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第三話 理想のカタチ④

 ――どおんっ

 背後で花火が打ちあがる大音響が耳に届き、由貴は振り向いた。

 視界いっぱいにひろがるのは、鮮やかな色をつけた火の粉。大きな花を咲かせた。星は一瞬で飛散していき、宵闇の空へと溶けていく。次から次に打ちあがる色とりどりの花に、言葉もなく見上げた。頬には微かに熱も伝わってくる。


「きれいー」


 隣に並んで見上げていた、春香が呟く。

 由貴が頷くと、屈託ない笑顔を向けてくる春香にドキリとさせられた。

 由貴は四人分の飲み物と、軽くつまもうと、露店で買ったたこ焼きなどを抱えている。春香も持つと主張したが、女の子に荷物を持たせられないと断った由貴の両手はいっぱいだ。


「時雨先輩たちのところに戻らなきゃね」


「うーん、でも、そんなに焦って戻らなくてもいいんでない?」


 開始直前に露店前に出来ている列に並んでまでジュースや軽食を買いに行ったのには、訳があった。

 花火大会に誘われて、陽太と場所取りを頑張っている間。


『ちょっとの間でいいから二人きりにさせてくれないかな』


 あのクール陽太が珍しく、照れながら言った。由貴はそれを聞いて、最初は半眼になりながら絶対邪魔してやる、と心に誓っていたのだが、気が変わったのだ。

 時雨と陽太の間に、少しぎこちない空気を感じて。きっと二人きりで話せばうまくいくだろうと思ったので、春香を連れて時雨と陽太を二人きりにしたのだ。


「付き合ってからも色々あるんだよなぁ」


 呟くと、隣で春香が「ん?」と首を傾げている。


「まあゆっくり戻ろうよ」


 由貴は軽く言って、歩き出す。何せ人ごみがすごい。立ち止まっているのは難しい状況だった。

 後ろで春香が小さな悲鳴を上げたのが聞こえた。誰かとぶつかってしまったらしい。


「大丈夫?」


 振り返って聞くと、春香は照れた様子で頷く。


「えへへ無理して浴衣なんか着てきちゃったから歩きづらくて」


「うーんと……袖、持ってくれるかな。はぐれるとまずいからさ」


 由貴は少し迷ってから提案してみた。春香に嫌な顔をされるのではないかと内心恐々だったが、予想に反して春香は嬉しそうに由貴の半そでシャツの端っこを掴んだ。

 ――うわ。なんだろうこの照れ臭い雰囲気は。

 由貴は足を進める度に袖をつかまれている感覚を感じて、頬に熱を帯びていくのを感じる。


「あの、さ。前々から聞きたかったんだけど」


「なに?」


 なんとなく顔を見づらくて、振り返らずに話しはじめたが、春香は反応してくれた。


「なんでゆきたんなのかな、と」


「あーゆきたん忘れてるんだ」


「ん?」


 忘れてる、と言えば。『覚えてないのね』と悲しい声で紡いだ、吹雪のことを思い出してしまう。ことあるごとに頭の中に現れる人物を、振り払う。


「入学式の時にさ、クラス名簿のプリントもらうでしょ。その時私、ゆきたんの名前間違えちゃったんだよね」


「あ。ああ! そういえば!」



***



 星乃城学園入学式の朝、由貴は一年E組の教室に入った。

 大抵は出席番号一番の由貴は、右の列の一番前の席だ。星乃城学園でもやはり一番の称号を得た由貴は、一番前の席に座った。

 誰一人として由貴を知る人物はいないようだ。そのことに安堵を覚える。

 教室には次々と生徒たちが入ってきて、クラス名簿を見ながら席に着いている。緊張に顔を強張らせた新入生たち。新しい生活のスタートに誰もが期待と戸惑いを抱いているのだろう。

