イケメン騎士が僕に救いを求めてきたので呪いをかけてあげました

　翌日に恋人の誕生日を控えていた。「おめでとう」を言う準備をしていたら突然意識が落ちて、気がつけば知らない土地に居た。

　みんな、髪と目の色が黒じゃない。甲冑を着ているものがいる。青臭い空気は僕が居た場所と全く違う。思わず「ここはどこてすか」と英語で尋ねると、あれよあれよという間に捕らえられ、教会に閉じ込められてしまった。懺悔室の信者室に鍵と手錠をかけられた状態で放置される。

「不審な輩とはこの者のことか」

　小窓をつけた薄い壁を挟んだ向こう、神父席の方から仏語が聞こえてくる。ガラッと小窓を開けられ、こちらを覗き込んだ顔は鉄仮面だった。びっくりして体が震える。

「イングランド人には見えないが」

「確かに姿形は大元民のようですが、英語を話しました」

「大元の商人達は様々な国の言葉を喋るぞ」

「だからこそ多国に入り込んでいてあやしい」

　聞き慣れない単語に必死に頭の中の辞書をめくる。だいげん、だいげん――もしかして中国のことか？　中国が元を名乗っていたのは十四世紀だ。

　十四世紀、イングランド、フランス――気付いた。

「イングランドの密偵かもしれません」

　百年戦争だ。

「違います！！」

　あらぬ疑いをかけられていることに気付いて仏語で声を上げた。壁を挟んですぐそこに仏語を喋る騎士が二人いる。ここが十四世紀のフランスならイングランドとの戦争真っ只中だ。そんな中、僕は突然現れた東洋人で、英語を喋った。あやしまれても仕方がない。

　というかここ、十四世紀？

　タイムスリップ……？

　にわかには信じられないが、甲冑を着た騎士と荒廃した村の様子は僕がいた現代とはとても思えず、中世のヨーロッパと言われた方が真実味がある。どうして閉じ込められた先が教会なのだろうと思ったが、この村は戦争で支配され、略奪が行われたあとなのだろう。人っ子一人入らない、窓がない懺悔室は牢屋に適していたのだ。

　何故この時代のこの場所なのか。

　それはきっと僕が中世ヨーロッパが好きだからだ。好きだから大学で西洋史の研究をしている。好き過ぎて夢を見てる可能性もあったけど、それにしては視界がクリアだ。だから必死に叫ぶ。

「密偵なんかじゃない！」

「たとえ違ってもそうであっても、初めはみんなそう言う」

　容赦なく僕の訴えを退け、甲冑の騎士は人払いをした。

「私が尋問しよう。判断はこちらがする」

　神父席にガシャンと音を立てて座り、鉄仮面が外された。

　僕は目を見開く。

「悪いようにはしない。私の名はルネ・ミュラー。君の名前は？」

　そこに現れたのは、現代にいるはずの僕の恋人だった。

　ルネ・ミュラーという男は世界史の教科書に載らない程度の、でも僕が知る限り最高の騎士だった。

　彼は小貴族の三男坊として生まれ、幼い頃に親類に預けられて騎士の訓練を受けた。卓越した馬術の才能はすぐに頭角を現し、十三で戦場デビューを果たした。彼を騎士たらしめるのはその武力だけではなく、女性や子供に優しくて略奪を嫌うこと、積極的に捕虜をとって丁重に扱うこと等、騎士道精神に忠実であることだった。騎士とは名ばかりの盗賊まがいがはびこる時代において、彼は確かに由緒正しい貴族の騎士だ。

　またその金髪碧眼の美しい容姿が"騎士"という偶像に拍車をかける。

「年齢は？」

「……二十六歳です」

「なんだ、同い年じゃないか。相変わらず幼く見えるな」

「相変わらず？」

　まるで以前にも会ったことがあるような言い方に聞き返した。他の東洋人と比較されてるのかな。ルネはニコニコ笑うだけで答えなかった。

　……その顔は、やっぱり僕の恋人にそっくりだ。

　でも名前が違う。彼が名乗ったルネという名前は僕が大学で研究している騎士の一人だ。美丈夫という記載は確かに見たことがあるが、写真がない時代で本当の姿を今まで知らなかった。恋人に似た美しい容姿に緊張が持続しない。まるで現代に居る彼と話しているみたいだ。

