P線上のアリア
ねえ知ってる?
この病院の駐車場にお花見をする幽霊が出るんだって。
◇◇◇
「……え?」
バスから降りた私が目にしたのは駐車場でひとり桜の下で花見をする男の子の姿だった。
正確にいえば、大学病院のだだっ広い駐車場の隅で男の子は桜を眺めながら団子を頬張っていた。
駐車場でお花見している。
「……」
「……あ」
彼と目があった。
年は十四、五歳くらいか。私と変わらないくらいの年齢の男の子だった。
「なぜ、こんなところで、花見を」
面食らった挙げ句素朴な質問を投げかけてしまった。
「ここの桜が一番綺麗に見えるんだよ」
投げた質問に平然と答えた。
「ここは俺が見つけた最高の穴場なんだ」
「駐車場が……穴場?」
「SNS最前線のこの時代ここを拡散されたら困る。得な情報は共有したいタイプか」
「得な情報は独り占めするしスマホ持ってないです」
「そうか。いい塩梅だ」
なんやねんこいつ。
ていうか誰もそんな場所でお花見しようとは思わない。
「あんたその荷物、今日から入院する人?」
「え、はい。そうですけど」
そう。私は今日からこの病院、県内一大きい医療施設で有名なS大学病院に入院する。
そしてたった今、到着したバス亭から病院に向かうところだった。
「その荷物の量。長期とみた」
私の姿をじっと見て彼が言う。
ちなみに手に持っていた団子はいつの間にか完食していた。
今は興味津々そうに私の周りを徘徊している。そんなに珍しいか入院する人間が。
私の両手はバッグやキャリーケースなどの大量の荷物で塞がっている。
中身は数ヶ月分の着替え、歯ブラシ、タオル、お気に入りの雑誌小説漫画ぬいぐるみ……その他諸々。大荷物だ。
「お母さんは? 家の人とか一緒に来てないの?」
「もう下見や診察で散々来てたから、今日は私ひとりで来たの」
向こうもため口なのでこちらも合わせることにした。
「冷たくね? 娘の入院当日なのに見送らないのは」
「そうかな。むしろ逆じゃないかな」
だって、お母さんやお父さん、病棟へ向かう私の姿見たら、きっと寂しくて辛くて泣いちゃうと思うから……
「誰だって弱ってくだけの娘なんて見送りたくないでしょう」
「そっか」
私の陰鬱な表情を見て察したのか。
男の子の声音が慎重みを帯びたものに変化した。
「お前の入院先って、もしかして、《F棟の8階》フロア?」
「そう。“あの”F病棟の8階に入院する病人なの私」
“F病棟の8階”。
この場所に入院することがどんなことを意味するか。
こんな質問をすることだからこの人も知ってるんだろう。
あの場所がどんな場所か。
「いっしょだ! 俺も同じフロアで入院してる」
「え?」
同じフロア?
同じってことはこの人もあの場所に入院を?
「俺もあそこで入院してんだよ。今日からフロアメイトだ。仲間仲間」
「え、ちょ、嘘でしょ。同じ病棟ってこと!?」
「ちなみに805号室」
「しかも同じ部屋!?」
「大部屋だからな。俺、河津光介。今年で15歳になる。よろしくな」
「よ、よろしく」
手を差しのべるので握手。がっしり力強く握られる。私より温かい。
「大きな手……」
「野郎の手なんてこのくらいさ。で、あんたの名前は」
「……八重。九重八重」
「へー金太郎アメみたいな名前だな」
ムカつく男だ。
同年代の男子とあまり話したことはないが、まだクラスの男子の方がマシな気がする。
「八重は何歳なの」
「十四歳」
「ってことは中学二年か? どこ中?」
ヤンキーみたいな聞き方だな。
「倶楽木中学校。この春から中学二年生」
「倶楽木中か……あそこジャージについての謎ルール多いよな」
「知らない。初めて聞いたよ。どこ情報よそれ」
「イメージ」
イメージかい。
恐ろしく次から次へとでっち上げるなこの人。
「俺、外部情報弱いんだよね。世の流れにも疎いし。だからいろいろ教えてほしい」
さっきSNSがどうとか言ってたのに。
ていうかこれからこんなのと四六時中同じ空間で過ごすのか。
「ん? どうした」
光介が屈むようにして私の顔を覗く。
