表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/14

第四話 セーラー服を脱がないで②

 ……何もかも、気に入らない。

 炎天下。吹雪は照りつける灼熱の太陽の下から逃れる為に、プールサイドのパラソルの下で一人、座っていた。

 膝を立てて、俯きがちにじとりとプールの方を半眼で見ている。

 纏う空気は陰、そのもの。

 吹雪の視界に映るプール内では、浮き輪でぷかぷかと浮いている時雨が見える。時雨の浮き輪につかまっている陽太の姿も見える。


「この浮き輪、もうちょっと大きいの持ってこればよかったな」


 時雨が陽太に向けて言っているのが聞こえる。いつものキパキパした時雨の声ではなく、どこか甘ったるい声だ。


「なんで?」


 陽太が首を傾げている。


「だってさ、大きかったら二人でくっついて入れるじゃ――「はっはっはっは!!」ぐわああ八雲めぇぇえ!!」


 ざっぱーん。

 時雨と陽太の浮き輪に突っ込んできた、高速クロール八雲。

 見事なまでに浮き輪がひっくり返り、時雨と陽太がプールに沈む。そしてそのまま八雲は高速クロールで、遠ざかっていった。泳ぎながら何故笑える。


「大丈夫か、時雨」


 陽太が時雨の元へと泳ぎ、問いかける。時雨が先ほど八雲に見せた凶悪な顔は途端、きゅるん、と乙女な表情に変わった。


「わーん怖かったよ、陽太」


 ここぞとばかりに陽太にしがみついている。あれは一体誰なんだ。別人の時雨を目にし、吹雪に驚愕の表情が浮かぶ。

 そういえばこのプール、妙にいちゃいちゃしているカップルが多いような。


「あーん足つかなくてこわーい! ヨシタカ抱っこー」


 明らかに嘘くさい言い方で、水の中でも由貴にしがみついている八雲の妹鬼子の姿と、


「ちょっと! そんなにひっついたらゆきたんが沈んじゃうでしょっ」


 二人を必死に引っぺがそうとしている春香の姿と、


「ちょ、ちょっと二人ともそんなにひっつかれると俺的に鼻の奥が痛いんだけどっ」


 などと困っているような言葉を言っているが、顔は完全に笑っている由貴を発見。

 死ね。

 吹雪は眼に殺意を込め、由貴を睨んでいた。しかし全く吹雪の様子には気づいていないようだ。意識して、こちらを見ないようにしているようにも感じる。


「何よ鼻の下なんか伸ばしちゃって……」


 ……来なければよかった。

 吹雪は膝を抱えて、顔を俯かせる。

 わかっていたのに。自分が人間たちと同じように楽しめる身体じゃないなんて。

 そもそも吹雪がこの市営プールに来た経緯は、少し時間が遡る。

 吹雪は雪音に買ってもらった携帯電話を持っているのだが、家にいる時その電話が唐突に鳴った。

 春香からの着信。ドキリ、とした。

 花火大会の日、吹雪は結局集合場所に行かなかった。その場に行く前に、春香の告白を目の当たりにしてしまったからだ。おそらく、春香はそのことに気付いていない。由貴とは目が合ってしまって気付かれてしまっただろうが。

 自分は、その場から逃げ出したのだ。

 今回ばかりは、どうしようもなく落ち込んだ。

 春香は吹雪にとって、とてつもなく大切な友人になっている。その春香の好きな人が由貴と知って。そして、春香が由貴に告白して。

 おそらく二人は、付き合いはじめてしまったのだろう。告白のその後は聞いていないけれど、春香は由貴にとって完璧すぎる理想の恋愛対象だ。どうしたら自分に入り込む隙間なんてあるのか。

 春香からの着信はここ数日で何度かあった。吹雪は、何度も無視していてはいい加減申し訳ないと、電話に出た。


『あ、吹雪ちゃん! よかったー心配してたんだよ!』


『ごめんね春香。ちょっと夏バテしちゃってたんだ』


『そうなんだ。大丈夫? 体調が大丈夫だったらさ、今から遊ばないかな?』


『今から?』


『時雨先輩がどうしても呼び出せって。一緒にプールでも行こうって。時雨先輩も心配してるんだよ。演劇部の方もずっとさぼってるんでしょう?』


『……うん』


 吹雪は逡巡した後、こくりと頷いた。ずっと部屋にこもっているより、外に出た方が幾分か気晴らしになるかもしれない。

 吹雪があっさり了承してくれたことで、春香は嬉々としてプールの場所と待ち合わせ時間を教えてくれた。プールに入れないと話すと『じゃあちょこっと遊んだ後でゲームセンターでも行こうよ』と提案までしてくれた。幸い自宅から歩いて十数分の場所に市営プールはあった。吹雪は本当に軽い気持ちで、水着も持たずにその場所へとやって来たのだ。

