26 満月の夜
今日のこと、伝えないとなぁ。
重たい気持ちを振り払うように、顔を左右に数回振った。
お酒とおつまみが入ったバスケットを持ち、ドアをノックする。
「はーい。って、ノワールちゃんじゃん。こんな時間に狼の部屋に来て大丈夫なの?」
元気よく顔を見せたポプルスは、「ガオー」と言いながら左手の指を曲げ狼の手の形を真似ている。
自分でポーズをとったくせに何が面白かったのか小さく笑っていたが、私が持っているお酒の瓶が入ったバスケットを見て笑い声を消した。
「ちょっとね。話しておきたいことがあるの」
「ふーん、どうぞ。そのまま眠ってくれてもいいよ」
「話し終わったら自分の部屋に戻るよ」
「残念」
大きく開けてくれたドアから、ポプルスの横を通って部屋の中に入っていく。
すでに飲んでいたようで、窓際の小さなテーブルの上にお酒の瓶とコップが置いてあった。
そのテーブルに、持ってきたバスケットからお酒とおつまみを取り出し置いていく。
ポプルスと向かい合わせて座ると、ポプルスはお酒を注いでくれた。
「今日は月が綺麗でね。見ながら飲んでいたんだ」
窓の外に視線を向けると、大きな満月が淡い光を放っていた。
私に馴染みがある、ウサギが餅をついているような模様は見当たらない。
ノワールは月に興味がなかったから、記憶の片隅にしか夜空の思い出はない。
だからか、花冠のような模様がある月が、遠い世界にやってきたことを教えてくれている。
「満月の夜に結ばれたら幸せになれそうだね」
「ん? どうして?」
「とある国の言葉で『月が綺麗ですね』が『愛している』の意味で用いられるの。その月に『永遠の幸せ』の意味をもつ花冠の模様でしょ。縁起がいいじゃない」
「そう言われると、何気ない言葉が甘美な響きになるね。じゃあ、そのとある国では、言われた相手がどう返すか決まっているの?」
「『自分も好き』と返すときは『死んでもいいわ』が有名かな」
「急に過激だね」
「ふふ、面白い告白方法だからいいのよ」
お互い、相手の顔を見ずに月を見上げている。
たまにコップを置く小さな音が耳に届く。
「何か嫌なことでもあった? お昼から元気ないよね」
「嫌なことっていうか……今日、初めて人が死ぬ場面を見たのよ」
ポプルスに見られたと分かったが、月を眺めたままでいる。
「自慢することじゃないけど、私、人を殺したことなかったの。まぁ、殺してあげなよって思うようなことはしたことあるから、普通に酷い魔女なんだけどね」
ポプルスは、聞き終わるまで話さないのだろう。
見守るように柔らかい表情をしている気がする。
「別に明確な線引きがあったとかじゃないの。だけど、命は大切だって思っていて」
ノワールは、はっきりと口に出したことはない。
でも、きっと「命は大切」という想いは、私と同じだったはず。
「それが、今日目の前で失われたのに、なーにも思わなかったの。1ミリも心が動かなかったの。自分に感情はないんじゃないか、私が魔女だから心に温度はないんじゃないか、悲しいじゃなくても他に何か思ってあげられたらよかったんじゃないか……そんなことが言葉では浮かぶのに、心は無反応なのよ。どっか壊れているのかもと思ったせいかな、元気がないように見えたのは」
「死んだのは好きな人?」
「まさか。大っ嫌いな人」
「だったら、何も思わないよ。『ざまーみろ』って思わないノワールちゃんは優しいなって俺は思うよ」
「ポプルスは私は優しいって言うけどさ。それ、目や心が腐ってる証拠だよ」
「そんなことないって。世の中って大分と理不尽だからね」
泣いているような弱い声に、ついポプルスを見てしまった。
泣いてはいなかったが、寂しそうに微笑んでいた。
「俺ね、借金奴隷になる前は医者だったんだ。だから、たくさんの人の死を見てきたよ。患者の死を目の前にして、辛いって思うことはあっても悲しいとは思わなかったな。誰かを救いたくて医者だった俺でさえ、そんな気持ちしかないんだから、ノワールちゃんが大嫌いな人の死で何かを思う必要はないんだよ」
「怖いとも?」
「怖い? 強い魔女なのに? 思わないでしょ」
そういうもんなのかなぁ。
人が爆発するっていう意味不明な殺人現場だったんだけどな。
あんなの見たら、普通誰よりも2度と死にたくないって強く思ってもいいのに。
それさえ感じなかったことに心がないのかと心配だったけど、魔女になったから死を身近に感じなくなったってことでいいのかな。
ってか、ノワールは世界に7人しかいない魔女の1人で、世界をひっくり返せるほどの強い力を持っているんだから、死を怖がるわけないよね。
ノワールに対して、失礼な考え方だったわ。
私を優先して、魔女を否定しているみたいだった。
正直な心に疑問を抱かず「そっかそっか」と受け入れるべきだったのよ。
ノワールの魂と交わることができたから、私は消えずに済んだのに。
この世界で自由気ままに生きていられるのも、魔女であるノワールのおかげなのにね。
感謝するべきなのに愚痴るって、最低だわ。
「それにノワールちゃんは、アピオスたちを見てめっちゃ可愛く笑うんだよ。あんな風に笑えるのにさ、心が壊れているなんてことないよ。俺が保証する」
慈しむように微笑んでくるポプルスが、先ほど見上げていた月のように綺麗で、視線を奪われたような気がした。
ふとさっき話していた会話が、脳裏に浮かび上がった。
あ、さっきの告白の言葉、魔女専用でもおかしくないかも。
『魔女を殺せるのは、魔女が愛した人だけ』
生まれる方法も特殊だけど、死ぬ方法も独特だよね。
そう考えると、魔女ってロマンティックな生き物だな。
「ポプルスに保証されても」
「ひっど。今のは俺に惚れるところだよ」
「はいはい」
日常になった軽口のやり取りに小さく笑った。
不安定な自分を肯定してくれたことも、魔女から負のイメージを取り除けたことも、本当に嬉しかった。
相談できる、気持ちを吐き出せる人がいてよかった。
自然に顔が緩み、花が綻ぶような笑みをポプルスに向けて溢した。




