【短編】虐げられ聖痕聖女は、やり直しの人生を推しに捧げます
こんなのおかしい。
推しの辺境伯が『呪われた土地に飲み込まれて亡くなった』という知らせに、リーナは身体の奥底からの震えが止まらなかった。
聖女シャルロットが呪われた土地を浄化してくれる。
この国の誰もがそう信じていたのに。
「ごめんなさい、私が浄化しにいかなかったから」
「シャルロットのせいではない。思ったより呪いの土地の侵攻が速かっただけだ」
泣きながらごめんなさいを繰り返す聖女シャルロットと、彼女をなぐさめる王太子フレディリックが、結婚式の準備で忙しくなければ、辺境伯は助かったのではないだろうか?
「次はダイス領が侵攻されます。早く聖女を派遣して……」
「そんな危険な場所にシャルロットを行かせるわけにはいかない!」
教皇のお願いを突っぱねる王太子に、みんな唖然とする。
「ここにいる聖女候補を全員派遣する」
「ですが、この者たちを合わせても聖女ひとりの聖力にもなりません。どうか聖女様を」
教皇の訴えは無視され、シャルロット以外の聖女候補たちがダイス領行きの馬車に乗せられる。
聖力がほとんど使えない役立たずの聖女候補リーナも、もちろんその一人だった。
当然ながら、リーナの微量な聖力では呪われた土地の侵攻を防ぐことはできず、逃げることも許されず、騎士たちと一緒に黒い靄に飲み込まれただけ。
あぁ。私にもっと聖力があれば、推しの辺境伯を助けることができたのに。
推しのためなら命を懸けて浄化したのに。
悲鳴すら上げる暇もない即座の消滅に、リーナの記憶は途切れた――。
◇
「これも洗っておいて。役立たず」
冬の凍てつく空気の中、たらいの冷水に手を浸していたリーナは、頭の上から降ってきた洗濯物にハッと顔を上げた。
「なによ、文句あるの?」
手を腰に当てながらジロッと睨んでくるシャルロットの姿に、リーナは目を見開く。
「……ダイス領の浄化は?」
「なに寝ぼけているの?」
とにかくよろしくとシャルロットは建物に入ってしまう。
リーナは手を冷たい水から出しながら、周りを見渡した。
近くで洗濯しているのは、ダイス領で一緒に黒い靄に飲み込まれたスーザン。
その向こうにいるアンナも呪われた土地に飲み込まれたはずなのに。
「……どういうこと?」
水から上げた手がジンジンと熱を帯び、赤く染まる。
ジッと手を見ていたリーナは手首の内側にできた見慣れないアザに首を傾げた。
「こんな怪我、あったかな?」
3センチはありそうな不思議な幾何学模様なんていったいどこでついたのか。
「リーナ、早くやらないと怒られるよ」
スーザンに注意されたリーナは、シャルロットの洗濯物をたらいの中に入れる。
再び凍るような水の中に手を入れたリーナの身体がブルッと震えた。
「みんな、聞いて聞いて!」
ビッグニュース! と建物から飛び出してきたエリが興奮したまま話し始める。
「シャルロットが王太子殿下に求婚されたの!」
……求婚?
待って。この場面、私、知っている。
求婚されたシャルロットは、ドレスを作ったり装飾品を選びに行ったり、王太子と茶会ばかりで聖女の祈りをやらなくなった。
そして半年後に辺境伯が亡くなるのだ。
……ということは、私は半年前に戻って来たってこと?
今はまだ辺境伯が生きている?
シャルロットを説得して、結婚式よりも先に呪われた土地の浄化に行ってもらえば、辺境伯が助かるってこと?
