104 ノワールの涙
シャワーを浴び終わり、そろそろ眠ろうとした時、遠慮がちにドアをノックされた。
すでにベッドで寛いでいるポプルスと顔を見合わせてから、ドアを開ける。
「ノワール様……こんな時間に申し訳ございません」
「いいのよ。どうしたの? シーニー」
肩を落としているシーニーに、窺うように見られる。
「実は、その、ランが戻ってきまして……」
「ランちゃんが怪我でもしたの!?」
「いえ、無事に帰ってきました」
安堵の息を吐き出し、心苦しそうに話すシーニーに首を傾げてしまう。
ランちゃんが無事だということは、お願いしたことを怪我なく終えてきたということだろう。
成功しているはずだ。
それなのに、どうして堂々とした報告ではないのだろう?
「その、ランが持って帰ってきたものが……」
何かややこしいものを持って帰ってきたようだ。
考えてみれば、今伝えに来なくてもいい。
時間も時間なのだから、よっぽどじゃない限り、報告に来るはずがない。
シャホルは、元々ノワールの物だと言っていた。
しかも、アスワドさんがそれを欲しがっている。
それに、ポプルスに関する何かも、持って帰ってきている可能性がある。
「そんなに気を使わなくて大丈夫よ、シーニー。今から行くわ」
「……はい。すみません」
泣きそうな顔で俯くシーニーの頭を撫でて、ベッドで静かに事の成り行きを見守っているポプルスを見やった。
「ポプルス、先に寝てて」
「分かった。俺に協力できることがあったら言ってね」
「ありがとう」
ポプルスのいい所をあげようと思うと、たくさん出てくる。
優しい、気遣いができる、明るい、人を思いやれる、言葉を選べる、恥ずかしがらずにお礼を伝えられる、他にも本当にたくさんある。
この、空気を読めて1歩引くことができるのも、対人能力の高さだから羨ましいくらいだ。
ポプルスに見送られ、シーニーに案内されたのは地下室だった。
地上にある部屋ではなく、立ち入り禁止の地下を選んでいるあたり、相当ヤバいものを持って帰ってきたと予想できる。
心の中で深呼吸をして、シーニーが開けてくれたドアから中に入った。
ドアが開いた音で振り返ったランちゃんは、辛そうな面持ちでピョンと目の前に飛んできた。
「ランちゃん、無事でよかったよ。ありがとうね」
一瞬笑顔が見えかけたが、気のせいだったようで、ランちゃんはやるせなさそうに視線を落としている。
「ご主人……本当は持って帰ってきたくなかったやないの……」
「ごめんね」
「違うやないの! ご主人が悪んやないやないの! ただ……もうご主人に悲しんでほしくないやないの……」
私が悲しむ?
だから、シーニーもランちゃんも顔を曇らせているの?
ランちゃんを柔らかく撫でてから、持って帰ってきたものが置かれている机に近づいた。
机の上にある物が何か分かるほど距離を縮めた瞬間、瞳から涙が溢れた。
ノワールと融合して、初めて涙する。
私には、何の感情も湧いてこない。
悲しいも寂しいも辛いも……もう一度会いたいという気持ちさえない。
それなのに、涙が勝手に落ちていく。
手が震えてくる。
記憶の中でしか知らない「ノワール」と呼ぶ声が頭に木霊する。
机の側まで行き、濡れている瞳で置かれている物を注視した。
まるでそれから目を離せないかのように、白い髪の毛の束を見つめ続ける。
ノワール……あなた、心底この男が好きだったのね。
ノワールが愛していた、たった1人の男。
腰まである長い白い髪を緩く1つに纏め、青みがかった灰色の瞳をした綺麗な男性は、落ち着いた声で話し、愛しそうに名前を呼ぶ。
彼がノワールの元から旅に出てからの足取りを、ノワールは一切知らない。
だから、どうやって死んだのかの記憶はない。
ただ漠然と、その男が死んだ瞬間に、繋がりが消えた感覚を覚えている。
ノワールが喉が枯れるほど大泣きした記憶が、強く残っている。
でもね、私はこの男が嫌いなのよ。
あなたはこの男しか知らない世界で生きていたから分からないだろうけど、ここまで最低な男は他にいないのよ。
人を贄に魔女を作り出し、愛情を注いで育て、親代わりのはずが恋人になり、興味が無くなったら去っていく。
正真正銘、ただのクズだよ。こんな男は。
ノワールの見た目がこの年齢なのは、このクズと結ばれた時が18歳の時だから。
見た目に関しては可愛い盛りの時だから有り難いけど、この見た目になった理由は腹立たしい。
だって、何が幸せなのかを刷り込まれていただけじゃない。
他を知ってもその男が好きだった日々が何よりも幸せだった。って言うんならムカついたりしないよ。
だけど、全てからシャットダウンし、選択肢を与えないなんて洗脳と変わらない。
そんな男のために、胸を痛める必要なんてない。
まぁ、でも、これは私の意見なだけであって、ノワールはこの男に恋をし、幸せな日々を過ごしたんだから否定しちゃダメだよね。
ノワールが大切にしている思い出を、ノワールと融合した私が、いらないなんて思ったらいけない。
それに、他の魔女よりも過ごしている時間が長いってことは、たぶんだけど、この男もノワールを愛していたのよ。
感傷に浸るのはこれくらいにして……ノワールには悪いけど、気持ちの主が私なのだから諦めてもらおう。
だって、私はこの男が嫌いなんだから。
それよりも、どうしてこの髪の毛がノワールの物かってことよね。
要らないから、アスワドさんにあげたいなぁ。
ううん、ダメだな。
アスワドさんが欲しがり、ネーロさんはノワールから奪ってまで大切にしていたものってことは、他の魔女も喉から手が出るほど欲しているのかもしれない。
この髪の毛が争いの種なんだとしたら、無い方がいいのよ。
ってことで、燃やしてしまおう。
あー、でもそれだと、さすがにノワールに失礼になるか。
じゃあ、どっかに埋める?
でもなぁ、クズの墓を作りたくないなぁ。
ノワール、ごめん! 本当にごめんなさい! 燃やす!
指を鳴らして白い髪の毛だけを燃やすと、シーニーとランちゃんが仰天した。
2匹は慌てふためきながら側に来て、髪の毛があった場所を見つめている。
「ノ、ノワール様、よろしかったんですか?」
「ええ、いいのよ。もういいの」
手のひらで涙を無理矢理拭ってから、シーニーとランちゃんに微笑みかける。
2匹は唇を噛み、瞳を潤ませながら大きく頷いた。
白い髪の男との決別を、一緒に受け入れようとしてくれているのだろう。
潤みながらも強く輝いている瞳に、そんな気がした。
ランちゃんが持って帰ってきた物の話は、次話まで続きます。
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