3.行き倒れ救助イベント発生か?
藍は行き会った行き倒れ女性に気楽に話しかけた。脳筋ならぬ、no筋を脱してから自信がつき、あまり他人を忌避しなくなっている。この地に生まれて育った人なら、剣を突きつけるなり、拘束するなりして警戒するところだが、何しろ藍は安全に慣れ親しんで生きてきた日本人で、倒れている人を見たら警察か救急車に連絡するのは当然の世界の人だ。善良で無防備なのである。
女性は、差し出されたペットボトルの水をぐびぐびと音が出そうなほどの勢いで喉に流し込んだ。
ほっと一息つき、藍を見る。
「あ、ありがとうございます」
「うん」
藍は横座りになっている女性の横に、体育館座りで並んだ。
「おなかすいてる?」
「は、はい」
「こんなところで行き倒れてるんだから、事情があるのはわかるよ。五十メートルくらい歩ける?」
「え、はい。助けてくださるんですか、こんな不審な女を?」
「ああ、不審ね、そうよね。まあ気にしないで」
たぶんイベントだから、という呟きをそっと飲み込む。
「行こうか、立てる? 手貸そうか?」
「い、いえ、何とか」
とか言いながらも、女性は差し伸べられた手を借りてなんとか立ち上がり、若干おぼつかない足取りながらも藍の後をついてきた。
目の前に蔓草藪の塊が見えてきた。不審っちゃ、この藪の方が女性よりよほど不審だ。背の高い木に藤がまとわりつき、隣の木には壁面緑化用のアイビーが巻きつき周囲の木々に蔓を伸ばしている。少し向うでは、名前を憶えていない植物が白い花を咲かせている。低いところでは絡み合ったつる草がムクムクと盛りあがって藪になっている。売っている苗を手当たり次第に買って植えたので育たなかったものも多いが、気候と土壌に適合したものがバリバリに生い茂っていた。
その不審な場所に近寄り、藪の一部を指差す。
「ここから中に入るんだけど、狭いから這っていくのよね。ちょっとがんばれる?」
「え、はい」
藍の後ろに続いてキャンプ地に入った女性は、目を見張ってしまった。
「え」
「驚いた? 私、今家出中なんだ、あんまり帰る気ないけど。ここはちょっと立てこもってるだけ」
「はあ」
「まあ、あっちで座ろう?」
女性を愛用のリクライニングソファに座らせた。地面に倒れていた女性を座らせるのだから、がっちりバスタオルで汚れガードしてからだ。どういう状況だったかわからないので、ペットボトルの水とオレンジジュースを並べて蓋も開いておいた。
「どーぞ、瓶からで悪いけど。 ねえ、さ、パンとスープ、食べられる?」
「はい、ありがとうございます、ぜひお願いします」
「わかった、それ飲んでて」
女性が水を飲み、ジュースに手を掛けて、見た目は透明なのに手触りがガラスではないことに驚いているうちに、レトルトのコーンスープを温めて器に注ぎ、朝食べきれなかったバターロールを皿にのせて、どぞー、とか言いながら差し出した。器と皿といっても、プラ食器だ。前回、戸外にいると陶器やガラスは簡単に割れ、しかもその破片を拾いきれず危険なことに気が付いたので、これにしてある。マグカップだけが厚手の陶器だ。
スープとパンを食べる女性を見れば、彼女が貴族ではないことはすぐにわかる。貴族女性なら、カトラリーがないと食べ方がわからない。ただ出されたものの前で誰かがスプーンとナプキンを出してくれるのを待っているだけだろう。その点、この女性は器の縁に直接口を付けてスープを飲み、パンをちぎって口に入れるのではなく、齧りついた。
藍は、少し安心していた。しばらく貴族の顔は見たくない。