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第15話 受け入れられた先(エルネスト)

境界の内側は、思ったより静かだった。


静かすぎて、さっきまでの音が耳に残る。

角笛のあとに起きたことは短くて濃い。


――教国側の角笛が鳴った。


押し合っていた塊が割れ、列がほどけた。

逃げる者と、立ち止まる者が混ざる。


そこへ教国の槍が揃って前に出た。

刃が届く距離じゃない。槍の壁だけが、先にできる。


俺たちは、その壁の手前で足を止めた。

止まったというより――進めなくなった。


「こちらへ」


落ちてきた声は柔らかい。怒鳴らない。急かさない。

兵の声じゃない。受付の声だ。


白い布の腕章を付けた男が、手を上げて人を導いている。

槍は持たない。札と帳面だけを持っている。――救済団の係だ。


境界のすぐ内側に、受け入れ所ができていた。

簡易の柵。布屋根。水桶。薬箱。

焚き火はある。煙は抑えられている。火の扱いが上手い。


整いすぎている。

そう思うより先に、ありがたさが来た。


呻き声が少ない。

泣き声も少ない。

泣きかけた口に水が当たり、背中に手が置かれ、短い言葉が落ちる。


「大丈夫です。こちらで受けます」


それだけで、人は動ける。

――動けるように、動かされる。



最初に呼ばれたのは負傷者だった。


「歩けない方はこちら」

「熱のある方はこちら」

「血が止まらない方はこちら」


区分は明確で、言葉は短い。

迷う時間を残さない。


俺たちの避難民も、いつの間にか列になっていた。

列の端に、森で俺に礼を言った母親がいる。目が合う。

彼女はすぐ視線を落とした。


落とした先にいるのは、子どもだ。

子どもは泣かない。泣けないのか、泣く余裕がないのか、分からない。


「お母さん、お名前を」


腕章の女がしゃがんで聞いた。

紙はすぐ横にある。ペン先が止まらない。


母親が名を言う。

子どもの名も言う。

年、村、家族の数。


丁寧だ。

丁寧なのに、割り込めない速さがある。


名を言い終えた瞬間、札が渡された。

薄い板切れに数字が書いてある。


「この番号で呼びます。失くさないで」


名を聞いたのに、名では呼ばない。

そういう場所に入ったのだと、そこで分かった。



次に呼ばれたのは男だった。


「力仕事ができる方」

「荷を運べる方」

「斧と鍬を持てる方」


頼みに近い口調だ。断れます、と分かる声でもある。

だが、断った人間がどこへ並ぶかは、どこにも書かれていない。


木箱が開けられた。

手袋と縄と、小さな鍬。

新しいものじゃない。だが手入れはされている。


「国境付近の畑が荒れています」

「いま手を入れないと、春に間に合いません」

「食べる分を増やせます」


嘘はない。畑が荒れる怖さを、俺は知っている。


次の言葉が、さらりと置かれた。


「女性と子どもは、教国内の宿舎へ案内します」


さらりとしているから、止める間がない。

案内します、の形をしている。


だが案内先はもう用意されている。

列がもう作られている。

水桶が、もう置かれている。


「一緒に行けますか」


誰かが聞いた。声は小さい。怒っていない。焦っている。


腕章の男は首を傾げて、丁寧に言った。


「もちろん、できます」

「ただ、今夜は混みます。寝床が足りません」

「お子さん連れは、先に暖かい場所へ案内します」


正しい。

正しいから、言い返せない。

言い返すのは、子どもを寒い方へ押し戻す形になる。


その場で夫婦が目を合わせる。

言葉は少ない。目だけで決めてしまう。


「……先に、行け」


そう言った男の声は強くない。

強くないから、止めようがない。



俺は受け入れ所の端で立っていた。


剣を抜く相手はいない。

刃の行き先がない。


それでも俺は「窓口」だ。

名を呼ばれれば、出る形になる。


腕章の女が近づき、帳面を胸に抱えたまま言った。


「エルネスト・ヴァルド様でしょうか」


棘はない。礼儀の範囲だ。

だが、名を呼ばれると役が固まる。


「こちらへ。確認だけです」


「確認」という言葉が軽いほど、続きは重い。


柵の内側に机が三つ並んでいる。

札が立てられている。


武器回収

負傷者確認

名簿照合


どれも要る。

どれも“ここでやる”のが正しい。


端の机で、男が言った。


「北方自治軍。暫定呼称」

「連絡窓口。あなた」


言いながら書く。手つきが慣れている。


俺はうなずいた。


「こちらが支援物資です」


布袋が示された。

麦。乾燥肉。薬包。布。

品目と数が、もう帳面に並んでいる。


「配る場所はこちらで指定します」


強い言葉じゃない。

だが指定は指定だ。


「ここで揉めると、配給が遅れます」

「遅れると、夜を越せない人が出ます」


「なので、配る場所は一か所にします」

「そちらで列を整えてください」


頼みの形で置かれる。

その形のまま、決まりになる。


俺は口を開きかけて閉じた。

「こちらでやります」と言えば、受ける形になる。

「できない」と言えば、避難民が止まる。


止まったものから冷える。病む。倒れる。


答えは、最初から一つだった。


「分かりました」


腕章の女が、ほっと息を吐いた。

ほっとするのが仕事として正しい顔だ。


「ありがとうございます。助かります」


助かる。確かに助かる。

だが“助かる”は、次の手順を増やす合図にもなる。



振り返ると、レオナが少し離れた場所にいた。


彼女は人の流れを見ている。

誰がどこへ行くか。どこが詰まるか。どこが空くか。

その目は戦場のそれと同じだ。


俺の視線に気づくと、レオナは近づかないまま顎を少し動かした。

目配せだけ。


回す、という合図。


彼女は部隊長たちの方へ歩いた。

声を張らない。短い言葉だけが、点々と落ちる。


「配る位置はここ」

「列は二つに分けろ」

「荷車は入口の外へ」

「剣は抜くな。揉め事を作るな」


どれも短くて、迷いがない。



夕方、境界の見張りが一つ減った。


その場所に、腕章の係が立った。

槍じゃなく、帳面を持って。


誰も騒がない。

騒ぐ理由がない。守られているように見える。守られている。


ただ、配置が決まっていく。


男は畑へ。

女と子どもは宿舎へ。

武器は箱へ。

名は帳面へ。


俺の名も、帳面へ。


裁きじゃない。

罰でもない。

優しく整えているだけだ。


整えたものは崩れにくい。

崩れにくいものほど、戻しにくい。


俺は受け取った札を握り直した。

数字は薄い木片に書いてあるだけなのに、妙に重かった。


夜が来る。


焚き火は増える。

声も少し戻る。

それでも列は戻らない。


そして明日――

帳面が増える。腕章が増える。柵が増える。

境界は槍じゃなく、帳面と柵で引かれていく。

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