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1話 家族

 口の中が、ひどく鉄の味がした。

 息を吸っても、胸の内側で何かに押し返される。

 吐くことも吸うこともできず、ただ苦しさだけが膨らんでいく。

 そこにはあたたかな家などもうなかった。

 視界を埋め尽くすのは、どろりと粘つく赤。

 網膜に焼き付いて離れない、おぞましい色彩。

 幸せの象徴だった孤児院は、今や巨大な肉の塊のような、おぞましい赤色の残像へと変わり果てていた。


「行きなさい……!」


 声が、遠い。

 なのに、耳の奥にだけ突き刺さる。

 十歳の小さな体には、あまりにも重すぎる絶望を抱えたまま、シオンは振り返らず、暗い森の奥へと足を踏み入れた。


* * *


「ちょっとシオン! いつまで寝てるのよ、このバカシオン!!」

 

 鼓膜を突き破るような大声とともに、顔面を直撃したのは、枕だった。

 

「ぶふっ……!? げほっ、な、なんだよノルア……」

 

 シオンが目をこすりながら体を起こすと、そこには腰に手を当てて仁王立ちする少女、ノルアがいた。

短い髪を振り乱し、頬をリスのように膨らませている。

 

「なによじゃないわよ! もうみんな食堂に集まってるんだから」


「……わかったよ。すぐ行くから」

 

「ほんとかなー? ほら、脱ぎっぱなしの靴下もちゃんと片付けて!」

 

 ノルアはシオンの腕をぐいぐいと引っ張り、無理やりベッドから引きずり出す。

 開け放たれた窓からは、眩しいほどの朝日が差し込み、平和な光が部屋の隅々まで満たしていた。


「あ、シオン兄ちゃんだ! こっちこっち!」

 

 席に着く間もなく、5歳くらいの小さな男の子――いつも鼻を垂らしているニコが、シオンの膝に飛びついてきた。その手には、泥のついた「ただの石ころ」が握られている。

 

「見てシオン兄ちゃん、これ『勇者の剣』の破片なんだよ! 朝、裏庭で見つけたんだ!」

 

「へえ、すごいなニコ。これで魔物もイチコロだな」

 

「うん! 僕がみんなを守ってあげるんだ!」


「ずるいぞニコ! レイル兄ちゃん、僕のも見てよ。これ、外で拾った綺麗な羽根!」

 

「私のはこれ! シスターに内緒で貰った可愛いリボン!」

 

 次から次へと差し出される、子供たちの宝物。

 レイルはそれらを一つずつ丁寧に眺め、頭を撫でてやる。

 

「ほらみんな席について! シオンも!」


「やっと起きたか、シオン。リアの目覚ましは今日も強力だったみたいだな」

 

 ベルが、本から目を上げて薄く笑う。彼はこの孤児院で一番の知恵者で、いつも難しい本を読んでいる。

 その隣では、ルルがおっとりと微笑んでいた。


「ベル……悪いけど、こいつのやかましさ加減、ちょっとどうにかしてくれよ。朝から頭に響くんだ」


 シオンが声を潜めてこぼした、その瞬間だった。

 

「誰がやかましいですって?」

 

 ピシャリ、と冷たい声が降ってきた。

 見れば、シオンのすぐ後ろでノルアが眉間に深いシワを寄せて立っている。

 

「……あ、いや、そんなことは」

 

「聞こえてるわよ、シオン! 私が起こしてあげなかったら、あんたは今頃ベッドでカビが生えてるんだからね!」

 

 ノルアが頬をリスのように膨らませて詰め寄る。

 

「ふふ、シオン。ノルアちゃんが元気なのは、いつものことでしょ?」


 ルルがクスクスと笑いながら、仲裁に入るようにスープの器を差し出す。

 

「ルルの言う通りだ、シオン。彼女の声量は、この孤児院の活気そのものだからな。諦めろ」


 ベルが本を閉じ、真顔で追い打ちをかける。

 

「もう! ベルまで何言ってるのよ! ほらシオン、これ。あんたの分、ジャガイモ多めにしておいたんだから、黙って食べなさい!」

 