「……別に」
河津光介か。
光介は見たところどこも悪くなさそうに見える。
なんで私と同じあのF棟の8階フロアに光介みたいな子がいるんだろう。
だって、あの場所で入院する患者は……
「とりあえず、この大荷物を病室に運ばなきゃな。ついてこい。病棟まで一緒に行ってやる」
ひょい、と軽々と私の荷物を抱え歩く光介のあとを私は疑問に思いながらも着いていくしかなかった。
駐車場のコンクリートに散った桜の花弁は、私を病院へ繋げる薄桃色の血の絨毯のようだった。
病棟にたどり着き、ナースステーションに挨拶をすると805号室の自分のベッドに荷物を置いた。
「ふう」
これで無事手続きは済んだ。
向かいの椅子でニヤニヤ笑ってる光介が視界の端で騒がしいが。
少しすると看護師さんがきて、今日から私がここに入ることをフロア患者さんたちに挨拶しようと言って私を休憩ルームへ連れていった。
事前に知らされていたのか、看護師と共に患者らは既に来ており緊張する。
後ろを振り向けば光介はどっかいってしまっていた。
「805号室に入る九重八重です。よろしくお願いします」
自己紹介を終え、優しそうな人たちで安心した私は今になってどっと疲れが出て、なにか食べようと院内のマップを睨む。
ん……これは?
「展望レストラン?」
見れば私の病室からすぐ近くの渡り廊下を通った場所にあった。
名前の通り広々とした店内は見晴らしがよく景色も眺めも最高だ。
「あれ八重じゃん」
「あ、光介」
展望レストランでまさかの遭遇。
「あんたどこ行ったかと思えば。ていうか、さっき団子食べてたのにまだお腹空いてるの?」
「いくら食べても腹へる年頃なんだよ」
「さいですか」
「よくこのレストランわかったな。地理的に穴場なのに」
「マップで目に入ったから」
「嗅覚か危機管理能力に長けてるな。ネタばらしすると、この病院の食堂は激マズだ。関係者の間で『地下の地獄食堂』『展望の天国レストラン』て囁かれている。飯食うならこっち。オススメ」
「それもっと早く聞きたかった……」
そう言う光介の手にはパンの入った袋がぶら下げられていた。
「持ちかえりように販売してるんだ。お見舞いの人や病院の従業員も買いに来る」
へえー、パンか。良い匂い。
「何買ったの?」
「人気No.1のクロワッサン。あと、たまごサンドに紅茶ベーグル」
目が合い光介がニヤリと笑う。
「お前にも買ってやる」
「いいの!?」
「……一番高いの選びやがって」
「ふへへ」
ご機嫌で光介奢りのメロンパンをかじる。
果肉入り夕張メロンパン。
「美味しい」
パンを買った私と光介は休憩ルームに戻り、パンをかじる。
先ほど自己紹介した室内ではお茶を飲む人やテレビを観る人、患者さん同士で話す人などがいて人の入りが多い。
「展望レストラン。素敵なレストランだね」
「退院する人や外泊許可がおりた患者とその家族がよく食べにくるよ。頑張ったご褒美さ」
たしかに展望レストランに来る人たちは幸せそうな顔で料理を頬張っていた。ショーケースには宝石のように綺麗なケーキが行儀よく並べられていて見ただけで心踊った。
「俺はあそこで食えたらよかったのに」
「嫌です駐車場なんて」
「ちぇ」
当初光介は例の駐車場で食べようとしたが、私が断固拒否した。あんな場所でお花見してれば変な人と思われる。
「光介それなにー?」室内にいる光介を見つけてパジャマ姿の子供たちが駆け寄ってきた。私たちと同じく入院患者だ。
「遅めの昼飯。いーだろ」
光介は笑顔でこたえた。
勝手な想像だが、私の自己紹介のとき姿を消した彼はもしかして馴染んでないのかと思った。だが違ったらしく、むしろ光介は人気者だ。
誰とでも垣根なく気さくに接している。
(きっと自由人なんだな)
思うがままに行動できる感じがちょっと羨ましい。
「あら八重ちゃん? ここにいたのね」
休憩ルームにやって来た看護師さんが私を見つけると声をかけてきた。
「明日の午後にここのフロアの患者さん皆でお花見するの。八重ちゃんも是非と思って!
