商人の質
「驚いたかよ、武器商人。俺のことあんなふうに、邪険にするからだぜ」
ワインを片手にソファーでくつろぐデイス。
それだけなら何の変哲もないが、異質なのはソファーが空中に浮いていることだ。
武器商人であり魔術師であるデイスならば、こんな芸当は何でもない。
日常茶飯事。
そして目の前で広がる光景も日常のひと時だ。
「酷いぜ、武器商人。最強の武器と、最強の防具を別々の相手に売っぱらったら、永遠に戦争が続いちまう。その点、俺様は聖母のように慈愛に満ちている。ご希望通り、戦争を終わらせる兵器を売ってやった。まぁたぶんこの星は滅んじまうが、いや、下手すりゃ世界そのものがなくなっちまうが、それは買い手の問題だしな」
デイスは報酬がしこたま入った袋を見てにやりとする。
「後は終わる前に遊びつくす。極上の女を抱いて、最高の飯を食べて、素晴らしい工芸品を買い占める。それが俺様たち武器商人の流儀ってもんだ。それをすっかり忘れて、なんだ? あの辛気臭い先代の真似事か?」
デイスはワインを一口飲んだ。最高の味だ。食事を取る時は、味も重要だが、何より景色がいいと通常の三倍はうまくなるもの。
この甘美な光景を見ながら飲むワインほど、格別なものはないだろう。
「さぁ、どうする? お嬢ちゃんよ。謝るなら今のうちだぜ」
もっとも、ただの謝罪は受け入れない。あの氷のような武器商人を抱いたところで、大して面白くもないだろう。
しかしあの奴隷ちゃんは別だ。あの奴隷ちゃんを武器商人の前で犯させること。
それが、一流武器商人であるデイス様への、最大限の謝罪だ。
※※※
「神の天罰、とやらかな」
イータルはおぞましい光景を目の当たりにしても、どこか吹っ切れたように呆れている。
「こ、これは、その……」
「君は何か知ってるのかな。まぁ、只者ではないと思っていたし、別にそれはいいんだけどね。たださ」
イータルの眼差しが険しくなる。
「これ、世界が終わらないかい?」
「……」
武器商人は黙っている。
このケースは初めてで、モニカには武器商人が何をするかわからない。
けれど、いくつか知っていることもある。
「ど、どうしますか? 不干渉……ですよね?」
これは直接聞いたわけではなく、それとなく知ったことであるが。
武器商人は武器とその使い道を提示するだけで、直接何かをすることはない。
しかしこのケースは例外なのだろうか。
いや、それよりも。
「逃げますか……?」
「それは、ありません」
その返答に心臓が締め付けられる。
武器商人のその表情を、無機質の中に秘められし感情をモニカは見たことがあった。
フレデリカを前にして、自殺しようとした時のもの。
商人ではなく、戦士としての……顔。
「ダメです、武器商人様……武器も、ないでしょう」
懐に入っているピースメーカーのことではなく。
今もどこかにあるはずの武器のことだ。
その武器を使えば、フレデリカのようなアーマーを身に着けることができるとモニカは思っている。
そして、その予想は当たっていると、その表情で確信する。
「武器があるから戦う、ということではないのです」
「そんなの変ですよ!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。モニカは委縮する。
「す、すみません、武器商人様。ですけど……」
武器商人はモニカをじっと見つめてくる。
「武器商人様……?」
この表情はわからない。
いつものように冷たい眼差し。先ほどは理解できた笑みではないことは確かだ。
初めて見る感情。
しばらくして、武器商人は顔を逸らした。
「あの武器は、粗悪品です」
深淵生物イァクァミルが? ドクターミシェプですら面倒と言う神もどきが?
