残暑の候 (1)
真夏の部室の匂いと言ったら、それはもう炎天下に立ってる方がマシな気がする。
外で深呼吸してから、みんなが着替えていた部室に乗り込む。
ムッとする暑さと、汗の匂いはなかなか慣れるものではない。
高校2年の夏休み、こんな毎日を送る事に異存はなかったけれど
ちょっと鼻呼吸を止める時間だ。
意を決して、ドアの開いていた部室の中に入る。
「みんな、ビブス脱いだ???もう持っていくよ。
タオルも、まだ持ってる人ちょうだい。」
部室の真ん中に置いてあった、脱ぎ捨てたビブス入りの洗濯かごを
さっと抱えあげ、ちょっと高く持ち上げた。
「みんな早く入れちゃってよー。」
その途端、いくぞーとの声とあちこちからタオルが飛んでくる。
こうやって部員だらけの中にいると、背の高い人の多いバスケ部の中で
150センチちょっとの美里は埋もれてしまいそうな気分になる。
そんな気持ちを読まれたのか。
「美里、お前埋もれてどこいるかわかんねえ。
取りに来いよ。」
どこからともなく声がして、みんながくすくす笑っている。
3年生はもう引退して、1年生と2年生だけになり、30人ほどいる部員の中で、
こんな失礼なこと言うのは、あいつしかいない。
声のする方にほかの部員をかき分けて歩いた。
「あ、見えた美里、マジ見えなかった。」
ニヤニヤ笑いながらビブスを脱ごうとしている楠木大輔に
洗濯物入れのプラスチックのかごを思い切りぶつけてやった。
「あーらごめんなさい、当たったかしら。早く脱いでよ。」
「お前痛いなぁ、脱いでってお前積極的だな。」
しれっと冷やかすように大輔は言う。
その途端部室は、冷やかす声で湧きあがった。
かーっと顔が赤くなるのを感じた。
「美里ちゃん、こんなところで大胆ねぇ。」
部員のマキオが、更に加勢する。
「この暑い中、もうお盛んなんだから。」
他の部員も加担して言いだした。
ああ、こうなったら延々と悪ノリが始まるんだ。
「もう!!そんな事ばっか言ってると、洗ってやんないからね。」
部室の外まで響く声で叫んだ。
去年、学校が買ってくれた全自動の洗濯機にビブスとタオルを
洗剤と一緒にほおり込んだ。30分で終わるはず。
さて、その間にボールのチェックでもするかな。
そう思ってくるっと後ろを向いたら、目の前が白い。
顔に鈍い痛みが走った。でも、何が起こったかよくわからず。
鼻を押さえて目を閉じて痛みに耐えた。
「・・・・・・イタ・・・」
「お前がぶつかったんだろうが。人の胸によ。それに足も踏んでるんだけれど。」
目を開けると、大輔が立ってた。白いのは大輔の着ているTシャツだった。
「タオル残ってたから持って来たんだよ。」
「あ、今なら間に合う!」
大輔の手からタオルをひったくって、洗濯機にほおり込んだ。
「ありがとうは、美里、あと、足踏んでごめんなさいはないのか。」
美里は大輔の顔を見上げた。
180cm超えの大輔とは30センチは身長が違う。
目の前の壁のような大輔に、わざとらしく高い声を出す。
「大輔ありがとう。うふ。」
わざとらしくほっぺに手を当てる仕草をしたら、大輔は両手を
呆れたという感じの仕草で上げてみせた。
「足踏んでごめんなさいは。」
「あまりに足がでかいから邪魔なんじゃないの?馬鹿は足がでかいから。
それに別に踏んだって痛くないでしょ?あたしの足より6センチはでかいでしょ。」
そう嫌味っぽく言うと、Tシャツの首根っこを掴まれた。
「お前、掴んで運ぶぞ。」
「もう、やめてよ。あんたのファンが見てるじゃん、恨まれる。」
「別に俺が頼んで恨んでくれって言ってる訳じゃねえよ。」
夏休みなのにわざわざ学校に出て来たのだろう。
大輔のファンが3人、影からこっちを見ている。
「あたしが刺されたらどうすんのよ。」
「大丈夫、お前すばしっこいからさ、抜いて逃げろよ。
第一、こんな夏休みに部活見るためわざわざ来るか、
用事があって来てるんだろうよ。」
やれやれ、と首を振った。