 屋外型の広いプールで、利用者は家族連れやカップル、若者たちと様々である。

 更衣室をセーラー服のまま抜け、プールサイドで待つ春香の姿を見つけて吹雪は笑顔で駆け寄った。しかしその笑顔は直後に凍りついた。

 今一番会いたくない人物が、春香とともにいたから。

 そんなこと、簡単に予想できたのに。春香と由貴が付き合っているのなら、この場に由貴の姿があるかもしれない、なんて。

 一番気に入らないのは、浅はかな自分自身だ。

 そんなことをうじうじと考えていたら、当の春香がプールサイドへ上がってきた。

 吹雪の隣に来て、タオルで髪の毛から滴る雫を拭き取っている。吹雪が見遣ると、春香の表情は珍しく不機嫌そうだ。頬も少し紅潮している。


「まったく、なんなんだろうね八雲先輩の妹さん。いきなり出てきて一目惚れとか。ゆきたんもデレデレしてるし!」


 春香が吹雪の隣に座る。


「ごめんね、吹雪ちゃん。呼び出しておいて私だけ遊んでて。二人でもう帰っちゃおうか」


「でも……春香はアイツと一緒に帰るんじゃ」


「え? アイツって……」


 春香の表情が変わる。凝視されたので、吹雪は居心地悪く視線を下に落とした。


「だって、二人は付き合ってるんじゃ」


「……もしかして吹雪ちゃん、私がゆきたんに告白したの、知ってるの……?」


 顔を上げないまま、小さくこくり、と頷いた。

 少しの間があって、うつ伏せていた頭に、ぽん、と手を置かれた。吹雪は顔を上げる。春香が柔らかく微笑んでいた。


「私そのこと吹雪ちゃんに話さなきゃって、何度も電話したんだよ? もしかして、ずっと落ち込ませちゃってたのかな」


「……そんなことは」


「付き合ってないよ?」


「……え?」


 今度は吹雪が驚く番だった。春香は柔らかく笑ったままだ。


「勢いで告白しちゃったけどさ。その後大雨に降られちゃって、結局花火大会は中止になっちゃったし。告白も有耶無耶なまま。ゆきたんはそれから何の返事もナシだしね」


 信じられない。吹雪は呆然と春香を見るしかない。

 なんで春香は笑っていられるのだ? 由貴がこの場にいるのに。

 春香はいつも通りで、あどけなくて、無邪気で。


「ゆきたんはさ、吹雪ちゃんのこと気にしてるんじゃないかな」


「わたしのこと?」


 ありえない。吹雪は由貴と出会ってから、全く親密になれている気がしない。今でも、そうだ。それなのに、気にされている?


「でもさ、私言ったよね。戦うって。まだ諦めてないから」


「春香……」


「てへ。今は強力なライバルの出現をどうにかしないとね!」


 春香の言葉を聞き、今の状況を思い出す。八雲は一体何を企んでいるのだろうか。この状況を作った張本人なので腹が立つ。八雲はプールに来ている女性客たちの熱い視線を一身に集め、華麗なフォームでクロール中だ。「はっはっはっは!!」笑うな。

 対して男性客たちの熱い視線は鬼子&由貴に集中していた。彼女のゆったりと波打つ赤い髪が目立つというのもある。それに加えて、胸は大きくて水着は際どい。顔は美少女とくれば男たちが八雲妹を見てしまうのも納得ができてしまう。その女の子がベタベタとひっついている相手には、やっかみの視線を送ろうと――


『なんだろうか、このドキドキ感は……! 一体どっちにトキメキを!? もっと見ていたい……!』


 光り輝くような魅力を放つ二人に、男たちは一様に恍惚の表情を浮かべていた。彼女を連れている男は破局の危機すら迎えていた。

 べたべたべた。なんという積極的な女の子なんだ、自分もあんな風になれたら。吹雪は羨望を覚えてしまう。

 鬼子の視線がふ、と吹雪へと向いた。

 ばっちりと目が合う。

 ――そして。彼女は口の端を上げて、勝ち誇ったように妖艶に、笑んだ。


「わっなんなんだろあの笑い! 私たちのこと馬鹿にしているのかなぁ」


 春香が頬をふくらませている横で、


「私たちじゃなくて、たぶん馬鹿にしているのは、わたし」


 吹雪はキッパリと言った。

 自分はここで一体何をしているのだろうか。数日間も落ち込んで、うじうじと悩んでいて。

 春香だって、戦っているのに。

 いつの間にか鬼子が由貴を解放していた。プールに一人取り残され、由貴はぷかぷかと浮かんでいる。やはりこちらを見ようとしない。鬼子はどこに行ったのだろうと、吹雪は視線を巡らし――


