
時雨の言葉は謎の説得力に満ち溢れている。吹雪は時雨に尊敬の眼差しを向け、瞳を輝かせる。
「妹属性といえば! やっぱり欠かせないのはツインテールだ!」
時雨が言い放つ。「失礼」と声をかけてから、あっという間に吹雪のきっちり揃えられた髪の毛を、上手に高い部分で二つにしばり上げた。その早業に吹雪も春香も唖然とする。
ツインテールになった吹雪を見下ろして、ますます時雨は満足そうな表情を浮かべている。
「服装はそうだな、メイド服なんて手もあるぞ」
演劇部の備品が溢れている部屋の中を漁って、時雨はどこからかメイドの衣装を引っ張りだしてきた。
「これ着て『おかえりなさいませご主人様』とか言いたまえ。その言葉で男はメロメロズキュン間違いない!」
時雨がにこにことメイド服を差し出してくる。
「あれ、『お兄ちゃん』って言うんじゃなかったんですか?」
春香の突っ込みにも時雨の笑みは崩れない。
「『おかえりなさいませご主人様……じゃなくてお兄ちゃん!? 私のお兄ちゃんは、あなただったの……?』なんてどうだ」
「カオス設定ですね」
時雨と春香のやり取りを見ながら、吹雪はメイド服を受け取らずに遠慮がちに首を振った。
「わたし、服は着替えられないから」
事情があってセーラー服を着ているのだが、そのことを二人に話すわけにもいかない。ただメイド服を拒否しているようにうつったかもしれない。ただメイド服を拒否したかった、という部分もあったが。
時雨はさほど気にせずに、メイド服を仕舞った。
「よく考えてみれば、セーラー服も充分萌え要素ではないか。グッジョブだ吹雪!」
「かわいいよ吹雪ちゃん」
時雨と春香に言われて、吹雪は瞳の中に炎を燃やした。
これだったらいける! 学園のアイドル! 満々と自信を身に着けて、吹雪は時雨に一礼をして、颯爽と部屋を飛び出した。
「あ、待って」
引き止めている言葉を発した、時雨の言葉はもう耳に届かない。
猪突猛進娘は――絶妙のタイミングで、相沢由貴を発見した。由貴は鼻の下を伸ばしながら、図書室へと続く階段を昇って行こうとしている。
吹雪は由貴の元へと軽やかに駆ける。メロメロパンチな由貴を想像するだけで、心躍った。
由貴も猛然と近付く吹雪の姿に気付いた様子だった。気まずそうな表情を浮かべながらも視線を泳がせつつ、立ち止まった。
「「あの」」
二人は同時に言い放つ。
同時だったので、お互いに遠慮して言葉が止まった。
階段の途中にいる由貴を、吹雪は見上げる形になっている。
……これはもう行くしかない!
吹雪は心を決めて、由貴をぐっと見つめた。
もちろん瞳はウルウル。
「お兄ちゃん」
……
……沈黙。
完全に由貴は固まっていた。
そして二人の間に、寒々とした風が吹きぬけた後。
「……俺、お前のお兄ちゃんじゃないし」
ものすごく当たり前な突っ込みを冷静に放った由貴に対し――穴があったら入りたいほど恥ずかしくなった吹雪は、凄まじい速さでその場から逃げ出した。
演劇部備品の置いてある部屋へと舞い戻る。
顔は真っ赤、息は切れ切れ、半泣き状態で吹雪は後ろ手に扉をバタンと閉めた。
その部屋には先ほどと全く変わった様子もなく、春香と時雨が立っていた。
「一つ言い忘れたけど、妹萌えしない相手にはこの作戦は有効じゃないと思われる」
時雨の言葉に、がくっと吹雪はその場に崩れ落ちていく。
床に両手をついて、打ちひしがれた。
「もう遅いです、先輩」
「挫けるな吹雪! 特訓だ! 演技力を身につけろ! 舞台の上で輝きを放て! それこそが学園のアイドル!」
どこまでも熱苦しい時雨が言い放つ。
ベソをかいている吹雪へと、手を指し伸ばしてくる。
「吹雪、君だったら、必ず学園のアイドルになれるとアタシは信じてるぞ」
キラキラキラ。
時雨の瞳の輝きに魅せられ、吹雪は時雨の手を取る。
「負けない! 頑張る!」
時雨に手を引かれ、立ち上がる。
「うむ! では演劇部の稽古に向かうぞ吹雪!」
「はい!」
二人は手に手を取って、青春の輝きを放ちながら部屋を飛び出していく。
「えーと……吹雪ちゃん、演劇部に入部した、ってこと……?」
ぽつんと一人立ち尽くす、春香の呟きを残して。