第三話 理想のカタチ②
吹雪の前に、ぞろり、と立ち並ぶ剣呑な表情の女子たち。
高校生の女の子たちといえど、結構な迫力を感じる。しかし吹雪は負けていない。一人一人をじっくりと睨み付ける。
「なんの用事?」
低く言い放った。
リーダーっぽい女子が一歩前へと出てきた。腕を組んで、背の低い吹雪を圧倒するように見下ろしてくる。
別館の裏手。ただでさえ本日は曇って鈍色の空の下、木々が茂って影になっているこの場は更に薄暗く、空気が淀んでいるようだ。
「周防吹雪、相沢由貴君から、手を引きなさいよ」
「……あなたたちに、なんの関係があるって言うの?」
無表情の女子たちを前に、吹雪はぎゅっと拳を握って立ち尽くす。
「私たちも噂を聞いたの。二人の間をうろちょろしてるんでしょ? 邪魔なのよ。八雲様にたてつくなんて」
「……八雲先輩の指示ってわけね」
なんとなくは、想像がついていた。
八雲は相沢由貴から『純潔』を奪おうとしている。おそらく自分の姉、雪音の指示で。その事実を知った直後、すぐに姉に問い詰めてはみたものの、のらりくらりとかわされてしまった。補習期間の間も、しつこく八雲は由貴をつけ狙っている。心を奪えなければ、きっとまた命を狙ってくる。ことごとく邪魔している吹雪が、疎ましく感じたのだろう。
「それにしたって、卑怯なやり方。虫唾が走る」
吹雪は吐き捨てた。
八雲は真っ向から攻めてくるのではなく、遠回りに諦めろと言っている。吹雪の一番嫌いなやり方だ。
「何を偉そうに! あんたは大人しく引っ込んでなさいよ!」
感情的になった女子が、吹雪の二の腕を強く掴んできた。
凄まじい締め付けに、吹雪の表情が痛みで歪む。
「少し痛めつければ、思い知るでしょ」
女子の一人が言ってくる。今から行われるであろうことは、想像がついた。吹雪はそれでも眼差しに力を込めて、ただ睨むことしかできない。
この人間たちは、わたしたちの世界とは無関係だ。八雲に利用されているだけ。だから、手出しはできない。
腕を掴んでいた女子が、強く突き飛ばしてきた。
「うっ……く」
吹雪の身体が別館の壁へと衝突する。背中に走る痛みに、ずるり、とその場に座り込む。
その間にも女子たちが、じりじりと距離を詰めてくる。吹雪はその様子をただ見上げて――
「やめろ!」
怒声がその場に響いた。
吹雪は目を見張る。
女子たちの向こう、怒りに肩を震わせて立っていた人物は――相沢由貴だった。
女子たちもその声にびくりと反応して、揃って振り返っている。
「一人に対して大勢なんて卑怯だろ! なんでこんなこと……」
女子たちは舌打ちし、その場からあっさりと走り去っていった。
由貴が吹雪の元へと駆け寄ってくる。
「大丈夫か、周防さん」
手を差し出されて、ようやく状況を把握する。その手を取らず、ぎらりと由貴を睨みあげた。
「あなたはなんでここにいるの?」
「なんでって……偶然図書室の窓から、周防さんが女子たちに囲まれてるのが見えちゃったんだよ。放っておけないだろ」
「余計なお世話。わたしは、こんなことなんとも思わない」
スカートについた土埃を払いながら、立ち上がる。
どうせ今日も図書室でデレデレと雪音を見ていたくせに。吹雪は言葉にせずに、視線で棘を放つ。
「悪かったな、余計なことして」
由貴が不機嫌そうに呟いた。
それを耳にして。吹雪はハッと気付く。
まただ。また、自分は、可愛くないことを言ってしまっている。気付いた時には、もう遅い。由貴はもう背中を向けていた。
今更お礼も言えない。吹雪は、ただ由貴の去っていく背中を見つめる。
「また失敗してる……」
自虐的に呟いた。その時由貴が振り返ってきたので、聞こえてしまったのかと慌てた。
「それでもさ。それでも、俺にとって、周防さんは命の恩人だから。余計なことでも、ピンチの時は助ける」
息を呑んだ。