「あなた、確か吹雪さ、んですよね。着替えもしないでここに何をしにきたんですか?」


 鬼子が突然の出現。吹雪の目の前に立っていた。見下ろしてくる眼は、蔑みを含んでいる。


「ただ座ってる為にここにきたんですか?」


「鬼子ちゃん! なんで吹雪ちゃんにそんなひどいこと――」


「春香、黙ってて」


 すくっと吹雪は立ち上がった。立ち上がっても、鬼子を見上げる形になってしまうけれど。

 心の中で燻っていたものが、燃え立つ。

 ぐっと真っ直ぐに、鬼子を睨みあげた。少しだけ、彼女の余裕が怯んだように見えた。

 ――わたしは、まだ負けるわけにはいかない。

 唐突に吹雪は二人に背を向け、歩き出した。吹雪の後ろから、春香が慌てた様子でついてくる。


「どうしたの吹雪ちゃん? 帰るの?」


 吹雪が向かって行った先は、更衣室の方だった。

 春香の問いに吹雪は振り返らずに首を振る。


「わたしも、水着着る」


「えっでも吹雪ちゃんプールに入れないんじゃ」


「少しくらいなら大丈夫。……負けないんだから」


 小声の呟きだったのだが、春香の耳に届いたらしい。春香が走って吹雪の前へと回り込んできた。吹雪の両手をガシっと掴んでくる。


「頑張って吹雪ちゃん! すごいよ愛のパワーだね」


「あ、あ愛!? そ、そんなんじゃなくてった、ただ売られた喧嘩を買うだけっ」


 うんうんと春香は頷いた。わかっているのかわかっていないのか。

 吹雪は頬を染めつつも、ぎこちなく更衣室へと向かった。

 彼女に負けたくないというのもあるけれど、それ以上に、自分に負けたくない。

 吹雪はずんずん歩き、更衣室に入った。

 そこに時雨がいた。仁王立ちだった。立ち姿がどことなく、八雲を感じさせるなんて思ってしまったら殺されるのだろうか。


「あれ、時雨先輩。さっきまで泳いでいたはず……」


「細かいことは気にするな。吹雪、水着を着るのだろう?」


「何故それを」


「水着は持ってきているのか?」


「いえ。正直言うと持ってないです」


 ロッカーにしまった鞄を出して、受付カウンターに売っている水着でも買おうという腹積もりだったのだが。

 まだ髪の毛から水滴をしたたらせている時雨が、さっと紺色の布切れを差し出した。


「なんですかこれ」


「水着だ」


「なんで時雨先輩がわたしの水着を?」


「正直に言うと八雲から呼び出された時に、吹雪の水着を用意しておいてほしいって言われたんだ。どういう意味なのかその時は分からなかったけど、この時の為にだったのだな」


「八雲先輩が?」


 吹雪は眉根を寄せる。

 一体どういうつもりなのだろう。何か作為的なものを感じるが、吹雪の熱い意志はそんなことで折れない。


「これはアタシが中学生の時に着ていたスクール水着だ。吹雪に合いそうなサイズの水着はこれぐらいしか見つからなかった。すまない。もう少し可愛いのがあればよかったんだけど」


「別になんでもいいです。じゃあありがたく借りさせてもらいます」


 吹雪は時雨に向けて頭を下げ、紺色の水着を受け取る。


「うむ。スクール水着も萌え要素だし、吹雪だったら着こなせるぞ」


 自信満々に言い放つ時雨。


「……時雨先輩は彼氏がいるのに何故萌えについて追求してるんですか?」


 吹雪は素朴な疑問を投げかけると、時雨が珍しく恥ずかしそうに頬を染めた。


「彼氏がいるからこそ萌えを追求するんじゃないか。ずっと好きでいてほしいから」


「わあ」


 吹雪までも赤くなってしまう。

 時雨は心の底から陽太に惚れているのだ、ということが伝わってきた。


「わたしもがんばって萌えを追求します」


「よしその意気だ。今年のコンクールは惨敗だったけどな。まだ来年がある! 演劇魂を失うな、吹雪。いってこい!」


 時雨の声援を背に受けて、スクール水着を片手に持って吹雪は着替えに行く。

 カーテンで仕切られた場所に入って、かごの中に水着を入れた。

 セーラー服の襟を持つ。

 このセーラー服は、雪音が雪姫の魔力を込めて生成したものだ。自分たちの住む国と温度差がありすぎるこの世界では吹雪は生活が出来ない。『純潔』があれば自分自身を防護することが可能になり普通に生活も出来るのだが、吹雪は肝心の『純潔』がない。

 脱ぐことを躊躇う。

 雪音が一緒にいる時にしか、吹雪は服を脱いだことがないのだ。

 不安に襲われて、振り払う為に首を強く振った。

 こんなことで負けていちゃ何も変わらない。

 吹雪は思い切って、がばっと、セーラー服を脱いだ。



***



 数分後。

 ぺったんこの胸に貼られた『一年二組いなば』が際立つスクール水着。

 直射日光に曝された、白い腕、しなやかな足。

 邪魔な長い髪の毛を、高い位置で一本に縛り。

 そんな吹雪が、プールサイドに現れた。

 春香がいち早く吹雪を発見し、笑顔で手を振ってくる。


「かわいいよ吹雪ちゃん!」


 時雨が親指を立てて、ニヤリと笑み、讃えてくる。


「萌えを極めたな、吹雪」


 吹雪は口を固く結んでしっかりと仁王立ち、腕を前に突き出し、ブイサインを見せた。

 直後に。

 ――後ろ向きに、倒れていった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