リーナは勢いよく立ち上がる。
「リーナ? どこに行くの?」
洗濯物を放ったまま、リーナは大聖堂にいるであろうシャルロットのもとへ。
「シャルロット!」
「リーナ、聞いた? 私、フレディリック殿下に求婚されたの」
婚約の証よとシャルロットは大きな石が付いた指輪をリーナに見せた。
「結婚式より先に呪われた土地を浄化しないと大変なことに」
「は? 何を言ってるの?」
「半年後に辺境が飲み込まれちゃうから」
「そんな急に呪われた土地が広がるわけないでしょ」
馬鹿なの? と冷ややかな目で見られたリーナは、必死で本当だと訴えた。
「……ねぇ、それ何?」
シャルロットは急にリーナの腕をつかみ、アザをジッと見つめる。
次の瞬間、ドンと突き飛ばされたリーナは、壁に背中を打ちつけた。
「さっさと洗濯してきなさいよ」
「お願い、浄化を」
「はいはい。考えておくわ」
早く行かないと神官に告げ口すると脅されたリーナは、急いで洗濯場に戻る。
「……嘘でしょ、なんであんな子に聖痕が……?」
シャルロットはギリッと奥歯を鳴らしながら、リーナの後ろ姿を睨みつけた。
◇
シャルロットに浄化してもらうにはどうしたらいいのだろう?
何もできないまま、半年前に戻ってから3日も経ってしまったことにリーナは焦った。
この国は呪われた土地と隣接している。
正確には昔は隣国だった場所が侵攻され、呪われた土地になったのだ。
国は、国民すべてに聖力検査を義務づけ、10歳になると貴族も平民も検査を受ける。
そしてわずかでも聖力を確認した子どもは教会で聖女候補として育てられるのだ。
シャルロットもリーナも平民だったが、美しいだけでなく高い聖力を持つシャルロットはすぐに聖女と呼ばれるようになった。
リーナを含むわずかな聖力しかない候補たちは、シャルロットの引き立て役。
貴族令嬢はそんな扱いに耐えられず、お金で聖女候補を辞退している。
だが平民は辞退できるわけもなく、掃除洗濯はもちろん、地味な奉仕作業はすべて聖女候補たちが担い、王族や貴族の前でのパフォーマンスだけシャルロットが務めるという状態だった。
それでもシャルロットが呪われた土地を浄化してくれるならと、今まで文句も言わずに頑張っていたけれど。
「リーナ、少しいいかね?」
「教皇様? なんでしょうか?」
普段話しかけてくることなんてない教皇に呼ばれたリーナは首を傾げた。
連れて行かれたのは大聖堂。
まさか掃除が綺麗にできていないと怒られるのだろうか?
「ここに座って」
「はい?」
「手を」
大聖堂の一番前の椅子に座らされたリーナは両手を出させられる。
リーナの左手首のアザを確認した教皇は、意味深に頷いた。
「リーナはいくつだったかな?」
「19です」
「これはいつからあるのかね?」
「3日前、洗濯をしているときに気づきました」
教皇が手を軽く上げると、バタバタと騎士たちが走ってくる。
「……え?」
まるで罪人のように両手を縛られたリーナは、何が起きているのか理解できず目を見開いた。
「教皇様?」
「聖女にお告げがあったのだ。『黒き靄の地、年輪二十を刻みし聖痕の乙女を大地の胎に抱くとき、万物の穢れを払う』とね」
黒き靄の地って呪われた土地のこと?
「……聖痕?」
「そう、手首にあるものが聖痕だよ」
「大地の胎に抱くとは?」
「20歳の誕生日に辺境に埋めると、この国は助かるという意味だろう」
埋める?
20歳の誕生日に埋める?
私の誕生日は5ヶ月後。
つまり、私を辺境に埋めれば辺境伯は助かるってこと……?
『推しのためなら命を懸けて浄化したのに』
まさかその願いを叶えるために半年前に戻ってきたということ?
「今から君を辺境に連れて行く。しっかり役目を果たすんだぞ」
ではがんばってと肩をポンと叩かれたリーナは、教皇の不気味な笑顔に鳥肌が立った。
「リーナ。あなたがそんな運命だったなんて」
ねぇ、シャルロット。泣きながら見送ってくれているのに、どうして口元がうれしそうなの?
「早く歩け」
どうしてこんな罪人みたいな扱いを受けるの?
