表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/15

第6話 交渉という幻想(エルネスト)

――交渉は血を流さない。

代わりに、流す血の順番を決める。――



教国の使者は、静かな場所を選んだ。


森の端。

道が二つに割れる少し手前。

焚き火はない。周囲の兵も距離を取っている。


「交渉は、あなた方が教国へ誘導している避難民についてです」


使者は、最初にそう言った。

こちらの警戒を、先に片づけるように。


「教国は、人命を軽んじていません」


声は低く、整っている。

慰める声じゃない。手順を通す声だ。


「現在、避難民は教国の境へ向かって流れています。

 それ自体を、止める意思はありません」


止めない。

その言葉に、胸の奥がわずかに緩む。


だが――続きがある。


「ただし、数です」


使者は地図を広げない。

数字も出さない。

代わりに、現実だけを置く。


「短期間に大量の避難民が流れ込めば、

 受け入れの準備が整いません」


「住居、医療、配給、治安――

 いずれも“間に合わない”」


間に合わない。

その言葉のあとに、何も続かない。

祈りも、約束も、次の手も――そこには置かれていない。


「教国が崩れれば、

 救える命も救えなくなる」


否定しようとして、言葉が見つからない。

理屈として、正しい。


使者は一拍置いて、続けた。


「そこで、提案があります」


ここからが本題だ。


「教国は食糧を出します。

 薬も、布も、必要量を支援します。」


一瞬、希望が形を持つ。


「代わりに――」


その形が、次の言葉で削られる。


「あなた方で配給の管理を担っていただきたい」


管理。

その言葉が、耳に残る。


「避難民を、教国側の受け入れ態勢が整うまで、

 国境付近で待って下さい。」


王国北方で待つ。

その間に何が起きるかは、言わない。


だが、俺は知っている。


寒さ。

病。

飢え。


「それは……」


言いかけて、止める。


使者は、俺の言葉を待たない。


「強制ではありません」


声は穏やかだ。


「ただ、現在王国軍が追撃を緩めているのは、

 教国の使者がいるため――という点は、理解して下さい」


脅しでも条件でもない。

ただ、“そういう状態”だと言っているだけだ。


使者は、俺の顔を見た。

初めて、目がこちらを定める。


「エルネスト・ヴァルド」


名を呼ばれる。


「あなたは、人命を優先する」


断定。

褒めでも非難でもない。分類だ。


「……そうありたいとは、思っています」


「あなたは戦場で前に立ち、

 避難民を直接見てきた」


「彼らが、何を信じて動いているかを知っている」


胸の奥で、何かが重くなる。


「あなたの言葉なら、彼らは待つ」


信頼みたいな形をしている。

でも、その中身は別だ。

――待たせるための楔だ。


「交渉は、血を流しません」


使者は最後に、そう言った。


「少なくとも、今日ここでは」



その夜、焚き火の前で一人になった。


剣は抜いていない。

抜く相手が、いない。


今日の話に、悪意はなかった。

教国は、人を助けようとしている。


ただ――

助け方を選んでいる。


数を。

順番を。

場所を。


選ばれなかった者がどうなるかは、考えたくもなかった。


俺は焚き火を見つめる。


前に立つ理由が、また一つ増えた。


剣を抜く理由じゃない。

判断を引き受ける理由だ。


直接、人を殺さない。

代わりに、殺される順番を静かに決める。


交渉という言葉には、

どこか「血が流れない」という手触りがあった。


だが今は分かる。

それは、ただ言葉が与える安心にすぎなかった。


ぼんやりと信じていたものが、

幻想だったことに――

もう、気づいてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