 結局、文句を言いながらも最後には世話を焼いてくる。

 差し出されたお椀には、確かにホクホクとした大きなジャガイモがいくつも浮いていた。

 

「サンキュ。いただきます」


 四人で顔を見合わせて笑い、温かいスープを口に運ぶ。

 そんな何気ない時間が、シオンにとっては世界のすべてだった。


 朝食の後は、広間に集まっての授業だ。

 シスターが、古い本を広げて難しい歴史の話を読み上げている。

 退屈な講義。シオンは真面目に聞こうとするが、隣の席のリアがこっそり足をつついてきたり、消しゴムのカスを投げてきたりして、ちっとも集中できない。

 

「今日はここまで。みんな、使った机を端に寄せてちょうだい」

 

 先生の穏やかな声が響くと同時に、ノルアが誰よりも早く「終わったぁ!」と伸びをした。

 

「シオン、今の話わかった? 私、途中で眠くなっちゃった」

 

「まあ、少しだけな。ほら、ノルアも机片付けるぞ」

 

「わかってるってば。せーの、で運ぼうね」


 歴史の授業が終わると、次はみんなが待ちに待った「魔法の実習」の時間だ。


「さあ、みんな。今日はあの空き缶を狙ってみましょう」

 

「いいですか、皆さん。魔力は、胸の奥にある温かい種を育てるように、優しく引き出すのですよ」


 シスターがお手本を見せる。指先を向けて念じると、透明なつぶが飛んで、カランと音を立てて空き缶が倒れた。

 

「わあ、すごーい!」


「さあ、次は皆さんの番です。落ち着いて、指先に力を込めて」

 

「よーし、次は僕だ! ……ああっ、外れた!」

 


「魔法は力の強さじゃない、イメージの正確さだ」

 

 ベルがそう呟き、指先をピシッと向ける。

 放たれた魔法は、まるで測ったかのように正確に空き缶の真ん中を射抜いた。

 

「次は私……せいっ」

 

 ルルが指を向けると、優しい風が空き缶をコロリと倒した。


 みんなが一喜一憂する中、ノルアも真剣な顔で指を突き出す。

 

「よーし、見ててよ! ……えいっ!」

 

 ノルアが顔を真っ赤にして指先を向けると、パチンと小さな火花が弾け、空き缶を数センチ揺らした。

 

「あはは、ノルア、鼻の頭に力入りすぎだよ」

 

「もう、笑わないでよシオン! だったらシオンがやってみてよ」


 ノルアが頬を膨らませて詰め寄ってくる。

シオンはやれやれと肩をすくめ、自分の前に置かれた缶へと視線を向けた。


 シオンは無造作に指を突き出した。

 

「……あ」

 

 シオンの指先から放たれた魔法は、空き缶の数センチ上を虚しく通り抜け、後ろの草むらをカサリと揺らしただけだった。

 

「…………ぷっ」

 

ノルアが口元を押さえて肩を震わせる。

 

「あはははは! なに今の! シオン、あんなに偉そうに言っておいて、かすってもいないじゃない! ダサすぎるわよ!」

 

「……っ、いや、今のは指が滑っただけだ。次は当てる」

 

「はいはい、言い訳はいいから! ほら、ルルに慰めてもらいなさいよ」

 

 ノルアに指を差して笑われ、シオンは顔を真っ赤にして頭をかいた。


「さあ、授業はおしまい。みんな遊びに行っておいで」

 

 シスターの優しい声に、子供たちが一斉に「わーっ!」と駆け出した。

 

「よし! ベル、ルル、シオン! 川まで競争だよ!」


「あ、ずるいぞノルア! よーいどん、も言ってないだろ!」


 ノルアの元気な声が響き、四人の影が草原へと駆け出していった。


 平坦な野原を突き進むノルアの背中は遠く、ベルが必死な顔でその後を追い、少し後ろではルルが楽しそうに声を上げている。

 

「ははっ、待てよ!」

 

 シオンは腕を振って、全力で野原を駆け抜けた。

 肺が熱くなり、足にじわじわと疲れが溜まってくる。

 

「やったぁ! 私の一等賞!」

 

