第9話大中物産(だいちゅうぶっさん)
根岸隆は、生涯にわたって1000社以上の企業の顧問弁護士を務めた。しかし、彼の顧問料は常に月5万円と決まっていた。
「これ以上もらうと、言いたいことが言えなくなるからね」
彼は金銭よりも、自らの信念を貫き、自由に発言できる立場を重視していた。隆が提供する顧問サービスは、単なる法律相談に留まらなかった。彼は企業の経営ビジョンの根幹に関わり、長期的な視点から組織作りのノウハウや経営戦略を提言した。それは、現代でいう経営コンサルタントの先駆者であり、隆は間違いなくその第一人者であった。
中堅商社「大中物産」との縁は、隆が10億円の債権回収を請け負ったことから始まった。他のどの弁護士も匙を投げた、完全に「真っ黒焦げ」の債権だった。だが、隆には「イける」という確信があった。
「報酬は2パーセントでいい」
彼はそう約束した。10億円の2パーセント、つまり2000万円。当時の隆にとって、これは非常に大きな金額だった。彼は同僚の久里先生を誘った。
「おまえも乗れ!」
「これで2000万円は美味しいですね」
久里先生もまた、その話に乗り気だった。
ところが、実際に着手してみると、事前の計算は全く狂ってしまった。努力の甲斐なく、最終的に回収できたのはわずか2億円。彼らの報酬は、その2パーセント、つまり400万円に留まった。
「これだけ頑張って400万円じゃ割に合わないよ」
久里先生は落胆し、不満を漏らした。しかし、隆は静かに言った。
「男に二言はないのだ」
彼は約束を守ること、そして信念を貫くことの重要性を説いた。久里先生は納得いかない様子だったが、隆の揺るぎない態度にそれ以上何も言えなかった。
しかし、大中物産の下川社長は違った。他の誰もが諦めた債権を、わずかでも回収してくれた隆に、深く感謝した。2億円という金額は、大中物産にとって計り知れない価値があったのだ。この一件で、隆は下川社長から絶大な信頼を得て、大中物産の顧問弁護士に就任した。
当時、日本の多くの中小企業が、中国進出に意欲を燃やしていた。大中物産もその例外ではなかった。隆は、彼らの中国進出を成功させるための切り札として、西園寺一晃という人物を紹介した。西園寺は、中国の政財界に強いコネクションを持つ、いわば中国の裏の顔であった。
「この二人を合わせれば、面白いケミストリーが生まれるだろう」
隆の予想通り、西園寺の斡旋で、大中物産には次々と大規模なビジネスのオファーが舞い込んだ。ある製鉄所の建設計画は、その最たる例だった。しかし、このプロジェクトは、数千億円規模という、大中物産の手に負える範囲をはるかに超えていた。
「何かあったとき、大中物産さんでは責任を取れないでしょう」
中国の財界は、そう言って難色を示した。結局、この巨大なプロジェクトは、日本の巨大企業「新日鐵」に受注されてしまった。
中国の財界は「メンツ」を重んじる。西園寺に恥をかかせないため、彼らはその後も、大中物産に次々と大規模なオファーを持ち込んだ。しかし、そのどれもが大中物産の規模を超えており、結局は成約には至らなかった。
当の西園寺一晃自身は、この状況に戸惑いを隠せないでいたという。
「なんでわたしがこんなにお金をもらえるのか分からない」
彼は、金銭欲から動いているわけではなかった。西園寺は、自身の持つコネクションを、日本の企業のために活かしたいと純粋に願っていた。しかし、中国の商習慣と日本の企業の規模のギャップが、奇妙なミスマッチを生み出していた。隆は、その複雑な人間関係と商取引の裏側を、静かに見つめていた。大中物産との顧問契約は、隆に、法律だけでは割り切れない、国際ビジネスの複雑さと人間の欲とプライドを学ぶ貴重な機会となったのである。