病院にある中庭の桜が見頃なの」
「へえ。病院の中庭に桜があるんですね」
「とっても綺麗で八重ちゃんも気に入ると思うの。樹は数本なんだけどね、毎年綺麗に咲いて患者さんたちと毎年この季節になるとお花見するのよ」
お花見か。ちょっと楽しみ。
毎年開催されるお花見だが、私の歓迎の意味も含めて中庭は賑わっていた。
お花見といっても病棟と病棟の間を囲むようにある中庭でお菓子やおにぎりなどちょっとしたものを持参して食べる気楽なレクリエーションだ。
中庭には大きな桜の樹が数本植えられている。大きく空に向かってひろがる桃色は数本でも壮大だ。
他にもいろいろな春の花が花壇に手入れされていて、中庭はとても美しかった。
私には、眩しすぎるくらい。
「さ、食べよ食べよ」
「八重ちゃんはどこの学校に通ってたの?」
同じフロアの子たちと会話をする。
「あれ光介は?」
「あー、欠席かな。いつもといっしょ」
その言葉にちょっと驚いた。
あんな皆と仲良くしてるのに毎年参加してないのか。
「光介くんは、まあ、しょうがない。人には好き嫌いがあるし。気が向いたら来てくれればいいけどなぁ」
看護師さんはそう言ったけど私は光介が桜が好きで駐車場でお花見してるところを見ている。
お花見の席に光介の姿だけがなかった。
(花見嫌いなのかな? いや、駐車場で思いっきり花愛でてたし)
「八重ちゃんもクッキー食べる? 美味しいよ」
「ありがとう」
クッキーを貰おうと伸ばした手に差しのべられた手を見てぎょっとした。
細い。
色も白い、というより、青白い。
そのとき私は、違和感に気づいてしまった。
「……」
看護師さんも患者さんも皆笑顔なのに、どこか違和感がする。
「綺麗だね。来年も咲くかな」
「来年も見れるといいねえ」
「また皆で見ようよ」
「皆と一緒に見たいなぁ」
楽しく皆と桜を見ているはずなのに。
さっきから何か胸につっかかって気になってお菓子も食べ物も喉を通らない。
笑顔で囲まれてるのに私だけ泣きそうだ。
そうだ、この違和感は。
辛くてその場から逃げ出すように駆け出した。
苦しい。
無理に走ってでも逃げたかった。
いつの間にか私は病院の外へ出ていた。
あんな態度をとったから病棟に戻るのが怖くて回遊魚のように病院の周囲を練り歩いて過ごした。
取り巻く外の景色は午後の日差しは夜の帳へと変わっていき、行き場のなくなった私はある場所を思い出した。
あそこなら……
夜の駐車場は真っ暗だった。
街灯の光は弱く、いかにも出そうな雰囲気だ。
心もとない気持ちではや歩きし光介と会ったあの場所を目指す。
夜の桜はとても綺麗だった。
街灯のわずかな光に桜がぼんやりと照らされ、青空の下では綺麗な桃色も今では霞のように幻想的だ。
「綺麗」
なぜだかそれは昼間中庭で見た桜より綺麗に見えた。
あんなに優しい看護師さんや患者さんたちも笑顔なのに。
息が詰まるようだった。
「ここの桜が一番綺麗」
「そうだろ。お前もようやくこの良さに気づいたか」
「!? えっ」
桜の樹の幹から生首が覗いた。
よく見たら生首じゃなくて光介だった。
「光介? どうしてここに」
「夜桜もまた好しだからな」
その両手にはおにぎり。と、さらにあぐらをかく両足の隙間には助六パックが置かれている。
「……自由人」
「そりゃ光栄だね。俺にとっては誉め言葉だ」
「こんな時間に外出てて大丈夫なの? 病棟にいないと看護師さんたち心配して困らせちゃうでしょ」
「俺ほどの入院歴になりゃバレずに抜け出すなんて朝飯前だよ」
まったくこの男は。
「……昼間のお花見会は来なかったくせに」
「つーか八重ちゃんも人のこと言えるの。俺と違ってバレないどころか大胆に抜け出したんじゃないのー?」
「くっ」
「あ、ビンゴ」
確かに私も人のこと言えないことをしでかしてしまった。
突然花見の席を抜け出す(しかも未帰還)なんて。
「なに。つらくなっちゃった?」
「は……別に。光介に関係ないでしょ。話す義理もないし」
「まあまあ、だんご食べる? 昼の余ってるよ」
貰った。うまい。
「美味しい」
「そりゃ良かった」
「……」
「分からんでもないけどね。入院は今までの生活と比べて非日常感あるし。日常生活と切り離されてる感じが慣れない人もいるよ」
「それを言えば今私たちが過ごしてるこの瞬間もかなり特殊だね」
「確かにそうだな」
夜の駐車場で二人きり桜のお花見なんて。
でも、この感じは、嫌いじゃない。
むしろ居心地がいい。
だんごの甘さとかおにぎりの海苔の薫りとか、桜の匂いに夜の涼しさ、隣に座る妙な男。ここだけなにもかもが隔離された世界のようだ。