 先に川岸へたどり着いたノルアが、くるりと振り返ってVサインを掲げた。


 冷たい水に足を浸し、誰が一番大きな石を投げられるか競ったり、小魚を追いかけ回したりして、時間が経つのも忘れて遊びふける。


「あ、見て! 馬じゃない? あんなところに!」

 

 ノルアが声を弾ませ、平坦な野原の先を指差した。

 そこには、一頭の若駒がいた。艶やかな毛並みが光を反射して輝き、のんびりと草を食んでいる。

 

「うわあ、すげぇ……! 近くで見たい!」

 

 シオンは抑えきれない好奇心に突き動かされ、真っ先に駆け出した。

 ウマは森の入り口近く、ちょうど境界の杭が打たれているあたりの草地に立っている。

 

「ちょっとシオン、待ちなさいよ!」

 

「おい、シスターの言いつけを忘れたのか!」

 

 後ろからノルアとベルの声が聞こえるが、シオンは止まらない。ウマとの距離はあと数メートル。あのかっこいい毛並みに触れられるかもしれない。

 だが、ウマのすぐ手前、古い木の杭が並ぶ境界線まで来たところで――。

 

「やった、追いつい――」

 

 ――びりっ!!

 

「うわっ……!?」

 

 手を伸ばして一歩踏み出した瞬間、シオンの全身を衝撃が襲い、見えない巨大な壁に弾き飛ばされた。

 しりもちをついたシオンの元へ、慌てて三人が駆け寄る。


「大丈夫!? シオンくん!」

 

「……痛たた。なんだよ今の……」

 

 シオンが顔を上げると、そこには空気が細かく震え、青白い光の波紋が広がっていた。

 馬はすぐ目と鼻の先にいるのに、そこには決して通れない壁が存在していた。

 

「……結界か。かなり強力なものが張られているな」

 

 ベルが訝しげに手を伸ばすが、やはりその指先も冷たい波紋に押し返される。

 

「ちぇっ、つまんないの。なんで結界なんかあるんだよ」


 しりもちをついたシオンが、青白く光る波紋を見上げて呆然としていると。

 

「……これ以上、近づいてはいけませんと言ったはずですよ」

 

 背後から響いたのは、凛とした、けれど静かな声だった。

 四人が一斉に振り返ると、そこにはシスターが立っていた。

 修道服をまとい、風に髪をなびかせながら、彼女はいつもの穏やかな、けれどどこか拒絶を感じさせる無表情でそこに佇んでいた。

 

「シ、シスター……」

 

 みんなが思わず身をすくめる。シスターはゆっくりと歩み寄り、シオンの前に立った。

 

「シオン、怪我はない?」

 

「あ、うん。どこも痛くないけど……ねえシスター、これ何? 目の前に馬がいるのに、透明な壁があって触れないんだ」

 

 シオンの問いかけに、シスターはすぐには答えなかった。

 ただ、薄く微笑んだまま、感情の消えた瞳で結界の向こう側を……いや、そこにある馬のさらに奥をじっと見つめている。

 

「……シスター?」

 

 シオンが不安げに声を重ねると、彼女はゆっくりと視線を落とし、慈しむようにシオンの頬を撫でた。

 

「知らなくていいこともあるのですよ、シオン。……今はただ、こちら側が、あなたたちの世界のすべてだと思っていなさい」

 

 その指先は驚くほど冷たく、けれど声はどこまでも穏やかだった。

 

「いいですか、二度とこの杭を越えようとしてはいけません。それは約束ですよ」


 シオンは立ち上がり、シスターの静かな迫力に押されながらも、素直に頷いた。

 

「……うん。わかったよ、シスター。勝手なことしてごめんなさい」

 

「いいえ。怪我がないなら、それでいいのです」

 

 感情の読めないシスターの瞳。その奥にある絶対的な意志に、四人はそれ以上言葉を返せなかった。

 遠くで馬が一度高くいななき、そのまま森の闇へと溶けるように消えていく。

 

「さあ、戻りましょう。もうすぐ日が沈みます」


 シスターに付き添われ、四人は孤児院へと引き返した。

 その結界が、自分たちを守るためのものなのか、それとも何かを閉じ込めておくためのものなのか。今の彼らには、知る由もなかった。

最後までお読みいただきありがとうございます!


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