PhaseⅡ
「本当に、水しかないんだ……」
陽炎の中に揺れ立つ自販機に向かって、慎重に近づきながら、ソーマは唖然としてそう呟いた。
目的まで10メートル……5メートル……2メートル……そして。
いともあっけなくその自販機は、ソーマの目の前に立っていた。
売店からも休憩所からも距離の離れた公園の林の中、いったいどこから電源を引いているのだろう、ソーマには見当もつかない。
だが白くて古びたその機械は、たしかにソーマの前で稼働していた。
商品のサンプルステージに表示されているのは、たしかにミネラルウォーターばかり。商品名もメーカーも聞いたことのないものばかりだった。
それにしても……ソーマはスマホのカメラで自販機の様子を撮影しながら、首を傾げる。どうしてこんな品揃え? 建設工事の現場だったりJRの特定の駅には、お茶と水しか揃えていない自販機があるという話も聞くには聞くけれども。
「買える……んだよな、これ……?」
そしてソーマの喉が、緊張と渇きと、そしてある種の高揚感にゴクリと鳴っていた。
サンプルに表示されている値段はどれも100円だった。
御珠第三公園で昼下がりの数分しか見ることの出来ない、幽霊自販機、おばけ自販機。
その自販機から直接商品を買う事ができたら……物証を押さえることが出来たら!
とんでもないスクープになる。ネットの実話怪談系掲示板でも、ヨーチューブのオカルト系チャンネルでも、まだそれだけのエビデンスを押さえたニュースは1つも上がっていないはずだった。
カチャン……コロン……。ソーマが財布から取り出した100円玉は、何の問題もなくコイン投入口に吸い込まれていく。
ドクン……ドクン……ドクン……高鳴る胸を押さえながら、ソーマがサンプルステージの一番右端、『アクアリキッド霊素水H2O』のボタンを押すと。
ゴロンッ! 出てきた、買えた! 自販機の取り出し口に、500mlのペットボトルが、本当に転がり出てきた。
「やった……やったぞ!」
ソーマが興奮で目を輝かせながら、ペットボトルの取り出し口に手をつっこんだ、だがその時だった。
「うわあああああッ!」
ソーマは悲鳴を上げた。
取り出し口の中の何かが、ソーマの手をグイッと掴んで、ものすごい力で引っ張ってきたのだ。
「離せ……離せえッ!」
引き攣った声を上げながら、自販機の内側に自分を引きずり込もうとする力に、ソーマは必死で抵抗する。
腰を入れて、足を踏ん張って、どうにか取り出し口から自分の手を引き抜こうとする……その時だった。
ピチャリ……不意に、引き込まれた手首のあたりを、冷たくヌメついた何かに撫でられた気がした、次の瞬間。
「ななななな……!?」
腕を引っ張る強い力がスーッと消え失せて、バランスを失ったソーマの身体は大きくその場から後ずさりした。
「あ痛つつつ……」
地面に思い切り尻もちをついたソーマが、ワケがわからないまま首を振っていると……
(ソーマ? おいどーした? 大丈夫かソーマ?)
ソーマの頭の中で、キョトンとした様子のルシオンの声。
「あ……ルシオン? 今のは、あの自販機は……?」
慌てて地面から立ち上がったソーマがあたりを見回してみても、さっき目の前にあったはずの自販機も、取り出そうとしていたミネラルウォーターのペットボトルも、煙のように消え失せている。
ソーマの目の前に広がっているのは、落ちかけていく夕日に赤黒く染まった公園の雑木林だけだった。
(なに言ってるのだソーマ。急に走り出したと思ったら、こんな何もないところでいきなりコケて眠ってしまって……本当に大丈夫かソーマ?)
自分の中から訝しげな声でそう話しかけてくるルシオンの声もうわの空の中、ソーマは呆然として公園の林を見回していた。
#
翌週の月曜日。
「本当なんだってコウ! 本当に水だけの自販機があって、それで俺が100円払って取り出し口に手を入れたら、中からこうグイーッて……」
「マジかよすげーなソレ! でもなんかそれ、ネットの情報とちょっと違くね……?」
学校の昼休み、ソーマは先日体験した怪奇現象を必死になってクラスメートのコウに説明していた。
オカルト関係で話が合う親友のコウも、身を乗り出してソーマの話を聞いているが、時々いぶかしげに首をかしげている。
「そう、証拠がないんだよな何も……」
ソーマもポケットから取り出したスマホのスクリーンを恨めしげに眺めながら、そう呟いた。
あの時たしかにスマホカメラに撮影したと思っていた自販機の姿も、あとから見てみたら雑木林の景色しか映っていないのだ。
昼の正午に見つけたはずなのに、ソーマが我に返った時はすでに夕方。白昼夢か何かを見たのだろうと言われても反論しようがない。
「本当に買えた」「飲めた」「おいしかった」などというネットの書き込みはやはりデマだったのだろうか。
「それにしても……」
土曜日の出来事を思い出して、微かに鳥肌が立ちながら、ソーマは妙にムカッ腹が立ってくる。
ソーマが自販機に投入した100円玉だけは、しっかりソーマの財布から消え失せていたのだ。
なんだかショボい寸借詐欺にでも遭ったような、納得いかない気分だった。
まさに「狐か狸に化かされた」というヤツだった。
よく山の中で、渓流釣りやキノコ狩りをしていた人が、フとしたきっかけでさんざん奇妙な目に遭ったり、一晩中山の中で迷子になったりした挙句、我に帰ってみたら釣果の魚やキノコだけが綺麗に消え失せていた、などという山の怪みたいな話を聞いたりするが、あの時のソーマもまさにそんな感じなのだった。
「それにしたって100円って……なんぼなんでも……」
せっかく遭遇した怪奇現象なのに、既存のケースと同様、何の説明も、何の正体ともつかないもどかしさにソーマは胸のモヤモヤが収まらない、その時だった。
「うーん。そんなに悔しいんだったら、あの人にメッセージ送ってみるかソーマ?」
「あの人……?」
不意にズイッと身を乗り出してそう切り出してきたコウに、ソーマは目を丸くして首をかしげた。