モニカの困惑をよそに武器商人は続ける。
「優れた武器とは、最小の威力で最高の結果をもたらすもの。威力が高ければ優れた武器というわけではありません。また、目標を達成することができればいい、というわけでも」
イァクァミルの買い手が誰だかわからないが、ここまでの結果を求めていたわけではない。
現に、この視界から見える範囲は消失してしまった。
神の地を得るはずの戦争で、神の地が消えてしまえば本末転倒だ。
「一人を殺すために、国を滅ぼすのは間抜けのすること。つまり、そういうことかな」
イータルが冷静に呟く。
しかもこの場合は範囲が広すぎる。
一つの国を倒すのに、世界を滅ぼそうとしている。
「戦争において、敵の殲滅は悪手です。戦争とは何かを得るためにするもの。敵とはすなわち資源です。可能な限り殺さず、そして土地も破壊しない。そのうえで相手の精神を屈服させる。それが理想的な勝ち方と言えます。しかし、武力を用いた戦いでは、そううまくいきません。ゆえに、ある程度の過程を踏んだ世界では、経済的な戦いに段階を移行しています。血を流さず、資源を破壊せずに、勝利できるからです」
「それは賢い者の特権だと思うけどね。人間という存在は、わかりやすい形に依存しやすい」
イータルに武器商人は頷いた。
「どの国、どの時代、どの世界でも、単純な力……武器の魅力に抗えない者は存在します。特に権力者に多いのです。力を持って、自らの地位を守れる。そう考えてしまうからでしょう。デイスの売る武器は簡潔に言って、頭の悪い兵器です。人を殺すために街を破壊し、街を壊すために国を壊し、国を滅亡させるために星を砕く。それでも、権力者や戦争人はその魅力に抗えません」
「それで、理論は理解できたけど、どうするかい? その子の言い方だと、君は干渉できないようだ。でも君、やる気満々だよね。しかもさ、自滅覚悟で」
「……っ!」
イータルもモニカと同じ想像をしていた。焦燥感が全身を駆け巡る。
「武器商人様、逃げましょう! やれることはやりました! この世界から――あっ……」
自身の愚かさを自覚する。
この世界の住民の前で、なんと冷酷なことを口走ってしまったのか。
しかして、イータルの表情は穏やかだった。さも当然と言わんばかりに。
「その子の言うとおりだよ、武器商人。これは確かに趣味の悪い人間に付け入られた結果かもしれないが……その選択をしたのはこの世界の人間だ。対して、君は、君たちは誠実だ。モニカ君は僕のことを案じてくれたし、武器商人は世界のことを気にかけている」
――だから、君たちには関係ないことだ。救世主みたいなこと、する必要はないんだよ。
イータルは達観していた。
「救世主……」
救世主サマ。
フレデリカは武器商人のことをそう呼んでいた。
彼女は昔、世界を救おうとして失敗した……らしい。
そんな彼女がなぜ武器商人をしているのか。そのいきさつは不明だが、理由はなんとなく見えてきた。
世界を救うためにやっている。
そんな人が、ルールを破ってしまうからという理由で。
この世界から立ち去るのか。……逃げるのか。
「武器商人様」
無駄と知っていても声に出してしまう。
「やめましょう。やめて、ください……」
その背中にしがみつく。
だけど、わかっていた。この前の自殺未遂の時ですら、モニカは何もできなかった。
そして、そういう人だから、武器商人はモニカのことを丁重に扱ってくれた。
「お願いします……」
懇願する。無理だと知りながらも。
しばしの間そうして。
「少し、離れていてもらえますか?」
「はい……」
武器商人から離れる。
武器商人は懐から端末を取り出し、操作を始めた。転送装置か何かだろう。
コードを入力していく。珍しく入力が遅い。不慣れなのだ。
それを見守るしかない。モニカは己の無力さに吐きそうになっていた。
全てのコードを入力し終え、オーダーを送信する。
「――余計なお世話、なんだよ」
寸前に、後方から投げかけられた言葉で、振り返る。
「フレデリカさん……?」
ライトニングの異名を持つ女が立っていた。
※※※
「やったよ、フレデリカ! ようやく念願の、救世主様の部下になれたんだよ!」
「救世主様ねぇ……」