馬車も罪人を運ぶ時の檻。
荷物さえ取りに行かせてもらえない。
辺境までは馬車で5日。
あまりの冷遇にリーナは心が折れそうだった。
というのは、ここに来るまでの話。
リーナは推しの辺境伯の姿に目を輝かせた。
生きている。
推しが生きている。
今日も素敵な黒髪に、美しい金の瞳。
教会ではもちろん遠くから見るだけだったが、スッと伸びた背筋も、たくましい肩幅も、引き締まったお尻もすべて完璧。
もし神様がいるのなら、彼のような姿で間違いないだろう。
「すまない。20歳になったら辺境のために死んでくれ」
「あなたのためなら喜んで」
「……は?」
声も素敵です。
驚いた顔も素敵です。
あぁ。会話ができる日が来るなんて。
「逃げるつもりなら」
「逃げません。あと5ヶ月と2日。辺境伯様のおそばに居させてください」
前回は辺境伯が亡くなった後、ダイス領に行かされて何もできないまま死んだ。
どうせ死ぬなら推しのために死にたい!
「ルシアン・ヴァレリーだ」
ルシアンはリーナの縄を小型ナイフで切ってくれる。
ルシアンは赤くなった手首をそっと摩ると、近くの騎士に「傷薬」と命令した。
すぐに騎士が持ってきた小さな入れ物の蓋を開け、ルシアン直々に薬を塗ってくれる。
そのまま入れ物はリーナの手に乗せられた。
「部屋に案内しよう」
推しが手首を触った?
推しが薬を塗ってくれた?
推しが部屋に案内してくれる?
なにこのご褒美!
「早く来い」
「は、はい」
案内された部屋はゲストルーム。
広くて日当たりも良い綺麗な部屋だった。
「こんなに素敵な部屋を……?」
「逃げさえしなければ、毎日好きに過ごしてもらってかまわない」
だが、見張りと侍女をつけさせてもらうとルシアンに言われたリーナは、侍女がつくことに驚いた。
「騎士たちが手荒な真似をしてすまない」
最後に謝罪までされたリーナは、真っ赤な顔に。
カッコよすぎる!!!!
姿や顔はもちろんドストレート。
声も素敵。
死んでくれはちょっと驚きだったけれど。
「これのおかげでルシアン様の役に立てる……」
リーナは左手首の聖痕を眺めた。
◇
「……野放しでいいのですか?」
「残り数ヶ月くらい好きにさせてやれ」
「ですが」
「逃げるような素振りはないのだろ?」
だったらいいじゃないかと言われた侍従ヘンリーは、肩をすくめた。
「もっと悪女ならよかったのに……」
聖女のお告げにより、辺境に埋められることが決まった聖痕の乙女。
教皇からはそれが彼女の運命なのだと、神の啓示なのだから必ず埋めなくてはならないと言われた。
だから、割り切らなくてはならない。
だが、本当に埋めなくてはならないのか?
窓から庭園を見下ろすと、気づいたリーナがルシアンに手を振る。
その無邪気な姿に、ルシアンは心を痛めた。
「先ほどリーナ様がルシアン様に伝えてほしいと」
「何だ?」
「もうすぐ豪雨があるそうです。ですので、川の側に仮保管している穀物を高台に移したほうが良いと」
「こんな時期に豪雨だと?」
しかも川が氾濫するような豪雨は今まで来たことがない。
「どうしますか?」
「聖痕の乙女の言う通りに移動させよう」
ルシアンの決定にヘンリーは騎士を手配する。
誰もが豪雨など信じてはいなかったが、結局雨は三日三晩降り続くことになった。
「なぜわかった?」
ルシアンに尋ねられたリーナは答えに悩んでしまった。
前回、穀物がすべて流されてしまい、辺境伯領の領民たちが飢えに苦しんでいると教会に相談に来ていましたよ。なんて、誰が信じるだろうか。
そもそも前回とはなんだ?