 がたり、と隣の席の椅子が引かれた音がし、由貴は顔をそちらに向けた。

 とてつもなく可愛い女生徒が、由貴の隣に座ろうとしていた。彼女は由貴と目が合ったことで、椅子に手をかけた状態で固まっている。


『えと、隣よろしいですか?』


 なんだか電車の相席のような言い方で、堅苦しく女生徒が聞いて来た。おそらく彼女も緊張しているのだろう。由貴はがくがくと強く頷く。

 完全に舞い上がっていた。まさか入学早々可愛い女の子の隣になれるとは。

 女生徒は座り、配布されたクラス名簿のプリントに目を落としている。


『あいざわ……ゆき君?』


 その瞬間はまさか自分に話しかけているとは思わなかったが、相沢と言えば自分の苗字ではないかと顔を上げる。女生徒と再び目が合う。


『あ、はい! そうでございます! アイザワユキです!』


 頭の中が真っ白でうまく思考が働かずに、すぐ様返事をした。声が裏返った。

 女生徒は由貴の言葉を受け、柔らかい笑みを浮かべた。


『私は泉田春香です。よろしくね。ゆきってかわいい名前だねー。なんかホワホワなイメージ。ゆきたんって呼んでいい?』


『は、はい! ゆきたんで結構でございます!』


 裏返った声のまま言うと、春香は堪えきれなくなったのか、腹を抱えてくすくすと笑った。

 笑顔になると更に、可愛い女の子だった。



***



「あの時は緊張してて……ごめん。俺って忘れっぽいのかも」


「別に大した出来事じゃなかったし、覚えてる私のが変だよね。後で本当の読み方も知ったけど、もう私の中ではゆきたんはゆきたんだったしなぁ」


 振り返ると春香は微笑んでいた。由貴も笑顔になった。

 ――直後。


「あっ」「いてっ」


 前を見ずに歩いていた由貴は、思い切り人とぶつかってしまった。

 正面から思い切りぶつかってしまったので、相手が不愉快そうに顔を顰めて立っている。


「すいません」


 由貴は素直に頭を下げた。


「お前……相沢じゃん」


 その下げた頭に降りかかってきた、聞き覚えのある声。由貴は顔を上げる。改めてぶつかった人物を確認して、嫌な気持ちになった。表情が強張る。

 中学の頃の同級生が、由貴の目の前にいた。

 よりにもよってこんなところで再会するとは。彼はなんでもそつなくこなし、クラスの中で発言権を持つ中心的な存在だった。ことあるごとに由貴をネタにし、絡まれた最悪な中学生活の思い出が鮮やかに蘇る。その上、あまりにちょっかいをかけてくるので二人は出来ているのではないかとまで囁かれた。

 連れも男だった。花火を見に来た女子グループのナンパ狙いだろうか、軽薄なイメージの服装と髪の色。ピアスまでしている。ピアス男に見覚えはないから高校で知り合った連れなのだろう。


「なに板倉こいつ知り合い?」


 ピアス男が聞く。ああそうだ板倉って名前だったな。由貴の中でどうでもいいというか、消去したい名前だったので失念していた。

 板倉は下卑た笑みを浮かべた。格好の獲物を見つけたかのように。


「同中だよ。な、相沢。でも仲良くはなかった。仲良くしたら、大変なことになるしな。気をつけた方がいいぜ、こいつこっちの趣味だから。男に対しては見境ないんだ」


 ピアス男に対してこっちの趣味、の言葉の時に手のひらを口の横で立ててわざとらしくアピールする。

 やはり自分まで同類扱いされたことを未だに根に持っているのだろうか。

 由貴はさっさとその場から去ろうとしたが、板倉が前に立ちはだかっていてどうしようか迷う。人の流れに逆らって反対方向に行くべきか。しかし尻尾を巻いて逃げるようで癪だ。通行人は迷惑そうな顔をして立ち止まっている四人を避けていく。


「ふーん。でもなんか女の子連れてんじゃん。しかもかわいいし」


「友達だろ。ねーねーキミ、相沢なんて放っといて俺たちと花火見物しようよ」


 最悪なことに板倉は、春香にまでちょっかいをかけてきた。

 さすがに由貴も怒りが心頭して、拳を握り締める。

 しかし由貴が動く前に。

 春香が由貴の袖を離して、一歩前に出てきた。

 え? まさかついてっちゃうの?