いつもと違う状況に置かれてストレスなはずなのに、この時の異質な状況は私を開放的な気持ちにさせた。
「皆、どうして笑顔なのかわからなくて」
「皆?」
「8階F棟の、同じフロアの人たち」
「ああ」
昼間の出来事とわかったのだろう。「うん」と光介は首肯く。
「私ね、すごく治りにくい病気なの。退院できるかもわからない。治るより悪化する可能性の方が高い。でも、ここで頑張って治療に挑めばよくなる可能性はゼロじゃないってお母さんや家族の皆が言うから頑張ろうって」
本当は治る見込みがないのは知ってる。
入院前、家族がかげで担当医師と話してるのを聞いてしまった。
どうやら私の病は治る望みは薄いらしい。
藁にでもすがる思いで家族が頼み治療を受け入れてくれたのがここだった。
大学病院8階F病棟……末期患者病棟だ。
「なのに皆明るくて笑ってて。ここで終わるのを受け入れようとしてて。妙に前向きで。私は嫌だった。反抗しようと病からも病院からも逃れたいと思う私がおかしいの? 穏やかに悟るのも受け入れるのも私は嫌っ!!」
お花見会で私だけ笑えなかった。
皆の笑顔や優しさが白々しいと思ってしまった。あの空気に呑まれたくなかった。
でもそれは嫌悪でも憎悪でもない。
ただ辛くて、痛くて逃げ出したくて。
「……もうわけわかんない」
「あいつらの顔ちゃんと見たか」
「え?」
「皆の顔。八重。お前はちゃんと見たか」
こちらを見据える光介の瞳は真剣なものだった。
「なんでって考えないようにしてるんだよ。花見会で来年の話するたび皆が暗い表情になるのを俺は見てきたよ」
月を見上げ呟く。
「皆、未来の話をするのに暗くなるんだ」
「未来?」
「いつ退院できるのか。自分たちはその時生きてるだろうか。来年もこの桜を見られるのか……、来年もこの桜を見るのか。そうやって自然と未来のことを考えてる皆の表情にはいつだって影が差してた。ずっと見てきた」
そっか。
光介も前はお花見に参加していたんだ。
「皆優しい。看護師さんたちは俺たち入院患者が長い入院生活で辛くならないようにレクリエーション考えたりイベントを開催してくれたりしてくれる。でもそれで辛さは拭えない。フロアの患者の子たちは滅多に病院の外に出られないから。孤独な戦いだよ」
「……うん」
“中庭の桜を見るたびに絶望する”
だから一人きり駐車場でいたんだ。そんな皆の顔を見るのが辛くて。
それでも、少しでも、楽しんで笑ってほしい。だから笑うしかない。
受け入れるしかない……優しさを。
私は皆が皆気をつかって成り立ってる空間が苦手だったんだ。
私の視線に光介は柔らかく微笑む。
「その優しさが、時々痛くて、辛い」
「光介のこと協調性がない自由人と思ってた」
「思われちゃってたか」
「ごめん。それとあんたのテリトリーに勝手に踏み込んでごめん」
「いいよ別に。お前のその反抗物質みたいな考え好きだ」
「反抗物質」
呆然とする私の顔を見て光介は笑う。
「ようこそ病院Pの花見へ」
その後、夜間の見回りをしてた看護師さんに私たちは病棟へ連行された。
私がお花見会以降姿を消したと知った看護師さんたちはずっと血眼で私を探したらしい。
常習犯の光介と共に、私たち二人はその晩とても叱られた。
それでも、春が来るたび、私はこの駐車場でお花見するようになった。
光介と一緒に。
毎年駐車場の片隅でお花見してるところを看護師さんに叱られたが、そのうち二人きりの花見会は公認となり、そっとしておいてもらえるようになった。
さらに何回目かの春がきて、私と光介は今日もお花見をしている。
「そういえば光介はどうしてあの8階で入院してるの?」
夜桜を見たあの日。
光介はここにずっと入院してると言ってた。
「今さらそれ聞くの」
「タイミングが……聞き損ねちゃって」
でもずっと気になってた。
光介はどこも悪くなさそうに見えた。
体型も変わってないし顔色も良い。心穏やかで、健やかで。
どうしていつまでもこの病棟にいるのか不思議でしょうがなかった。
「んー俺さ、幽霊が見えるんだよね」
「え?」
「そう言ったらここにぶちこまれた。俺が精神を病んでるって思われたんだ。俺の親父この病院の名誉教授で、霊とかスピリチュアルとかまったく信用ない人なんだ。後継者として育ててた一人息子が幽霊見える発言したから焦ったんだろうな。面子のため俺をここに閉じ込めてるのさ」
「ひどい」
あんまりな話だ。
「そんな理由で……何年間も、ずっと、閉じ込められてるの?」
光介はそれでいいの?