興奮気味のミショットと対照的に、フレデリカは冷めている。
フレデリカはスカラとかいう救世主に興味はなかった。
そいつは単に運が良かっただけである。
運よく手に入れた武器がめちゃくちゃ強かっただけだ。
救世主自身が特別な存在である、というわけではない。
「……嫉妬、してる?」
「嫉妬なんかしてねえ」
おこぼれのディースシステムで、フレデリカは多大な戦果を挙げている。
電光石火のライトニング。階級は中尉。
しかし残念なことに敵は階級に相応しい扱いをしてくれないようだ。
さらには、味方も。ミショットよりもフレデリカの方が階級は高い。
そして、それを当然とフレデリカは考える。
人の本質は肩書きじゃないからだ。
「ただの人だって。救世主様もさ」
「偉大な方だよ?」
「結果論だろ?」
「なんか子供みたい」
「アタシのどこが子供だよ?」
「私からすれば、ねっ!」
ミショットはフレデリカに抱き着いた。
「やめろよ、ミショット姉」
「嫌じゃないくせに。大気圏を超えて、月に到達しそうなぐらいに、好きなくせに」
それは事実だった。ミショットとフレデリカは血こそ繋がっていないが、強固な絆で結ばれている。
何物にも断ち切ることはできない……はずだった。
「ミショット姉!!」
駆けつけた頃には、死んでいた。
ミショットは救世主のために無茶をして死んだ。
そのことに怒りを覚え……ようとしたが、どうにもできない。
「なんて顔してんだよ……」
ミショットは呆れたような笑顔のまま死んだ。
「そんな風に笑われたら、恨めないじゃないか……」
だけど、このままにはしておけない。
まず、ミショットを直接的に殺した犯人。オズウェル。
奴を野放しにはしておけない。
追跡は困難だったが、不可能ではなかった。
『君はわかっているだろう。全ての原因は我らを襲った侵略者だ』
「全部敵のせいってか」
オズウェルの通信を聞きながら、秘密基地の要所に爆弾を仕掛ける。オズウェルとはまだ出会えていないが、別に良かった。
始末できればそれでいい。奴を倒せば、世界は少しでもマシになりそうだ。
「戦争が長引く原因の一つは、復讐心である」
国民を兵士と、武器として使うための燃料として、復讐心はとても効率が良い。
しかしそれは諸刃の剣でもある。現に、世界はオズウェルの傀儡である不知火の復讐心によって滅びかけている。
「アタシは復讐になんて興味はねえ。あんたは人類の、世界の脅威だ。脅威を排除するのがアタシの仕事だ」
『脅威か。あの女はどうなんだ』
「スカラか? 救世主サマだ」
粘着式の爆弾を柱に貼り付ける。通常の爆破任務ではこう豪快にはいかない。
しかし、この基地にいる人間は全てオズウェルの配下だ。悪党しかいない場所の破壊ほど、容易な仕事はない。
地下施設のウィークポイント全てに爆弾を設置した。後は起爆ボタンを押すだけの簡単な作業で、オズウェルの野望は土に埋もれる。
『この事態の元凶はスカラ・アドミラだ。奴を放置するのか?』
「現状ではな。もし本当に脅威になるなら始末するさ」
『その言葉が聞けて良かった』
「何……?」
データが送信されて訝しむ。スカラが武器の秘密を打ち明けた記録だ。
「なぜこんなものを。何の罠だ?」
『ただの親切だ。必要になるからな』
「こんなのでアタシを誘導しようとしても――」
無駄だ、とは言えなかった。ディースのオペレーティングシステムが警告を発したからだ。
『強烈な熱波を地表で確認。計測データをわかりやすい表記へ変換。地表の全範囲がまもなく消失します』
「は……?」
『疑問を感じる余地はないはずだ。しかし、安心していい。ここは範囲に含まれていない』
一瞬思考が停止する。しかしすぐに思考を動かし、妥当な結論に辿り着く。
「いや、アタシは騙されないぜ。今のデータにウイルスでも仕込んでやがったか。そうやって、うまく生き延びるつもりだったようだが、アタシには通用しない」
『構わないさ。既に目的は達した』
それ以上通信はなかった。それでいい。フレデリカに話すつもりはない。
起爆コードを入力し脱出する。
そして、見た。
「――え?」
ぐにゃぐにゃの地面。よくわからない何かの残骸。汚染された大気。
山も海も空も。