　彼がにこやかで、尋問とは思えない気さくさで話しかけてくるからでもある。

「君の国の話をしてくれ」

　そう聞かれて、日本の話をした。

　十四世紀はマルコポーロが日本について記述した東方見聞録がフランス語訳されているかどうかギリギリの年代だ。ちらりとそれを伺ってみればルネは本書の出版自体は知っていたようで、この時代に既に西洋諸国に広まっていたという知見にテンションが上がってしまった。現代の研究でもよく意見が分かれる部分なのだ。

「そうすると君は海を渡ってきたことになるのか」

「あ、そ、そうですね……あまり覚えていないけれど」

　あまり喋るとボロが出る。疑われるようなことは避けるべきなのに、喋り過ぎている。

　ルネは笑顔のまま聞いていた。しかも尋問だというのに僕が言葉に詰まると気遣うように話を変える。馴染みのない単語や物に質問する姿は、ただの好奇心に見えた。

「顔にかけているのは眼鏡？」

「これ？　……そうです」

「すごいな、手を離して使えるじゃないか。私が見たことがあるのはこうだ」

「ああ、はは、不便だなあ」

　二本の指で目頭を押さえる仕草は、おそらくレンズとレンズの間をつなぐブリッジを押さえている。この時代はまだ眼鏡自体が生まれたばかりで、現代に現存する中世の絵画を見ても耳にかけるためのツルがない。みんな鼻から落ちないように手で押さえて使っていたのだ。そもそも眼鏡自体が高級品で――しまった。どうしてこんなものを持っているのかと問われたらなんと答えよう。

「でも君の周りではそれが普通なんだろう」

　また僕の心中を察したかのように、ルネにあっさり言われた。

　その後も身の回りの様々なことを聞かれ、一つ一つ驚きつつも真剣にルネは聞き、僕が話しづらそうな話題は避けた。

　――まるで今の僕の境遇を知っているみたいだ。よくあることなのか？　そんな馬鹿な。

　ありえないと思っても、話をしている内にだんだんそうとしか思えなくなってくる。今は少しでも未来に戻る可能性が見えたら、それにすがるしかない。

　信じてもらえるとは思わなかったが、恐る恐るタイムスリップの話をしてみた。

「知っている」

　まさかと思いつつ予想していた返答に奇妙な気持ちになる。

「しかし知っているのは私だけだ。他の者に言っても信じてもらえないだろうな」

「どうして」

「以前にも君に会ったことがある」

「えっ」

　覚えていない。

　僕の様子がおかしいのかルネは一声笑ってから続けた。

「私が十三の頃だ。君は四十と言っていたかな。それでも随分若く見えたが、今日の君は更に幼い子供に見えるよ。もう一度会えるとは聞いていたが、まさか同い年の君が来るなんて」

「そのときの僕はどうやって未来に戻ったんですか！？」

「さあ？　知らない」

　希望を砕かれてがっくりとうなだれる。まあ、ルネに密偵とは疑われていないことが分かっただけ良かった。

　それにまだ可能性はある。四十の僕が十三のルネにもう一度会えると言っていたということは、一度は元の時代に戻ったということじゃないか？　そのときの僕もきっと未来から来たのだから。

　ルネは僕が十四世紀にそぐわない格好と言動をしていても驚かない。きっと以前会った僕と同じだからだ。四十の僕も未来からタイムスリップしてきて、過去のルネに会った。そのときの僕に、未来に戻るためのヒントがあるんじゃないか。

「戻る方法を知っていたら、私は君を返さない」

　考え込んでいたら、ルネが低く言った。

　顔を上げる。

「……今度は私の話をしよう」

　ルネの身の上話が始まった。

　彼は小貴族の三男として生まれた。後継ぎとは考えられていなかった。爵位は兄が継ぐから自分にはもらえない。自分自身で領土や地位を手に入れるために騎士になるしかない。そう思って騎士の訓練を受けた。ルネは野心が強い子供だったのだ。

