92 アスワドの謝罪
アスワドさんの屋敷に戻ると、シャホルさんがアピオスとカッシアと一緒に庭でケーキを食べていた。
呆れたように鼻で「ふん」と鳴らされ、「全部お見通しなんだろうな」と思いながらも笑顔を返す。
「ノワール様、お帰りなさいませ! 今、椅子をお持ちします!」
大きなロールケーキで姿は見えないが、声で運んでいるのはシーニーだと分かる。
「慌てなくて大丈夫よ。シーニー、ポプルスは?」
いつもならアピオスたちの後ろに立っているのに、今は庭のどこにも姿が見当たらない。
となると、シーニーの手伝いでもしているのかと考え、尋ねてみたのだ。
「ポプルスならキッチンにいます。呼んできますか?」
「必要ないわ。こき使ってあげて」
「分かりました」
椅子と机をセッティングしてくれたシーニーは、「ノワール様たちのケーキもお持ちしますね」と楽しそうに屋敷に消えていく。
腰を下ろして一息つきたい気分ではあるが、心を休めるためには先にギクシャクしているアスワドさんたちを仲直りさせた方がいいだろう。
そう思い、俯いているアスワドさんではなく、ベルデに声をかける。
アスワドさんたちの言葉は届かなくても、関係ない私の声になら答えてくれるかもと思ったからだ。
「ベルデ、長い間水の中にいるって大変だったわね。もう大丈夫よ。おかえりなさい」
ベルデの目尻から落ちた涙が、小さな水溜りを作る。
体が大きいから、一粒の涙だとしてもブラウたちを飲み込んでしまうほど大粒なのだ。
「暗くて寒い水の底は、気が狂いそうでした」
話してくれたことに安堵し、ベルデが落ち着いていられるように優しく顔を撫でる。
「本当にお疲れ様」
「ずっと耐えてたッスカ! すごいッスネ、ベルデ!」
「そうやないの。スゴいやないの」
「私はきっと耐えられませんわぁ」
純粋に褒めていると分かる3匹の援護射撃に感謝しながら、潤んでいるベルデの瞳を覗き込む。
「ねぇ、ベルデ。無理にとは言わないけど、どうして湖にいたのか教えてもらえる? あなた、水が嫌いなんでしょ? なのに、どうして水の中にいたの?」
途端に震え出したベルデの振動で、少しだけ地面が揺れているような気がする。
「ベルデ、落ち着いて。ここには今私の他に魔女が2人いるのよ。何があっても大丈夫よ。もう怖いことは起こらないわ」
ベルデにきちんと届くように、ゆっくりしっかりと伝えた。
だが、ベルデは小さな悲鳴を上げ、疑うような視線をアスワドさんに投げた。
アスワドさんは、開けかけた口を必死に閉じている。
今ここで怒鳴るのは逆効果だと、湖の底の一件が教訓になっているようだ。
「ベルデ、大丈夫よ。大丈夫。信じてもらえないかもしれないけど、アスワドさんはずっとあなたを探していたのよ。アスワドさんだけじゃないわ。グリューンたちもよ。パッチャだけはネーロさんの魔法で眠らされていたけどね」
「……ベルデ、ごめんなしゃいでしゅ」
パッチャの身に起こっていたことに一驚したのだろう。
ベルデは、首を垂れるパッチャを勢いよく見た。
「パッチャさん……大丈夫なのですか?」
「はいでしゅ。ノワールしゃまが魔法を解いてくれまちた。大丈夫でしゅよ」
同じに主人に仕えている唯一無二の存在同士だ。
だけど、憔悴しきっているベルデがパッチャを心配したのは、ベルデがとてつもなく優しい性格だからだろう。
だって、100年以上苦手な暗い湖の底に監禁されていたのだ。
どれだけ「助けてほしい」と叫び、近くを泳いで通り過ぎていくグリューンに「気づいて」と吠えたのだろうか。
きっと数え切れないくらい力の限り声を出し、1人ぼっちの寂しい心を奮い立たせてきたに違いない。
見つけた時は、もう心が折れ、怯え切っていたのだから、それまでの頑張りは本当に計り知れないものだろう。
「ベルデを見つけりゃれ――
ガザガザガザと木や草が擦れる音が聞こえ、突然何かが飛び出してきた。
「ベルデにゃー!」
「見つかったわん!」
大声で泣きながらベルデに抱きついたのは、翡翠色の瞳をした三毛猫と、若竹色の瞳をしたゴールデンレトリバーだった。
この2匹が、誰だか聞かなくても分かる。
ベルデに代わり森の管理を任されているキャーオとサブズだ。
「どこに行ってたわん!」
「心配したにゃー!」
「これからどっか行く時は、事前に言っていくわん!」
「ベルデ、怪我はしてないかにゃ? 帰って来られなかったってことは、何があったにゃ?」
「わん! 泣いて、どうしたわん!」
「誰かにいじめられたかにゃ? 殺してやるにゃ!」
2匹の怒涛の追及に、ベルデさえも返事ができないでいる。
どうやって引き剥がそうかと考えていると、アスワドさんがゆらっと近づいてきた。
キャーオとサブズを怒るのかな?
もし怒鳴るなら、怒鳴る前に止めないといけないわね。
またベルデが萎縮してしまうもの。
アスワドさんを注視していると、アスワドさんはベルデに引っ付いているキャーオとベルデの首根っこを掴み、2匹を後ろに放り投げた。
そして、目を点にしているベルデに抱きついた。
キャーオとサブズが飛び跳ねるほど驚いていたので、アスワドさんが眷属に抱きつくのは相当珍しいということだ。
「ベルデ、ごめんなさい。わたしが誰よりも先にあなたを抱きしめてあげないといけなかったのに。わたしの心配を信じないあなたにムカついて怒鳴るとか、本当にわたしが悪かったわ」
え? えー? アスワドさんが謝ってる!?
いや、決して謝罪しないって私がイメージしてるだけで、パッチャたちからすれば普通……ではないのね。
パッチャは嬉しそうに揺れているけど、グリューンの顎は外れているし、キャーオとサブズは震えながら抱きしめ合っているものね。
というか、シャホルさん、この状況でもずっと食べ続けているのね。
シーニーはこっちをチラ見しながら運んでいるから、ものすっごく気にしてくれているって分かるよ。
「シーニー、このマドレーヌ追加だ」って聞こえてくる。
ごめんね、シーニー。
終わったら全部説明するね。
今はシャホルさんのご機嫌取りをお願いね。
なんて、私の出る幕はもうないかもって現実逃避している間に、グリューンも大泣きしながらベルデに抱きつき、キャーオとサブズは涙を流しながらベルデの背中に乗っている。
ベルデもようやくアスワドさんたちの言葉に耳を傾けられたようで、「淋しかったです」と嗚咽混じりに溢し、大量の涙で水溜りを大きくしていた。
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