国も街も人々も。
草木も動物も空気も。
あらゆる全てが赤く染まった、かつて世界だったものを。
その、全ての元凶。この事態を引き起こしたきっかけは――。
※
スカラは死んだような眼差しで、フレデリカを見ている。
その無表情に、しかしてモニカという少女は何らかの意味を見出しているのだろう。
フレデリカも、世界が滅んだ後、何度もデータを読み漁り、復習した。
つまるところの、予習。
救世主サマを殺すための勉強を。
「余計なことはするんじゃねえ。過去の経験で学んだんじゃないのか」
「余計なことって……!」
「きゃんきゃん喚くなよ」
モニカにくぎを刺す。さながら主人を守る忠犬のような眼差し。
デイコックとかいう男の情報では元々奴隷だったらしい。
しかも、純粋無垢なタイプの。
中身がまっさらな少女がスカラに懐いている。その事実はとても都合が悪い。
なんてことだ、と思う。
スカラはフレデリカが見て見ぬふりをしていた……導いた果てに、不都合だからと拒絶した結論通りの女なのだ。
「キモいな」
空に浮かぶタコを見上げて、率直な感想を漏らす。とても不快だ。
海の中を悠々と生きるただの生き物ならどうでもいい。
しかし世界を食うタコは気持ち悪くて、醜くて。
「どうやって倒すか」
ハンドガンをホルスターから引き抜く。
ディース標準装備のシンプルなオートマチック。
利点は携行のしやすさと操作性。欠点は射程の短さと攻撃力の低さ。
しかし欠点は腕前で補える。
「こいつで倒せるかな」
愛用の銃を一瞥して、呟く。フレデリカは負け知らずだ。
スカラにだって勝てるつもりだが、拳銃がタコ漁に向いてるとは思えない。
「いい武器はないか。武器商人」
「……そうですね」
武器商人はトランクを開き、そこから不釣り合いなライフルを取り出した。
白色の長銃身の狙撃銃。どう考えても生身の人間には扱えない代物。
「フォトンコラプスブラスターか? アタシにはこんなもの支給されたことがなかったが」
「私の好みでもありませんでした」
「一点集中型だが、威力が強烈過ぎて……なんだっけな? 戦艦の先端を撃つと後部まで崩壊するっていう」
殺傷率300%とかいう意味不明なデータを聞いたことがある。
「……頭の悪い、武器ですか……?」
「違いないな」
モニカの言葉に同調するが、すぐさま武器商人スカラが否定する。
「対象によります。深淵生物イァクァミルには適正です。それに」
上部に差し込んであるカートリッジを外し、中身を見せてくる。
ディースシステムがスキャン。
『弾種特定。麻酔弾です』
「眠らせるのか?」
「あの種の生物は、殺す程度では死にませんので」
「頭が痛くなるね」
現地民であるイータルが口を挟む。
なんとも言えない気分にさせられる。
「なんていうか、さ……」
「悪い、なんて言わなくていいよ。うん、さっきも言ったけどこれはこの世界の人間が選択した結果だ。君たちはいつでも逃げていいし、むしろバカだなんだと罵っても許されると思うけどね」
「そんなことをしたら自分を殺さなきゃいけなくなる」
フレデリカは手を差し出した。あの救世主サマ……武器商人。
世界を滅ぼした元凶。スカラ・アドミラに。
「そいつを寄越せ」
「……本当に、よろしいのですか?」
あろうことかスカラは躊躇した。おい、と言おうとして。
「いいんです!」
モニカがスカラの代わりにどうにか銃を持って、よろめきながら渡してくる。
「正解だ、お嬢ちゃん」
「私は――」
「モニカ。そこで見てろ。そこの武器商人もな」
何か言いたげな武器商人を後目にして、フレデリカはディースフレデリカカスタムの背部スラスターに火をつけた。
「やっぱりキモいわ」
イァクァミルとかいうタコ野郎の全身をスキャンした上での結論。
青白い体表に八本どころか数百本の触手に囲まれた球体が、さも当然とばかりに空を飛んでいる。
触手が突き刺さった街がいきなり海になったのを目撃した。
かと思えば空に木が生えたり、宇宙空間が出現したりしている。
「でたらめだな」
『対象の攻撃範囲から異常な数値を計測』
「わかりやすく」
『当たれば死にます』
「なるほど、実にシンプルだ」
つまり銃撃と大差ない。全部避ければいいだけだ。
