113 顎はない、顎は
誰の差し金かを考える暇もないほどの早さで執務室に到着し、窓を叩くと、起きて仕事を始めていたグースが開けてくれた。
「ノワール、おそ――
「ノワールちゃん、迎えに来てくれてありがとう」
ポプルスも起きていたようで、ソファから跳ねるように立ち、駆け足で窓までやってきた。
言葉を被せられ、押し退けられたグースは、鼻で小さく笑いながらも微笑んでいる。
「ポプルス、邪魔よ。クインスを迎えに来たのよ」
「「え?」」
「なんでなんで?」
「ブラウのご指名よ」
「待って! 待って! 俺、家庭教師譲らないよ! というか、ノワールちゃんの家に住み続けるからね!」
「うるさいわね。誰もそんな話してないでしょ。怪しい男を捕まえたから、クインスを連れて行くだけよ」
ポプルスが窓から身を乗り出して縋り付いてくる姿に、グース・クインス・タクサスは笑っていたのに、急に真顔になった。
ポプルスだけはキョトンとしている。
「ノワールちゃん、パトロールでもしてきたの?」
「違うわよ。魔物の襲撃があったでしょ。それで調べたいことがあって、そこに行ってたの。そしたら、ずっと私を見ている男性がいてね。誰かに命令されたらしいんだけど、口を割らないのよ。で、触りたくないからクインスを呼びに来たの」
「浮かせて移動させなかったの?」
「オレアさんは浮かせた瞬間に爆発したのよ。だから、誰かの手中に落ちている人間を浮かせたくないの」
「そっか。嫌なこと聞いた。ごめん」
顔を擦り付けてくるポプルスの背中を柔らかく叩いて離れさせようとしたが、ポプルスは一向に離れようとしない。
これは確実に、我が儘を言う時の態度だ。
「ポプルス、本当に邪魔よ」
「邪魔じゃないよ。俺もクインスと一緒に行くから」
「えーあー、まぁいいわ。もう面倒臭い。とりあえず離れて」
「連れて行ってくれるなら」
「はいはい」
やっと離れてくれたポプルスのおでこを軽く叩くと、ポプルスは大袈裟に痛がった。
「痛いよ。ふーふーして」と顔を突き出してきたので、今度を音が鳴るほどの強さでおでこを叩いている。
いつもなら涙目になるポプルスを、グースたちは笑うはずなのに、まだ怖いくらい真剣な面持ちをしたままだ。
「ノワール。俺も連れて行ってくれ」
「俺も俺も」
「はぁ、分かったわ。全員で行きましょ。それと、グース」
「なんだ?」
「歯型があると男前度下がるわよ。今度から顔だけは止めさせた方がいいわ」
本当に男前が台無しすぎる。
笑ってしまいそうになるくらいミスマッチなのよ。
それなのに、歯型付きで真剣な顔をされると、キマらなさすぎて吹き出してしまいそうだわ。
さっきは我慢できたけどね。
もう無理かもしれないから止めてほしい。
グースは肩を揺らして小さく笑うだけだったのに、ポプルスが嬉しそうな声を上げた。
「それならグースに会う度に噛むよ!」
「やめろ」
「えー、いいじゃん。今回のその歯型だって、利用するって言ってたくせに」
「お前は本気で噛むから痛いんだよ」
「本気で噛まないと歯型なんて残んないでしょ」
利用? 歯型なんて何に利用できるんだろう?
だってさ、女の影をチラつかせるにしても、どんなプレイしてんのって話にならない?
そういう趣味だって思われたいってこと?
変なの。
「グース、ポプルス。お前たちの情事なんてどうでもいいから、その男を先に調べよう」
「そうそう。俺が後でどんな噂になっているか、みんなに聞いてみるから」
本当に女がいるって偽装したいのかな?
どうしてなんだろ? モテて困るからとか?
まぁ、覚えていたら、後でポプルスに聞いてみよう。
さくっとクインスを連れて行きたかっただけなのに、緊張感のない会話をしてしまったせいで、戻るのが少しだけ遅くなった。
そう、ほんの少しだけ遅くなってしまっただけなのに、捕らえていた男性は気絶していた。
「ノワール様ぁ、違いますわぁ。殺していませんわぁ。私、ちょっと殺気を放っただけですのよぉ。それなのに、この男が勝手に意識を手放しましたのよぉ」
ブラウが、珍しく慌てふためいて一気に捲し立ててきた。
そして、段々と申し訳なさそうに頭が垂れていき、小さい鳥がより小さく見える。
優しく頭を撫でると、落ち込んでいる瞳で見上げてきた。
「大丈夫よ。ブラウ。気を失っているだけだもの」
「……すみませんでしたわぁ。私のことを『たかが鳥』みたいに罵ってきましたのぉ。だから、ついぃ」
「それなのに殺さなかったなんて偉いわ。髪の毛や服を全部切って、丸裸にしてもよかったのよ」
「でしたら、起きた時にでもしてやりますわぁ。この男、確実に何か隠していますものぉ」
「だったら、この男に関してはブラウに任せるわ。誰の命令かだけ吐かせてくれればいいから」
「分かりましたわぁ」
私とブラウの会話を聞いていたのはポプルスだけだったようで、ポプルスは「ブラウって殺気放てるの!?」と驚いていた。
グースたち3人はというと、男の顔を覗き込み、難しい顔をしている。
「この男、先月入隊したばかりの奴じゃないか?」
クインスの問いに、タクサスが「あ!」と手を叩いた。
「そうだよ、兄さん! 『グース王の近衛隊ってないんですか』って聞いてきたって男だよ!」
「俺の近衛隊? どうしてまたそんなことを?」
「さぁ? 警ら隊が『変な奴が入ってきたんですよ』って報告してきただけだから。兄さん、何か知ってる?」
「俺もタクサスと似たような話しか知らないな。グースに憧れていて、会う機会ってないのかとか」
「そんな奴が、どうしてノワールを見ていた? ん? 見張ってた? どっちだ?」
グースに首を傾げながら見られたので、簡潔に答える。
いつもなら瞳を見て話すが、今日は顎の歯型を見てしまう。
心の中で「顎はないわ、顎は」と笑いながら、冷静を取り繕った。
「見張ってたよ。ゆっくりと近づいてきて、様子を窺われていたから」
「あれじゃないの? 魔女を初めて見たから、グースに害をなさないかどうか調べようとしたんじゃない?」
ポプルスの挟んできた言葉に、グースたち3人は「それかも!」と指を慣らしてポプルスを指した。
ポプルスも同じタイミングで指を鳴らして3人を指したんだから、本当に仲がいい4人組だ。
「残念ながら違うわよ。そいつは命令されているのよ。本人が、誰の命令か言えないって吐いたんだから」
「そっか、そうだったね。ごめんごめん。じゃあ、グースに近付きたかったのは、グースの何かを調べたかったからってことだよね」
「そうなるな。特に秘密にしていることなんてねぇから、調べ損だろうがな」
本当に何を調べられても痛くも痒くもないのだろう。
軽く言うグースに、クインスとタクサスは頷いている。
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