●3 恋人
魔王様の日課は遠い過去に失ってしまった恋人の転生体を探すことだ。
孤高の魔王にとってその恋人が唯一気にかける存在だった。
だが普通の『人』であった恋人は同じ人から受けた攻撃によって呆気なくこの世を去った。
絶対的な力を持つ魔王であっても、ほとんど致命傷であったそれを治すことは出来なかった。
『シュザ!死ぬな!私を置いて死ぬことは許さん!』
恋人は同じ人間の非道に恨み言を言うでもなく微笑を浮かべて死んでいった。
魔王は悲しみと怒りで大陸を一つ潰し、消え行こうとする恋人の魂に徴を付けた。
いつか再びこの世に転生する恋人を見つけるために。
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袖掏り合うも他生の縁。
人の振りをして街を歩いていた魔王にぶつかったのは、一頭の犬だった。
普通の犬であれば、いくら人に模しているとはいえ魔王にぶつかってくるなど無かっただろう。
だがその犬は幼い頃から人に飼いならされている小さな愛玩犬だった。
「チュリ!」
犬の名前らしきものを呼んで駆け寄って来たのは妙齢の女性だった。
貴族の外出着に身を包み、従者もその後から駆けてくる。
「お嬢様っ!」
「チュリ!チュリ!…すみません。この子が失礼を…」
犬は女性の呼びかけにくぅんと鼻を鳴らして腕の中に飛び込んだ。
「名は」
「はい?」
「そなたの名は何と言う?」
「ミュリアン・ディ・クレイハザウと申します」
「お嬢様!」
素直に答えるミュリアンを庇うように従者が前に出た。
「こちらはクレイハザウ家のご息女であられる。控えられたし」
従者の言い様はこの街の住人には効果があっただろうが、生憎相手は魔王様だ。
人間の地位など魔王には何の価値も無い。
無言のまま紫眼で見下ろした魔王に、従者は戸惑いの表情を浮かべた。
「貴様に用は無い」
「…な」
「退け」
上からの物言いに、従者は絶句したが…忽ち顔を赤くして怒った。
「無礼な!こちらの方を…」
「私には何の意味も無い。この街を滅ぼされたいのならば好きにするが良い…ただ」
すっと伸びた白い腕にミュリアンはびくりと身を震わせた。
「我が名は魔の中の魔」
宣言と共に、降り注いでいたはずの日差しが暗雲に覆われた。
昼の時が封印され、突然に訪れた夜の…魔の時。
人々の顔に驚愕が広がり…硬直が解けるや我先にその場から逃げ出した。手にしているものを投げ出し、転がった人を踏みつけ、その場から一刻も早く逃げ出そうと騒然となる。
動けずに居たのは従者とミュリアンのみだった。
どちらもその顔色は蒼白で、ミュリアンは今にも気を失いそうだった。
魔王はそんなミュリアンに近づき、顎を捉えた。
「お前。我が名を呼べるか?」
魔王の問いかけにミュリアンは小刻みに震え、口を動かすことさえ出来ない。
「記憶が無いのか?」
魔王が何を問いたいのか誰もわからない。
そこで、ふと魔王が微笑を浮かべた。
「そなたは我が嘗ての恋人の転生体。シュザに間違いない。そのうち思い出すであろう」
魔王はミュリアンの腰に手をまわし、外套で覆い隠そうと…
「ま…待てっ!お嬢様を…っ」
従者はなけなしの勇気と義務でミュリアンを助けようと手を伸ばした。
それを魔王は冷徹に眺めると小さく呟いた。
「邪魔だ」