第12話 狂騒の終わる刻(エルネスト)
正規軍は、もう隊じゃなかった。
前から押され、横が裂け、後ろが詰まる。
塊のまま、重さだけが動いている。
号令が届く前に、体が先にぶつかってくる。
「前、詰めるな! 二列、息を合わせろ!」
俺は声を切る。
叫ばない。叫べば、どこかが走り出す。走り出せば、列が割れる。
槍が揃う。
盾が寄る。
だが揃った瞬間に分かる。
――足場が足りない。
谷を抜けた先は平らだった。
平らな地面は、押し合いに向かない。
踏ん張るほど足が横へ逃げ、盾が傾き、槍の角度が死ぬ。
「一歩ずつだ! まとめて下がるな!」
誰かの靴底が滑る。
滑った肩に後ろが当たり、槍がずれる。
ずれた穂先の先にいるのは敵じゃない。味方の背中だ。
俺は剣の腹で、その槍を叩き戻した。
「下を向くな! 穂先を揃えろ!」
正規軍の先頭が、こちらへ流れ込む。
盾も構えず、前の背中に手を掛けたまま来る。
逃げる足だ。逃げる足は止めどころを選ばない。
止める。刺さない。
体を当てる。押し返さない。
受けた分だけ、列を崩さない。
――それでも、重い。
「……多すぎる」
どこかで歯の奥の声がした。
否定しない。否定できない。
俺は半歩下がる。
逃げじゃない。列を割らないための下がりだ。
「合わせろ! 一、二で踏め!」
踏み直す。
踏み直した瞬間、靴底の感触が変わった。
硬い。均されている。
石の粉が薄く撒かれ、轍がまっすぐ通っている。
――国境だ。
「……ここまで来たか」
声にすると、現実になる。
だから飲み込む。喉の奥で潰す。
正規軍の中から怒鳴り声が飛ぶ。
「止まれ!国境を越えるな!」
だが、越えないで止まれる形じゃない。
押されている者に、止まる余地はない。
先頭の一人が足を滑らせた。
倒れない。
ただ、線を越えた。
それを見て、後ろが押す。
押された背中が、さらに前へ出る。
「待て――!」
俺は声を張った。今度は叫びに近い。
「押すな! ここで――」
角笛が鳴った。
北側から。
短く、乾いた音。
俺の声を、上書きする音だった。
教国軍の列が見える。
盾が揃い、槍が落ちる。
無駄がない。手順が揃っている。
「侵入者を確認!」
教国の声は、はっきりしている。
ためらいがない。
言葉が整っているほど、戻り道が消える。
正規軍の列が、完全に崩れた。
止まろうとする者と、押される者が噛み合わない。
盾が外れ、槍が落ちる。
落ちた槍を踏んだ足が、さらに前へ滑る。
俺は剣を下げた。
斬っても、もう止まらない。
止められる形じゃない。
ここでは、刃の仕事が変わる。
「……下げろ」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
味方か、正規軍か、それとも――自分か。
俺たちは、押したわけじゃない。
討って追い払ったわけでもない。
ただ、崩れた塊を受け止め続けて――止めきれず、境界の向こうへ渡してしまった。
国境を越えた瞬間、戦は“境界”の向こうの名前になった。
俺の喉に、言えない空気が残る。
名を付けたくない、というより――名を付ける権利がもうない。
――正規軍の終わる刻は、教国側の角笛の音で区切られた。
ここから先は、俺たちの戦じゃない。
だが、その一歩手前までを、
俺たちは確かに担ってしまった。




