72 最悪
誰かが部屋に入ってきた気配がして目が覚めた。
カーラーさんの屋敷に泊まっているのだから、カーラーさんたちかグースになるだろう。
だからこそ、怪しくて仕方がない。
どうして物音を立てないように気配を消してベッドに近づいてくるのかが。
様子を窺っていると、隣で眠っているポプルスの体を叩いている雰囲気がする。
揺らせば私にまで振動が伝わるかもしれないから、触れるように叩いているんだろう。
「ポプルス、起きて。ねぇ、起きなさい」
声で、部屋に入ってきた人物がカーラーさんだと分かった。
動揺しないように眠っているフリを続ける。
「ん……ぅん……」と声を漏らしながら起きたポプルスの片腕が体から離れていく。
「うん? カーラーちゃんじゃん。こんな時間にどうしたの?」
欠伸をしながら起き上がったっぽいポプルスは、まるでずっと触っていたいというように優しく髪の毛を撫でてくる。
「ポプルスに会いにね。用意した部屋にいないから、ここだと思ったわ」
そうなのよね。1人だと心細いとか騒いで、しがみついて離れてくれなかったのよ。
「俺に? グースと仲良くしてたんじゃないの?」
「ええ、グースはぐっすりと眠っているわ。そこのノワールみたいね」
「ん? どういうこと?」
「ポプルスと2人で話したくて、ちょっと2人には魔法をかけさせてもらったの。ノワールが疑わずに席に着いてくれてよかったわ」
あの座布団に何か仕掛けていたの?
それとも座布団の下?
ううん、そんなことより私がどこに座るのかなんて分からないはずよ。
ってことは、ポプルスにだけかからないようにしていたってことか。
でも、私には効いていないわよね?
あ! シーニーがくれたお守りだわ!
肌身離さず持っているから作用したのかも。
ありがとう、シーニー。
帰ったらハグしちゃう。
それはそうと、カーラーさんは何をしに来たのかしら?
「俺、ノワールちゃん以外としないよ。だから、ごめんね」
あれ、本気だったのね。
嘘だと思っていたわけじゃないけど、カーラーさんを拒めるとかちょっと尊敬したわ。
「横でするなんて燃えるわね。でも、残念。本当に話をしにきただけよ」
背中側に感じる圧迫感が増えたし、小さくギシッと音が鳴ったので、すぐ後ろにカーラーさんが来たのだろう。
「抱きついてこないでよ」
「足の上に座るくらいいいじゃない。ケチね」
「腕回っているし、胸を押し付けてきてるよね」
「私はノワールより大きいから気持ちいいはずよ」
「怒られるかもしれないけど、俺はノワールちゃんの方が気持ちいいの。ごめんね」
「ふふ。じゃあ、ノワールとルクリア。どっちが気持ちいいのかしら?」
ポプルスが固まったと分かった。
カーラーさんがポプルスの膝の上に乗ったらしい時も、その後も、ずっと私の髪を撫でていた手が止まっている。
静かな時間の中、聞こえてくるのはカーラーさんの楽しそうなクスクスと笑う声のみだ。
ルクリア? 誰?
「ノワールには話したの? あなたの妻が重病を患ったためにした借金が巨大すぎて借金奴隷になったんだって」
「……そっれは」
妻!? ええ!? ポプルスってば妻帯者?
え? え? ええ? だめだめ! すぐに関係を切らなきゃ!
相手がいる人と、こんな間柄になったらダメなの!