というところからスタートだろう。
「聖痕のおかげ……?」
「おまえにもお告げがあるのか?」
「そうかもしれないです」
とりあえず誤魔化すしかない。
リーナは今日もカッコいいルシアンの姿を見ながらにっこりと微笑む。
「何か欲しいものあれば……」
今回の礼に何か贈ろうと言ってくれたルシアンに「お気持ちだけで」とリーナはお断りをした。
「あと4ヶ月なので」
「……そうか」
あれ? 静まり返ってしまった。
ルシアンだけでなく、侍従のヘンリーも、侍女のサリーも騎士たちも気まずそうだ。
「あ、行きたいところとか、連れて行ってもらえたりしますか?」
「あぁ、どこに行きたい?」
「アウルム・ヒルに行きたいです」
前回ルシアンが教会で、アウルム・ヒルから呪われた土地が見えるようになったと話しているのを聞いたことがある。
もともとはとても美しい景色で、ルシアンが子どもの頃から好きだった場所だと。
せっかくだから、美しい景色のうちに見ておきたい。
「……わかった。今から行こう」
手を差し伸べられたリーナは驚いた。
私が推しの手を握ってもいいの?
これは罰が当たらない?
「どうした? 明日の方がいいのか?」
「い、いえ。お願いします」
馬車に乗っていくのだと思い込んでいたが、まさかの馬に二人乗り。
馬は初めてだと伝えたが、この馬は大人しいから大丈夫だと言われてしまった。
馬よりも私の心臓が持ちません。
この密着!
魂が抜けそうです!
「もうすぐ森を抜ける」
頭の上から聞こえる声もカッコよすぎて困ります!
急に視界が広くなり、空と川と森林が続く。
「すごい」
想像以上の絶景にリーナは驚いた。
「春になると花が咲き、夏……」
ルシアンの声が止まり、リーナは振り返る。
「……すまない」
申し訳なさそうなルシアンの顔で、リーナは夏には自分はもういないのだとようやく気づいた。
やっぱりこんなに優しいルシアンが亡くなるのはダメだ。
ルシアンはきっと最後まで領民を逃がすために動き、そして呪われた土地に飲み込まれたのだろう。
「ルシアン様、あの、左の……」
「気づいたか。あれが呪われた土地だ」
左の遠くの方に、黒い靄が見える。
この時期にもうそこまで来ていたということ?
私にもっと力があれば。
誕生日まで何もできないのだろうか?
シャルロットみたいに聖女の力があれば、あの呪われた土地の侵攻を遅らせて、ルシアンが好きなこの景色を守ることができるのに。
自分のわずかな聖力では効果はないとわかっているが、リーナは教会でやっていた祈りをアウルム・ヒルで捧げる。
聖痕が急に熱を帯びたと思った瞬間、光の輪のようなものがリーナを中心に駆け抜けた。
それはまるで聖女のシャルロットが王族や貴族の前で真剣に祈った時のようだった。
この光の輪に触れた人々は怪我や病気が治る。
そう言われていたけれど。
「靄が消えた……?」
ルシアンの言葉に驚いたリーナも左の方を確認する。
「見えなくなりましたね?」
それどころか、森の木が生き生きし、さっきは見えなかったピンク色は花だろうか?
春になると花が咲き……?
まだ冬なのに?
どういうことだろう?
リーナは首を傾げる。
「また来月、様子を見に来よう」
暗くなる前に帰るぞと言われたリーナは「ありがとうございます」と微笑んだ。
◇
「シャルロット、体調でも悪いのか?」
熱を出した国王陛下を治すため、王宮に呼ばれたシャルロットは、王太子に「ごめんなさい」と謝罪した。
いつものように祈り、光の輪を出そうと思ったのにまったく何もでないなんて。
今までこんなことはなかったのに。
「最近、この国のために祈りを多く捧げていたから、疲れてしまったのかも」
「あまり無理はしないでくれ」
「ごめんなさい」
目を潤ませながら、国王陛下のためにもう少しがんばると祈りのポーズをしようとしたシャルロットを王太子は止める。
「父上は宮廷医の薬を飲むから大丈夫だ」
「でも」
「庭園で茶を飲もう。珍しい菓子を取り寄せたんだ」
優しくエスコートしてくれる王太子の手を取りながら、シャルロットは「ありがとう」と微笑んだ。
王太子に求婚されて以来、シャルロットは一度も祈っていない。
貴族から祈りの要請も何度かあったが、「王太子妃に祈らせるの?」と教皇に文句を言い、すべて聖女候補たちにやらせていた。
当然、聖女候補では効果はほとんどないけれど。
一ヶ月くらい聖力を使っていないから?
