●2 従者
魔王の中の魔王。
その力は果てしなく、紫眼の視線だけで命を奪い、爪弾くだけで大陸を消した。
何者にも縛られず。何者をも従えず。
ただ我が道を行く孤高の王。
だが、いつからかその隣に立つ者が居た。
金の髪の美しい人。
孤高の魔王の隣で朗らかに笑い、冷徹なる魔王も隣人にだけは微笑みかけた。
「*****!」
形の良い唇は魔王の名を紡ぐ。
それに応えるように魔王は、その唇を塞いだ。
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「んぐっ」
「はい、起きてくださ~い!」
唇に当たる感触…それは柔らかくぷるぷるとしていて…間違いなく・・・
「ドラグンケロッグの目玉を食べさせるな!!」
ぺっ!と吐き出されたそれが床にころころと転がっていく。
人の拳大のゼラチン状の中に赤黒い何かが揺らいでいる。
女性なら悲鳴を上げて飛びのく気持ち悪さだ。
「ああ、珍味をもったいない…」
しかし寝台の傍らに立つ少年は、それを未練がましく目で追った。
「だったらお前が喰え!拾って食べろ、許す」
「別にいいです。遠慮しておきます。おはようございます。魔王様」
あっさりと断り、少年は不機嫌そうな魔王に頭を下げた。
「リク、貴様…死にたいのか?」
「特に死に急いでいるわけではありませんが…所詮この身は卑小なる人の身。魔王様の気紛れで生かされている身ですから。殺されても文句は申し上げられません」
口減らしに森に捨てられていたのを魔王が拾った。
それは確かに気紛れ以外の何ものでも無かった。拾ったからと言って何か面倒を見たわけでも、食料を与えたわけでもない。
だが幼い子供はしぶとく生きて、魔王の『従者』と自称するまでに育った。
「くそっ。せっかく久しぶりに我が愛しのシュザに出会えたというに」
「夢ですけどね」
従者は辛辣だった。
「それよりさっさと起きていただけますか。魔界に日が差す時間は短いので、寝具を干しておきたいのです」
「放っておけ」
「万年床はカビの温床です。カビと仲良しの魔王なんて格好がつきません。カビ魔王なんて呼ばれたら指差されて笑われるだけですよ。せっかくの美貌も笑いの添え物になるだけです」
「貴様は……もういい」
反論するのも馬鹿らしくなり、魔王は寝台から出ると漆黒のマントを身に纏った。
「あ、そのマントも洗濯に…」
「黙れ。それ以上言えば灰にするぞ」
「はい」
「……。……」
魔王は蟀谷を押さえ、その場から消えた。
<従者>の名は『リク』それ以上も以下も無い。
そして、魔王によって与えられた役職でもない。ただリクがそう名乗っているだけだ。
魔王の身の回りを整え、城を掃除し、魔王を送り出し、魔王を迎える。
何しろリク以外の人手というものがここには無い。
孤高の魔王はただ一人の部下も持たない。
部下が居る必要が無い。それほどに強大な力が魔王にはある。
そして不要で余計なものを傍に置くほど魔王は慈悲深く無く、己を主と呼ぼうとした魔を瞬殺した。
その帰り道で気紛れに拾われたのがリクだった。
リクに掴まれたマントを振りほどくでもなく、歩調を緩めるでも無く、引きずるままに城に戻った。
そして、棲み付いたというわけだ。
魔王が気に留めるものは、今も昔もそして未来もただ一つだけ。
儚く散った麗しの恋人だけだ。