80 グリューンの動機
アスワドさんが、獲物を釣り上げるように人差し指を曲げた。
すると、噴水のように水飛沫を上げながら、海の中からぐったりしているマーメイドが飛び出してきた。
意識がないように見えるグリューンに向かって、拳を握りしめているアスワドさんの腕を慌てて掴む。
「アスワドさん! 彼女、今気絶していますから!」
「だから、なに?」
「えっと……意識が無い時に殴っても相手は分からないんですよ。だから、起きている時に殴った方が怒っているって分からせられるじゃないですか」
「それもそうね。そうするわ」
うんうん、そうしよ。
グリューンを許せはしないけど、今殴って死なれたら困るからね。
アピオスに謝ってもらわないと。
「起きるまで昼食にしましょう。今日はシーニーのご飯ですから、きっと喜んでもらえると思います」
「仕方ないわね。こいつは砂浜に置いておくわ」
アスワドさんが言い終わるなり、グリューンは投げ捨てられるように浜辺に落ちた。
砂埃が舞い、突然降ってきたマーメイドにアピオスたちが驚いている。
シーニーたちは「どうします? 捕まえるんですか?」というような顔を私に向けている。
アスワドさんと一緒に戻り、シーニーに「グリューンが起きるまで昼食にするわ」と伝えると、シーニーは目にも止まらぬ速さで用意してくれた。
魚介類たっぷりカーリーをチーズたっぷりのナーンと共に食べる。
サラダとララッシーも用意されていて、シーニーの献立に抜かりはない。
「ノワールが言っていた通り美味しいわね」
アスワドさんの機嫌が治って何よりだ。
それに、食事をしている間にアピオスとカッシアに笑顔が戻ってきた。
シーニーのカーリーは頬が落ちそうになるくらい美味しくて、場を和やかにしてくれる。
本当にお米でも食べたくなる。
食後のシャーベットを堪能していると、「う……う……」と呻きながらグリューンの体が揺れた。
「シーニー、パラン。アピオスとカッシアの側に。ランちゃんは糸でポプルスをぐるぐる巻きにしといて」
「俺も普通に守ってよ」
軽いノリのやり取りに小さな笑い声が上がる中、瞳を吊り上げてグリューンに近づくアスワドさんの隣に立った。
「アスワドさん、理由を聞いてから殴りましょう。また気絶されたら困りますから」
刺すように睨まれたが何も言われなかったので、きっと殴らないでいてくれるだろう。
アスワドさんだって、どうしてグリューンがアピオスを狙ったのか知りたいはずだ。
目を完全に覚ましたグリューンは、狼狽えながら砂浜を見渡し、怒っているアスワドさんで視線を止めた。
グリューンの顔から少しずつ色が失われていく。
「グリューン。あなた、わたしの命令なしに何をしようとしたの?」
「すすすすすみません!」
人魚も土下座ってするの!?
その事実にびっくり仰天、アッと驚く為五郎なんだけど。
「聞こえていないの? 何をしようとしたのか答えろって言ってんの」
「わわわたしは、あああすわどさまのために」
「わたしのため? わたし、命令していないわよね?」
「そそそうですが、めめめずらしい色でしたので森の役に立つと思いまして」
アスワドさんの瞳が更に鋭くなり、グリューンは涙を流しながら再度額を砂浜に擦り付けた。
珍しい色が森に役立つの?
確か、アスワドさんの森って一部腐っちゃったんだっけ。
元の森に戻したくて、アピオスを連れ去ろうとしたってこと?
「アスワドさん。リアトリス国の王ビデンスからも聞いたことがあるんですが、珍しい色の人間を探しているんですか?」
アスワドさんは鬱陶しそうに息を吐き出して、グリューンを蹴った。
数メートル転がったグリューンの啜り泣く声が聞こえてくる。
「そうよ。だから、アピオスたちがシャホルさんのお気に入りじゃなかったら連れ帰ろうと思ってたわ」
こっわー。
シャホルさん、本当の本当にありがとうございます。
一生、名前をお借りします。
「それは、どうしてですか?」
「……ネーロさんよ」
ここでまたネーロさんの名前を聞くとは思っていなかったため、顔を顰めそうになったがなんとか耐えた。
「どうしてか、わたしの森が腐りはじめたのよ。はじめは樹1本からだったわ。その樹を切り倒せばおさまると思っていたのよ。だけど、少しずつ、本当に少しずつ広がりはじめたのよ。それで、嫌だけどネーロさんに助言を求めたわ。最古だし、治癒魔法はあの人の得意分野だから。そのおかげで治りはしなかったけど進行は止められたわ。
でも、数年前からまた広がりはじめたのよ。もちろん文句を言いに行ったわ。代償を払ったのに契約違反だってね。でも、軽く『かけていた魔法の魔力が切れたのね。永久に続く魔法が必要なら珍しい色の人間が贄として必要よ』って言われて終わったわ。腹が立って仕方がないけど、わたしには森を復活させられない。我慢して珍しい色の人間を連れて行くしかないのよ」
「シャホルさんや他の魔女を頼らなかったんですか?」
呆れたように盛大に息を吐き出された。
「ノワール。あなた、どこまで世間知らずなの?」
「え?」
「まぁ、引きこもりだったものね。教えてあげるわ。あなたはバカみたいに他の魔女と交流できると思っているみたいだけど、魔女は誰しもが1番になりたいと思っているのよ。だから、普通は手助けしないわ。もし気紛れで助けたとしても、必ず対価が必要になる。もしくは弱みを握られるかね」
「でも、今私とアスワドさん一緒に過ごしていますよね? これって普通にお友達じゃないんですか?」
「はぁ!? あなた、何を言っているのよ! わたしがあなたみたいな魔女ととととともだちだなんて! よく言えるわね!」
これ、我が儘な上にツンデレだな。
体大アスワドさんの性格が分かってきたわ。
シャホルさんが、人一倍寂しがり屋だって言ってたことも何となく分かるし。
素直になれば楽なのにね。
「ダメですか?」
「ダメよ!」
「では、今は知り合い以上友達未満で、旅行が終わる頃には友達に格上げしてください」
「そ、そうね。それなら考えてあげなくもないわ」
「ありがとうございます」
うんうん、要は本当に怒らせなければいいだけ。
よく分からないネーロさんや、ポプルスを利用しようとしているカーラーさんより、怒らなければ普通に過ごせるアスワドさんの方がよっぽどいい魔女だよね。
まぁ、言葉がキツいことが多々あるけどね。
上から目線は慣れれば、それも個性として受け入れられるもの。
頬を赤らめて顔を背けるアスワドさんに微笑みかけてから、グリューンに向き直した。
「事情は分かったわ。でも、私が世話をしている子供を襲ったことは許せることじゃないの。それは理解できるよね?」
「……はい。しかし、私は本当に森が心配でして、どうにかできな――
グリューンが弧を描いて海まで吹っ飛んだ。
横を見ると、満足気に拳を握りしめているアスワドさんが鼻息を荒くしている。
我慢できずに殴ったということは聞かなくても察しられた。
アピオスに謝ってほしかったんだけどな。
また気絶しているだろうから、もう諦めよう。
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