由貴はそれだけ早口に言うと、去っていく。別館の角を曲がって、姿が見えなくなる。しばらくの間、吹雪の頭は真っ白で。
いつの間にか自分の目の前に立っていた春香と時雨の姿に、ようやく気付いた。
「良かった吹雪ちゃん! 探したんだよ! 変なこと言われてない? 痛いことされてない?」
心配げにのぞきこんでくる春香の顔を見て、正気に返る。
「だ、だだだだ、大丈夫なの、れす」
「……吹雪ちゃん? 顔、真っ赤だよ?」
時雨も吹雪のそばに立っていた。爪を噛んで、何やら穏やかではない表情を浮かべていた。
「八雲ファンクラブの女子、か。うちの可愛い後輩に手出しするなら、ちょっとこっちも本気を出させてもらうかな」
「なんか怖いですよ時雨先輩」
「前々から大きな顔をしているあやつとその取り巻きは気に食わなかったんだ。いい機会だ。フハハ見ていろ八雲! この時雨を敵にまわした恐ろしさを思い知るがいい!」
「八雲先輩に何か恨みが……?」
高笑いをしている時雨には、春香の疑問は届いていないらしい。
時雨が高笑いをやめて、吹雪の頭を無造作にくしゃり、と撫でてきた。
「だから吹雪。安心して戦え」
心強い時雨の言葉に、吹雪はこくりと頷く。なんだか、すごく頑張れる気がした。
「わたし、諦めない。頑張る」
「吹雪ちゃん……」
横に立っていた春香が呟き、
「あああ、もう!」
唐突にだった。感情的に喚いて、頭をぐしゃぐしゃと激しくかきむしった。
「は、春香?」
「どうした春香」
いきなりの行動を見せた春香に、時雨と共に驚くしかない。その吹雪の顔を見てか、春香は笑んだ。
「あは、私……うん、誤魔化してた。ずっと心では引っかかってたのに言えなくて」
「誤魔化すって、何を?」
「私ね、吹雪ちゃんが大好き。だからちゃんと心から話し合えるようになりたいの」
顔が熱くなっていくのを感じた。しかしきちんと春香の言葉を受け止めて、頷く。
時雨は一歩下がって、立っている。事態を静観するつもりらしかった。
「最初にまず謝らないといけない。私、最初に吹雪ちゃんに話しかけたのはすごく不純な動機からだった。ごめんなさい」
春香が深く頭を下げてきた。吹雪には一体なんのことだか、理解ができない。
「吹雪ちゃんと友達になりたいって思って話しかけたんじゃないの。気になって、探ってやろうって気だった」
「え、何が気になったの?」
「転校初日に、ゆきた――相沢由貴君に、告白したこと」
「あ……」
その話題を出されると、とてつもなく恥ずかしさが込み上げてくる。別に告白をしたつもりはなかったのだ。でも周囲の認識では告白ということになっているらしい。最も封印したい思い出となってしまった。
「私、吹雪ちゃんに嫉妬したの。それで探りを入れるつもりだった」
「嫉妬って……」
「自分でも自分の感情をずっと誤魔化してた。はっきりさせたくなかった。はっきりさせるのは怖いから。傷つくかもしれないから。けどね、私吹雪ちゃんのこと本当に大好きになったから、本当の友達になりたいって思ったから言わなきゃ」
春香が一度息を吸い込む。真剣に、真摯に、吹雪を見つめてきた。
「私、ゆきたんのことが好きなの。多分、入学式で会った時からずっと」
木々の立ち並ぶこの場は、蝉の鳴き声がうるさい。それでもはっきりと吹雪の耳に届いた。目を見張り、春香を見つめる。
「自分のこと、少しでも好きになりたいから。時雨先輩の言うとおり私貪欲だから。もう誤魔化さない。逃げない。ゆきたんを好きな気持ち、譲らない」
「あ、ちが……! わたしはそういうわけじゃ」
吹雪はあわあわと否定をしようとするが、言葉にならない。
「吹雪ちゃん、私、負けないから」
春香が手を差し出してきた。どこまでも真剣な表情で。
自分も、それに答えなくてはならない。だから。
その手をおずおずと、握り返した。