84 パッチャにかけられている魔法
アスワドさんに案内された部屋は、日当たりと景色がいい角部屋だった。
パッチャは、陽が降り注ぐ窓の近くで、柔らかそうなベッドの上で眠っている。
パッチャを撫でたアスワドさんに見られ、早速パッチャを調べることにした。
ただいつも声に出している呪文は唱えない。
見て盗まれる心配はしていないが、魔女は全員もれなく天才だ。
万が一という誤算があって、魔術をコピーされるかもしれない。
ノワールが努力して生み出したものだから、ノワールだけの特権のままにしておきたい。
「大丈夫。無詠唱でも上手くいく」と言い聞かせながらパッチャに手をかざし、心の中で『サキテシ』と唱えた。
すると、ちゃんとパッチャは淡く青色に光り、魔法式を浮かび上がらせた。
ただ、微々たるものだが、いつもよりも魔力を使用した気がする。
言霊の力の影響だろうかと考えそうになり、緩く首を横に振った。
今はそれよりもパッチャにかけられている魔法だ。
息を飲み込んで浮かんでいる魔法式を見ているアスワドさんに声をかける。
「アスワドさん、パッチャが対になっていたようです。昔よりも眠ってしまっているのは、森の影響というより、パッチャにかけられている魔法のせいのようです」
アスワドさんの返事が聞こえない代わりに、ポト……ポト……という何かが落ちる音が耳に届いた。
「なんか溢れてる?」と音を辿ると、それはアスワドさんの握りしめている拳から垂れている血が床に当たっている音だった。
怒りすぎてか悔しすぎてかは分からないが、食い込んだ爪で肌を傷つけるほど手に力が入っているということになる。
もし逆の立場なら、私は自分のことも相手のことも許せないだろうな。
やっとの思いで理性を繋ぎ止めているだろうアスワドさんにこれ以上声をかけることは止め、魔法式を隅から隅まで眺めることにした。
森の腐敗の原因、森の魔力をネーロさんに送る魔法の維持にパッチャの魔力が使われているなんてね。
パッチャはずっと魔力を抜かれ続けていて、魔力が少なすぎて真面に動けなくなったのね。
【森からパッチャに魔力が送られる→森の魔力をネーロさんに送る魔法の維持にパッチャの魔力が使われている→ネーロさんは何の苦労もせず魔力を手に入れられる】
奴隷紋の魔法式もだけど、ネーロさんはよっぽど魔力を増やしたいんだろうな。
魔女が魔力を増やして1番になりたい、という気持ちを否定する気はない。
ノワールだって誰よりも優れた魔女になりたくて、魂を融合させる魔術を生み出したのだから。
きっとそれが魔女の性分なんだって理解できる。
それでも、力を略奪するのはどうかと思う。
天才のはずなんだから、もっと他の方法を努力を重ねて見つけたらいいじゃないか。
半身とも言える眷属を利用するなんて性格が悪すぎる。
ふつふつと湧いてきた憤りににも似た黒い気持ちを沈めたくて、一度目を閉じた。
アスワドさんが必死に我慢しているのだから、私が文句を溢すのは甚だしい。
心を落ち着けてから瞼を上げ、浮かんでいる魔法式を睨む。
パッチャにかけられている魔法にカーラーさんの名前は入っていない。
そして、ネーロさんの名前も見当たらない。
ただアスワドさんの話で、全面的にカーラーさんの話を鵜呑みにしてはいけないと思った。
だとすると、私に教えてくれた「オレアさんに魔法をかけた人物はネーロさん」という情報は嘘かもしれない。
でも、もし2人が共闘しているのなら、どうしてネーロさんが犯人だと私に言ったのだろうか?
それに、ポプルスの件もおかしな話になる。
「ノワール」
「は、はい」
地鳴りのような低い声で名前を呼ばれ、考え事をしていたこともあり、つい吃ってしまった。
「あなた、この魔法消せるのよね? いますぐ消しなさい」
「分かりました。覚えましたので、後で紙に起こしておきますか?」
「私も覚えたわよ」
で、ですよねぇ。
優しくしてあげたいと思って、気を回しただけだから睨まないで。
お節介だったって反省してるから。
「すみません。すぐにパッチャの魔法を消します」
パッチャに手をかざし、心の中で『サキヂロ』と唱える。
いつものように魔法式が青く光り、隅からボロボロと文字が崩れていく。
無詠唱でも成功すること、魔力が多めに必要なことを再確認し、研究をして詠唱の有無に関わらず使用魔力量を少なくしようと1つ目標を立てた。
「これで大丈夫です。遅くても明後日には目覚めると思います」
「そぅ……」
「アスワドさん!?」
力なくふらっと倒れかけたアスワドさんを、腕を伸ばして抱き寄せた。
抱き留められたことに安堵し、顔を覗き込むと、アスワドさんは意識を失っていた。
どうして? と考えはじめた時、窓をノックする音が聞こえてきた。
ここ、3階なんだけど……
ゆっくりと顔を向けると、不機嫌丸出しなシャホルさんがルーフスと共に浮いていて、「早くしろ。壊すぞ」と鋭い瞳で訴えているような気がする。
現実逃避したい気持ちを無理矢理追い出し、いそいそと窓を開けた。
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