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32.ハンスの母君は王女殿下。ハンスと結婚すればこの存在が姑となると思うと、やっぱり婚約は破棄すべきか

 

 王女殿下との面会は、“お目見え”という様式のお声を掛けていただくだけのものだった。

 フローによる“美しい歩き方”の特訓もあったし、ドレスの裾捌きの練習もさせられた。まあ、予想の範囲内だったのでそれは問題ない程度だったのだが。


 面会の部屋は、すっきりとした上品さに溢れていた。生まれながらの王女とはここまでのものかと驚くばかり。

 ご衣装は金糸の総刺繍が入った布を使った、スクエアネック、肘下袖丈のドレスで、金糸で編んだレースを胸元と袖周りに使っている。錦布張りの椅子に浅く掛け、ドレスの裾はきれいな曲線を描くように侍女の手で整えられているようだ。揃えられた細い靴先が僅かに覗いている。

 結い上げられたプラチナブロンドの髪に細いティアラを着け、首には水晶と真珠を交互に繋げたネックレス、そして揃いのイアリング。

 白レース編みの手袋を着けた手には、ドレスに使ったのと同じ意匠のレースを張った扇を軽く握り、微笑みを湛えている。それだけでも絵画のように威厳があるのに、背後にはふたりの護衛騎士、右斜め前に執事長、左斜め前に侍女長だ。


 ただ息子の婚約者にほんの数分会う為だけに、これだけの手間をかけてくださった、と思うと心苦しいほどだ。メイベルから借りたドレスを着て、謁見礼を数度練習しただけで御前に出ていいような方ではないのでは。


 藍の方の付き添いは、メイベルと城代を務める領城留守居役。介添にフローが斜め後ろにいてくれている。謁見の礼については、前日に侍女長が訪れて、事細かに説明してくれた。初お目見えの儀となるので、謁見する者の負担とならないようにごく短いお言葉を賜るだけだという。


 あらかじめ指示されていた、絨毯の模様五つめまで進み、腰を落とし両膝を着く。そこでもう緊張でぐらつく始末。フローが介助してスカートを整えてくれるのを待ち、上半身をしっかり起こし頭を僅かに下げて視線を落とす。右手の平を心臓に当て、手首のところで左手首をクロスし、左手は軽く握る。すぐ斜め後ろに、フローも膝をついている。


「はじめてお目に掛かります。ファンデル侯爵家の養女となりました、アデライーデ・ルイーゼ・フォン・デム・エッシェンフォルゲンにございます。エアハルト夫人メイベル・アーデルハイドとともに、異世界から参りました」


 お言葉を賜ります。顔をあげなさい、と侍女長が声を掛ける。

 藍は顔をあげ、視線は殿下の襟元に置く。


「ユキヒラ・アイ。よう参った」

「この世界のことがまだわからない身で、軽率な振舞いでございました」

「そのようであるな。何ごともなく着いたはそなたの運であろう」

「畏れ多きお言葉にございます」


 執事から目配せが入り、これで面会は終了だった。フローが後ろから上手に支えて、立ち上がらせてくれた。侍女長が手で合図した。視線を落として、殿下の退出を待つ。

 椅子から立ち上がる動作も、向きを変えて歩きはじめる瞬間も、計算された美しさだ。侍女長が手を取り、執事長が先導し、後ろから騎士がついてゆっくりと謁見の間から出ていく。



 退出した藍は、居間に入ってメイベルに縋り付いてしまった。

「えーーん、緊張したよー、もう嫌だー、婚約破棄するー、ムリーあの殿下の義理の娘だよー、勘弁して-」

「はいはい、王女殿下から卿に何らかの伝達があるだろうから、顔を見たら叫んでおやり」

「やる、絶対やる」


「藍様、今日から礼法の特訓です」

「え?」


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