教会に戻ったら大聖堂でとりあえず祈ってみよう。
数日祈れば感覚が戻ってくるはず。
そう思っていたのに。
教会に戻ったシャルロットは10歳が使用する聖力測定装置に手を置いた。
数値は1。
聖女候補たちと同じ、またはそれ以下のレベルだ。
「どうして……?」
以前はレベル6まであったのに。
「……聖痕……?」
きっとあの子のせいだ。
リーナに聖痕が現れてから、私の聖力が減ったのだ。
「早く死ねばいいのに」
あのお告げは嘘。
結婚式より先に呪われた土地を浄化しろとうるさかったリーナを追い払うための嘘だ。
同時に、リーナに浄化の役目を押し付ければ、誰も聖女である自分に辺境へ行けと言わなくなる。
そう考えて勝手に作ったお告げだった。
『黒き靄の地、年輪二十を刻みし聖痕の乙女を大地の胎に抱くとき、万物の穢れを払う』
リーナを生き埋めにしたところで呪われた土地は変わらない。
そして役立たずのリーナは死んだ後も責められ、最後に聖女である自分が呪われた地を浄化し、さらに崇められるという完璧な計画だったのに。
「あと4ヶ月……」
とりあえず毎日、集中したいからひとりで祈ると誤魔化そう。
シャルロットは聖力測定装置を片付けながら爪を噛んだ。
◇
推しがカッコよすぎる。
リーナは剣の稽古をするルシアンを少し離れた木の陰からうっとり眺めた。
「リーナ様、あちらの椅子でご覧になればよろしいのでは?」
「そんなのルシアン様の気が散るからダメです」
「いえ、こちらでもしっかり気は散っておりますので」
侍女サリーにツッコまれたリーナは、呑気に「え?」と振り返った。
「この距離でも?」
「はい。バレています」
「毎日?」
「はい。毎日」
この位置ならバレないと思っていたリーナは真っ赤な顔になる。
「ついでに言わせていただければ、剣の稽古だけでなく、対面の建物から執務室をご覧になっているのも、庭から書庫の中を覗いているのも、馬の世話をしている様子を部屋から見ているのもバレています」
つまり全部だ。
「い、いつから……」
「ずっとです」
嘘でしょ。
ストーカーだと思われてない?
大丈夫?
「ルシアン様、怒っていますか?」
「いいえ。好きにさせてやれとヘンリーにお答えになったそうです」
優しい!!
木の陰で深い感動に打ち震えたリーナは、「今日も推しが最高です」と呟く。
こんなに気分がいい日はやっぱり祈っておこう。
「ルシアン様がいつまでも健康でいてくれますように。辺境に加護がありますように」
リーナは木の陰で手を組みながら気軽に祈る。
左手首の聖痕がまた熱くなったと思った瞬間、今日もリーナの足元から光の輪が駆け抜けた。
「あれ? また?」
おかしい。私にこんな聖力はないのに。
「リーナ様? 今のはなんですか?」
「あ、祈りを、少し」
「きれいな光でした」
はじめて見ましたとサリーが感動する。
「ルシアン様! 怪我が治りました」
「俺もさっき木刀でひっかいた傷が消えました」
「庭園の花がいっきに咲いたと庭師たちが大騒ぎです」
「冬なのに、裏庭の野菜が収穫できます!」
剣の稽古場に駆け込んでくる騎士や使用人たちの変な言葉に、ルシアンはリーナを見る。
「わ! 目が合っちゃった!」
幸せだと浮かれながら木の陰に隠れたリーナは、ルシアンが近づいていることに気づいていなかった。
「おい」
「ひゃいっ」
目の前にはルシアンの整った顔。
汗で張り付いたシャツも色気を倍増だ。
「なにをした?」
「えっ? 祈りを……少し」
「体調は悪くならないのか?」
「へっ?」
誰の? みんなの?
「おまえは疲れたりしないのか?」
「えっ? 私は全然大丈夫です」
まさか私の心配をしてくれている?