問題は弱点だ。いくら端を撃てば反対端が壊れるほどの威力がある銃だとしても、闇雲に撃てばいいという話ではない。
弱点に撃ち込まなければ、世界がどんどん壊れていく。
あの赤い世界が再現される。
「なんとかしてやる」
まずは注意をひきつける。愛用拳銃を取り出し発砲。球体部分へ撃ち込む。
着弾地点から大きな一つ目が開いた。鋭い眼光でこちらを威圧してくる。
「ちびりそうだぜ」
軽口を叩きながら迫りくる触手を避ける。
と、触手が命中した空間から人が落ちてきて、地上へと落下し始めた。
「くそッ! コマンドライトニング!」
ライトニングモードを起動。雷の如き素早さで対象人物をキャッチ。その顔を見ると、魚だった。ぎょっとすると、そいつが笑い出す。
「むあかおろとふふの!」
『言語翻訳。ご苦労だよ下等生物』
「落としてやろうか!」
フレデリカは地上へ転移し、武器商人の元へ舞い戻る。
ひっ、とモニカが声を上げた。
「高慢で有名な魚人族じゃないですか……!」
「まんまだな。おい、誰でもいい。弱点を教えてくれ」
「球体下部の口です」
索敵しているイァクァミルの下部を武器商人が指し示す。
「触手に守られてる。当たり前か」
「カートリッジには七発装填されています。六発を触手に使用し、本命を弱点に使用してください」
「作戦はわかった。で、眠らせた後はどうするんだ?」
「それについては当てがあります」
武器商人はモニカを見つめた。モニカは首を傾げている。
「こふおろのかともい」
『言語翻訳――』
「くだらないことを翻訳しなくていい。スラスター点火!」
再び飛翔。接近は楽だ。こちらに気付いたタコが触手を伸ばしてくる。それを掻い潜って避け、下部へ移動。弱点に狙いをつけるが触手で覆われた。
引き金を引く。触手に命中。機能停止し切り離される。
迎撃がやってくる。それを撃つ。地面に落下。
発砲。残弾数五。近づいてきた触手にナイフを投擲。刺さったナイフが木の枝に化けたが、怯ませた。ガード触手に射撃。崩れ落ちる。
「ぐッ!?」
急に頭痛に襲われて狙いが逸れる。無関係な触手に着弾。
「なんだよ!」
『対象からの精神攻撃と断定。防護フィールドを貫通しています』
手も震え出した。狙いが定まらない。
気が狂いそうだ。拳銃で頭を撃ちたい欲求に駆られる。
「こっちにおいでよ」
「ミショット姉!? くそ、幻覚とか汚いぞ!」
目の前にミショットがいる。彼女は当時の笑顔のままこちらに手を伸ばしてくる。
その手を掴めばどうなるかわかるが、悔しいことに手を取りたい欲望が湧き出してくる。
「楽になれるよ。幸せに暮らそうよ」
幻覚と手の震えにより、精密狙撃は不可能と判断。
「もとより狙撃は苦手だ! コマンドライトニング!」
『非推奨行動です』
「うるせえ指示に従え!」
引き金を引きながら突貫。残弾二。
拳銃を左手で抜き、幻覚に狙いをつける。
「世界が滅んだのに、どうしてまだ戦うの?」
「アタシがまだ生きてるからだ!」
ミショットの幻に銃撃。霧散する。
触手を寸前で避け、拳銃を投げ捨てる。代わりにフォトンブレードを抜き、触手を切り裂きながら急所に接近。
ガード触手は三本。一本を撃ち崩す。
二本目を切り裂く。がブレードが液体となって落下した。
残り一本。武装はブラスターのみ。
「考えるまでもねえ!」
カートリッジを外して、銃身を掴む。銃で殴打する。
ブラスターが消えたが、触手も千切れた。
カートリッジを握り壊し、弾丸を掴む。
露出した醜い牙が見える口。そこへ。
「アタシの奢りだタコ野郎!」
全力の拳を叩き込んだ。
※
「どうして? 辛いだけなのに」
気づけば暗い空間の中にいた。死んだかもしれないな、とフレデリカは考える。
目の前にはミショットがいる。これが天国だとしたら、随分味気のないところだ。
「辛いだけとは限らねえ」
「でもさ、辛いことの方が多いよ? 幸せは一瞬だけど、不幸せは何十年も続くよ」
「うるせえよ。その顔でらしくないこと言わせんな」
ミショットはこんなことを言わない。
例え思っていたとしても、表には出さなかった。
「どうしてなの?」