「言っていないのね。どうして言わないのかしら? グースの借金もルクリアの薬のためでしょう。だから、あなたたちは自分だけが逃れられる身請けを断っていたのでしょう。って、グースはそうだったとしても、あなたはルクリアを助けられなかった罪悪感からでしょうけどね」
最悪……これ、聞いていい話じゃないじゃない。
ポプルスが奴隷になった理由も、ポプルスが診察すると闇深くなる理由も、奴隷紋を消したくない理由も、全部奥さんだったルクリアさんに結びつくってことでしょ。
人生を共にしたいから結婚をした、大好きな奥さんがいたってことよね。
グッと歯を食いしばりそうになって何とか耐えた。
痛む胸に苦笑いが出そうだったが、今は起きていることがバレないようにしなければいけない。
「グースを巻き込んだ俺に怒っているってこと?」
「違うわよ。巻き込んでくれていなかったらグースとはヤれていないもの。逆に感謝しているくらいよ。どう足掻いても、もう私のものなんだもの」
「だったら、なに? どうしてルクリアの名前を出したの?」
背中から圧迫感が消えたので、きっとカーラーさんがポプルスから離れたのだろう。
「ねぇ、ポプルス。ルクリアの病気、おかしいと思わなかった?」
「さぁ。俺には何もできなかったから分からないよ。誰を頼っても、誰も明確な答えはくれなかったしね」
「そうでしょうね。魔女の魔法なんだもの」
あっぶな! 声出そうになった!
カーラーさんの色気にぶっ飛んでから、感情が豊かになりすぎよ。
落ち着いて。落ち着くのよ、ノワール。
「……魔女……だれが、何のために」
「ここまで教えてあげたのに分からないの? ネーロさんよ。あなたが欲しくて妻が邪魔だったの。簡単な答えでしょ」
「邪魔? ……そんな理由でルクリアは……」
「おかしな話ね。確かオレアも、あなたに纏わりついて邪魔だから利用されたのよ。まぁ、愛する人と鬱陶しい人物とでは、そんな風に差が出るわよね」
ポプルスの声はさっきから強張っていたり震えていたりするのに、カーラーさんの声はとても弾んでいる。
「このままでは邪魔なのは誰かしらね?」
「それはっ」
「ノワールが魔女だからネーロさんに対抗できると思っていたら大きな間違いよ。彼女は最古の魔女で誰よりも強いんだから」
そんなわけないでしょ。
最古だからって何なのよ。
魔力を底上げした私が、誰よりも強いに決まっているじゃない。
「でもね、ポプルス。ノワールを守れて、ルクリアの死に一矢報いる方法があるわよ」
ポプルスが、勢いよくカーラーさんを見たのだろう。
ガサッと大きめな音が鳴った。
「あなたがネーロさんの元に行くの。ネーロさんを愛しているフリをして、心臓を突き刺すのよ」
最低だ。最低すぎる。
どこまでネーロさんを嫌いなのかは知らないけど、そんなに嫌いなんだったらカーラーさんが攻撃すればいいだけなのに。
ポプルスの傷口を開けて、そこに火を押し付けているようなことをするなんて酷すぎる。
しかも、人間で弱いポプルスを使ってネーロさんを殺そうとするなんて、どう転んでもネーロさんが傷つく姿を見たいだけってことじゃない。
「さすがに心臓を刺されると痛いはずよ。どれだけポプルスを苦しめたか分からせるためには、十分な報復になると思うわ」
「俺は……」
十数秒続いた沈黙に、カーラーさんが吐き出した息が落ちる。
「今、答えを貰おうとは思っていないわ。心が決まったらグースに久しぶりに私と飲みたいって伝えて。それじゃあね」
カーラーさんの気配が遠ざかっていく。
「俺のせいだったんだ……っ……なんでっ……ルクリアっ……」
ドアの音はしなかったが、カーラーさんが外に出たんだろう。
寝転んだポプルスの震える腕に強く抱きしめられたと思ったら、後頭部から噛み殺している泣き声が聞こえはじめた。
ルクリアさんを思いながら、私を抱きしめるなってーの。
心の中で悪態をつきながら苦い気持ちに蓋をして、大人しくポプルスの腕の中にいた。
本日の更新は1話のみになります。
木曜日も1話のみになります(朝起きた後のノワールとポプルスのやり取り)。
読んでくださっている皆様、本当にありがとうございます。