この男は、女の心理が本当にわかってない。
女のやっかみ程厄介なものはないのに。
「ま、あたしに嫉妬するなんて見当違いもいい所よね。
あたしと大輔はハブとマングースみたいなもんなのにね。
顔を合わせりゃ喧嘩になるわけよ。」
「お前がハブだろう。」
「あんたがハブよ。何言ってるの。あたしが可愛いマングース。
さて、女心を刺激しないうちに解散しましょ。」
そう言って、大輔に後ろ手で手を振って体育倉庫に向かった。
「マングースは強いもんな、ハブに勝てるし、お前にそっくりだよ。」
そう背後から大輔が言うのは無視しておいた。
ボールの空気圧を一個一個手で確かめた。
窓を閉めた体育館のまたその奥の体育倉庫はかなりの熱気だ。
ボールの匂いと、モップの匂い。
埃の匂いが熱気でさらに強烈に匂った。
バスケットボールを手で押して固さを確かめ、そのまま床にバウンドさせた。
バスケットが大好きだ。
小学校4年生からバスケットを始めた。
中学まで続けたが、身長が思ったように伸びなかった。
どんなにファイトを持って挑んでも、身長の高い選手との差を感じた。
この学校には女子バスケ部はない。
あえて女子バスケのない学校に来た。
思い残すことはなかった。マネージャーの道に入る事に。
すっぱりあきらめて、見る側に徹しようと決めていた。
最後の一個を点検して、そのままボールをドリブルして、
倉庫を出た。
体育館内の温度はどのくらいだろう。
走る前から汗が噴き出る。
そのままランニングシュートを決める。
ゴールの高さに辟易する。高すぎる。
自分の身長を恨む瞬間だ。
でも誰とも練習できないのが寂しい。中学校は良かった。
身長は小さくとも、レギュラーは守れた。
そのまま、フリースローを何本か打った。
ああ、バスケットがしたい。思いっきりやりたいなあ。
そんな事を思っていたら、フリースローを外した。
「へたくそ。」
後ろから急に声がして驚いた。
「お前には、ボールがでかすぎるんだよ。
ジュニア向けのボールとゴールでぴったりだよ。」
大輔が立っていた。ニヤニヤ笑ってムカつく奴。
「分かってるわよ、そんなの、だから辞めたんだもん。」
そう言うとくすくす大輔が笑う。
「まあ、名は体を表すってよく言うよな、お前ミリだもんな。
メートルなら良かったんじゃねえのか?」
「うるさい大輔!あんただって大がつくから、でかい癖に!」
そう言ってる間に大輔が前に立った。
「ほら抜いて見ろよ、俺を。」
無理に決まってるじゃん・・・・
「そんな塗り壁みたいなの抜けないし。
さ、あたしは洗濯物干して帰らなきゃなんないのよ、どいてよ。」
そう言って、大輔のお腹にボールをぽんと当てて横をすり抜けた。
そんな私の後ろを大輔がついてくる。
「なんか用なの?付いてこないで。」
「ねぇ美里、明日数学の宿題見せて。頼む。」
そんな事だろうと思った。
「取り巻きに見せて貰ったら?喜んで見せてくれると思うけれど?」
「そんな事言うなよ、お願い美里。」
「マキオだって同じクラスじゃん。」
「アホ!マキオが真面目にやってる訳ないだろう!」
ま、そりゃそうか、マキオも大輔も似た者同士だ。
大きな体で手を合わせて頼んでくる大輔に
私はいつだって敵わなかったりする。
「・・・・マックシェイクバニラM。」
そうぼそっと言うと
「了解、明日の練習の後な。」
そう言って、大輔は笑った。この笑顔に弱いんだ。
大輔は全く気付いてないと思うけれど。
「じゃ、明日の練習の後な!」
そう言ってまた部室に戻って行った。
この男は脳みそも筋肉でできてるに違いないもの。
一般的な女心はおろか、一生私の気持ちなんかわかりっこない。
そんな男が好きな私は、世界で一番大馬鹿に違いない。
でも大丈夫、幸せな夢なんか見ないもの。
晴れ渡る空を見上げた、木陰になってはいるが
蒸し暑さはどうしようもない。
好きな気持ちも、どうにもならない。
そのうちきっと冬になる。そう思うしかない。