「アタシは……気に入らねえんだ。元よりはねっかえりのやけっぱち。お行儀よくなんてできやしねえ。誰かにそうさせられるのがとんでもなく嫌な性質でね」
「だから、拒絶する?」
「指示や命令はアタシがいいと思ったら受け入れる。それ以外はくそくらえ。世界を滅ぼそうとする奴は嫌いだし、世界を救おうとする奴も嫌いだ。前者は全力でぼこぼこにするが、後者はまぁ……せいぜい文句言うくらいにしておいてやるよ」
「――そうか、よくわかった。こちらは敗北を受け入れよう」
そして空間が消失する。
※※※
「なんだと?」
デイスは驚きを隠せない。イァクァミルは武器商人でなければ倒せないはずだ。
都合よく傭兵でも見つかったのか? いや、そんなはずは。
「ふむ、こちらかと思ったが、間違えたようだ」
「なに!?」
いつの間にか目の前に浮いている女にさらなる驚愕をする。
反射的に攻撃魔術を行使して、
「おっと、敵意はない。ただの人違いのようだ」
ソファーの背後からの声で慌てて立ち上がる。
「何者だ!?」
「私はドクターミシェプ。私の世界の生き物が、他人様の世界に迷惑をかけたようなので。世界を代表して回収に来ただけだ。しかしどうやら君が起点のようだな」
「俺様はただ商品を売買しただけだ!」
「そうだろうとも。責めはしない」
「そうか、それはお利口だ」
「だが、一応言っておこう。私は君を既に……幼稚な表現となってしまうが、三億回は殺せた」
「嘘を吐くのも大概にするんだな」
「見抜かれていたか。これは失礼。五億に訂正する」
言葉を失ったデイスの前からドクターミシェプは消失する。
最初から誰もいなかったかのように。
※※※
「目が覚めました!」
モニカに言われて、ベッドのフレデリカを見下ろす。彼女は早速嫌な顔を作り、
「ちっ。いい目覚めじゃないな」
「私では不満ですか」
「そりゃそうさ。で、隣の仮面は誰なんだ?」
「こちらはドクターミシェプ様です。イァクァミルの引き取り手です」
「君のおかげで汗をかかなくて済んだ。感謝しているよ」
「汗、ねえ……」
吟味するようにフレデリカはミシェプの仮面を見つめ、肩を竦めた。
「いやいいさ。そこの武器商人が選んだのなら、悪人じゃないんだろ。なぁ?」
「……そう、だと思います」
モニカは複雑な表情を浮かべる。ミシェプはモニカの肩を叩いた。
「何も気に病む必要はないよ。君は自由なのだから。何の責任も持たぬ身の上だが、あえて言っておこう。すまなかったと。さて、足早にお暇させて頂こう。世界の治療はまだ始まったばかりなのでね」
そしてミシェプは消失する。フレデリカはため息を吐いた。
「こいつがもっと早く来てくれたらそれで良かったんじゃないか?」
「解決はできたでしょう」
「言うなぁ、武器商人」
「しかし、救える命は減っていました。あなたは間違いなくこの世界を救ったのです」
「じゃあ、救世主ってことか? 冗談じゃないね」
「……私もです」
「あ……?」
フレデリカが目を丸くする。モニカも硬直していた。
武器商人は悩んだが、言葉を紡ぐ。
「私も、救世主などでは――」
「今の話の後で言うのもなんだがな」
フレデリカは頭の後ろを掻きながら、
「本当の救世主って奴は恐らく、自分のことをそう思ってない奴のことだ」
「フレデリカさん……」
「おっと、モニカも、武器商人も。勘違いするんじゃないぞ。アタシはな、武器商人。お前のことが嫌いだし、今でも原因の一つだとは思ってる」
そう言った後に、一呼吸。
「けどな、努力は認めてやる。失敗こそしたが、お前は……間違いなく世界を救おうとしたのだと」
フレデリカは自力で立ち上がると、ドアへと向かった。
「じゃあな、武器商人、モニカ。機会があったらまた会おう」
フレデリカが転移する。武器商人は困惑した。
気持ちの整理をつけようとモニカを見る。彼女は満面の笑顔だった。
まるで自分のことのように喜んでいる。
「良かったですね! 武器商人様?」
「……こういう時、どうすればいいのでしょう?」
「泣いてもいいですけど、そうですね……笑いましょう! 思いっきり、笑いましょう!」
「笑うの、ですか? しかし」
「喜ぶべきなんです! 笑いましょう! ほら!」
モニカの嬉しそうな声を聞いて。
不慣れな笑顔が作られた。