推しが?
私を気に掛ける?
「無理はするな」
「は、はい」
稽古場に戻っていくルシアンの後ろ姿ももちろん素敵だ。
いや、それよりあの汗ばんだ髪とか、張り付いたシャツとか、たまらないんですけど!
20歳で埋められると聞いた時は驚いたけれど、推しを眺め放題なのはやっぱりご褒美だ。
あと3ヶ月。
堪能させていただきます!!
リーナは幸せだなぁ~と呟きながら、部屋へと戻った。
毎月アウルム・ヒルに連れて行ってもらったが、思ったよりも呪われた土地の侵攻は遅かった。
聖痕のおかげで光の輪が出せるようになったので、シャルロットの代わりとまでは言わないが、多少でも浄化ができていればいいなとリーナは思った。
最近はアウルム・ヒルだけでなく、ルシアンはいろいろな場所に連れて行ってくれる。
ルシアンの公務に同行しているような感じだが、川の側の穀物庫や、洞窟、鉱山、街の視察まで。
まだまだ領地のすべてを回ることはできていないが、毎日楽しかった。
誕生日まであと1週間。
もうすぐルシアンの役に立てるのだ。
私を埋める場所は決まっているのだろうか?
もし選べるのならアウルム・ヒルか、そこから見える森のどこかがいい。
そこならルシアンが会いに来てくれそうだからというのは贅沢だろうか?
「……あれ?」
リーナは溢れ出てくる涙に驚いた。
二度目でも死ぬのは怖くないなんて言えないが、前回のなにもできない死よりはよっぽど意味がある死なのに。
この5ヶ月、毎日楽しかったから臆病になってしまったみたいだ。
リーナは手の甲で涙を拭う。
大丈夫。ちゃんと笑顔でお別れできる。
リーナはキュッと口を堅く結ぶと、今日もふかふかの布団で眠りについた。
◇
リーナの誕生日は晴天だった。
朝から料理長がケーキを作ってくれて、甘いものが苦手だというルシアンも一緒に食べてくれた。
甘くてふわふわで、あんなにおいしいケーキは初めてだった。
昼前には王太子と婚約者のシャルロット、そして教皇が辺境に到着し、みんなでアウルム・ヒルへ。
ルシアンが私を埋める場所にアウルム・ヒルを選んでくれたことがなによりも嬉しかった。
「まだ呪われた土地は見えないな」
もっと侵攻しているかと思っていたと王太子はアウルム・ヒルから景色を眺めながら呟く。
「リーナ、役目をしっかりと果たしなさい」
「はい。教皇様」
教皇から聖水をもらったリーナは、その場で飲み干す。
その姿を見たシャルロットは涙を流した。
「リーナが、私のお告げのせいで……」
「シャルロットのせいではない」
今にも泣き崩れてしまうそうな演技だけれど、口元は隠した方がいいわよ。
リーナはシャルロットの演技に苦笑する。
「リーナ」
振り返ったリーナはバラの花束を持ったルシアンの姿に目を見開いた。
「リーナ、結婚してくれ」
ルシアンはリーナの前に跪く。
「……ルシアン様?」
「ルシアン・ヴァレリーは、リーナだけを生涯愛すると誓う」
ちょうど教皇もいるし、この場で結婚しようと言うルシアンの気遣いにリーナは思わず泣きそうになってしまった。
人生悔いなし!
私の推し、最高では?