　その野心を打ち砕いたのは僕だと言う。

「君が私に騎士道精神を教えたんだ」

　四十の僕がルネに騎士道を説いた。

　騎士道とは何か、それを記した騎士道の書、僕は確かにその理念をそらで言える。

　――騎士は、その気高い勇気、善い振る舞い、寛大さ、そして名誉をもって、人々より愛され畏敬される存在たらねばならない。

　――正義こそが、全ての騎士がその身を捧げるべき理念である。

「目的のために傭兵や盗賊まがいに身を落とす騎士が多い中で、君の言葉は私を正しい道へと導いた。君が説いた騎士道は私にとって救いであると同時に、呪いでもある」

　ルネは落ち着いた調子で淡々と喋る。

「明日、私は死地に赴く」

　死地――すぐに戦場のことだと気づき、ハッとした。

「今日、何日ですか！？」

　話していて大体の時代は分かったが、詳細な日付は分からなかった。ルネに聞くと、今日は百年戦争においてフランスが大敗した戦いの前日だった。

　イングランドの長弓を主体にした戦法は突撃してくる騎士の集団を狙い撃ちにする。先の戦でそれを痛感したフランス軍は、先鋒を担う突撃の隊を馬術が上手いエリート騎士だけで固めた。技術で力押しし、突破口を開こうと考えたのだ。それに選ばれることは名誉あることだった。

　もちろんルネはその一人で。

「本当は逃げ出したいほど怖い。だが君の教えた騎士道がそれを許さない」

　死にに行くと分かっているルネが、僕に恨みの言葉を吐く。

「君が私にもう一度会えると言ったから、それまではきっと死なないと思っていた。明日もきっとそうだと思ったのに、今日君が現れた。明日、私がどうなるか分からない。……君は知っているのかもしれないが」

　ルネが僕へ手を伸ばす。僕の手をぎゅっと握り、祈るように額に当てた。

「教えてくれ。今、君と別れてもう一度会えるのか？」

　ルネは、歴史を知る僕に命の保証を求めた。息が詰まる。

　彼は、ずっと僕が支えだったのか。

　一人ぼっちで修行して騎士として身を立て、命の危険にさらされ、それでも尚、彼は騎士道を貫く。その理由は、僕が言った言葉だったのだ。

　また会えるから。

　また会う日までは、生き延びるはずだ。

　うるうるとした碧色の瞳が僕を捉える。握った手は震えていた。僕も胸が痛い。

　ルネのそれは僕の恋人とまるで同じ仕草だった。

　不安なとき、気持ちが大きく揺れ動いているとき、僕に愛を囁くとき、彼は僕の手を握る。それは自分自身が心を落ち着けるためだったり、僕に気持ちを伝えようとするためだったり、その手に口づけを落とすためだったり、様々な理由で手を握る。

　僕はそれにずっと答えてきた。今もそうしたいと思った。僕の恋人と同じ姿をした騎士に。

「会えるよ」

　これは呪いの言葉だ。

「また、会える」

　でも僕は彼を救うつもりで言っている。

「……そうか」

　小さく呟いてルネは僕の手を離した。神父席から立ち上がり、懺悔室を出て人を呼んだ。毛布を持ってくるように話している。

「明日の朝、もしまだ君がいたら、私にもう一度言ってくれ」

　それがルネと交わした最後の言葉だった。

　懺悔室で眠り、夢を見た。

「ねえ！　俺達どこかで会ったことあるよね！？」

　それは後に恋人になる彼との初対面のときの夢だった。道でいきなり話しかけられ、とてつもなくチープなナンパをされたのだ。

「え！？　ないです！」

「いや、あるよ！　俺は覚えてる！」

「ないです、ないです！」

　金髪碧眼の体格の良い外国人にがっしりと腕をとられ、身の危険を感じた。彼が言った最初の言葉こそよくあるナンパ文句だったが、冷静に考えると何か売りつけられようとしてるとか詐欺に合いそうになってるとか、とにかく犯罪に巻き込まれようとしているとしか思えない状況だ。

　僕は黒髪メガネのチビで童顔で、舐められやすい。カースト下位の人間だ。同じ日本人にすら馬鹿にされてきたのに、外国人に目をつけられるなんてついてない。とにかく逃げなければとバタバタしていたが、力強く手を握られてニコニコと「今度こそ逃さない」だの「連絡先教えて」だの「会えて良かった」だの彼は次々に熱烈な言葉を吐いた。こんなに迫られる理由が分からない。身に覚えがない。恐怖を感じて震えていたら、「あ、ごめん」と彼が断った。