「よくない。だから今から俺は“反抗物質”になる」
いつか私にも言ってたね。
光介は力強く言う。
「F病棟に来た理由は皆と違うけど俺はここで見たこと感じたことをずっと忘れない。ここを抜けて、いつか絶対医者になってやる。あんな親父を越えて皆を救える立派な医師になってやる」
「光介ならなれるよ」
私の方を見て光介は首肯いた。
優しげな瞳で私を見てくれた。
私と違って光介は病気じゃなかった。
でもずっとひとりで戦ってた。
理不尽な理由を胸に抱えて。
でも、
そっか。
だから私のことも見えてたんだね。
「あのね光介」
病院の駐車場で初めてあなたに会ったとき、なんて奔放な人だと思ったの。
だって駐車場で花見よ? 病院の駐車場の片隅でご機嫌にだんごにパンをかじって、変な人だよ。
何もかも私と違って羨ましくて。そんな光介のおかげで私は救われたの。
入院初日のあの桜の下であなたに出会えたから。
私の一生涯は幸せだったよ。
「楽しかったよ。ありがとう」
「またね、だろ」
◇◇◇
ねえ知ってる?
この病院の駐車場に出る幽霊の噂。
「光介先生知ってる? この病院に出るユウレイの噂」
病院の中庭に咲く桜の樹を見上げていると、マヤちゃんは突然そんなことを言った。
「幽霊?」
「そうユウレイ!」
車椅子から今にもこぼれそうなパジャマ姿の彼女の身体を支え、話を聞く。
「病院に幽霊が出るの」
「そう! この病院で死んじゃった女の子のユウレイ。ずっと重い病気で長期入院してたけど数年前に死んじゃったの。それで、その女の子、なぜか病院の駐車場の隅っこにある桜の樹の下に出るんだって」
「へえ」
「お花見が好きで未だに桜が咲く頃出てくるの。駐車場の隅の桜の樹の下にパンやおにぎりがシートの上に置いてあるの、ここに来るとき私も見たよ! でもあれお供え物じゃないかな? ユウレイがお花見なんてするのかな」
「幽霊の考えてることはわからないな」
「えー光介先生ドライ」
まだ少し蕾が多い。
駐車場の桜はもう満開だというのに。
「変だよね。中庭の桜じゃなくて駐車場の桜の下に出るなんて」
「そこの桜が一番好きなんだよきっと」
はらはらと桃色の花弁が宙を舞う。
中庭に咲く桜の下、車椅子から振り返り話す彼女の目は輝きに満ちている。
この輝きを守っていきたい。
午後の診察から休憩を経て夜勤がある。
展望レストランに寄り買ったパンの入った袋をぶら下げ、例の場所へ向かう。
曰くのある場所に咲く花ほど美しく綺麗とは本当か。
「よ、夕張メロンパン値上げしてたぜ」
桜の下。
幽かに揺れる桃色の霞に向けて手を差し出す。
皮肉を言われて振り向く少女の顔に、もう寂しそうな影はなかった。
読んでくださりありがとうございました!少しでも楽しんで貰えれば幸いです。