最高すぎるでしょ。
「ありがとうございます。私もお慕いしています」
リーナは花束をもらいながら精一杯微笑んだ。
少し離れた場所にはお世話をしてくれたサリーやヘンリー、見慣れた騎士たち。
二度目の人生は幸せだったな。
リーナは花束を持ったまま、自分で穴に埋められた白い棺に入った。
「よし、蓋を閉めろ!」
王太子の命令が棺の中のリーナにも届く。
リーナは薔薇の花束をギュッと抱きしめた。
「……ダメだ。やっぱりダメだ」
ルシアンは突然棺の中に入り、リーナを抱き起こす。
「ヴァレリー辺境伯、何をして」
「これはお告げなのよ?」
王太子とシャルロットが早く埋めろと言っても、ルシアンは棺の中から退かなかった。
「王太子殿下、この景色をご覧ください。呪われた土地はまだ見えません」
「今は見えないが、いつ侵攻するか」
「毎月リーナはここで浄化をしていました。そのおかげで呪われた土地の侵攻は止まっています」
だから今すぐ埋めなくても、毎月浄化すれば止められるのではないかとルシアンは訴える。
「でもお告げの通りにしないと!」
先ほどまで泣いていたはずのシャルロットが必死に埋めるべきだと語る。
聖女なのに庇うどころか早く殺せと言っているような言動に、ルシアンは苦笑した。
「教皇様。『年輪二十を刻み』ということは、20歳以上ならいつでもいいのではないですか?」
「解釈次第だが……」
「『黒き靄の地』はまだここにはない」
浄化する対象がないのに埋めるのはやはり変だと、ルシアンはリーナを抱きしめる。
「すまない、リーナ。お告げの通りにしないと辺境が呪われた土地に飲み込まれると言われ、こんなギリギリまで悩んだ弱い俺を許してくれ」
「ルシアン様はこの辺境を守るお方。だから私を埋めるべきです」
辛そうな顔で見つめるルシアンに、リーナは困った顔で微笑んだ。
「リーナ、今、光の輪を出せるか?」
「はい、たぶん」
リーナが祈ると、光の輪が川や森の向こうまで駆け抜ける。
「教皇様、これほどまでの力を秘めた聖痕の乙女を、本当に埋めるのですか?」
ルシアンの言葉に教皇は動揺した。
「そのくらいシャルロットもできるさ」
見せてやれと王太子に言われたシャルロットは震えながら手を組む。
だが、いつまで待ってもシャルロットから光の輪が出ることはなかった。
「シャルロット?」
「聖女様?」
王太子と教皇に見つめられたシャルロットは、リーナを睨む。
「あの女が私の聖力を盗んだのよ!」
シャルロットは近くの騎士からスコップを奪うと、棺の中に土を入れようとする。
すぐに騎士たちに取り押さえられたシャルロットは、奥歯をギリッと鳴らした。
「シャルロットは今、聖力がないのか……?」
だからあのとき父の熱が治らなかったのかと王太子はシャルロットから距離を取る。
「だからずっとひとりで祈りをすると、貴族たちの前ではしないと言っていたのですか?」
教皇もおかしいと思っていたと呟いた。
「聖痕の乙女が本当の聖女……?」
「聖女様を埋めるなんて」
そんなお告げが本当なのかと王太子と教皇は顔を見合わせる。
「中止でかまわないな?」
ルシアンの言葉に、王太子も教皇も動揺したまま頷いた。
その後、お告げはシャルロットの捏造だったことが判明した。
リーナの聖痕を見た瞬間、王太子妃の座も聖女の座もすべて奪われるのではないかと不安になったと。
さらに辺境に行けとリーナに言われたことに腹を立て、自分が行かずにすむ方法を考えたと自白。
教皇と王太子から正式に謝罪され、リーナが聖痕を持つ正式な聖女であることが国中に発表された。
『虐げられ聖痕聖女は、やり直しの人生を推しに捧げます』
推しのためなら埋められてもかまわない!
そう決意したはずなのに、リーナは誕生日を過ぎても生きている自分が不思議だった。
さらに不思議なのは、二度目の人生に戻ってから半年を過ぎてもこの辺境が呪われた土地に侵攻されることもなく、もちろん推しの辺境伯ルシアンも無事なこと。
あのとき教皇立ち合いのもと結婚したリーナは、そのままルシアンの妻に。
毎月アウルム・ヒルに通っているが、一年経っても二年経っても、子どもが生まれても、呪われた土地が侵攻してくることはなかった。
リーナの祈りのおかげか、辺境はどの地域よりも豊かな領地に。
今日も推しがカッコよすぎます!!
リーナは推しのルシアンと、新しく推しになった息子のラキアを木の陰から見つめながら「幸せだなぁ」と呑気に呟いた。
多くの作品の中から見つけてくださってありがとうございます。
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