 と由貴が泣きそうな顔になった直後、

 春香は由貴の腕に自分の腕を絡めてきた。ごくごく自然な動きで。


「由貴君は私の彼氏なんだから、馬鹿にしないでくれる?」


 笑顔だった。しかし声音は強かった。


「彼氏ってことは……え、あれ、キミ彼女? 相沢って……ノーマル?」


 板倉が呆然と問いかけてくる。春香がしっかりと頷く。


「当たり前でしょ」


 きっぱりと言い放った。


「……し、信じてたのに……あ、あ、相沢のばかやろおぉおおおーっ!」


 板倉が吐き捨てて、踵を返して走り去って行った。ピアス男も「どうしたなにごとだ板倉!?」と追いかけていく。

 板倉の密かな想いに気付いてしまった由貴であった。全く自分の体質が恐ろしい。

 暫く二人は呆然と立ち尽くしていたが、春香が絡めていた腕を離した。


「ごめんね。でもなんか許せなくって」


 春香の言葉に、由貴は正気に返る。慌てて春香に向き直り、頭を下げた。


「俺の方こそごめん! こういう時男がしっかりしないといけないのに」


「ううん。多分ゆきたんが怒っていたら喧嘩になっちゃってた。でも気持ちは一発くらい殴ってやりたかったけどね」


 春香が笑顔のまま、恐ろしい言葉を吐く。

 こういう時に強いのは女の子の方なのだな、と由貴は感心してしまった。

 二人は歩き出す。先ほど同様に、春香が由貴の袖を持って。

 遠目に時雨と陽太の姿が確認できた。

 花火はもう何発目だかわからないが、すっかり暗くなってしまった空を美しく彩っている。


「でもさ、春香ちゃんに嫌な思いさせちゃったよな。本当にごめん。俺なんかの彼女のフリさせて」


 由貴はぽつり、と呟いた。

 ぐっと袖が引っ張られた。違う。春香が立ち止まったのだと気付く。

 ひゅるる、と細く空に昇っていった線がぱっと花開く。

 赤、青、緑の鮮やかな色とともに、遅れて轟く大音量。


「……ないよ?」


「え?」


 その言葉はちょうどその大音量にかき消されて、よく聞こえなかった。

 由貴は振り向く。

 春香は真っ直ぐに、由貴を見つめていた。横からの花火の輝きに照らされて、潤んだ瞳がキラキラと輝いている。


「嫌じゃないよ」


 もう一度、春香が言った言葉。

 今度は確実に耳に届いた。

 しかしその意味をうまく理解できずに、由貴はぼうっと立ち尽くす。


「ゆきたんの彼女になりたいもん」


「え? それってどういう……」


 ここまで言われても由貴は把握できない。

 花火が続けざまに何度も打ちあがって、観衆が沸き立つ。

 そのざわめきと、大音量と、火花で明るくなった夜空の下で、由貴と春香は向き合っていた。

 そして混乱した頭のまま……視界の端、春香の肩越しに自分を見ている人物と目が合った。

 ――吹雪だった。

 春香は気付いていない様子だ。吹雪の視線は、由貴と春香を見つめている。どこか、哀しげな瞳で。由貴の心臓が早鐘を打っている。

 ばくばくばく、と心臓が耳にあるのではないかと思うくらい。酷く脈が乱れていた。


「私、相沢由貴君が好きです」


 それは、ずっと思い描いてきた理想の光景だった。

 現実になったとき、由貴は泣きそうな胸の苦しみを覚えた。

 そして、雨が一滴、ぽつり、と頬に触れた。






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