「電話だ。仕事だから出なきゃ」

　そう言って、なんでか僕の手を握ったまま電話に出る。

　この隙に何とか手を振りほどこうと頑張ったが、聞こえてくる会話に動きを止めた。彼が仏語を喋っていたのだ。

「……フランス人？」

　僕は大学で西洋史を研究し、特にフランスが好きだ。フランス語も学んだが周りに話せる人がおらず、言葉を使う機会に飢えている。

　彼は「ウィ」と返事をすると、財布から名刺を取り出した。

「フレンチレストランで働いてる。そうだ、食べに来てよ」

　一つ星レストランだった。

　名刺を受け取り、尚も僕を口説こうとする彼に職場に食べに行くからと約束を取り付け、なんとか今日のところは引き下がってもらった。口約束を破るのは簡単だったけど、僕はその後、本当に彼の店へ食べに行った。恐怖より彼への興味が勝ち、しかも本当に一つ星レストランならそこで詐欺には合わないだろうと思ったのだ。

　彼は副料理長だった。予約した時点で僕に気付いて、僕のコース料理は全て彼が作り、ウェイターに頼まず彼自らがテーブルへと運んだ。

「これはサービス。君だけに」

「あ、ありがとう」

「お礼を言うなら僕とデートして」

　職場でも変わらず熱烈だ。ウインク付きで言うから笑ってしまった。様になっている。

「……じゃあ、僕にフランス語を教えてくれるなら」

　そう返事したあとは早かった。

　彼は毎回のようにデートに薔薇の花を持参し、僕をエスコートした。女性のように扱われ、僕をからかってるんじゃないかとも思ったが、研究のことを話せば真剣に聞いた。僕の大事なものを大事に扱い、尊厳を守り、尊重した。ほだされて僕が彼に好意を寄せ始めるとすぐに見抜かれ、「お試しでいいから」と遂に口説き落とされてしまった。

　どうして彼が冴えない僕にそんなに一生懸命だったのか、今なら分かる。

「……そうか」

　僕たちは本当に以前会ったことがあって、君はそれを覚えていたんだな。

　目が覚めたら現代の自分の部屋にいた。急いで彼の家へと向かう。

「やあ、遅かったじゃないか。もう来ないかと――」

　玄関の中に招かれるやいなや、彼の言葉が終わるのを待たずに抱きついた。驚きつつも、ぎゅっと抱きしめ返してくれる彼の腕の中で「ルネ」と名を呼んだ。

　それは彼の名前じゃない。

「……昔の俺に会った？」

　でも彼は自分のことだと分かった。それが前世の自分の名だと知っている。やっぱり覚えていたんだ。

　だからこそ不思議だ。

「どうして僕に声をかけたんだ」

　君を殺したのは僕じゃないか。

　幼いルネに騎士道を教えて破滅の道を歩ませた。栄華を誇る騎士の時代は百年戦争で終焉する。僕はそれを知っていたのに。最後も戦うことを嫌がる彼に、矢が降り注ぐ戦場へ行くよう背中を押した。

　恨まれこそすれ、今のように恋人として扱われる理由が分からない。

　彼はふっと柔らかく笑む。

「もう一度会えたから」

　前世で僕が言った言葉を繰り返す。

「それに騎士は身分の高い女性に献身して奉仕する。貴婦人に見初められることが誇りだ。本来なら手の届かない存在という意味で、君は同じだよ」

「なんだそれ」

「復讐でもある」

　彼と体が離れた。彼は膝まづいて僕の手を取ると、その手の甲に口づけを落とした。両手で包みこんで僕を見上げる。

「俺が本来ならどうやって年を取り、どんな人生を歩んで老いふけるのか、君には見届ける義務がある。だから一生離さないし、離れない。逃さないよ」

　強い言葉を吐きながら、彼の瞳は大きく揺れていた。碧い目がうるうるとしている。僕はその顔に弱くて、ルネにも思わず呪いをかけてしまった。未来が変わらないように。

　――また、君と会えるように。

「わっ」

　床にいる彼にお構いなしに抱きついた。彼は慌てて僕を支えようとしてくれたけど無理で、そのまま二人で抱き合いながら廊下に転がった。

「誕生日おめでとう」

　今日、彼は前世の年齢を超える。

「……ありがとう」

　ここからは歴史には残っていない、僕たちだけの未来だ。