122 子供
「すみませーん」
ドアに付いていた呼び鈴を鳴らしながら声を上げると、すぐに「はいはーい」という返事と共にドアが開けられた。
現れたのは、中肉中背の物腰が柔らかそうな男性だ。
この男が、去年移住してきて、ルクリア(仮)と再婚した人物だろう。
「どちら様でしょうか? ここには何用で?」
「ここに住んでいる子供に会いに来たの? いるかしら?」
男性は瞳を瞬かせた後、不思議そうに私の頭の天辺から足の爪先まで見てきた。
とりあえず、警戒されないように微笑んでおく。
「えっと、あの子と知り合いですか?」
「いいえ、昔お世話になった人の子供かもしれないと聞いて、会いに来たの。本人にはもうお礼できないようだから、もしその人の子供なら何かできないかと思ってね」
男性は大きく顔を伸ばし、家の周りをキョロキョロ見回して、唾を飲み込んだ。
そして、小声で話しかけてきた。
「中でお話しできますか?」
「ええ、大丈夫よ」
誰かに聞かれたらまずいって、どんな表現でもポプルスの話はしちゃいけないのね。
ポプルスを迫害し、嘘で固めて悪人に仕立て上げるなんて、本当に最低な村だわ。
家の中に入ると、男性は静かにドアを閉めた。
深呼吸している息遣いが、はっきりと聞こえてくる。
「あの、お嬢さんは、どうやってここまで? すぐに村から出て行かれますか?」
「私、強いから乗合馬車じゃなくて、1人で動けるのよ。それと、お礼ができたら、すぐに村を出るわ」
「で、では! あ、大声を出してすみません」
前のめりで1歩近づいた男性は、また深呼吸しながら1歩下がった。
何をそんなに緊張しているっていうの?
意味が分からなさすぎるわね。
「厚かましいお願いだと重々承知していますが、昔の恩返しだと思って、どうか叶えてくださらないでしょうか?」
「何の話をしているの?」
「お嬢さんは、この村の人と話しましたか?」
「ええ、道案内程度だけど話したわ」
「そうですか。それくらいだと分からなかったかもしれませんが、この村は狂っているんです。いや、悪魔か何かに取り憑かれているのかもしれません」
両手を組むように握りしめている男性の手が、小刻みに震えている。
指先が真っ赤になっているので、相当力を入れているようだ。
怖いくらい真剣な瞳を向けられている。
「子供を、あの子を、どうかこの村から逃してあげてほしいのです。お金なら渡します。ですので、見た目で差別されない街まで、連れて行ってあげてください」
「どうして私に? 家族で引っ越せばいいじゃない」
「い、いえ、無理です。妻が、私の考えを理解してくれないんです。この村の中で、妻が誰より狂っているんです」
「詳しく話してくれる? 協力するかは、聞いてから決めるわ」
男性は、唇にまで力を入れて、しっかりと頷いた。
「連れ出してほしい子供は、銀色の髪と瞳をしています。珍しい色ではありますが、所詮色なだけです。それなのに、ここでは人間として扱われないのです。それに……時々、男娼紛いなこともっ……止めようとしているんですが、暴力で押さえつけられてしまって……情けない……更に情けないことに、妻が全てを承諾していて。話し合ったんですが、気持ち悪い色で生まれてきたあの子が悪いのだと……受け入れてもらうには仕方がないことだと……どうして結婚なんてしてしまったんだろうと後悔ばかりです……」
「じゃあ、あなたが子供を連れて、逃げたらよかったんじゃないの?」
男性の辛そうに眉間に皺を寄せた顔が、俯いていく。
「何度か試みました。しかし、なぜか見つかるんです。そして、連れ戻されてしまうんです。あの子を視界に入れたくないと言うのなら、村から出て行かせてくれればいいのに。人間相手に欲望を吐き出せないが、化け物相手なら捌け口にできると。あの子が生きていていい理由は、それしかないのだからと。どちらが化け物か分からない所業ばかり……」
「あなた1人だとどうなの? 試したことはある?」
「ありません……ですが、あなたがあの子を連れて行ってくれると言うのなら、私も同じタイミングで出て行こうと思っています。囮になれるかどうかは分かりませんが、役に立てるかもしれませんので」
「そう、分かったわ」
あー、やだやだ。
人助けしに来たんじゃないのに。
私は本当に、消えたっていう子供のことを調べたに来ただけなのよ。
それなのに……はぁ……こんなのもう乗りかかった船になるしかないじゃない。
「で、では!」
「待って。最後に1つ。あなたは、ここから出た後、その子と住むつもりはないのね?」
「……はい。薄情だと思われるでしょうが、ありません。可哀想だから助けたいと思っても、愛情を感じたことがありませんので。私には無理です」
いい人ぶっているけど、この男も大概なのよね。
子供のことを考えているみたいなことを、つらつら並べているけど、自分のことしか考えていないのよ。
同時に別々に逃げたら、自分は逃げ切れると思っての提案でしょ。
囮なんて思っていないのよ。
私を利用して、逃げようとしているのよ。
そうじゃなかったら、どこかで落ち合おうってなると思うのよね。
でも、愛情を感じたことがないんだったら、仕方ないのかな。
自分の子供じゃないんだから、引き取って育てようってならないのかもね。
罪悪感を覚えているくらいだもの。
まだマシな人なのかもな。
いや、でもなぁ、お金を渡すから、逃げた後のことは全部私に丸投げするっていうのがなぁ。
私、孤児院の院長とかじゃないのよ。
見ず知らずの女(魔女)に託すって、無計画すぎるのよね。
「どうするかは会ってから決めるわ。本当に私の恩人の子供かどうか、分からないもの」
「そ、ぅですね。あの子のもとに案内します」
2階に先導してくれようとしている男性に、さっきから気になっていることを尋ねてみる。
「ねぇ、その子に名前はないの? 『あの子』としか言わないのは、どうして?」
階段を上ろうとしている背中が、一段と陰を背負ったような気がした。
「無いんです……名前が……つけてあげようと話しても、必要ないからって取り合ってもらえなくて……」
「よくそんな女性と結婚しようなんて思ったわね」
「結婚するまで、子供がいるって知らなかったんです。あの子は人形のようですから」
この時は、「気付かないなんてある? どれだけ鈍感なのよ」と訝しげに男性を見てしまったものだが、その子と対面して納得させられた。
何も映していなさそうな瞳、変化がない表情、全く動かない体。
男性が「お腹は空いていないですか?」と声をかけても、ピクリとも反応しない。
息をしているのも怪しんでしまうくらい、微動だにしない。
カッシアと出会った時も、感情が底に沈んでいるような様子だったが、この子は別格だ。
魂が宿っていない器のようにしか感じられない。
「この子を引き取るわ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、お金も必要ないわ」
「しかし……」
「気にしないで。それと、すぐに逃げるわよ。あなた、今すぐ家を出られる?」
「もももちろんです! いつでも逃げられるように、準備だけはしていましたから」
「じゃあ、今すぐ先に逃げて。10分後に私も、この子を連れて出ていくわ」
「さ、さきにですか?」
「ええ、先に。大丈夫よ。今日は絶対に逃げられるわよ」
狼狽える男性に、柔らかく、それでいて強い意志を瞳に宿して微笑むと、男性は顔を強張らせながら唾を飲み込んだ。
「……分かりました。すぐに出て行きます」
腰を折ってから、急いで部屋を出ていく男性の背中に向かって『サオニムサ』と唱え、男性の姿を消してあげたのだった。
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